第三四五号(昭一八・五・二六)
  直面する世界戦局
  日本海海戦と大東亜戦争      大本営海軍報道部
  山本司令長官を悼む
  東郷元帥の遺書と総戦力     大本営海軍報道部
  六月の常会の手引
  農繁期の国民皆働運動       大政実費会
  固めよう防空必勝の陣
  完遂しよう二百七十億貯蓄     大 蔵 省
  わが隣組の戦時農園
  「頼母しい戦争生活例」当選発表
  生産拡充計画問答        企 画 院

 

 直面する世界戦局

 激化した世界戦争の真只中に、第三十八回海軍記念日を迎へ、我々は日露戦争から大東亜戦争へ飛躍した皇国の世界的地位といふものに今更ながらの感銘を覚えると共に、当面する世界情勢を直視するとき、我々は実に皇国の興廃を賭けた決戦に臨んでゐることをひし/\と感じるのである。

          ◇

 まづ欧洲を大観しよう。全世界の注目を集めてゐた北阿戦局に関して、ヒトラー総統大本営は去る五月十三日、

「独伊両軍アフリカ部隊の英雄的戦闘は、こゝに光栄ある最後を告げた。チュニス市近郊において最後の抵抗を継続してゐた部隊は、過去数日間に亘り、水も食糧もなく、しかも奮戦をつゞけたが、つひに弾薬つきて戦闘を停止するのやむなきに至つた。チュニジア戦線における枢軸軍の優秀なことは、敵軍もしば/"\認めたところであるが、枢軸軍は敵軍の攻撃に屈伏したのではなく、結局、補給の欠乏に屈服したのである。しかしながら独伊アフリカ部隊は負託された任務を完全に果した。彼等は数ケ月にわたり激戦をつゞけ、寸地を容易に譲らず、有力な敵軍部隊をアフリカ戦線に釘づけにし、敵軍に対し人員資材両面にわたり、極めて甚大な和解を与へた。」

と発表、北阿戦局に歴史的な段階が画された。さき頃から伝へられてゐたチュニス、ビゼルタ等からの撤収がこれによつて確認されたことは、われ/\枢軸側にとつて決して好ましいことではなかつたが、この発表にもあるやうに、こゝ半年の間、敵大部隊をアフリカの一角にひきつけ人員と資材の上に大損害を与へ、さらにその間、欧洲防衛の体制を強化し得たことは、チュニジア作戦の大きな効果であつたことは明らかである。
 北亜戦が展開されてゐる間に、独伊側は正に緊密な連絡をとりつゝ、欧洲の要塞化を急ぎ、北方から西方イベリア半島に達する海岸は勿論、フランス、イタリアの海岸からコルシカ、サルジニア、シシリー、クレタ島などの地中海島嶼に対しても防備を固め、来るべき敵の第二戦線、欧洲本土上陸の野望に備へて来たのである。
 敵側が何んと宣伝しようとも、独伊側の紐帯は揺ぎなく、欧洲における独伊枢軸の実力といふものは、地理的にみても、軍需生産力や資源の状態からみても強固なものとなり、第一次欧洲大戦当時の如きものとはおよそ違ふ。即ち軍需資源についても、鋼鉄、アルミニウム、石炭、石油等は枢軸側で自給が出来、軍需生産力もドイツ国内の計画的整備を行ふと共にフランス、ベルギー、オランダ等の生産力をも動員することに成功し、食糧資源もウクライナの穀倉に優に依存し得るのである。
 独ソ戦線においては、今冬は.スターリングラードの戦闘によつてドイツの前進は阻まれ、ソ聯の軍需生産力の中枢を抑へることは出来なかつたが、ソ聯の抗戦力に与へた損害は大きい。
 現在の独ソ戦線は、だいたい昨年の夏季攻勢開始頃のところで整備され、各四百万以上の兵力が対峙してゐるのであるが、ドイツ軍は、新鋭動員の精鋭をも加へ、来るべき戦局に備へてゐる。
 かつてドイツのゲッペルス宣伝相が、

「………エッフェル塔の頂上はいつもゆれてゐる。円の周囲では円の中心よりも動きが大きい。欧洲戦場といふ大きな円の周囲で絶えず風波が立ち騒ぐのは当然である。北アの戦場も外郭の円周上の一点に過ぎず、そこで起きた出来事は大きいやうに見えても円の中心には響いて来ない。………」

と面白い比喩を以て北阿戦局を語つたことがあるが、その通り、欧洲における独伊の大勢には大した影
響はないのである。

             ◇

 それにも拘はらず、欧洲が北阿戦局の転回によつて今にも崩れるかのやうに思はせようと、敵米英側はいま、謀略宣伝に大童である。北阿撤収とみるや、アメリカ情報局の如きは、

