第三四七号(昭一八・六・九)
アッツの雄魂に応へん
戦争生活の徹底 厚 生 省
戦時下の育児
「頼母しい戦争生活例」当選発表
甘藷増産の秘訣 農 林 省
交通動員計画問答 企 画 院
大東亜戦争日誌
戦争生活の徹底
決戦下、銃後の私どもに与へられた責務である戦争生活の徹底は、
その必要いよ/\切なるものがあります。私どもの、その日/\の
徹底した戦争生活は、つまるところ戦力の増強となり、敵米英に打ち込む
弾丸となるのです。それでは戦争生活に徹底するには、一体どうしたら
宜しいのでせうか。次ぎの一文は、戦争生活に徹底するための根本理念とも
いふべきものです。これを基本にして、私どもが具体的な戦争生活を創造し、
具現して生き抜くところに、大東亜戦争勝利への大道は拓かれるといふべき
でありませう。
今や一億国民は、いよ/\撃ちてし
止まむの戦争生活に突入しました。私
どもは、生活の無駄を排除し、簡素剛
健しかも明朗な戦争生活に徴底しな
ければなりません。
去る昭和七年、折柄の全国的不況、
特に農村不況を匡救するために、農
民の自力運動として農村経済更生運
動が起り、また昭和十二年七月、支那
事変の勃発と共に、挙国一致、盡忠報
國の精神的団結を強くし、事態がどん
なに進展し、またどんなに長期に亘つ
ても、堅忍持久、あらゆる困難を打開
して、所期の目的を貫徹しようとい
ふ国民の一大精神動員いはゆる国民
精神総動員運動が起りました。
その後、この精動は発展的解消を遂
げ、国民組織である大政翼賛会が誕生
し、この翼賛会の組織、特に市町村常
会を通じて、全国民の間に生活新体制
運動が展開されて来ました。
このやうに国民生活刷新の掛声は、
各時代によつてそれ/"\一つの纏まつ
た運動として展開されましたが、その
狙ひどころは必ずしも同じではありま
せんでした。例へば農村経済更生運動
では農村の不況克服、自力更生、一家
経済の回復に重点が置かれてをりまし
たし、また国民精神総動員運動では、
当時の弛緩した国民の精神を奮起さ
せ、堅忍持久の精神的団結を強くする
といふ目的をもつてゐました。
戦争生活の目標
しかし、今日の食ふか食はれるかの
戦争生活では、生やさしいことではす
みません。それでは戦争生活の目標と
は何んでせうか。これには先づ生活と
は何か、即ち生活に対する考へ方、む
づかしい言葉でいへば、生活観とか生
活理念といふものを考へなければなり
ません。
よく生活とは、「生命発展のための
営みである」といはれます。また生活
といへば、私どもはすぐに個人を中心
とした衣食住の日常生活を考へます。
しかし、これでは不十分です。いま、
私どもが問題にしてゐるのは、個人生
活ではなくて、これを国家的な立場か
ら見た国民生活であり、人間を生物と
して見るのではなく、国家の一分子で
ある国民として見たものでなければな
りません。また個人を中心とした衣食
住だけが生活ではなく、民族の永遠に
連なる生命の現はれとしての国民生活
を考へなければなりません。
従つて国民生活とは、皇國民族発展
のための営みであります。皇国民族が
肇國の理想である八絃為宇の大旆を
かざし、質的、量的に発展して大東亜
共栄圏を建設する、この皇國民族の発
展のための日々の常みこそが、実に国
民生活なのです。言葉を換へれば、民
族発展の歴史のいろどりであります。
そして皇國民族がこの理想を実現し得
るかどうかは、懸つて大東亜戦争に勝
ち抜くか否かにあります。
このやうに考へて参りますと、皇國
民である私どもは、一人残らず戦争生
活の実践に徹底しなければなりませ
ん。健民運動の狙ひも実にこの点にあ
リます。
それでは、戦争生活に徹底するには
どうすればよいのでせうか。これを一
言でいへば、皇國生活観に徹し、簡素
にして剛健明朗な戦争生活の体制を確
立することであり、皇國民族本来の素
朴な生活様式に還ることであります。
よく国民士風の昂揚といふことがいは
れてゐますが、あの鎌倉時代の簡素剛
健にして尽忠至誠、身を鴻毛の軽きに
置く武士道精神の発揚が必要でありま
す。皇國臣民の戦争生活は、この精神
をもつて実践されねばなりません。
戦争食生活の実行
いはゆる衣食住の中で、食の問題は
最も重大な問題なので、政府ではこの
