第三三八号(昭一八・四・七)
   実施された新税法          大 蔵 省
    特別行為税法、納税施設法、酒税法、臨時租税措置法
   情報局機構の充実強化
   「対敵放送用行進曲募集」
   兵役法の改正            陸 軍 省
   参戦中国の戦時経済体制       大東亜省



 参戦中国の戦時経済体制  大 東 亜 省

 我が対支新方針

 国民政府は去る一月九日、大東亜戦
争に参加し、帝国と相携へて戦争完遂に
邁進するに至りましたが、帝国はこれ
に応へて、中国多年の願望である租界
の還付と治外法権撤廃の措置を率先し
て実施し、その後も引続き多大の支援
を送つてをります。参戦後の国府は、
汪主席を始め異常な決窓をもつて決戦
 抑制を確立し、財界の有力者もまた米
 朱撃滅の意気に幣えて従来の男射的な
                   しん・’い
 印度を一杯し、一方、民衆の珂府信頼
 の念は和平地置からさらに敵払範にも
 及んで釆てゐますt
 しかし帝国の固民政府に封する支援
 は、畢に中国の政治的礪立の最大姿件
        くわん ぷ
 である租界の還付と治外法楢の撤廃
              ‘ん 々
 にとゞまらず、経済の分野にあつても
 大いに行はれ、中国経済の自主復興を期
 して、占接地域のみに対する物資移動の
 制限緻密、新嘗敵産である軍管理工場
               い くわん
 の.返還、或ひは固府への移管、軍票の
新規敢行靡止等を相身いで断行してを
 りますぐ
 かやうにして国民政府は、わが方の
 好意によつて早くも政治的、経済的に
          一■、 ぢ
 自主礪立の礎地を固めて来ましたが、
 これを充うすると共に、中開を虞に復
 興するには、一に大東亜戦を勝ち按く以
 外にはなく、参戦圃民政府が挙げて決
 戦鰭制を急いでゐるのは、まことに常
 然のことであります.
  もとく国府の戦争力は、軍事力よ
                  l、たい
 りも政惰力、経済力に大きな期待がか
 けられてをり、開府箇面の戦時鰭制も
 生産の増強を中心とした経済施策に重
 鮎が置かれてをります.
 射ち、中国の生産増強は、園府の数
 字経済力を強化して、その政治力の檜
 大を蘭すと共に、帝国の兵鈷基地とし
    ●くわ勺・
 ての役割を点すことにあるのであつて、
 申開の経済復興は、戦時下の日華双方
 忙共通する最大の開心事であるといへ
 ます¢徒つて日華経済提携の方式も、

                      きI .∨
  中間例の持主碩極性と別寮が窄坪でき
  るやうなものでなけれはならず、敵重
                ■●んr・.)
  罪政槽は速く奥地に適法Iヽ米英勢力
  ちまた大招から一掃された今日、大陸
  の物賓移動制眼や、我が方の発率する
            トい、ん
  種設増補は、常然改欒されて然るべき
  であります.
   かやうに建設樺横が改攣されて、し
  かも中岡例の自主積触性と創怒の下
                  ●、′ヽしし
  忙、大陸の経済建設が促進され、生産
  が増強され1ば、固府の経済力はこれ
          ▲・†▲7いレん
  牽でに見ない強絃なものとなり、そ
              ・々小
  の政領力もまた常然高められ、さらに
 環慶に輿へる打撃もまた甚大であるこ
  とは庚ひのないとこるで、帝囲の封支
 新方針は、かやうに大乗的な見地から
  符はれてゐるのであります.
  物資移動制限の撒塵
  我が現地陸海軍常局は、事攣の進展
 と共に大陸占披触城における物資の移
           し



