第三九五号(昭一九・五・一七)
決戦必勝
第三九回海軍記念日を迎へて 大本営海軍報道部
戦局の状況と総力戦 海 軍 省
甲種予科練の募集について 海 軍 省
戦力増強生活例 新職場に想ふ
戦時農園問答(二) 回答 農商省
第三十九回海軍記念日を迎へて 大本営海軍報道部
決 戦 必 勝 の 信 号 弾
Z旗、三笠の檣頭に飜る
この決戦必勝の信号旗掲げられたのは丁度、今から三十
九年前の五月二十七日午後一時五十五分だつた。当時、唯々
極東制覇の野望に払えるロシアの侵略に対して、帝国の「独
立自衛」を確保すべく、我が国は真に上下一致、三国干渉
以来、臥薪嘗胆十年の敵愾心と敵撃滅の闘魂とをたぎらせ
て、その貪婪飽くなき野望を徹底的に粉砕撃破したのであつ
た。
ロシアの敗因は、その戦争的の不明徴なるため、我が国
がこれ以上の戦争継続力を不可能視された時期であつたにも
かゝはらず、遂に国内分裂の結果、敗退せざるを得なかつた。
正に勝敗は紙一重であり、最後の五分まで堅忍敢闘したもの
に対してのみ勝利の栄冠は授けられる。そして戦争は、敵が
退却しても「参つた」といはぬ以上、つまり抗戦意志を放棄せ
ぬ以上、真に勝利を得たことにならず、結局、それは人間
と人間、意志と意志との戦ひであつて、戦ひの最後まで、
火の如き必勝の信念と、如何なる困苦欠乏にも耐へる強靭
な意志とに加へて、真に渾然一体化した金剛不動の国内態
勢を堅持する国民のみが、よく戦捷を獲得するものである
ことを、不滅の歴史的事実として我々に教へてゐるのであ
る。
日露戦争がさうであつた如く、大東亜戦争は、「世界の恒久
平和と安全保障の根本条件は、日本を地球上から抹殺するこ
とだ」とする米英の世界制覇の野望に対して、帝国の「自存
自衛」を確保すべき民族死活の戦争であり、その勝敗の結果
は絶対森厳である以上、敵が抗戦意志を放棄するまでは絶対
に中途半端な解決や妥協を許すものでなく、如何に中途半端
な解決や妥協が将来に禍根を貽したかは、古来幾多の戦史が
実証してゐるところで、我々はこの事実を想起すると共に、
如上の点を先づはつきり認識し、把握するところがなければ
ならない。
制海空権を獲得せよ
「ロシア海軍の名誉を擁護せよ」と皇帝ニコライ二世の信任
と全国民の輿望とを担つて、リボウ軍港を出航した東征バル
チック艦隊は、鵬程実に一万五千浬の長途を、勝敗を唯々こ
の一戦に賭け、鎧袖一触の勢ひをもつて、アフリカの南端喜
望峰を大迂回して来攻したのであるが、東郷大将麾下の我が
聯合艦隊は、これを朝鮮海峡に遊撃して一挙に撃滅し、遂に
曠古の大勝を博して日露戦争の大局を決定したのであつた。
日本海海戦は、二十七日昼から始つて二十九日朝まで続いて
ゐるが、勝敗の数は、旗艦三笠が砲撃を開始してから僅々三
十五分間で決定してゐる。
だが今度の戦争は、ハワイ、マレー沖海戦以来今日まで、
二十回に近い海戦が行はれたが、未だに大局と決定するに至
らない。それは何故か! それは、全く航空機出現のためで
あり、その長足の進歩にほかならない。その現代戦の大消耗
戦、大補給戦、大生産戦、大科学戦たる性格に最も適した強
力絶大な機動力によつて、従来の海戦の方式と思想を一変し
てしまつたのであつた。
緒戦で惨敗を喫したアメリカは、帝国海軍によつてはじめ
て示された航空戦力の威力によつて、逆にその教訓を生かし、
全面的に軍需工業の転換を断行すると同時に、航空戦力を飛
躍的に増強し、現在、太平洋全域に亘つてその大航空兵力を
展開して、戦局の大勢を制せんと企図してゐるのである。
制空権なきところ制海権もなく、昨年六月十六日のルンガ
沖の戦闘に対して我が大本営が、「ルソガ沖航空戦」なる新呼称
を用ひたことは、現代戦の実相を端的に表示したものであつ
て、現代戦においては、制海空権の確保なきところ断じて勝
利はない。
烈 々 た る 撃 滅 精 神
戦争は文字通り苦戦であつて、断じて楽戦ではあり得な
い。日露戦争は苦戦の連続であつた。こちらが苦しいときは敵
も苦しいのである。この点、我々は、東郷大将がいよ/\新来
のバルチック艦隊を撃滅すべく、明治三十八年四月十七日、
麾下全将兵に下した「戦闘実施に関する訓示」を、もう一度、深
く心に刻みつける必要があらう。即ち、大将は
一、作戦は、万事警戒を最要とす。油断は大敵なり。細事に
も寸時警戒を怠るべからず。
二、戦闘に於ける士気の消長は、戦果に関係すること頗る大
なり。戦場の経歴少きものは、大抵敵を強く見、我を弱く
感ずるを常とす。是敵艦内の惨害等は、我これを見る能は
ざるも、我の被害は常に心目に触るゝを以てなり。特に戦
酣にして勝敗将に決せんとする際には、実際勝戦なるに自