対策に全力を尽してをります。即ち昭
和十七年度からは、食糧について生活
必需物資動員計画を樹て、国民栄養の
見地からも、その確保を期してをりま
す。
一体、私ども日本人は、どれだけ食
べればいゝのかと申しますと、これは
その人の労働の強度や性別、年齢別に
よつて異ひますが、平均して一日、蛋白
質七十グラム、糖分三百七十グラム、
脂肪二十グラム、熱量二千カロリーと
いふことになつてゐます。
ご承知のやうに、これまで我が国民
の食生活は、主食である米麦から必要
カロリーの大部分を摂り、蛋白質や脂
肪の摂取には、とかく不足勝ちであり
ましたが、前記の計画では、出来るだけ
これを確保するやうに努めてをります
が、この際、一般の皆さんも栄養に関
する知識を出来るだけ広く求められ
て、現下の食糧事情の下で、いろ/\
と創意工夫を凝らしていたゞきたいと
思ひます。
では、現下の国民栄養の情況はどう
かと申しますと、これはなか/\判定史
の難しい問題でありますが、昨年の秋
に厚生省研究研で全国に互つて学童、
妊婦、新生児、俸給生活者、労務者等
の国民各層の調査をしましたが、その
結果を概括的に申上げますと、部分
的には多少栄養低下の事実もみられま
すが、大体としては別に心配する程で
はないことが分りました。しかし勿論
楽観は禁物であります。
なほ生計費からみた私どもの食生活
を、内閣統計局の家計調査についてみ
ますと、飲食費は、昭和七、八年頃では
家計費のうち三十二%程度でありまし
たが、昭和十二、十三年頃では三十六
%弱となり、昭和十五、六年になりま
すと四〇%近くに上昇してゐます。
特に労務者は、昭和十五、六年では四
十五%近くにもなつてをり、このこと
は庶民階層ほど甚だしいのであります。
このやうに飲食費の占める割合が大
きくなればなる程、家計としては弾力
性を失ひ、窮屈になることになります
から、私どもは一層戦時家計の工夫を
徹底し、家計費はこの際、思ひ切つて
削減しなければなりません。
国民栄養の確保指導の問題は、一方
においては食糧の生産配給を確保する
ことでありますが、他面、消費の合理
化が何んと申しましても大きな役割と
してをります。言葉を換へて申します
と、台所における主婦の心構へ如何に
よるところが非常に大きいのです。
即ち食物に対して「勿体ない」といふ
我が民族古来の感謝の態度や、食材料
の完全活用、新興食糧(例へばいなご、
はこべなど)郷土食糧の活用工夫、簡易
莱園、配給材料の計画消費等、現下の
食糧事情下でぜひ留意しなければなら
ぬ点は多々あります。
例へば、大都会から出る厨芥(ちゆうかい)の量が
驚くほど多量で、その中には未だ利用
できる勿体ない部分が多いことは大い
に反省しなければなりません。またこ
の際、各地方で今まで顧みられなかつ
たいろ/\の植物や動物の食用化を図
ることも大切であります。
戦争食生活の実行には、いま申しま
したやうな点が必要でありますが、こ
れらのことを家庭の主婦に実際に手を
とつて教へる実地指導者が必要であり
ますので、厚生省では昭和十六年以来、
厚生省研究研で毎年百五十名程を養成
して主に地方庁に配置し、道府県の栄
養指導に当らせてゐますが、本年度か
らは、更に町村における実地指導者の
養成講習会も全国的に実施する計画で
あります。
なほ、大政翼賛会や大日本婦人会、
その他の栄養関係団体も、これに協力
することになつてをり、これらの実地
包厨(ほうちゆう)指導者が地域、職域の健民実践
網を通じて戦争食生活の積極的な指導
をする筈です。
戦争衣生活の実行
戦争衣生活の指標は、一言で申しま
すと、皇國民にふさはしい簡素で戦時
生活意識の昂揚になり、衣料資材の節
約になるものでなければなりません。
この点から申しますと、国民衣生活は
いはゆる見せるための生活である部分
が未だ多く、刷新すべき余地が非常に
多いといはねばなりません。
まづ新調の見合せと、退蔵衣類の更
生活用でありますが、ご承知のやう
に、わが国の退蔵衣類は、だいたい百
億枚から百五十億枚といはれ、一人約
二十枚から三十枚の着物を持つてゐる
といはれてゐます。
最近、阪神方面で女学生や専門学
生、洋裁研究所生徒、職業婦人、女
