第三三一号(昭一八・二・一七)
前線に応へよ
南太平洋の作戦について
欧州戦局の推移 陸軍省報道部
木材の生産増強 農 林 省
供木運動 大政翼賛会
三月の常会の頁
南食卒浮の作戦について
大本常澄衷 (二月九日十九時)
一、南太平祥方南帝桝帖縦帯部隊は、昨年潔以水、有
∴…i悶机附…‥兆…糾b謁ほ
■ エア鳥及びソロモン粁砧の各婆紐に戦略的根撼を
設定中のところ、批に漑ね乙れを完了し、こ、に
ナゐか・フ
新作戦移行の基碓を碓丈ゼり。
ニ、右掩碓部隊としてミーギニア良のブナ附泣に
しっ◆ハ・)
挺進ゼる部隊は、寡兵止く敵の勒拗なるは撃を蟹
接しっゝ為りしが、その代務を終了ゼしにより、
て∧しん
一月下旬陣地を徹し他に柑粧ゼしめら札たりじ
同じく掩碓部隊としてソロ花ン群仏のガダルカナ
ル島に作戦巾の部隊は、昨年八月以降引粍き上睦
いlノ♯−い
ゼる優勢なる政策を同化の一角に憮迫し、激戦敢
げきコい
闘克く敵戦力を繁雑しっゝありしが、その目的を
接収ゼるほより、二パ上旬向島を撒d仏に柑湛ゼ
しめられたり。
しルうし 】⊥ふく
報れは緒始故に鳩雁を加へ乙れを憎決ゼしめた
る結果、雨ガ何とも掩護部隊の鴨進は検めて輯碑
碓位只に行はれたり。
ニ∵現存翌でに判別ゼる戦果及び我が軍の揖審は、
眈に懲鹿ゼるものを徐き左の如し。
(ニ 緻に輿へたる梢蜜
人 員 二五、000以上
飛 行 概 撃喋破 二三b概以上
火 砲 破 壊 三〇門以上
戦 増 破壊炎上 二五苺以上
ニニ 我が舟の損審
人 員 戦死及び戦病死一六、七三川月
飛 行 械 自爆及び未蹄邁 〓ニ九機
昨年七、入の候出水、揃太平洋ソロモン群息及びニューギ=ア方巾において、日米両軍の激戦が展開三れ
し一んて▼レ
てをりました。累次の桝軋については眈に発表されてをりましたが、陸軍の関係は作艶進斑中のため今日ま
で秘稀に附されてゐたのでありますが、二月九日以上の如き大本常態衣があり、次いで翌十日、費衆納眈の
務耳組合において、舵肘秀只から大尊大の如き説明があり、今日までの賓情の概況が聴衆され女した.
南太平洋方南の作戦経過
咋舛.八月七日、米粍兵隊約一抑囲が
有力なる将軍純綿の下にソロモソ群島
申のガダルカナル抱、ツラギ持寄に上
陸し、五巧下町以来ガグルカナル串乞
し・′.汀・さ
占預してゐた我が梅軍の小部隊を鞋撃
して氷たのであります.この沌牲に接
した陣軍は、濫ちに太平汗方何に行動
中の孔雀隊を念流し、次いでその他の
ち▲7し●つ
背面からも兵力を抽出増施し空した.
滞亀された第一線指梯官は、束縛であ
る粥軍部隊.の危急を救ふため、昭カ
レI‘い
簡勢た故に封し政黎を難行し、或る部
件の如きは軌中深く爽進し、敵圏ホ場
〓・′ 為
にも進入して、敵に大なる打幣と脅威
とを輿へたのでありますが、遽に軌撃
滅の目的は遽する忙讃らなかつたので
あけます.
南緯さらに兵力を増加して、沌太平拙什
ヰガ耐における戦略的株描を設定し、今
▲ん.り”I
後の大作和迩朽の基礎碓立を稗推する
り.1り‘..