ら苦戦と感ずること多し。故に我苦戦する時は、敵はその
数倍も苦しめるものと観念するを可なりとす。古の兵家、
これを七分三分の叶合と戒む。即ち、敵七分我三分と思ふ
時が実際五分五充分なりとの謂なり。
三、已に合戦するに当りては、又、防禦をいふの要なし。積
極の攻撃は、最良の防禦なり。
四、戦術実施の要訣は、己の欲せざる所を敵に施すと同時
に、敵より施されざるに在り。故に、斯くせられては、苦し
むと思考することは、我より先づ施すこと肝要にして、常
に先を制せざるべからず。
と訓示されたのであるが、日本歴史上未曾有の試練に直面し
た我々にとつては、正に決戦訓ともいふべきである。
だが、それにもまして我々の学びとらねばならないのは、烈
烈たる元帥の撃滅精神である。それは丁度、五月二十八日の
朝のことであつた。敵の司令官ネポカトフ少将は、戦艦二隻、
海防艦二隻を率ゐて辛うじて鬱陵島附近まで逃げのびたので
あるが、遂に我が主力艦隊に取り囲まれ、もはや如何ともしが
たき状態に陥つたので、軍艦旗を半降し、万国信号によつて
降伏の意を表した。
旗艦三笠の艦橋上でいち早くこれを認めた幕僚の一人は、
「長官、敵は降伏の旗を掲げました。発砲を御停止になつては
如何です」と進言したが、元帥はこれを聴かざる如く、黙々と
して依然砲撃を続けさせた。そこで幕僚はさらに、「長官、発砲
を止めるのが武士の情でにありませんか」と意見を具申した
のであつたが、元帥は幕僚を徐ろに制して、「まあ待て、降伏
旗は挙げたがまだ速力をかけてゐるし、砲口もこちらに向け
てゐる。発砲を止めるは早い。」
かくて彼が速力を停止するや、直ちに発砲を止めて彼の降
伏を容れ、三笠に招くに当つては、帯剣を許して武士の面目を
保たしめたといふことであるが、恩威並び行はれ、敵を撃滅せ
ずんば止まざるこの元帥の攻撃精神こそ、まさに、正にして武、
武にして仁なる我が神武の本領を発揮したものであつて、我
戦は今こそ爛々たる武威を以て四海を睥睨し、敵を撃滅しつ
くさねば止まぬ神武に徹すべきである。これに徹するとき、
必勝の大道は燦然と開かれるであらう。
国 力 伸 長 の 好 機
日露戦争当時の彼我の国力比は、陸軍力において、彼が平
時総兵力二百万、戦時五百万を突破し、極東にあるもののみ
でも、約二十万を整備してゐたのに対し、我は後方を加へて
も、動員総兵力百十万を出でず、軍の編制装備に至つては、
到底彼の敵ではなかった。
また海軍力は、彼の五十一万余トン(黒海、裏海艦隊を除く)
に対して、我は総トン数二十六万余トンといふ二対一の劣勢
比率であり、一方、戦費は彼の二十三億五千万円に比し、
我は二十億円で、その総額は余り差異はなかつたが、我が外
債は、連戦連勝してゐながらロシアのものより常に安値であ
つた。
今や敵アメリカは、その物量的優越こそ究極の勝利をもた
らすものであると飽くまでも必勝を確信してゐる。敵も必死
だ。その国家総力を挙げて一気に我を押し切らうとしてを
り、特に最近は大海軍力の建設について、猛烈な宣伝攻勢を
行ひ。その世界制覇の野望を達成する基底をなすのは、七洋
を制するに足る強大な海軍力であると昂然と豪語してゐるの
である。
だが、彼等のこの侵略企図が、果して彼等の予定通り実施
されるかどうか! すでに我が国は地理的にも、物的にも、そ
してまた人的にも、必勝不敗の戦略態勢を保持し、東條首相
の大号令一下、一億戦闘配置に就き、その生産量も、統帥部
の要求量さへ充足すれば、第一線の将兵は成算ある作戦が出
来るといはれてゐるのであり、さらに我が至力の如何なるも
のであるかは、緒戦六ケ月で、大東亜の全域を戡定した一事
が雄弁にこれを物語つてゐる。特に万邦無比の國體の下、一
億純忠の至誠に然える以上、我々は断じて勝つ。そしてまた
我々は絶対に勝たねばならぬ。
日露戦争の大勝が、我が国の世界史的運命を拓開した如
く、大東亜戦争は、米英の侵略勢力から東亜を解放して、道
義にもとづく新秩序を建設すべき皇道世界日本の運命を拓開
するものだ。戦局の現状は最も困難な時期に遭遇してゐる
が、それは一面、我が国力を伸長すべき絶好の機会に際会し
てゐるのであつて、この運命は我々自身の手によつてのみ開
拓されるのであり、その時期は今日を措いて他にない。
今や帝国海軍は陸軍とともに大詔の下、全軍の士気ます
ます旺盛、誓つて護国の大任を完うすべく、敵撃滅に邁進し
てゐるが、我々は今こそ大日本の檣頭高く飜翻と飜るZ旗の
下、各自の戦闘配置において各自の任務を完遂することが、
とりもなほさず必勝の基礎を刻一刻築き上げるものであるこ
とを銘記し、承
詔必謹、死力を
つくして我が光
輝ある戦争目的
を達成せねばな
らない。