「欧州第二戦線は近づいた、米英軍は欧洲大陸の四方八方から潮の如く上陸するであらう………」

などと気勢を挙げたり、イタリアに宣伝攻勢を行つたりしてゐるが、彼等の狙ひは、独伊枢軸国民に不安動揺を起させ、両国の離間をはかつて枢軸の一角を崩さうとするにあると共に、この際、彼等が中立国を切り崩して自らの陣営に引き入れようと血眼になつてゐることは、厳重に警戒せねばならない。
 すでにトルコ、スペインに対する米英側の宣伝、外交攻勢は相当の活気を呈してゐる。この両国がどうなるかは、欧洲の形勢上、重大な肝心のあるところであるが、トルコについては五月十日、サラジョグル首相が議会において、「トルコは中立を棄てて非交戦国の立場をとるだらう」と声明したとの報道もあり、またスペインにおいては五月九日、フランコ統領が世界戦争の和平提起を演説したことなどは、何んとかして戦争介入を避けたいといふスペインの態度を、和平提唱といふ形で表明したものといへよう。
 我々としては敵米英側の工作と併せて、これら中立国の動きに注目すると共に、かゝる中立国が敵側の盲動に迷はされんことを希望せずにはゐられない。
 ともあれ、北阿戦局の欧洲に対する影響は、米英側の宣伝するほど深刻なものではないにせよ、五月十一日からワシントンで開かれてゐるルーズヴェルト、チャーチル第五回会談では、反枢軸側の今後の戦略がいろ/\協議されたことが推定されるのであるから、欧州においては独伊枢軸側のこれに処する万全の準備を期待すると共に、我々自身も、来るべき事態に処する一段の決意を固めてかゝらねばならない。
 主戦場をいな直ちに欧洲より太平洋に移動するかどうか、それにはカサブランカ会談などで、従来欧洲第一主義を主張して謙らなかつた英国の立場といふものもあるが、敵側が如何なる企図に出でようとも、わが方の寧ろ望むところであることは勿論である。たゞ北阿戦局の推移によつて、米英側の兵力や軍需補給力に多少の余裕が出来、それが太平洋方面に廻り得ることは、常識的にも考へられることであるから、この点、我々としては一層の覚悟が必要である。

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 折しも五月十二日、わが大本栄発表にあるやうに、敵は有力部隊を以てアッツ島上陸を開始した。アメサリ当局は「アッツ島上陸こそ、米軍の太平洋反撃攻勢の序幕に過ぎず、わが大作戦は結局日本本土に迫るであらう」などと、例によつて誇大宣伝を飛ばして、世界の人々の気を惹き、我々の心を脅かさうとしてゐるのである。
 しかしながら敵が呼号するビルマ奪回作戦も、わが鉄壁の陣に阻まれたばかりでなく却つて将兵七千を犠牲とするアラカンの悲劇に終り、さらに米英の援助を唯一の頼みとして、はかなき抗戦を続ける
重慶政権も、北支第二十四集団軍長炳勲の同氏政府への合餞、或ひは太行山系、洞塵湖畔に》ける
 冊庇的敗戦によつて落日の陰影いよ〈浪く、更ほ南太平洋方面に赴いても、l−▲−ギニア、ソXモ
                    †ふ・小く
 ソ、硬洲等がわが航基部隊の翼下に憫伏してゐる現状である。
         で けむ
 がルマ教団の川鼻を挫かれ、南太軋沖の島から島へ攻め上らうとしてソ芸ソ方而ではゾ至れた敵
 は、今、日本本土察製を呼放し、こ、に〃カ部隊を椀してアッヅ島上陸作戦に出でたので参る。
                        一▲ メーい
  非々仇敵のか、る反攻企岡を柏底的に破雌し、これを巾逸において思ひとゾ慧らゼねばならない。敵
 が蒙語ずる太平洋作戦は、我々ほとつて、敵をたゝく勝利の横合が輿へられることで為る。我々は参の
                                                  ′りI■フ ′ヽ
 フリユーシ十ソの孤砧に寡兵よく禽咄をつゾけてゐる第一戦禍兵の労苦を思ふにつけでも、その節謝と
 必膵の念願とを、耽々自身の戦中徒朽の中瀬生かさなければならない。時局が重大であれば参る宥、蜜
 瀧ずるのが我々日本人で参る。
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                                   ▲ん▲す
  この時突如、窄穎された山本轄腔昧司令長官戦死の報は、一億岡民を奮起さぜヂには置かなかう
 たn r山本元帥の仇をとつて見ゼるぞ」と、今や仝海軍と共に、全図民の血潮は沸き上り、勲火の如く米
    けつ い                   Tlか,
 英撃滅の決膚に慨えて立ち上つたので参る。この元帥の壮烈盤山嵩なる梓紳を今後に生かすのは、ほかで
 もない、賓に我々固民の一人々◆であるC「すべてを戦争へ、そして勝つ▼ためにL我々は今乙モ、持てる
 吼∽ノのすべてを捧げ轟しトとの重大戦局に彪ずることを誓はうではないか・
                            一亡l