第三七七号(昭一九・一・一二)
本年の戦局展望 陸軍省報道部
大東亜戦争第三年、深刻化した情勢の下に昭和十九年の新春を迎へた。我々は先づ以て 宝祚の無窮と聖寿の万歳とを寿ぎ奉り、皇國の必勝を天地神明に祈らんとするものである。
この度の戦ひは世界歴史の大転換を齎し、皇國三千年の運命を決する本質を有するだけに、我々の前途には容易ならざる艱難が横たはつてゐることを覚悟しなければならない。我が国は、近くは満洲事変以来、今日まで十数年に亘り戦時生活を続けて来てゐるのであるが、御稜威の下、事態はすべて順調に進捗し、真に困難な状況や、危険な場面にぶつかつたことはなかつたといへるであらう。
しかるに今度の戦争の現実、並びに今後の推移を考察してみるとき、従来我々の経験しなかつた深刻な情勢、苛烈な戦局が現はれることが予想されるのである。即ち現在並びに今後の戦局なるものは、最も困難なる情況下における戦局であり、これに対する我々の心構へと、これに対する施策の適否、実行力の強弱如何によつて戦争の勝敗が決せられるものと考へる次第である。そこで今、現下の世界戦局をありのまゝに観察してみることにしよう。
歐洲戰局
まづ欧州戦局である。これは何といつても独ソ戦が中心である。ヒトラー総統は、初めイギリスを作戦目標としてゐたが、途中、後門の狼、ソ聯が危険であると感じ、これを撃破した後、前門の虎イギリスに当る決心の下にソ聯に開戦した。しかもこの戦争の短期終結は、戦局の現実が示してゐるやうに、なかなか困難である。今日でも依然として消耗戦、運動戦の状態が続けられてゐる。
昭和十九年一月元旦現在の戦線は、概ねレニングラード西側、ノヴゴロド、キエフ西側、クレメンチュグ西南側、ザボロジェ、ドニエプル河右岸の線とクリミア半島北及び東部両海峡の線にある。
ソ聯軍は去る十二月二十日頃、北部戦区のネヴェリ、ヴィテブスク地区において、また同月二十四日、キエフ西方地区において新攻勢を開始し、若干の進出をみたが、ドイツ軍の反撃によつてその後大なる変化をみない。
かやうに東部戦線は一進一止の状態であるが、ソ聯軍の物的・人的損耗の多大であつたことからみると、今後ソ聯としては、米英の援助なしでは到底ドイツに当り得ないまでに戦力を消耗し尽して来てゐるものと考へられる。しかし、ドイツ軍としても、さきにはイタリア戦線の補填、また近い将来予想される米英の欧州侵入作戦、いはゆる第二戦線に対し万般の対策準備を必要とし、且つまた東方戦場の地形、天候、気象の関係等からして、対ソ作戦は幾多の制約を受けるであらう。
第二戦線問題
久しく喧伝されてゐた米英の対独第二戦線構成問題こそは、今年における欧州戦争最大の問題であらう。竜頭蛇尾に終らんとしてゐる南部イタリア戦線の戦況打開のためにも、はたまたスターリンの切望に対しても、米国内の政治的に微妙な関係からしても、米英としては本年前半期において欧州第二戦線構成の必要に迫られてゐるとみられ、カイロ、テヘラン会談は正にこれを協議したものであるとの推測は、各方面の一致した見解であつて、現にルーズヴェルトは、去る十二月二十四日のクリスマス前日、
一、余は地中海方面旅行を終へて帰来せり。本旅行間、余は英ソ重慶三国の指導者
と会見して現下の軍事問題、特に敵に対する成功的攻撃計画の問題につき協議せり。しかして右の結果は、近き将来において地球上の各所において現はれ来るべし。
