第三三三号(昭一八・三・三)
   昭和一八年度予算の概要       大 蔵 省
   二百三十億貯蓄もあと一息      大 蔵 省
   日露戦争と大東亜戦争        陸軍省報道部
   撃ちてし止まむ
   大東亜戦争各方面の戦況       陸軍省報道部
   「頼母しい戦争生活例」当選発表

撃ちてし止まむ

 大東亜戦争を戦ひ抜く一億の決意を示す
言葉として「撃ちてし止まむ」の合言葉が用
ひられてゐますが、「撃ちてし止まむ」とは
結局「撃たずば止まじ」すなはち殲滅しなけ
れば止まないといふ意味です。
 古事記によると、神武天皇御東征の御砌
り、八十建(八十梟帥)御討伐の折に
  忍坂の 大室屋に 人多に 来入り居
  り 人多に 入り居りとも みつみつ
  し 久米の子が 頭椎い 石椎いも
  ち 撃ちちてしやまむ みつみつし 久
  米の子等が 頭椎い 石椎いもち 今
  撃たば善らし
と将兵の士気を鼓舞遊ばされ、更に長髄彦
御討伐の際には
  みつみつし 久米の子等が 粟生には
  韮ひと茎 其根が茎 其根芽つなぎて
  撃ちてし止まむ
  みつみつし 久米の子等が 垣本に
  植ゑし 口ひびく 吾は忘れじ
  撃ちてしやまむ
  神風の 伊勢の海の 大石に はひも
  とほろふ 細螺の い這ひもとほり
  撃ちてしやまむ
と、凶徒必滅の固き御決意をのべさせ給う
てをります。
 孔舎衛坂の会戦に、皇兄五瀬命は御戦死
遊ばされ、紀伊の熊野では全軍毒気に触れ
て昏睡状態に陥るといふ悪戦苦闘の中に、
神武天皇は、なほ飽くまでも「撃ちてし止
まむ」の攻撃精神を堅持せられたのであり
ます。かくして天皇の「撃ちてし止まむ」の
御歌に唱和し奉る皇軍将兵の攻撃精神も
熾烈を極めたものと思はれます。
 もとより神武天皇は、最初から兵力戦を
主体とされたものではなく、天照大神の御
稜威により、戦はずして言向け平和(やわ)すこと
を以て本来の目的と遊ばされたのでありま
す。そこで賊酋には先づ必ず帰順をお勧め
遊ばされ、頑として応ぜぬ場合に始めて「撃
ちてし止まむ」の攻撃戦法が、その頑冥な
賊酋の上に下つたのであります。
 このことは、神武の御創業以来、今度の
大東亜戦争まで一貫してゐる事柄であつ
て、日米交渉によつて帝国は百方、米国を
言向け平和すことに努力したのであります
が、どうしても東洋制覇の野望を棄てぬの
で、宣戦の大詔は渙発されたのであります。
 一たび皇師を動かし給うた以上、たゞ敵
米英の撃滅あるのみであります。皇民すべ
からく灼熱の火となつて米英を倒すまで
戦つて/\戦ひ抜くべきであります。
 九軍神の真珠湾潜入、ハワイ空襲、陸軍
部隊のマライ上陸に続く今日までの数々の
戦果は、悉く「撃ちてし止まむ」の攻撃精神
の爆発にほかなりません。
 そして、「撃ちてし止まむ」の精神は、単
に前線だけではなく銃後の生産戦に、総力
戦に、一億国民の悉くに、今こそ「撃ちてし
止まむ」の烈々たる気魄が要請されるので
あります。