ため、敵をこの方耐に牽制するの任に常
らしめましたが、ガダルカナル出札の地
上H作戦に協力すべき我が飛行隊の兵力
は、位少であつたばかゎでなく、協力飛
行場はガダルカナル鳥から】千キロ以
上も速く瞞つた位恕)に鹿つたのに封し、
敵軍は樺械カモ利川して短期榊内に多
数の飛行場を詫溌し、これに偉勢なる
ぐう 川M
飛行隊を緒々棉兆して水た花め、粥はガ
ダルカナル良ふカ何の制察槽を接待する
ことが椚水なかつたのであけます。敵
い・’ ⊥〜
は制左上絶封悸位の下に、さらに兵力
と増加し、飛行場喝速には堅固なトー
すカ陣地を棒‥繁しました。
祭が作恥朽接地から海洋泣かに隔絶
したこの堅固なる陣地に封し、しかも散
剤串†に速く海上磯動−鑑待つて攻撃す
一▲l】と
右ことは、拘に東野の皿菜であけ曇す‘
チたニューギニアヰガ面にある統は、
漆洲を根撼地とする米確聯合碍であり
ます.敵は眈に昨年八月切からポート・
一’か▲7とん
モレスビーに駐屯してをつた確洲軍に
一り′ヽ‥し
封し逐次兵力を増加してをりました.
この敵に封し、我が一部隙は、昨年七
月上旬ブナに上陸し、九月和めスタソ
レー山脈の線を炎枇し、−几ポート・
モレスビー近く迫りましたが、全般の謝
’ヽ
係上、ブナ附近海緯線附近の部落を朗
刺して、ガゲルカナル鳥部保と同様に、
補太平沖方面における戦略接鮎モル仏
け、今後大作戦遽行の基礎碓八人を推進
.Jんdい
するため、敵を韻方面に牽制するの催
に一滞らしめたのであります.
かくしてソロモソ押付叫中のガダルカ
ナル飴並びにニューギニアのブナ附沈
守備の我が部隊は、南水牛歳の久しき
しっ「′ゆん
に斌つて、酪勃州でしかも濾潤なジャン
グル地瑞・円に裁つてあらゆる閃常秋乏
しっlん・7
に堪へ、寡兵克く勃拗な敵の反撃に封
し常に輿敢な攻撃に次ぐに攻撃を以
てし、如何に掲寄た仙薪つても飽くまで
もこの黎地を同守し、赦を牽制してを
つたのであけます。その…州ビルマより
幣笈諸島、北部ニューギニア、北部
ソロモソ群・滋と耗てマーシャル祥・g弦
びその以北に音る報に部隊の配備を埠
一−ノ\ Hh
り、戦略接鮎を確伐し、今後の大作私潅
行の革礎を確立することが山川氷たので
あります。
そこでブナの掩護部隊は一月下句
以氷、ガダルカナル良の稚碓柁部隊は
二月上旬、それノ川\拙魁lをm川始して
一ヽんしん
新任務に向つて梢逃したのでありま
す。和方榊の掩維部隊の拙温は、歓の
判然櫻下、特にガグルカナル出方.佃
一てl′∧ソ巾・’
においては敵横敵艦の純米する中で
あけ会したが、舵による桐郷な袖泡が
ぜ が・いく
常に我が革の制塑下に、敵を憫伏せし
めつ1、‥畢靖確賓、且つ悠々とこれを
小几丁したのであります。
ガ島、ブナ方南作戦の戦術的意義
我が軍は比島、マライの緒戦に大戦
児を挙げてから、引柏き敵に息をも漣
がせず維追撃に移り、大東亜におけ‥」
敵の戦略棟鮎と窺要車線地域とを悉J
′ヽわ山ん
沖遽果純に攻略するため、ビルマから
スマトラ、ジャワ、セレベス、チモー
ルを絞てニューギニア及びソロモソ群
●♪つゐ
島の線に向ひ、一挙に敵を念追したの
であります.
この我が軍の絶迫撃の最尖柑に突き
進んだ迫撃隊が、このガダルカナル島
及びブナ方耐の部隊であります.
〓万、敗温に敗温を重ねた敵は、濠
ひ一l一V
洲及びその附近の根接地庇掩の下に新
たな檜凍兵力を得てニューギニア及び
ソロモソの繰において我が軍の迫撃よ
り逃れ、立も直つて反撃に的たのであ
ります.