二、テヘラン会議は三日に亘り実施せられたり。我等は大規模なるドイツ総攻撃の方法について協議せり。即ち赤軍は依然として東方より攻撃を継続し、アフリカ及び伊国にある聯合軍は南方より強圧を加へ、別に優勢なる英米聯合軍をして他の方向に作戦せしめることにより、ドイツを完全に包囲せんとするものなり。この他の方向に作戦する英米聯合軍はアイゼンハウアー将軍によつて指揮せらるべく、これがため同将軍は、地中海方面の聯合軍の指揮をチャーチルによつて指命せらるべき英軍将校に譲渡する予定なり。
と欧州第二戦線について相当はつきりしたことを述べてをり、その後、この派遣軍司令官として北阿作戦に米英両軍を指揮したアイゼンハウアーを最高司令官として任命してゐる。米国上院軍事委員ジョンソンの述べるところによれば、いはゆる第二戦線構成には、英国は空海軍において強力な部隊を送るも、陸軍は当然米軍が多数を占め、七割三分は米軍であらう。従つて総司令官が米将となるのは当然だといふわけである。
そのほか派遣軍空軍司令官としては、英空軍中将ライ・マロイ、副司令官としてテッダーを任命してゐる。本作戦に当り空軍の演ずる役割は大きく、空軍は北阿作戦におけると同様、戦略空軍を編成し、米空軍も陸軍における軍集団と同様の編成を作り、この両者が派遣軍空軍を編成することであらうとみられてゐる。
陸軍はオリアッタ作戦と同様、米英の二軍より成り、英軍は英国兵とカナダ兵を含め、モントゴメリーが司令官となつてゐる。
その他、北阿方面軍司令部と中東方面軍司令部とを統合し、地中海方面軍司令部を形成した。これは最近のドネカネス島嶼の失敗が、この指揮分割の不利を示したので、これが訂正を企図してのことであらう。その最試司令官に英陸軍大将ウィルソンを任命してゐる。これに伴ひ英陸軍大将パケットが彼の後任として中東方面軍司令官となり、米中将エーカーが地中海方面空軍司令官に、米中将ピーヴァースが地中海方面米陸軍司令官となつた。
またイタリア作戦に対しては、従来アレキサンダーが第十五軍集団の司令官であつたが、彼は同時にアイゼンハウアーの副司令官であつて、少数の幕僚を有し、作戦のみに責任をもち、軍政方面は北阿司令部が当つてゐたのであるが、今後は十分な幕僚を持つて軍政方面にも当るべく、ウィルソンの麾下ではあるが、ウィルソンの担当区域が大なるため、アレキサンダーはさらに大なる内容を与へられるであらうとみられてゐる。
最後にドイツに対する空襲をますます強化する目的で、米中将スパーツが新たにドイツ攻撃の米戦略空軍司令官となり、第八飛行師団(中将ドリットルを司令官に任命)、第九飛行師団(中将トヴィリングを司令官に任命)の戦略部隊を統合し、英本土と南よりの空襲を強化するであらうとみられてゐる。
以上、来るべき欧州侵入米英軍の編成軍首脳部の発表を行つたのであるが、これに関連して、情報によれば最近、地中海方面にあつた上陸用舟艇を英本士に廻航し、英本土南岸に多数の艦船を集結してをり、また英本土内においても軍隊の移動が活発で、これがために鉄道輸送が非常に活気を呈してをり、英空軍が将来上陸地点と予想さ
るフランス大西洋岸の独軍事基地に対し、最近本格的な集中爆撃を行つてゐること等からして、第二戦線の構成近しとみる向きが多くなつて来た。
ドイツの対策
かつて鮮やか電撃作戦で欧州大陸を席巻した当時のやうな積極的・攻勢的な形でみることは出来ないであらうが、しかし我々はこれを最も困難な情況における内作戦指導の間において、はつきり認められるのである。