工、家庭婦人等、約七百五十人につい
て衣服の所持枚数を調べたところにより
ますと、平均して女学生は三十枚、専
門学生は五十枚、洋裁研究所生徒は六
十枚、職業婦人は二十七枚、女子の工場
労務者は十一枚家庭婦人は六十一枚
を持つてゐることになつてをります。
このやうに世界の中で我が国民は、
最も多く衣類を持つてをり、あの物質
文明では世界第一を誇る米国でさへ、
だいたい一人平均二十枚以下とのこと
でありますから、私どもは大いに反省
しなければなりません。
そこで、何よりも必要なことは、新
調しないこと、何でもあるもので間に
合せることです。そしてどうしても作
らねばならぬときは男子は国民服乙号
がよいでせう。女子には婦人標準服
も、既に昨年二月に決定してゐますか
ら、衣服を更生利用する場合は勿論の
こと、やむを得ず新調する場合も、戦時
衣服として大いに活用し、また防空服
装の活用を徹底したいものです。すは
空襲といふ時に従来の長いたもとや、
ひら/\するすそは、全く邪魔になり
ます。そのほか制服の簡素化や不用衣
類の交換制度や、切符献納運動等には、
積極的に協力致しませう。特に指導的
な立場にある人々は率先垂範すべきで
す。政府でも農村労務者の作業衣や、
民族増強に必要な乳幼児、青少年の衣
料の確保には万全を期してをります。
なほ冠婚葬祭の簡素化も「この際大い
に実行したいものです。
貯蓄政策への協力
さて、前に述べた家計調査によりま
すと、私どもの家計では、飲食費が非常
に多くなつてゐますが、今年、私ども
は更に二百七十億貯蓄や、国家の増税
政策に喜んで協力しなければなりま
せん。ところが、或る程度の食生活は、
健兵健民のために、どうしても維持し
なければなりませんから、飲食費での
節約は大して期待できす、主として衣
生活その他の部分から節約するほかは
ありません。こゝに私どもの家計をよ
く反省し、戦時予算に切り換へねばな
らぬ所以があるのです。
戦時住生活の実行
先般の週報(五月十二日号)でご承知
のやうに、住宅の新築は去る四月一日
に施行の工作物構造統制規則で建物の
大きさ等が制限され、普通住宅は建坪
五十平方メートル(約十五坪)までとな
り、これ以上の住宅は、許可を受けな
ければ新築できなくなりましたが、た
とひ許可を受けても、建坪八十平方
メートル(二十四坪)に限られ、それ以
上は原則として建てることは出来ませ
ん。しかも建築する場合は、臨時日本
標準規格といふものが出来てをり、こ
れによることになつてゐます。
なほ住宅の新築は、現在なか/\困
難でありますから、既存建物の中で転
廃業のため遊休施設になつてゐる店舗
とか、料理屋、休廃止した産業の寄宿
舎とか、別荘、控家等は、この際、住
宅として大いに役立てて貰ひたいもの
です。
また住宅の交換や貸家の斡旋等、都
市の住宅難を緩和する為めにやらなけ
ればならぬ方法はいろ/\あります。
かやうに私どもの住生活も、積極的
に戦力増強に応召しなければなりませ
ん。これにはどんなに簡素な住宅にも
安んじて住むだけの心構へが必要であ
りますが、同時に任宅は私どもの生活
の本拠でありますから、衣類や食物と
全く同様に、これを尊重し、大切に
しなければなりません。
戦ふ各国の国民生活
次ぎに戦ふ世界各国の国民生活はど
うなつてゐるかを新聞その他で綜合
してみますと、
ドイツ 先づ盟邦ドイツでは、
スターリングラードの撤退以来、国民
生活は更に徹底した決戦生活に切り換
へられ、べルリンあたりの一流料埋店
は続々と大戸を下ろし、骨董屋とか花
屋、高級洋服店、高級陶器店等の贅沢
品の店は、どし/\と閉められてゆ
き、ファッション雑誌その他の不急の
定期刊行物は一切廃刊され、ナイトク
ラブや酒場、料理店等の享楽場の営業
時間も、ずつと繰上げられました。
また一九三九年(昭和十四年)以来、
鉄道切符の売出制限を行ひ、昨年冬頃
からは不急旅行が一切禁止され、すべ
て旅行は、空爆地帯からの避難者とか、
国防軍関係者等の公的任務のものとか、
社用や私用でも緊急なものに限られ
てをります。さらに衣類の新調は、五
月五日まで男女とも禁止され、この期
間中は、何処の店でも旧いものの修繕
以外は注文を受けつけなかつたとのこ