こ1においてIニーギニア、ソロモ
ソ群鳥の線で我が迫撃と敵の反撃とが
川し†く さ
期せずして一大遭遇戦を著起したの
であります.
か1る状況により、ガダルカナル島及
びブナ方面に向つた迫撃部隊は、戦術的
にみれば、丁貫この日米大遭遇戦の柑街
†′ヽb∧ソ
の役割を兆してをつたのであけ・空す.本
隊の展開、射ち本山隊が後方蓼城におい
て戦略態勢を碓ふ几するのを掩護するた
め、敵の反攻咋備がまだ‥峯つてゐない以
て‥.しん
前に、敵地拭く挺進し花のであゎます。
抑モ遭遇戦における前衛の仮称なる
ものは、要地ほ向つて昭力攻撃し、或
lJ lノ●′ヽ′ヽ
ひは要地を占領して敵を拘束し、この
間、我が本隊に蕗然たる展開の自滴々
輿へるにあるのであります。
ガダルカナル鳥は、米国の反攻接鮎で
け・′一々
ある確洲と、米本土との連絡路を脅威す
一Y●■−レ●
るところに健也檻し、敵倒にとつては定
に大切な朗であります.またソロモソ
群島及びその附近においては良好なる
舵峯基地があるところであります.そ
のガダルカナル島に向つて我が溺擬は
猫力攻撃を断行したのであり壷す.
†くわサ
ブナ部隊も同じく前街の役割を占
め、濁力攻撃を断行し、詞後ブナ附迂
の蛮地を占領して本線の絃へ絹絶叫bにb
一じたのであります.
この南部陳の璃力攻撃により、敵は
壕洲及び米濠辿綿路を脅威せらる1痛
さに堪へ粂ねて、その出し得る力を挙
げてニューギニアの一角及びガダルカ
はんJ汀さ
ナル・島に反撃して米たのであります.
かくしてソロモソ群鳥中、四】園の字
書い‥レ
分にも足らぬ小最南たるガダルカナル島
とニューギニアの一角が、日米遭遇戦
ぜ,てん
の焦鮎となつたのであります.
この戦闘の焦鮎、特にガダルカナル
鳥には、我が梅軍部隊の一部が敵に先
んじて上陸し、その一角を保持したの
でありますが、」遭」憎なことは航峯基地
が敵の預有に蹄したため、我は戦術
“川 l▼・′
J、廿愕だ不利となり、特に山狩上補給が
非▲常に辞しくなりましたiしかし我が
珊紘はこの困難を堪へ忍び、牛歳飴の
久しきに演つて雑駁苦闘を続け、しか
し’l′し
も、との不利な立場にあゎながら終始鎗
碑的に、攻撃に・試ぐに攻勢を以てした
のでもりHます。
その密閉労力によつて犬閥の太や洋
方南に向けてをつた純陣熊の全力た、
け・レ一.▼
ソロモソ、ニューギニア方南に轡刺し
会した.そのお怯で本院たる謂部塚を
して、ビルマよけ幣櫛印謂践、エーーギ
I17、北部ソロモソを紆て マーシャル
及びその以北に汀‥け絆▲資に耶略=代…川を
完了し、軋咋帽尉と成せ溌淑地域とを
はl・ナチ
悉く包耗する大東れ八甥料の外班とし
て、且つ今後の攻勢作戦の足場とし
て、これa】閉めることを得しめたので
あり・ます。
「′.リ●・・、
本恢の血戦栢撮粥が放りに迅速藤節に
M水たので、世人の‥托・音を若かなかつ
たのであけますが、この熊糊、即ち大
衆拍の外璧を固めることは欝に瑞易な
らぬ大事澄であるのであります。
しかるに米軍にとつては、演洲や米
川.・′一人
接地椅路に脅威を感ずる痛い何とはい
へ、ソロモソ群良川やニューギーーアの一
角に牛硫故に凍つて全く饗刺せられ
て、我をして簡他の全域を悠々と固め
させた光一革靴略の聞=拭けさ加減は、ま
ことに笑・肘千南であるといはトければ
なh愛せん.