即ち広大な東部戦線において優勢なソ聯軍の猛圧を必死に喰ひ止め、前大戦で食糧封鎖の飢饉戦によつてドイツ国民の抗戦力を内部から崩潰したその食糧封鎖をテロ爆撃に置き換へて、同じ效果を狙つてゐる敵米英の空爆に対しても、敢然として叩き返す用意をさをさ怠りないドイツ国民の頑張り強さの中に示されてゐる。
独軍の公表によると、昨年中にドイツの大中五十四の都市が敵米英の盲爆の惨禍に見舞はれてゐる。ベルリンだけでも前後十三回の大空襲で一万数千トンの爆弾が投下され、そのためべルリンの一区劃は完全に破壊され、恰も数十日間の市街戦で焼土と化したやうになり、またハンブルグ、ライン地方の小都市から教百万と思はれる市民が完全な寝床を奪はれた。
かういふ惨禍に見舞はれたならば、普通ならば忽ち恐慌が起るところであるが、これに対する防空対策は行届いてゐた。老人、女子供はあらかじめ避難させてあつたこと、警察力や秩序の維持と組織が確立してゐたこと、炊出し、仮宿舎などの応急救済設備が手廻りよ整へられてゐることなど、ドイツ人の組織的な優秀性、技術的な対策準備宜しきを得たことによつて、空襲による秩序混乱は防ぎ得たといへるが、その根本には戦時下ドイツ国民一人々々の士気が、今なほ高度に維持されてゐるからである。
否、或る場合においてはますます敵愾心を昂揚し、国民の戦意を強化してゐる。ドイツの軍事施設、或ひは軍需工場に対する今日までの被害は、殆んど問題とすべき程度には達してゐない。それだのに敵側では、早くも「ドイツの崩壊は近し」、とか、「最近食糧を増配したのは、単なる一時の糊塗政策に過ぎない」などと希望的なデマを飛ばしてゐる有様である。
現にガンツミューラー運輸省次官も、「交通網が完全に整備され、その機能が空襲下でも最高度に発揮されるのは四四年である」と言つてゐる位である。
しかし何といつても、盟邦ドイツにとつて本年が多事多難な年であることは否定できない。一月元旦、ヒトラー総統も国民並びに国防軍将士に告ぐるの布告を発表、この最も困難な情勢打開のための悲壮な決意を披瀝し、ドイツの現状は、恰もその昔の七年戦争の時と同じであるといつてゐる。それはフリードリッヒ大王が苦戦に次ぐ敗退を重ねながら、最後に大勢を挽回し、遂に最後に勝利の栄冠を贏(か)ち得たといふドイツ歴史の一頁が、今また再び廻り来つたといふのである。
この新らしき年がドイツにとつて如何なる年であるか、これについてヒトラー総統は
「ドイツに更に多くの苦難を課するであらう。しかし一九四四年における我々の使命は、従来の純正防禦の時期を克服して、わがドイツ国民が当然かち得べき最後の勝利を戦ひとるまで敵に痛手を与ヘるにある。当然、敵国軍は西フランス海岸、バルカン、或ひはノルウェー、オランダ、ポルトガルに上陸を企図してゐるであらうが、敵が我々を驚かす以上に、我々は万全の対策をもつて敵を驚かすであらう。余はドイツ国民に百バーセントの確信を以て上陸敵軍を粉砕し得ることをこゝに誓約する」
と戦局の前途は多難であり、苦難が倍加するであらうが、しかし戦勢の主導権は必ず奪還すると言明した。しかもこれは単なる強がりの抽象論ではなく、主導権奪還の基礎をドイツの発明精神に置いてゐることは、敵側も恐れを以て揣摩憶測してゐるところである。
かくて欧州戦争は、新らしき年と共にやうやく決戦段階に入らんとし、両陣相互の真剣勝負が近い時期に決せられようとしてゐる。我々は切に切に盟邦ドイツの健闘を祈り、その必勝を信ずるものである。
大 東 亜 戦 争
