第三四五号(昭一八・五・二六)
直面する世界戦局
日本海海戦と大東亜戦争 大本営海軍報道部
山本司令長官を悼む
東郷元帥の遺書と総戦力 大本営海軍報道部
六月の常会の手引
農繁期の国民皆働運動 大政実費会
固めよう防空必勝の陣
完遂しよう二百七十億貯蓄 大 蔵 省
わが隣組の戦時農園
「頼母しい戦争生活例」当選発表
生産拡充計画問答 企 画 院
日本海海域と大衆亜戦争過
大本仙常海市報迫部
椚徴なる職中日仙
めい ひ
耶秤目的の明石が閥l総力の鶉和
上、兆本的な性格をもつものであるこ
とは、市今那汚の仙ハ亡妃がひとしく班
許するところで、硯大舶佃枇辞におい
て然るが如く、口緒戦坤においてもさ
ぜい u
うであつた。たゞ湘舶榊琳の野望に払
えて、伽…ル¶の抑を起したロシアが、迭
に拘杓分封の締北、悶毅総力を敢挿し
符ず、それとは反別に戦が図が、大詔
の†、公団民一誠に締し、たゞ〈敵
′ uっき
呼滅の一郎に閃家の総力転結処浩畔し
て、授に畔渋の大隊歓伸し得たことは
飴りにもポ名な怯む的珊賓である.
今次大水胡恥秤においても、肋米兆
の耶中日的は、一に珊≠制糊の野望
′、・一7●∨ん・つ
にある。恥秤H的が瑞に利椛し、これ
が今‖なほ試論の対象となつてゐるこ
とは、その不明椰卓た如班に器指して
し−▲・つ ヽヽ
ゐる打方であつて、柁仰の念州には犯
箭的な≠外史批ハ野望以外に桝ものも
ないのである。
これに反して和が恥秤H的は、良く
‘う‥し
も末恥の大紹に叫示遊ばされた如く、一
<′}†・フ
伯試兆た惟弘し、大詫を八紘に山八拗する
ための「〓咋‖術」であ畑、′′兜職である
ことを、三十八年前のH締恥研が、「弼
立日彷」の確職であつたことと仰せ考
へ′て、わが三千ヰの携カが、常に範囲
けんJけ・ん
の理榊仙を抑現するための、たゆみなき
祈力であることを朽認しなければなら
ないのでわる0われくの総力敢坪の
根兆は、仝くこ1にあるのであり、そ
れとともに和が恥秤は、常に彼等の我
に附すろ「帖侮」ょり取するものである
めいし▲て
ことを、こ1にあらためて桝く明識す
る必安がある。
礪る召放一流
ロネ桝沌耶は、まことにH※川の触旅む
.一’
この式に蛸けモ大決肌であつた.
Z放、≡笠の椅頭に翻る1
時まさに、明治三十入年五月二十七
日午後一時五十五分、敵が最後の新鋭
取力とたのむ.ハルナツタ艦隊卑救
・l・フ.け一−
が聯合艦隊は堂々朝鮮海峡に激宰、
とれを一挙に撃滅して、世界海戦史上
一 ●・ ▲▼
未甘有の快膠を博し、速に日蕗戦争の
d大局を決定したのであつた.
常時ロシアが如何にこの東征艦隊に
希望をかけてゐたかは、yボウ軍馳を
刑現に常り、皇帝さコライ二世が親し
▲柑▲】l■
く三度も艦隊姦閏し、「ロシア海軍の
名額を擁詑せょ」との勅語を下して仝
席隊締兵を激勤した一事に上つても明
らかである.懸軍萌里、舵稗管に一万
五千浬転休む暇もなく、丁フyカの
l くわい
帝瑞書繋峰を大迂回しての衆攻は、そ
の決恵になみくならぬものがあつた
のである.
これに対して我が方もまた、我が聯
倉持除にして、苫が一にも不発ととら
んか、釆並の海上樺は敵手に落ち、わ
が滑岸は敵の封鎖するところとなると
と 一つ
ともに、海外輸入は一切杜絶し、他
方、わが滴洲軍は大陸に抑立化して作
l▼ てつ
戦上一大辟鋏む来し、戦が】圃の存立は
極度に脅威される危局に直席したので
あつた.