ガ島、ブナ方面よタ増進の理由
次ぎに何故にガダルカナル島、ブナ
てつ・々い
カ耐の部隊が朔過したか、といふこと
について述べませう。
接遇鞘忙おいて、榊街が増地を河山
地酵†る堵舟には、流人常*隊はこの前
◆−′
熱の耶闘に接次加入して敵を攻壌nる
のがネ削であります.しかし時として
は、前街をして前方の要地に戦闘せし
め、本性はその後方に展開して戦闘
沖怖が打水ると、前掛を却つてネ隊の
鴇に性過せしめる方式があります。こ
の巧式を取柄上、後逸展開といひヱ仇
す。一梢太平押の通過故には、この後逆
l し−▲▲T.
展…閃の方式が抹印されたわけであ・りま
†.
その理納は次ぎの洩りであhふ血†。
(一) この作戦は、我が軍が比丸山、マワ
イの扱から何†卑ロに覚る大肘撃a山
門ひ、その場鬱の末梢において起つ
たところの鳩川畑戦であつて、絞我各
その節碑地からの粋離は比較になり
空せん。徒つて彼我展開の速度に大
けんか′、
なる懸隔が…印氷ることは免れませ
ん.故にもし我が本隊が、滴常の埠
合のやうに、ガダルカナル島の前節
の線に逐次加入して決戦む行ふとす
るとなると、H姥閑速度において大な
る懸隔がある以上、戦闘は陥る不利
となるのであ‥ます¢
帝u水、後逸展開といふ方式は、敵
に止し我が展開速度が遅くなつたと
き、線姶劣勢な兵力を以て優勢た放
と封職する戦術上の不利と慣はんが
ために接用されるものであhます.
次ぎに
(二) ガダルカナル鳥の敵舵手勢力に
封し、我れまたニューデリテン、北部
ソロモソ群鳥方面に航‡接穂地を進
め愛したが、地形の附係と粁離の紬
係上、ガダルカナル鳥並びにそのル川
方に組織された敵の舵宗根接bに封
く‘l′ヽ・■一ヽ
し慕中俺勢と獲得することは、短
時日の間には殆んど不可能であり会
す.従つて敵の制婁槽下に、しかも
′速距離に亘る海上輪迭によつて、兵
力、軍需晶をガダルカナルれ山に肘‥触叩
l一♪イさ
填積するには、莫大た船舶の拘審を
発情したければならないばかけでな
く、彼我の戦力集中において戦が方
は甚だしく不利に仙泊るのでありま
す.衆ぎに
’ ’−
(三) 野耗、鋳柘作徴む企岡する我が
軍としては、一歩でも二歩でも前方
に地歩を占めて笹くことは必婆には
蓬ひありません。ガダルカナル亀方
南に和が軍が進出したことは、米
漆辿締路に大なる脅威む輿へるの
下駄にとつては痛いのでありますG
しかも我が方にとつてはガダルヵ
ナル鳥そのものは大局的には大きな
lし‥.1●っ
影響はありません。
か1る良一つのために船舶その
他、莫大なる揖宰を賭して駄の制壷
樺下、戦術上不利な均桝において火
野を求めることは兵家の最も減むべ
きところであゎますC
しかしながら北部ニューギニア上
り北部ソロモンに亘る線は大切なと
ころであゎカニ!C
ブナユ万両はガダルカナル鹿−万両と
は少しく事情が速つてゐますが、舵人仝
†川 ●J一
根鴇地と補給の困難な鮎において畝
術上の理由はほゞ同一で一山り・軍Tl
以上、三つの理由によJ題退職の・後逸
展…閑といふ方式を柁川し、ガダルカナ
てつたい
ル島、ブナ方面の部隊を撤退せられた
のであ‥ます。
これら部隊の拙温は、該部隊が純箪奮
闘克く敵を牽制し、この間、本隊たる
べき我が軍主力をして戦略展開を贅
ぐ一卜へ●
砕蜜に未了し、大東亜共柴鴇の外壁
を固め、攻ぎの積極作戦の足場を渡指
する目的む速攻し得たるが故に、これ
こ りつ
以上殉⊥戦闘の必賓なしと認め、撤退
せられたのであ・ります.
特筆サベき三鮎
以上、南太平洋作戦に閲し戦術原則
に帽…らして詮明したが、この作戦に出
しては、次ぎの三つの重大事賓を並べ
なければなりません.