大東亜戦争を回顧してみるに、第一年は皇軍の電撃作戦により連戦連勝、以て戦略的に、経済的に、当初の作戦目的を達成した年であり、第二年はこの大戦果を速かに戦力化するやう物的に、心的に一切の施策が進められ、しかも敵はこれを妨害、阻止すべく反攻し来り、各地に局地の攻防戦が展開された年であつた。
とくに、昨年十一月一日、敵のプーゲンビル島上陸作戦開始以来、彼我の激闘はブーゲンビル島よりギルバート諸島、さらにニューブリテン島方面にまで進展し来つた。この方面の敵作戦指導の着想は、あくまでも飛行基地の獲得にある。現に、敵はブーゲンビル島トロキナ附近に飛行場を拡張整備中であり、マキン、タラワ島方面においても既に飛行場を整備し終つてゐる模様である。
敵は飛行基地の獲得、推進により、さらにニューブリテン島を当面の攻撃目標としてゐることは明らかである。現にニューブリテン島西南岸マーカス岬附近とグロースター岬東西に上陸した敵は、上陸地点の確保に必死の努力を払つてゐる。この敵の企図に対し、わが陸海軍第一線部隊は、寡兵常にこの攻勢に対し多大の人的・物的損害を与ヘ、皇軍の真価を遺憾なく発揮してゐる。最近の情報によると、ブーゲンビル島作戦における日本軍の損害は二千以下であるのに、米軍の損失は二万以上であつたことは、米国当局が躍起になつて宣伝する戦争宣伝の裏ニュースとして米国市民の関心を高めているとのことである。
敵 戦 力 の 実 情
こゝで敵米英の抗戦力について一応の検討を加へてみよう。
まづ米国であるが、現在米陸軍省の発表によれば、昨年九月における陸軍兵力は七百三十万で、この中には黒人も一割位をり、そのうち二百万は海外に派遣されてゐることであらう。去る十二月二十四日のルーズヴェルトの放送では、現在三百七十万を海外に派遣してゐるといふことである。その中でも航空兵力を重要視し、さきの参謀長マーシャルの年次報告によると、陸軍七百万のうち、航空兵力は、二百五十万に達するとのことである。
次ぎに海軍力はどうかといふに、もちろんはつきりしないが、昨年十月末現在で戦艦約二十隻、空母十数隻、特設空母五十隻を保有し、本年中さらに主力艦数隻、特設空母十隻内外程度の建造をみることであらう。
なほ船舶の建造については明らかではないが、昨年度は二干万トンを突破してゐるものといはれる。
以上述べたやうに尨大な軍備の充実を期さんがためには、その軍需生産もまた尨大ならざるを得ない。即ち昨年中期頃における男女労務者は、その数五千四、五百万で、うち女子一千七百万といはれる。これは男子生産年齢人口中、軍務に服する七、八百万を除いた数、三千四百万を超過する数字で、米国内はいまや老幼者をも使用して余りなし、といふべき頂点に達してゐるのではないかと考へられる。
従つて米国の誇る生産力の向上も、人的資源の点から規制されてしまつてゐる。それに軍備拡充に伴ふ労働力の低下、さらに原料資材の欠乏もいよいよ激しくなつて来てゐること等からみて、生産力も現在が概ね頂点であらう。しかし航空機、とくに重爆撃機の生産に関する限り、今後もなほ若干の向上をみるものと考へられる。
次ぎに英国の軍備について述べてみると、陸軍の兵力は英本国約二百三、四十万、空軍は七、八十万、海軍は五、六十万の正規軍その他義勇軍を合せて約五百万、これにカナダ軍六、七十万、南阿軍約二十万、インド軍約百五、六十万といふことになるであらう。
この軍備を維持するに要する英国の軍需産業力も、米国と同様、すでに極限に達し、殊に労働力の不足は米国以上に激しく、これは既婚婦人二百四、五十万が強制徴用され、石炭減産の対策として、召集兵五万を帰休せしめてゐる一事を以てしても明らかである。