しかも、我が聯合艦隊は、也兇郷司令
中う“花ん
長官の項断と明察とによつて、「敵蹄
針路反捲」といふ大腑不敵な馳法によ
り、閑恥後、怖々三十分にして勝敗の
数を決定してしまつたのであつた.
この大聯の結兆、阜謎を梨成し、‥国
威を中外に宜拗した兜批叩の位削が、我
れソ●▲Jし●▲I
が閑今日の隆昂を氷した所以である
ことを河畔する時、大衆郎戦争下、粛
〓回臥の梅寄託念日の新轟いよく重
大なるを息ひ、今こそ敵米英を撃滅せ
かん.汀●
ねば止まぬ新たなる感激と、新たなる
力の沸きmづるのを‥禁じ得ないのであ
えV●
制海権と仙拳固の理想
日罪職▲翠と・今次大東亜戦争とは、そ
● 灯
の規模の大小の粘から、或ひはまた兵
照の進歩、殊に飛行喝潜水埠執事
専の出現の鮎からいつて、・直ち町これ
を比較することは川氷ない。
常時のロシアは、その強大を世界忙
縛り」 その陸軍力は、平時の線兵力
とつJu
二宮万、戦時五官万を爽破し、東洋に
あるもののみでも約二十ガを整備して
lq花のに封し、我が兵力は、後方を加
へても動点線兵力宙十万を出でず、正
幸▲ハ び
に軍の編制、装備についても、我が呵
は彼の砕ではなかつた.
また梅軍力においても、彼の五十−
万飴1ソ(黙転位隙と英海艦除を除く)に
封して、我れは組下y教二十六万飴t
yと二封一の劣勢比率であり、さらに彼
の太平沖艦隊が戦艦七、鼓甲巡洋艦四、
巡洋艦一〇、その他砲艦、虚逐艦と合せ
て十九万一千飴トソむ保有する欝執に
比して、わが主力艦隊が旗艦三笠をは
じめ、朝日、赦免、初潮、入良、富士、
廿日、日進の各艦がみな外因製であ
り、日進、容‖は開戦と同時にイクy
Tから車怠質入れたものであつた.
しかも朝は終始一巧一隻の預悌兵
力を持たず、散大平作艦隊を撃滅する
や否や、再びバルナック艦隊といふ大
小昭晰六十斐の新米の敵を迎へねばな
らなかつたのである.
一方、恥費を比較しても、彼の二十三
倍末子方何に対して、我は二十位糾で
その粗鋼には放り相速はないが、我が
同が公横領行縞十三惜別を弼内で消化
できず、そのため八億則の外偶を各凶
に仰がねばならdて しかも和が閥が辿
耶州略しながらも、.閥際締切における
和が阿倍の相似が、常にロシアのもの
より出入仙肌であつたことは、彼の財力の
いl ん
仲仕を枇捌に物語るものであつノた。
ほの鳩呵的俺珍な故に封して、我が同
は耶倒的な大曝を博したのであるが、
′ヽわI†▲
その職場.の旋狭、戦季様式の榎雑さ
は、今次大東熊取季とは到底同日の論
ではない.しかしながら、その恭L匠に
推mたはる偶然たる北ハ通的事資のあるこ
とを看過してはならない.即ち制海権
の山間…頂である.
大溌虚秋季の緒戦における我が制海
招の碓保が、爾後の作戦七有利に展開
一●ノヽ,/\
し、今日みるやうな赫々たる恥兆を収
めた如く、日路戦拳においても、その
紺戦で制純糀を我が手に収めたのであ
かく d
つた。もしこの制海碓の確保がなかつた
ならば、我が第⊂革も第二平も、とも
に易々とは大陸に上陸、進仙すること
が‖氷ず、岡軍の作戦方針であつた海
し し†・つ
咋北淡の戦闘指導に重大な丈陣を水
したことであらう.
巾雑、榊栴柚の確保が、・同家の興隠
し†■ラ丸い
日染と不可分の掛係此あることは、抑
功虫増后三碍御遠征以来の我が‥閣史のみ
ならす、廉く世界史の明記するところ
で、アメリカが今や大西、太平南洋艦
くbしイーい
▲隊の▲完成のみを以て川満足せず、さらに
七洋艦隊の柁〜滋を計宜してゐる所以の
寸い u
ものも、全く世」界制醐の野望を達成せ
んがための制海権の.碓侠にあろ.