     一.ノ′
 朝を制眠して今日に預り愛したが、これ
 は一に対敵封錦のためであつて、敵虚皮
 相置や常時なほ米英等の敵性分子が頑
                  ’▲′しサつ
張つてゐた上海租界への物資の流出
を防止する必要からであり愛した・
 その結果、武照輝欒等の軍需品は勿
論のこと、軍作戦資材の移動はすべて禁
止、され、また民生物資である重要品目
 の移動も軍の許可が必委となり、さら
                 uんしゆつ
に上海地頂からの重要物資の搬出瀬、
日本側業者を主憤として物資別に販賓
怖譲合とか同種の概構を設け、物資の
移動統制をして釆ました.
           打つはつ
 しかし大東拍戦率の勃発と共に、上
                     く.り′)JI ヽ
湘租界の米英およぴ重度勢力は完全
に〓挿され、曹法幣はあげて儲備券に
ょって回牧され、さらに国民政府の参
鞘佗伴つて和平地膚経済の復興と、その
祁時綱成化がいよノ〜忠となるに及ん
             ・lい“▼ん
で、わが現地常局は一大英断を以て従
米の物賓移動制限−乞榊彪し、新情勢に
 鹿づく移動制眼硯娼を制定しました
  即ち、現地緒海軍と大使館骨均で
 は、昭和十六年九月に制定した「揚子江
 下流軍占操地域物資移動取締暫行規
    はい し
 定」を磨止して新たに「揚子江下流物溌
 移動取椅督行規定」を三月十二日に公
 布、十六日≠ら茸施し、またこれと共
 に現地部隊の物賓移動取腐規定、上海
 地同室婆物脊移動制限規定も磨止され
                ‘いさ●〜
 ましたが、園民政府もまた清郷地直
 物資離制と搬出入取締桝法を磨止し、.
 三月十叫日の最高珂防合議では、日本
 側と同趣旨の戦時物資移動取稀督行條
 例案を全開商業統制組合暫行渡例案と
 共に可決し、十六日から施行しました.
 物資移動制限の撤廃は、図民政府の戦
       rlT▲▼†1一
 挙終済力を増強するには何よりの購求
 といふべきで、国民政府のかねてから
 の要望が驚現したわけであります。物
 資移動制限の結果、これまでの中囲経済
                し−た一▼
 ほ、都市と蔚村が替るしく遮断され、盈

            モ 小い
  て商品の‥礪〜租は阻害され、さら忙各地
 鞄村もそれ人・l・−ブロック化され、しか
 もその間、中岡鮭済を支配する商発
        て▲7■ノ●エー
 貸付賓本の跳梁に悩まされてゐたの
 であります.しかし事態は】攣して、
 中国経済はその本来の姿に回復し、都
                            一 ▲7■ソ▲7
 市と農村、各地域間の物資の交流が自
 何になつたのであります¢
  この新物資移動取締規定を見ます
 と、軍需晶とか軍作戦資材は、堆皿阿と
 同様に移劉を禁止されてゐますが、上
 粍地囁を除く和平地慣全域の物資移動
 は、全く自由となbました.なほ上海
 均畷にあつても、物資の澱出入制眠は
     くわん も
 非常に綬和され、例へば搬出畑あつて
 はセメソd盤、食用油、毛糸、毛繊お
 ょぴ同製品、人絹糸布およぴ同製品、
 紐頼、煙草などの民需重要品の別隈が
 てつばい
 紳蕨され、搬入忙あつては米、奔、小
 奔粉、宜舞およぴ棉花を増して他の制
 帽は】切掛蹄断されましたt

  だいた小凰、他の農村が上海のエ柴製
 品によつて油ほふのは几笛然のことで、
 上海工業界もまた奥地農務物の供給を
 「)一・り▲々く
 潤−滞に受けて復興するごとでありま
 せうし、また今日、能力のニ、三割し
 か動いてゐない上海のエ仙業施設は、こ
 れによつて早急に回復することが態想
 されます。しかも上海の物資移動取締
 は、蒐荷配給椴構のこ冗化を目指す金
 団商紫縦制組合のR治によつて行は
 れ、同組合による澱椅配給砕格のこ冗
   トくりつ
 化が碓立すれば、乞れまた撒磨が濠受
 されてゐます.もちろん、接敵蛾帝や
 沖岸州郎では、依然として日*軍沓局
 が物資の移動丘取締つてゐますが、こ
 れは軍作戦に基づく丸首然の措壇であり
 ます¢
 全図商業統制組合
 しかし物資の移動桝眠か撤廃、綬和
 されても、抑資の先産が激増L、奥地

                 ■く′ヽしん
 農産物の椚貼りが早急に促進される
 と娃限りません。接敵地匝を瞞て1な
 ほ敵重度政権が掟へ、加平地直の物資
 を狙つてゐる現森、戦時意識にめぎめ
 ない商菜資本は、物資流通の波に薬つ
       ろ・ク‖だん
 て利益を撃断しょうとしてゐます。
  そこで国民政府は、新物資移動取腐
 督行條例の公布と共に、全国宴瀦別
 紙倉督行使例を制定照施して蒐荷配給
 機構の一元化に乗り出しました亡 この
 金岡商業舵制組合の機構こそは、流通
 経済が支配的な中開にふさはしい戦時
 林制拷構であるといへます.
  真恥の経済に商品別とか粕域別のギ
 ルド組合が多大の勢力を持つてゐるこ
     し・’・●
 とは周知の草書でありますが、かやう
 たギルド組合も、この全図商業銘利一ぬ
       小う‘い
 争.において東生しょうとして−鑑少女
 †.この仝囲商発搬制絶食は、三月」
 五日に上海で創立敢合式をあげ、眈に
 上池畔紳慣の物資移動取締に丸首つてゐ皇