その第一は統帥上の英断であり、井
川∫トTつ
の第二は陸頼軍の協同であり、その折
三は軍隊の溝心と功績であbます.
ニ) 統帥上の英断について
で,川じん
決戦は澱も有利な條件の備はる場所
で行ふことを、戦略の原則は要求して
ゐ▲ます●
ガダルカナル島やブナユ万両に出て決
戦することはわが足場が悪く、特に航
姦損壊地と補給の帥係に格段の差があ
い▲ク■ツ
り、敵を小者るしく有利ならしめるもの
であり生して、戦略上好んで採るべき
策ではないのであります‘
昔、柴榊膵家の部将佐久間玄蕃は挺
しつ
進して江州の鳩ケ岳を占領しました
が、次いで奔音の大軍の攻勢を受けた
時、位久問玄巷の挺進隊は柴m膝家の
本隊が‖些附において戦闘準備を整へて
止レムぢ●く
ゐたので、嬢ケ岳に執着することな
く、秀音軍と決戦を避け、速かに聯家
の許に撤退すべきであつたのでありま
ひ∫・9 〃
す.ところが暴虎礪河の男はあつた
が、大局むみる智略に乏しい玄各は、
壌ケ岳に執着してこの畢忙拙ず、概略
に富む秀音はこれむ各個に撃破し、し
ぴ つゐ
かもこれに尾追したため、柴昭聯家の
本隊も一挙に崩れて、也前北ノ庄に聯
家は敢へない最桝む逮げるに至つたの
であります.
しかし、か1る過去の山戦例について
の批評は容易てありますが、規漣只に一
てつ一花い
小部保であつても撤退することは、な
かなか容易ではありません.特に日本
軍は掴温む好まない、また撤退は壊も
不得手とするところであるにも拘はら
ず、陸梅雨統帥部の英断によつて逢に
その難きむ断行し、以て、本隊を整斉
砕資に展開し、最も有利なる條件を
ぐ ぴ
具備する決戦の場所を求め、第一線部
隊また虞時日に亘る霧散苦闘、よくそ
たつ寸い
の牽制の任を達成し、且つ最も困難な
る撤退む沈男大勝よく整然とこれを断
行したのであけ会す¢
(ニ) 陸海軍の協同について
ふ開戦以承、帝固陸海軍は水も洩らさ
ねほど緊密な協同む続け、また現に績
けてをるのであります.南太平洋の作
戦におけるわが】陸海軍は、最早や協同
などといふなまぬるい言葉では表現で
こし.‘ん
きません.全く挿然一健であけます.
即ちガダルカナル島に先遣された我
も−いしふ
が海軍部隊が敵の釆袈に遭ひ、苦戦に
隅つたとき、陸軍部隊はこれに駈けつ
け、友軍救援の勃州暗に然え、兵力の劣勢
も弾壌爪の補給も嶽息に介しないで、仝滅
む賭して敵に倦常り的攻撃を断行した
のであります.
次いで陸軍部隊が苦戦に陥り、しか
もその苦戦が全く後方からの時弊権珠
亡ん▲斗ん
及び補充貝の海上輸送の困難にあるこ
とを知つた和が擬革部抹は、危険と損
害とを蹄みないで、最初は逆迭舵の護徹
に任じてゐましたが、敵制益接がいよ
いよ強化これ、建に滝迭姶と以て壮づ
くととが山川和ないやうになつてからは、
nソ†・)
兵虫月はもとよりのこと、兵鴇・弾魂・樋
一∫つ
辞さへも軍艦によつて輸送されたので
あゎ」ます。
軍堀・は元来輪途には必ずしも適しま
せん。その接戦蚤は少いのでありま
す.稚つて粍往復も幾十往復も、敵の
制筏櫛下、爆…弾と魚常川の中む、たゞく
ほ ●・′
友軍補給の勃州情に然えて、文字通り不
眠不休の柄縄であります。なかんづく、
陸軍兢市部一隊の進出するまでは、寄ら
海軍舵察部隊が速い基地から飛水し
て、・陸軍部隊の苦痛を救はんがため
一・7‥しん
忙、時忙は恭地に阿る油の約姦するの
も志れて戦つてをつたため、海中に不
時着したものも決して少くないのであ
b▲ムす.