太平洋における現戦局は、舵室撃破
・つ てい
戟の深刻なる様相を蕗呈してゐるが、
制杢楓のみを以て制海権を接待したこ
とにはならない。航基撥が近代海戦に
おいて主兵力的地.位を柁得したことは
革質であるが、それは海上兵力の無用
化といふことと同ル粥語ではない。即ち
く.わく
海上兵力なくしては、広の制海権を也
′−′ヽ
肘付し柑るものではなく、航空機を含め
た海上兵力、換言すれば、制峯稚下に
おける船隊決戦によつて、はじめて制
将柁を昭和し狩るのであつて、7メガ
カの七げ艦隊址設払、如繁にこれを示
すものである.
くわ1フ ゐ l
我が∧絃馬字の皇道が、断じて許容
し得ない所耽の新造に山H敬するこの制
てづ
海棟の.確保に封しては、断乎として絨
り▲
租と下し、これを撃滅しなければなら
ねのである.その反封に、「濁邦をして
年女ハの朗を得しめ、1兆民をして悉く
実の堵に安んぜしむる」我が凝固の▲、超
過締硯のためには、制海棉を獲ずして
は絶対に蓮成し得ねことを、この際と
く▲りんしん
くに飾記し、梅への仙関心と一段と振作
せねばならない.
」吸音の大」膠の主均
日本料梅軋はどうして聯つたか1
ノ上れについては、東郷元帥の日本海
九一_
海戦に帥する戦闘詳報の一節が最も鵜
て●
的に首ひつくしてゐる.
−我が聯合艦隊が能く聯を制して歯
軒の如き奇蹟を収め得たるものは−
に
天」蔓r仰稜戚の致す桝忙して、∴
間より人馬の能くすべきにあらす」
全く御稜威にょるものであつて、こ
モうけん
の御稚威の下、皐閥の輿戯を双眉に冶
つた仝海軍将兵の烈々たる攻撃摘紳
と、聯たずんば止まざる全圃民の必勝の
けつしふ
信念とが、敵撃滅の一鮎に結範し、蟄
押されたからである.勿穐 このは
か、和が艦船兵器の擾喝 日夜を分た
▲あづか
ね猛訓練、兵術の妙用が輿つて力が
あつたことはいふまでもない.
この‥海戦を契機として、我が艦船が
一、川】ん
徒殊の外圃製の竹呵絆を況して、■今日み
る如き世界礪特の造艦技術によるト圃鹿
野軍に全面的に態様を一新したこと
一_止Y・つ1■く
は、周知の通りであるが、こ1に注呂
すべきことは、我が梅五丁の猛訓練と▲兵
術の妙用とである.
凱1率が開始されると共に、戦闘のみ
が行はれて訓練などはないやうに思は
れ易いが、我が同軍の教育方針は、「数
へ月つ軋ひ、鞍ひ且つ軟へるしとよに
あるのであつて、現に北が第一線笠
は、戟鵬剛の駄暗には‖夜を分たぬ狂訓
練を拭行してゐるのである.
これは今にはじまつたことではな
くl、一東郷元帥は旗順艦隊の撃滅後、艦
船兵器の作理のため一旦内地に鉛過し
くわ・一九r・・
た晦下聯合艦隊に封し、修理完了とと
もに、バルナ,ク艦隊の水収まで、銭
海瀬において虞に千磨必死の猛訓練と
常態和されたのであつた.
特に舵砲射撃の精錬に帝申されて、一
僅か十日間の射耗弾救が平時の一ケ年
分を擾に超過しセといふ一事と以てし
●・,」r▲▼
ても、はげしさが想像されるであらう.
「訓練は官戦の如く」、現在第一線に岳
搾する男士が、「苦戦の方が柴だ」と海
一でヽ▲ヽl
らしてゐるやうに、我が猛訓練の侍.机
つ一▼小
は、幾多の先輩によつて不断に堵はれ
てゐることを知らなければならない.
また日本海海戦における彼の「取舵
】杯」の丁字即法が、我が中盲水軍の独