敵の対日進攻作戦
さて本年の大東亜戦局が如何に推移
するであらうかは、いまこゝに言明し
得ないが、これは敵の出方によつて大
いに変化する。そこで今、米国の対日進
攻論なるものの傾向を言論の論調によ
つて観察してみよう。
イ、今年は戦争の運命を決する重大なる年
であるとなす論。殊に政府、軍当局筋
の言葉に多い
ロ、対日進攻作戦は同時に数方向から開始
し至短期間に戦勝を収めなければなら
ない。またそれは可能であるとなす論
ハ、最近の太平洋方面の日本軍の頑強な抵
抗に遭ひ、戦闘は容易ではない。従つ
て戦争は明年以降に長期化すとの論
ニ、速かに対日本土空襲基地を推進し、日
本本土を空爆し、戦力の根源を破摧す
べしとなす論
ホ、日本と南方資源地との海上交通を遮断
し、南方重要資源地を空爆し、日本の戦
力を涸渇さすべしとなす論
へ、重慶政権の援助、殊に対日空襲基地を
強化して、日本本土及び海上輸送路を
爆撃すべしとなす論
ト、シベリアに飛行基地を獲得すべしとな
す論。特にこれえを欧州第二戦線構成の
代償となせとの論
チ、速かに英印軍のビルマ奪回作戦を進め
しめ、以て太平洋進攻作戦を容易なら
しめよとなす論
以上、米国の当局者、言論機関の代
表的意向を挙げたが、これによつても、
米国の企図する対日進攻作戦なるもの
の概貌が想像できるであらう。
しかし一面においては、この侵攻作
戦を早くも疑問視し、ルーズヴェルト
の心中に一抹の暗影を投げかけてをり、
これは去る十二月二十四日、ルーズ
ヴェルトが談話の最後に、これを国内
政争の具に供する馬鹿げた者がない
ことを希望すると、特に附言したこ
とによつても推察されるのである。
英国も最近、対日積極論が盛んにな
つては来たが、英国当面の目標は何と
いつても欧州戦争にあり、大東亜戦争
については米国追随主義たらざるを得
ない実情である。
太平洋戦を決するもの
いまから約三百五十年前、英国のド
レークが、イスパニアの無敵艦隊を打
ち破つて大英帝国の基を開いた大海戦
以来、ネルソンのトラファルガー海戦、
東郷元帥の日本海海戦、前欧洲大戦の
ジュットランド沖の大海戦、それ等を経
て大東亜戦争の直前に至るまでの間、
木造の帆前船から鋼鉄艦に変り、ま
た明治以後になつて魚形水雷の発明が
あり、水雷艇が生れ、潜水艦が出現し
て海上戦闘に大きな変化が齎されたの
であるが、この三百五十年間、海上武
力の王者たるの地位は、戦艦がずつと
占めてゐたのである。
ところが航空機の偉大な発達によつ
て戦術に一大変革を来し、航空機が海
上戦闘の王者となるに至つた。これは
空前の大変化であるといはなければな
らない。この様相は大東亜戦争開始以
来、数次の戦闘によつて立証されて来
てゐるのであつて、制空権なきところ
制海権なく、制海権なきところ兵力機
動の作戦もなければ、兵站、補給の途
もないことになる。
飛行機の優越性は、その偉大な機動
力、攻撃威力、補充力とに存する。し
かも無線兵器の進歩によつて空中のみ
ならず直接海上、夜間といへども威力
を発揮し得ることになつた。
さて、これを太平洋方面戦闘の実相
に照らしてみるのに、今日までのところ
我が航空勢力は、遺憾ながら敵に比し
劣性であるといはなければならず、こ
れがガダルカナル作戦以来、戦勢が押
され気味となつて来た根本原因である。
昨年以来、ソロモン方面航空戦の彼
我損害の比率と兵力比とを検討してみ
るのに、勿論我が方は寡を以て衆を制