 †が、下部物椛の串備を咤つて和や地
  前金域における頂荷配給の∵九的な自
  治冊制を行ふはずであります。なほ何
 純合運螢の叔試棉関である理事・濫事
 は、いづれも中開財界の有力者で、中
 開財界がこれほど一億になつて叶図の
                      “∵か・ワ・▲く
 粁靖復興に乗b出し、政和に協力し
 た例は、未だ嘗て見られなかつたもの
  であhます.
 食碍檜産と物慣の安定
  岡村常潮の澱大課題は、前述のやう
  に生産の埼銀であつて、生産のうちで
 も特に農産物の増産と出廻りの促進が
  一一ノ ハ一
 位川眉の開局なので、これを期して我が
              てつイ“い
 方も物資移動の制隠を撒度し、また国
 府側では金岡商業職制組合盈扱けて農
 確物の釆荷棉過に馬力をかけることに
  なつたわけであけます.
                                        ‡ノ\
  そしてこの場合、艶虎物の蒐荷を促
   しん
 沸するには、蔚村に必要な都市エ柴製
      、

 晶〜亡桝指する必婆がありますので、仝
 河南半紙利根合の任務も、農務物の兇
                            ■トん
 締柁質と初山丁糞製品の供給とを柏適
 桝外させるやうに堵旛が沸ばれ、眈に日
 葦の共者を一億とした寒中棉花統制
                   一 ●・一川
 合では、棉花の増産、町村りの促進
 を期して棉花買付けの裏付物資を盤村
 に供給することに決定し、先づ綿糸布
 その他の生活必需品を公定偶格で棉盈
 に配給することになりましたG裏付物
 賓の供給品は、さらに柿堪、マッチ、蝋
 燭、砂抑等にも及ぶはずで、かやうな
             しう■ばい
 制度は、他の盤産物の牧貫にも適用さ
 れ、新設の全開商黄統制総合で計書的
 に行ふことが辣想されてゐます。
  同府が東急解決む迫られてゐる食塩
         ▲ワLてい
 問確と物偶の安定も、かやうにして初
 めて最も効塊的に解決表れるものとい
              たいモ・つ
 へます¢ 中国貧硯の大宗である米穀
 は、これまで固貯側と我が現地常局と
 で買付地域を指定⊥て、各地域別に日
 峯の筆者がそれJr・・・故買に常つてゐ愛
 したが、わが現地常局は、これ畠小での
       ‘いいん
 物資移動制限を撒磨するに普つて、
 園民政府施行の蘇漸嗅米穀連鎖管理
 督行條例に協力することになり空し
 た.
  射ち蘇漸境地置における米穀の移動
 は三月十六日以嘩簡府の米穀運鎖管
 理‥傑例によることになり、同府糧食部
 で頚給する米穀の採桝詮所有者は、指
 定された米穀管理直域円で所定の教主
 を訂由に蓬搬できることになり・慧した
 が、さらに南民政府壕食部では、右の
               てl′一つ
 倦例に基づいて米穀傾格を調節するた
 め、鴎時に米商の牧買憫格と販安値格
 の最高、最依頼格を規定し、また買沼
 地貸借しみ、或ひは速搬中の米穀を強
 制牧貰できることにしました.
  また園民政府は、米穀の買付資金
 として程度庫券を敢行することにな
 り、昨年末に甲乙雨拉の棉定跡券條例

