第三二五号(昭一八・一・六)
実践せよ必勝の戦争生活
新年の戦局に対する観察 陸軍省報道部
今年こそ激戦の年 大本営海軍報道部
国際情勢の展望
玄米食について 大政翼賛会
付・炊き方と食べ方
実践せよ、必勝の戦争生活
我々はいま大東亜戦争第二年の新春を迎へた。支那事変勃発以来、六度目の戦時下に迎へる新年である。
この年頭に当つてわれ/\国民としては、本年こそは真に戦争生活に徹すべき年だといふことを決意すべきである。戦争生活とは、単に戦時下、或ひは戦争下の生活といふ意味ではなくて、我々の生活自体が戦争の一部であり、生活が即ち戦争であるといふ意味である。
大東亜戦争は今や生産戦の相貌を呈し、第一線への兵器弾薬の補給の如何が戦ひの勝敗を決すると言つても過言ではない。従つて軍需生産における生産力を挙げて増産に努むべきことはいふまでもないが、軍需生産とは直接に関係のないやうな我々の生活自体も、第一線の戦力と密接の関係をもつやうになつて来たのである。
わかり易く例をとつて言はう。今仮りに、作戦上多数の船舶が必要だとする。この場合、国内の生活必需物資を輸送するために、どうしても作戦目的に割くことの山来ない船腹があつたとすれば、第一線への兵器、弾薬の輸送力がそれだけ妨害される。言ひかへれば、その生活必需物資は、前線の将兵へ送る弾丸を、糧食を、犠牲にして輸送されたものである。
輸送力は必ずしも海上輸送力には限らない。海上輸送は陸上輸送に、鉄道輸送は貨物自動車輸送、荷馬車輸送などへと次ぎ/\に転移するものであるから、国内で何等かの形の輸送力を浪費することは、究極するところ、第一線への弾丸の輸送をそれだけ妨げたことになるのである。
即ち、単に輸送力といふ面からみても、国内に於ける我々の生活は、単に我々個人の生活ではなく直接第一線の戦闘と繋がりをもつてゐるのである。次ぎに貯蓄の面からこれをみよう。
米英を撃滅するのに必要な兵器も、弾薬も、我々の手許にある金が節約され、貯蓄されてはじめて出来るのである。無駄に浪費したとすれば、第一線に送る武器弾薬を国内で無駄に消耗した結果となる。戦争遂行と無関係と思はれる物資の消費も、それを生産する生産力といふ点からみれば、武器弾薬の生産力に影響し、第一線の戦力に影響する。
我々の持つてゐる金や物は、今日ではもはや単なる金や物ではなくて、第一線将兵が一刻も早く、できるだけ沢山欲しいと待ち焦がれてゐる兵器であり、弾薬なのである。
以上、単に輸送力と貯蓄の例をあげたに過ぎぬが、同様にどんな面からみても、我々の生活は戦争と直接の繋がりをもつやうになつて来てゐるのである。否、繋がりを持つといふより、むしろ、我々の生活の如何が第一線の戦闘を左右すると言ふべきであらう。言ひ換へれば、我々の生活自体がとりも直さず戦争なのである。従つて、われ/\はこの意味において、我々の個人的経済に存在する経済力まで、
すべて戦力化することが必要なのである。かうして戦力を造出することが戦ひの生活であり、戦ひの道である。
今日では世界中のどの国の生活にも、戦争の影響は及んでをり、中立国の生活は勿論のこと、世界中の誰れ一人
― 胎児でさへ ― 戦争の影響を免れ得ないといはれる。
従つて戦争下における各国の国民生活は、いづれも不自由なものであり、贅沢な生活を続けるために戦争をしてゐる敵アメリカでさへ、「戦争に勝つ為めに」と称して生活程度の切り下げを強行してゐるほどである。
英国では、クリスマスにも食糧の特配は何もなかつたといふ。重慶の国民生活の惨憺たる情況はこゝに改めて述べるまでもあるまい。燃料不足のソ聯の冬の姿も惨めである。
生活の不自由は、全世界の国民が忍んでゐるのであり、敵英国や重慶の国民すら、数年に亘つてこの不自由を堪へ忍んで来てゐる。
われ/\日本国民としては、単に消極的に生活の不自由を堪へ忍ぶといふのではなく、積極的に戦争生活を戦ひ抜き、今こそ日本の威力を発揮しなければならないのである。そこにのみ、戦争生活必勝の道が見出されるのである。
われ/\は、支那事変頭初における敵の予想を見事に裏切つて、逞しくも六年半に亘る戦時生活を立派に戦ひ続けて来た。このことは、われ/\にこよなき経験と無限の自信とを与へるものである。
過去六ケ年に亘つて支那事変を遂行して来た日本が、その国民生活は微動だにせず、更に米英に対して敢然戦ひを宣して、あの大戦果をあげたのは何故であらうか。敵米英が依然物質の優勢を恃んで、これによつて日本を破り得るものと考へて、戦争を続けてゐることは、敵米英がその理由を未だに解してゐないことを示してゐる。
その理由を一言にしていへば、大東亜戦争は、日本にとつては、生きんがための最後の自衛戦争であり、敵にとつては贅沢な東洋制覇を続けようといふ侵略戦争だからである。即ち戦闘精神において雲泥の相異があるのである。正義は必ず勝つ
― われ/\は皇國三千年の伝統に輝く日本固有の国民精神の上に、必勝の信念に基づいて戦つてゐるのである。この形なき強みを見逃がした点に敵米英の誤算があるのである。そしてこの強みは、生活の戦ひに於いても余すところなく発揮されねばならない。
神州の国土を汚さうとする黒船を撃攘した尊皇攘夷の血は、今もなほわれ/\の血管に脈膊つてゐる。前線で、空からは空爆、陸からは巨砲の猛射を浴びて死闘を続ける将兵は、幾十日の間、飲むもの、食ふ物の不自由に堪へて、しかも一言もこれを口にせず、人道の敵、米英の撃滅のみを念願してゐるのである。
戦場において、常に見事な行動をする日本人にとつて、銃後においてもまた、逞しい戦争生活が出来ない筈はない。戦争生活の実践
― 銃後の生活が既に戦争の一部であり、戦争が国民生活の中でも戦はれてゐる今日、全国民が第一線の戦場にあると同じ気持、滅私奉公の覚悟を以て、戦争生活を戦ひ抜くことが最も必要であり、年頭に当つてわれ/\は戦場精神を以て戦争生活に徹する決意を固めようではないか。