陣震兵はかうした海軍粁兵忙封し
て伏して感謝の瀬を捧げたのでありま
す.か1る海陸虞に一鰭となつての
適切巧妙なる作戦指導により、敵機敵
てうnノー!つ
艦の跳梁下に、糖に渡る未曾有の困難
な撤退行動が殆んど拘育む受けること
なく、葦悠々と出来たのであつて、
これは全く戦史に例の無いことであり
ます.
(三) 軍隊の辛苦と功頼
川 ガダルカナル卑ブナ南方簡の
部隊とも、我が作戦基地から遠く離れ
とつしん
て敵の航察威力圏内に深く爽適し、敵
堆の跳梁下にあつて戦闘を漑頼したの
であけます.一兵といへども天姦に暴
許する▲時は、忽ち敵横の執拗な攻▲準を
受けます.一日而三回のスコールに滴
れた軍衣を天日に乾燥するか、または
炊事す絹糖は底ちに好日標とな・リ、銃
Idク ち
爆撃を誘致し会す、この間にお・ける部
隊の林尊Hは察するに飴・りがあり、悪す.
舟に敵の制察槻、制海接下山補給敏速
の悼舗.さは斗首譜に絶するものがあけ薮
す.敢舵峯撥、または潜水艦の改革む
受けなからも、勇敢なわが給H月諸君は
克くこの困難な住持を成し遜げたので
あ」ります.
このやうな状況でありますから、揚
▲、んぜ17
捜された軍需諸晶は僅少であb、徒つ
て主食め如きは一日一合にも足りませ
ん.時には数旦問支給されず、しかも
そめ米は埠頭設備もない潅岸に揚げら
れ、海水に浸されて怒ります.炎耕下
に放直した米は席蚊してをりますが、
これむ敵横の日を盗んで数回分同時に
▲Tわ▲†−ん
炊褒しなければなりません.さらに喫
一
食するまでには炎熱とスコールのため一
一
いょく腐敗の度を加へ、これに僅かば附
か・りの粉味噌むふりかけて流し込むと 」
…鰯…g紆−f鞋
空した時に」は、婿兵は子供のやうに
●.’▲フ ノヽ
手を拍づて喜び、後方部隊の労苦に封−
して泣いて感謝したといふことであり
ネエ9.紹つて将兵はL不の富む摘み、革の
根モ掴け、背くも毒でたいものは悉くこ
れシ_映つて飢ゑを凌ぎ、栴水a一統んで塩
気をとつたのであh・ます。桁樹に淡剣
を突き刺し、またはジ十ソグルの筍を
軍刀で切つて、そこから」滴る水で咽喉
をうるほして教寛夜を速つた潜もあり
愛す.
放た前にして上下相信じ、ますくそ
γ.ん打つ
の園結は強化せられたのであります.
難局に虚して上官は部下む、部下は上
山一て
・官を思ひ、一速りの糧を互ひに分ち合
ふといふh劉的た場面は各所に見られた
し●1・▲いい
のであゎます.作戦地はいはゆる確・橋
の地であるため、マラリアに冒され、
或ひはヂyグ斜に悩まされたのであり
ますが、安辞む保つべき艶屋などはあ
わたせん.しかし、我が勇士は二宮牛
句の不平も富はず、不満ももたずに、
取夜」同志酌み合ひ、慰め合つて熱ゆる
汁つし・′
やうた駄傾心空米軍に指来し、叩きつ
い′}一.ヽ
けて、日夜紬然として難ひ招けたので
あり会す。
∬ こんな困苦映乏の中にも、哉が
−う川い・け
軍は奄も受身の防架はしてむけませ
ん.終始攻撃に次ぐに攻撃を以てし、
常に敵を郡山倒してをります.昨年十二
月十三日、某部隊の中澤少尉工兵斥候
(長以下玉名)が至厳な敵の野域綱を滞
でいしん
つて敵陣地内に晦港潜入し、飛行場に
あつた飛行横二、給油タソク二、接照
澄一空爆破して敵の心臍を袈からしめ
てをけます.また寺渾少尉工兵斥候
(長山下玉名)も同夜ルソガ河下流の敵
陣地を爆破し、敵に大きな損傷と不安
▲r 川ヽ
危惧感を輿へたばかりでなく、爾後に
おける作戦指導上、有利な資料を得て
縛つてをり愛す.