                     こ17ヽん
 ▲∵公布し、甲板の穏食確券は権倉晴朗
 に直接使和し、その黎行限度は川憶
 元、乙種は団府の棉食政末節菜に充箇
 するもので敢行限度は二倍元になつ
 てゐます。
  次ぎに物情の安定欝に関しては、眈に
 昨年七月、開民政府は平定物倍増符牒
    こ▲7・♪
 例を公布して、智法幣回収直前の先月二
 十六日から二十入日に至る智法幣平均
 頂嶽の年縮むもつて最高棲準とし、ま
 た上洛地筒では昨年九月以頃 日峯が
 柏協力して国様の措一穫款厳守してきま
 した.しかしこれらの規定は、いづれも
         か}と,
 }般小安偶格の昂騰む停止するのにと
 ど怠り、却、生産の統制にまでは及ば
 ザ、南緯的な物偶政発として掛不完全
 楠曇るものでありました.
  そこで上海地囁では、二部局が中心
 になつて租界内における生産共著と却
 野草者の駅資倍格を去る一月二十四
 日から節制し、それ以氷、上梅柵囲に
 おける主要商品の生産、却膏慣格は公
 定されてゐます。
 吏忙団民政府は、資金面からも物慣
 の安定を期し、これ・また昨年七月には
 銀錆糞商品揖保買付取締桝法を公布
 し、上海における金融機関は、同糞公
              た 〜一汗
 禽々貞以外の者に対する措保貸付を禁
 ずると共に、金融稜山師の商品資質む禁
 じ愛した¢ さらに本年に入つて三月、
 開府財政部から銀餞共同菜公舎に対し
 て銀鍔共貸出制限桝法を中心とする上
 海金融界の自主的な統制を命じ、銀行
 錯茫の商品繚保貸付の制限を行はせる
                 ▲フんJ・’
 と共に、資金の投碑方面への逆用を厳委
 し、揖保晶の許債方法は公定慣格を基
 盤Tとさせてゐます.
 また上海と奥地における遊資の回収
                  ∫くくわつ
 には、上海の中央儲苛曾を改組、復活
 して四月から復興経済奨勘彩裏、特殊
 分割沸込儲嘗券、有奨儲著券鼻出す
 ことになつてゐ▲ます‘
  軍票の費行蜃止
  儲備銀行は国府逮都の翌年昭和十六
 年一月に創立開業しましたが、以猟わが
 方の支援の下によく難墳・鑑切り按け、峯
 北の聯銀と押並んで、今日セは押しも
                  小く d
 押されもせぬ中央銀行の地位を確保す
 るに至りました.殊に大東亜戦争の勃
 蟄と共に上海の敵性銀行が一掃される
                ていはい
 に及んで、わが正金銀行と提携して上
 海金融界む支配し、嘗法幣の勢力一掃
 に邁進しました。
  帥ち五月末には新嘗法幣の等債閲係
 を切り離し、六月には嘗法幣の全面同牧
 に乗り此t、女いで掌中三角地帝では
 昨年十二月一日から、掌南、虜粛地博で
 は去る一月二十六日から、武藻地置では
 同じくl一月十五日から嘗法幣の携窄
      J ん▲てん
 保有の厳禁に成功しましたC
  このため国府治下の菅法簡は全く
 率を消し、儲備券による泡貸の験丁が

 成りました。また沌口、座礁の分行を
 始め祁山・ニ‥杓粥帯の士要地には、分支
 行桝絹庖を設けて中央線待としての資
      人リーノつ・}
 命の流浪を図り、さらに大東亜戦後に
 改糾史生した上海の中岡、交通所行を
 朽柁〓己の統制下に浸くと共に、上海
 市小銃行も同船制定の金融機関管理桝
  洪を‥肌じて統制してをります.
                †くしん
  かやうな憐憫銀行の糀姓と儲備券に
 ょる川瀬の統】が、閥府の経済施策、
 物椚の安定に資するのは常然で、今後
 の川桝は、儲怖券の偶偶那持と接敵地
              ′1わんJ一′〜
 珊における幣法竹の完仝排撃にある
  ことはいふまでもありません。
  なは、この間における我が方の支援
                   れんけい
 は絶大なもので、儲備券の封軍票連繋
 閃係の碓立は勿論のこと、儲備券僻値
 の燕付けのためには、軍票建物資を相
           い か,
 次いで儲怖券建に移行させてをり、しか
 も縮図政府は、儲備券による通貨の統
  】を更に宋炸にするため、四月一日ぶ.
      、





                          .一 I−
 挿、不潔の紆税犯行を廃止することに
 なりました。
  この結頻、軍胡桝の流通と、眈存の軍
 雫疎偵怖鳩彷は、依然とtて認められ
 てゐますが、図柄による軍票の斬規敢
 行は舵止され、碑瀕鈍行の婦濱預金の
 珊糾し、持出し牛は、今後すべて儲
 備券によることになりました。絶つて
 軍河ポは今後攻第に桝牧されるわけで、
 香鞋と桝南臨を除いては、非中斐撃ノ
                    くhいしフ
 おける軍票は今後−年そこくで何故
 を終るものとみられ、なほ、軍票桝蚊
 筏における現地節柴は、わが横演正金
 銀行と儲備銀行汲フ預金協定を泡じ
 て、偶備銀行から桝要術の儲僻券転借
 入使用することになつてゐます.
  軍票の敢行舵止と共に、稲備券の封
     れんけい
 日本風辿紫紺係は、これまでの封騨諜
 交換挫倍である儲備券宮元封軍菓十入
         たふし・一
 囲のレートが招袈されますが、日本の
 封卦中計簡交易、特に日本の職入決