とで、化粧品店は閉鎖され、十七歳以
下の娘のパーマネントは禁止されまし
た。また工業労働者は、自発的に日曜
日を祖国に献納し、しかも日曜日に奉
仕した賃金をヒトラー総統に捧げ、総
統の自由裁量に任せてゐます。
アメリカ では、敵アメリカはど
うでせうか。戦前あれ程食糧の豊富を
呼称して、食糧切符制などは夢にさへ
考へられなかつたアメリカが、現在では
砂糖、コーヒー、缶詰、冷凍食糧品、肉
類、チーズ、脂肪等に切符制を行つてゐ
ます。最近のニュースによりますと、
蛋白質、脂肪類は不足し、ロサンゼルス
では二千軒の肉屋のうち九百軒が閉店
してゐるとのことで、またガソリンの
切り詰めは、ヤンキーの下駄である自
家用車を制限させてしまひました。
このやうにして物質文明では世界第
一を誇称したヤンキーも、戦ふために
は生活水準を切り下げなければならな
い状態でありますが、彼等はよくこれ
に堪へて、次第に戦争生活に徹底し始
めてゐることは、私どもとして大いに
考へねばならぬことです。
イギリス 次ぎに敵イギリスで
はどうでせうか。ご承知のやうに戦前の
食糧自給率は四〇%といはれ、食糧飢
饉で真つ先に参るだらうといはれてゐ
ながら、彼一流のねばりでよく持ち堪(こた)へ
てゐます。ロンドンの料理店には、「勝
利の献立表」、といふのが出来て、乾燥
卵、チーズ、それに少量の野菜だけしか
食べさせないやうになり、市民の外食は
味気ないものになつてゐます。また食
糧が十分に行き渡らないため、栄養不足
の者が続出して、国民の健康状態はか
なり低下してゐるといはれてゐます。
また衣料は、英国商務省ではネクタ
イを節約するために、ネクタイのいら
ない戦時衣裳を制定しようと苦慮して
をり、民需向の衣料は、戦前の四分の
一に減らす方針とのことです。
なほ最近のB・B・C放送局は、対米
放送で、
「ロンドンでは、タクシーは非常に少
く、長い列を作つて気長に順番の来る
のを待たねばならない。主なホテルは政
府に徴用されて、泊る部屋はなく、予約
でもしない限り部屋を手に入れることは
不可能だ。風呂は一週一回、定つた日だ
けである。石鹸も宿で呉れるが、これで
は間に合はず、割当の自分の石鹸を持参
して歩かねばならない。紙も極度に不足
し、封筒は一度使つたものを何度も使ひ、
便箋は必ず両面を使はねばならぬ。」
とロンドン市民の生活状況を述べてゐ
ます。
戦争生活に徹底せよ
このやうに盟邦ドイツは勿論のこ
と、物質文明と個人主義、自由主義を
世界に誇つた敵米英ですら、国民生活
は次第に戦時色で塗りつぶされ、戦争
生活へ突進してをります。これに比べ
て神国日本の国民生活はどうでせう
か、全く有難い極みであります。
去る二月十日、衆議院の予算総会で
佐藤軍務局長は、ガダルカナルの状況
を次ぎのやうに報告されました。
「第一線将兵は、主食の如きは一日一
合にも足らず、時には数日にわたり支給
されず、しかもその米は海水に浸され、
炎熱下に抛置されたため腐敗し、これを
敵機の目を盗んで数回分同時に炊かなけ
ればならず、更に喫食するまでには、炎
熱とスコールのためいよ/\腐敗の度を
加へ、これに僅かばかりの粉味噌をふり
かけて流し込むのであり、また副食物の
如きは殆んどなく、久し振りに只一度、
梅干一つがわたつた時、将兵は子供のや
うに手を打つて喜び、後方部隊の労苦に
感謝して泣いたといふことであります。
このやうに将兵は、木の実をつみ、草の
根を掘り、苟くも毒でないものは悉くこ
れを摂つて飢を凌ぎ、海水を飲んで塩気
をとつたのであります」
私どものはらからは、このやうにし
て敵と戦つたのです。そして今もなほ
戦つてゐるのです。
また北方アッツ島では、あらゆる困
苦欠乏に堪へて寡兵よく優勢な敵に対
し血戦をつゞけ、つひに全員玉砕が報
ぜられました。この前線将兵の苦心と
この鬼神をなかしめる勇戦を思ひます
とき、誰か今日のこの生活に不平がい
へませう。
私どもは喜んで戦争生活の実践に邁
進するのみです。そして我が皇国民族
固有の武士道にみる簡素剛健、尽忠に
凝り固まつたあの道徳的生活への復帰
といふよりは、寧ろ現代生活への具現
化に努め、喜んで耐乏の戦争生活の実
践に徹底しようではありませんか。