してゐるのであるが、敵に対して比率
が良好になると、戦果はこれに倍して
上つてゐるのである。そこで我々は、
何としてでも飛行機を増産し、優秀な
航空戦士を多数に送つて、戦勢の主導
権を奪回しなければならない。
我が軍、政府当局は先般、航空機増
産のため国力の総力を発揮すべき態勢
整備を決し、着々これを実行に移しつ
つある。従つて本年は、日と共に航空
機は増産され、従つて航空戦力は飛躍
的に向上し、こゝに日米両軍の太平洋
主導権争奪戦が展開されることになら
う。我々は断じてこの主導権を奪回し
なければならない。
この航空機増産に必要欠くべからざ
るものは船舶である。従つて大東亜戦
を決する主要兵器は、飛行機と船舶と
であるといへる。
敵の謀略エ作
世界戦争は、活溌な運動戦状態か
ら持久消耗戦状態に漸次移行して来て
ゐる。戦闘の激化に伴つて戦争の要求
は、日一日と国民の日常生活を脅かし
てゐる。これは交戦国いづれもが同様
に受けつゝある苦しみであつて、たと
ひ米国民といへどもこの例外たり得な
いことは、最近、交換船によつて帰朝し
た人々の実見談によつても極めて明ら
かなことである。
従つて、これからがいよいよ思想謀
略戦の活躍時期である。この意味から
して本年は、日と共にこの方面の戦ひ
が激化することが予想される。何しろ
敵米英の戦争黒幕なるものは、ユダヤ
の世界征服であつて、その着想は深遠
であり、雄大であり、巧妙である。最
近、再三開催された米英ソ等の首脳者
の諸会談の如きは、まことに念の入つ
た新型の謀略である。これによつて如
何にも米英側が既に勝ちを制したやう
な錯覚を起させるやうな巧妙な謀略
を、国の内外、ことに中立国、枢軸側
傘下の諸国に向つて行つてゐる。
もちろん、これに対し我は、明々白
白たる大東亜戦争の目的と理想とを有
し、しかもこれが着々と施策に具現さ
れてゐる。昨年十一月五、六日、東京に
おいて開催された大東亜会議の如き
は、東亜民族多年の夢を実現したもの
であつて、正に歴史的に東洋史を一新
し得たものといふべきである。
しかし戦闘の激化、その惨禍の拡大
するに従つて、断じて敵の謀略に乗ぜ
らるゝことなく、必勝の信念を堅持し
て進まねばならない。
以上述べたことによつて世界戦局が
如何に推移するであらうかは、だいた
い想像できよう。決戦第三年である今
年は、昨年よりもさらに苛烈な戦ひが
各所に展開されることは必至で、いは
ゆる我の膚肉を切らせて敵の骨を切る
の戦ひとなる。敵の反攻が熾烈化する
に従つて、敵撃滅の好機はいよいよ増
すことになる。戦争第二年における敵
の損害四十万なれば、今年は須らく百
万となし得る年である。
そしてこの悽愴なる決戦をして光明
ある完勝たらしめるの方途は、一に懸
つて一億国民の努力如何にかゝつてゐ
る。いよいよ必勝の信念を堅持し、鉄
石の団結を固め、七生報国の至誠を以
て各々その職分に奮闘するとき、敵何
するものぞである。
いまや皇軍将兵は一身一家を願み
ることなく、あらゆる困苦欠乏と戦
つて敵に当りつゝ
あり、銑後国民も
また悉く戦闘配置
に就き、一意戦力
の増強に邁進しつ
つある。大東亜の
諸民族もまた皇國
同胞と共に相携へ
て大戦争完遂に協
力しつゝある。今
年もまた戦勝の年
たらしめ得ること
は申すまでもな
い。我々は皇國の
必勝を信じ、一切
を戦ひに勝つため
に捧げ、最後の御
奉公をなすべき秋
であることを考
へ、相互ひに奮励
努力せねばならな
い。
第三七七号(昭一九・一・一二)