 朽に使用されてゐた梢別胤一馬沓の舶岬鵬
 券換算卒は榊賠されて、円地と車中輩
捕肝の交易決済は、馬黎父易朋巷特別
         且ノん▲ヽい
 脅汁aもつて運営され、たた日本畑と
 尊偶の恥様にある裟北の聯銀券と儲僻
 券との帥怯も、れの十八楓のレートが
 欄印されますが、このレートは特定物
 資のパークー取引に増刷され、その他
 の物溌の・交易には、碓氷とたいたい変
 化なく、聯銀券封儲傭券のいはゆる湛
            、いJ・ク
 申幻沓の賛際相場も併用されることに
 なつてゐ−ます.
 かやうに軍票の新規敢行山靡止と憤
             ●くしん
 として、昭府儲備券の搾進はさらに促
 淡されるものとみ<られ、日本風、聯鋲
 券に封する偶倍関係も明確になり、日
 我と匙中基北尚の物資交通もまた著る
    ▲・tくわつ
 しく胤滑になることであ・り愛せう.

 盛丁管理工場の返還
 帝院ほ国民政府遥都皿.殊、既府育成

  ヽ、l′・b
  時化の律瀬から支椰車攣に基づく曹
 雫竹珂工均を相次いで返還し、岡村参
 耶筏においても、さらに返還を続行し、
 燕北においては球存管理工場六十一の
 ぅち九十九工場を、韮中においては同
 じく姥〃管理工場桝十川のうち三十二
      、・しく▲Pん
 工場を返還しました。
  この細兆、萄罫管理工場は、避北帥
 係官十克工場のうち首十三件、掌中閲
 係官岬十工場のうち官二十入件が中開
 例の原所有者に返還されました.−
 方、南開政府は大宮渦戦争に基づく鹿
              ..く・れん
 書米英政務も弼府に移管することに
 なり、国府参戦一ケ月日の二月入日、
 かねて接牧管理中の米英の敵慶一千飴
             、
 件を咽民政府に移管する旨を黎表しま
 したが、その内澤をみますと、工場、
 倉統、礪頭等の敵産企業で移管される
 ものは雑巾関係官九件、葦北帥係ス十
 九什に達してゐます.
  新背軍管理工場の返還と国府移管

 が中開の舵清復興をいかに促進するか
  Jいけん
 は彗首を委しません。こ1に中何の比
 族溌本は、これらの返還工場に複糾
 し、これらの移管敵産工場に史生し
 て、遊休逃避資本から虞の生席資本に
 稗化するわけであります.しかし、こ
                        け▲ノ
 れらの工場を生かし、動かすには、豊
 富な原材料と適切な経常技術と資本が
 必尊であります.原材料の補給には、
                くんYん わ
 前に述べた物資移動制限の綬和と蒐
 荷配給機構のこ冗化が直ちに役立つこ
 とでありませうし、また後者について
 は新たなる日鞋墟携が考慮されるべき
 で、さらに重工業紳係には日本の経営
 枝術の参加がぜひ必要で、また掛エ菜
 は概して中開倒によつて経営されて然
 るべきでありませう.
  しかし、いづれの場合にあつても、中
            ヽ・・’ い
 囲例の自主積極性と創意が教揺されね
 ばならず、資本的には上海と始め今日
 なほ暫租界に見られる尤大な遊什安泰

   タ丁9ムん
 の動員が行はれねばなりません.上潅
 における遊休資本は今H、七、八十鰭
 元といはれてゐますが、これらはもと
                 し∫一さ
 もと支郷全土から逃避して集積された
 もので、これらの遊休資本は、飽くま
             くおつJ,
 でも平和地朽何に確保、活用しなけれ
 ばなりません.
  また都市遊休資本の.奥地農村への
  〃Llワ・に・′
 導入も促進されるべきで、同民政府は
 既に昨年三月、金融機関取扱農村貸付
 桝法を公布してゐますが、最近、上砧
 の交通ほか三銀行は、H孝菜倉頼金融蝕
   けつぜい
 む結成し、その他の上海市中の竹力朝
 行も奥抽進出を計毒してゐま†(
  以上のやうに固民政府は、繋か方の
 絶大た女接の下に、着々と戦時経折檻
 制を薮へ、中開財界人もまた隣村に仝
        けム■ツt一く
 力をあげて協力の態度を示して−鑑少、
            ていけい
 かやうにして日輩の提携はいよく洗
 車り、雨音はl健となつて大東舵軋の
 先途に邁進してゐるのでありますt