なほ、歩兵発火照、迫撃砲、一部砲
兵を以て、敵の{何仙宮地に封し火力寄山甥む
行び、▲成ひは小部隊によつて作曲曙狩符
■ル,ヽ▲り■l
か】行ふ」等、段勢な敵を泡耶弄してゐるの
であけます.
か1る朋触なる行動が克く放と牽制
.ヽ1′・り
し、しば〈有力なる米雄隊と誘致
し、精鋭なる帝図海軍に大戦鵜・モ奉げ
る好確を輿ふる原悶であつたと思ふの
であります.
α また某部隊長は、困難な甥杯聖
▲、ノー一つ
長船椿動した後、ム代態−鑑以て池畔地に
突入したが仙佗接が仙描きません0敵中に
和軍蛮戦すること一過間、穀後に手鼻
十敢名となつて部下を無理に行方に輝
ヽ=ワ爪り
し、自らは批烈たる戦死・た凌げたのであ
▲†、▲Fl∧ソ
ります.「男子我れ防人となる甲斐ぞ
あれ、東小丁械の果てに死ぬれば」とは、
その部隊長の尉世であります.かやう
に敵閲降伏を所り、七生報闘を誓つて
−てん け
敢箪した戦友灯穂多あけます.
んヽ
付 この革靴奮闘鬼神を突かしめ
た我が軍の清純状況は、これを敵囲側
の軌道について見とと叫らかでありま
」了1 軌†一クライフ茄八m出英寸ハ侶、ほテレグ
ラフ紙に書を寄せ、ソロモソ及び
ぐわん・●†▲J
ニューギニアにおける日本兵の頑強
ヰ、ん
極まる戦澗は、死を恐れぎる 天皇尋
ナ●’
崇の信念に基づくもの忙して、欧米諸
国の兵と異りその如何に恐るべき敵な
るやを詮するものである.封日作戦山
特異性は寧ろ日本軍浄兵そのものに泰
ると替合してをります.
またブナ附近の戦闘に参加したロン
ドyタイムス記者の目撃談によると、
「米軍はニケ月に亘り猛攻し、その
一い‡ん
情景凄惨を極め、日本軍の→部隊は
遼に包鞠せられたのであるが、米軍
の降伏勘合と銀杏し全滅したり.日
、本軍指据官は、降伏か退却かのいづ
れかを苫ぶべきやの場合は、敢然と
して最後まで戦ひ抜き、将兵は皆
は′ん
陛下の御名に死ねば来世は皇壷の藩
べい
昇となhノ再び生れ氷るべしとの信念
l‘
に燃え、その背轟には鶉虞と兆に遣
繋を入れ、柁た流しあるむ見た」と.
また澱ハ山閲新聞は「ガダルヵナル・島にお
.r 一い
ける日本兵は、犠牲的精神転覆輝し、頑
張つてゐる。八月上旬同鳥に上陸した
米国軍は有利なる態勢立代持してたつ
たのに拘はらず、教ケ月以上を経たる
今日なは、日本軍を黎温し得ないので
あつて、この日本縛兵の勇敢な態度な
るものは、皆皇室に封する宗教的精紳か
ら出てゐるものだ」と述べ.てゐますい
脚 クイムスの濠洲特流貞は、最近
ニューギニア戦線に仙関して次ぎの如く
述べてゐます.
「四ケ月の11ユーギーーア戦争は我々
に賓に尊い教訓を輿へた.第一に、
日本軍の根故地を一つく奪取し、
一つのは仙から他の鳥へ飛び、かくし
一_ ゐ
て日*軍の現水の内線的戦略地位か
ら迫ひ帖さうと企ててゐる我々の宋
ゝ● は▲■
軋は、結局途方もない長期戦となり
」r 一い
移しい人命の犠牲む必要とすること
が明らかとなつた.たとへ制峯権や
制海権を我々が建つても、もつと息
接的な打撃む加ハぬ限り日本軍む掃
▲d▲フ
滋することは出来ない」.
解じ寸ノび
ガダルヵナル島、ニュ」ギニア方面
ゐ
の我が部隊の困苦快乏、耗戦苦闘の偉
■− ,
功は、繰返し述べたやうに、大東並共
集団の外壁を固め、来るべき大作戦の
棋接を確立し得しめ、誉た帝闘海軍を
してしばく偉大なる戦果む袈げる
・lづい ..た
横倉を作るにも輿つて力を放した戦
略的大功横のほか、以上、敵の口をして
一【l
語らしめたやうに、我が脾兵の忠誠勇
′一
武、猿烈果敢の奮師は、克く敵の心膿
を一審からしめたのであります.
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これらの部隊の偉大なるこの犠牲は、
大東熊取史に不朽の光を琵すことは勿
論でありますが、しかし我々は、米軍に
▲汀ん■ヽく
萬斜の恨みを現して光れて行つたこの
勇士達の仇は、必ず討たねばならねの
であります.
戦線銃後、一鰻となり、一億虞に一丸
となり、今日までに戦ひ得た有利な戦
略態勢と重要資源とを活用して、今後い
く♭くけレ■l
ょいよ戦力を凍充し、ますく積極
作戦を展開し、米著必ず屈伏せしめ
ずんばやまねと乙ろの、勃州蝕河の仙覚悟む
いよく固めなければならぬのであり
ます.
日本が米圃の存立む脅かしたことが爪
の垢ほどでもありませうか。しかるに
いいJ「 一9ウ.ばく
彼は彼らに日本図民む軽侮し、魔迫し、
絃済的にも欝寄的にも帝国の存立を危
からしめ、こ1に帝閥は自存自衛の絶
封面に迫ひ込められて必稚となつて餅
▲程したのであけます.
恥笹幼稚後ルーズヴェルトは、その
■・■・一一 ’】●
戦寧日的をデモクラシーの擁務といつ
てみ・ましたが、それでは図はへの軋意が
放えず、よつてルーズヴちルトは昨年四
月、この戦ひはウォー・オプ・サーバイバ
ル、七月ハル岡持▲長官は、ウォー・オプ・エ
キジステソス、すなはちこの戦争む無理
矢理に生存のための取払だとこじつけ
て戦争目的を偽造し、更に滑稽なのは、
昭和十六年十一月二十六日、日本に挑
戦状を叩きつけながら、.ハールハー.ハー
l ね て,uつ
の奇簿を種子に、戦争の挑敢と戦略上
の奇建とを混同して、必柁になつて明
わつ一rl
民の敵保心を燭動損通してゐるのであ
り鼻血す●
軋季目的の偽造、敵慢心の埋準米
国の政治に何虎に正義や人滑喝があるの
官一いい
でありませうか.たゞ暴虞のl語に逮
きるのであります.
米国の指導者が暴埴であるだけ、政
治に正義が無いだけ、外交や理論で話
せる米南ではありません.襲等はどう
しても聯つて聯ち軟いて、虞に日本人
の資力モ彼等の脹に物見せて、正常な
る碩儀を以て我に封して氷るやう忙
至らしめなければならぬのでありま
す.
これがためには、今後、敵の反攻む
け▲▼‡い
片ッ埼から撃砕するのみならず、進んで
彼等の心臓部に戦がメスむ加へなけれ
が・’’−ん
ば、傲慢なる米人の戦意を放乗せしむ
ることは難しいでせう.よつて我等は
一億同氏の創意と工夫と努力と奮闘に
より、戦場において、工場において、
農場において、家庭において今日の決
戦、明日の決戦を戦ふと共に、多少時
日はか1つても、米国の心時に必ず我
がメスを加へなければならねのであり
ます.我等は虞剣にこれむ準備して怒
ります●
かうして戦ひ放いてこそ初めて我等
r ュ▼い
は、今日犠牲となられたl万敦子の英
冤に、更に大東亜戦全戦役の英蛮に、
偲んたうに鮒呼かに眠つていkゞくこと
が出水ろのであYnリます.