第三〇六号(昭一七・八・一九)
聖旨に応へ奉らん
ソロモン海戦の意義 大本営海軍報道部
敵抗戦力の検討 陸軍省報道部
行政の簡素化について
九月の常会の頁
国民貯蓄組合の話
タケンスヴィルの初空襲
東太中柵什作肌小でミッドウェー及び7
リユーシヤソ列仏を淑鵠した帝囲儀
−.いd}
笹部隊は、七〓†句に到るや、鈍鉾を
線洲に向けて、氷線聯人‖騨に封する轡
てんかい
‥瀦戦を択…州した。
兜にマグガスカル、シドニーを輿つ
▼‥.・
たのち刀を延して東太平沌什に伯撃し
たが、今庇は州び破洲に虞つて、西摘
太中沖を鈍鋭せんとナる米漆聯合節を
■rゆ
鮮たんとするのである.
かくの如く氷、朗太半沖にまたがつ
て憐喝馳朗に鵬閑される延大禎作敏
は、西太半洋はいふまでもなく、ふ兇太
平胱什においてすら我が海五Tカが絶牌に
倭位、便勢を触つてゐるからである.
七月廿五日夜、海宰蹴各部隊は液洲
泉北部の要術クウソスヴィルを和娯触爪
した●
エューギー17、線洲方河の敵粛叫線
舵婁基地は、ポート・モレスビー」ホー
ソ嘩ポート・ダーウィソなどである
が」凍洲東北部のクウソスヴィル、周西
樺のポート・ヘッドラソドなどはこれ
ら第一線への察箪中鵡基兇であつた.
ほ▲7・J′ヽ
速く敵の中粥兆地まで鵬発を仲ばし
た海軍航察部隊は、廿光日夜の利袈艶
に引柏いて廿七日、廿八円と辿績夜間
察艶を敢行、敵が銃窓亜備した飛行場
し・つ「ん
ならぴに周遽の軍却鴇設、沌増戚備、
r・いはく
森泊中の椚舶に大柏審を輿へた。
次いで西岸の中槻基地ポート・ヘッ
ドラソドに封する執濱袈は七伺朴日禾
明に敢行された.
クウソスヴィル及びポート・ヘッドラ
ソド針、いづれも第一線から千教宵キ
、♪花
ロを距たつてをり、馳はまさかこ1あ畑
ち●・1
で寂騒察襲されるとは思つてゐなか
った絹しく、漆洲政府が止むなくそれ
を敬裁した時には、濠洲仝力に馳勤
を巻起したのであつた.
粥半部陳の叱額と相粍つて、アラフ
づ栴においても、帖箪部隊の拙嗅枚略
軋が閑姑された.
アラフラ海の…胡定
タウソスヴ†ル、ポート・ヘッドラ
ンドの祷鎚によつて紋が岡牽てゐる
時、アラフウ帖方耐の揃軍部隊は7ル
詣払、ケイ謂良、タエソ.ハル謂鳥(髄
預)に上帖を咄行、七月三十円には各
▲こ1−■ソ●く
箪地の攻略む小ペ丁した.
同報ぬは確剛北岸から約仰打沖のと
し●′〜ド、・つ
ころにあり、大氷舶梅に恋朗する敵
の前逃裁地であつた.ケイ謂臨の中の
犬ケイ島の如きはハ中火に柁紡千メー
ールの山禎があり、エラト沌は海軍基
杓として利川されてゐた.また7ル諸
良の書やサヵム、クさソバル招砲の立
邑サムラキも純軍鵜地としての設怖が
てんてつ
あり、アづフラ淋の巾火に郭締された
これら鳥喚の椛定は、何水坊の蹄超を
汰定†るものとして、洋洲に封し丈に
新たな脅成を輿へた.
7ル緒鳥の東郎海南は戦蹄、世界有
教の虞珠只の拭取場として知られ、我
が園の採貝舵も、多くこの方耐に出漁
してゐただけに、粁沖的にも影響する
ところが大きい.
ソロモン海戦
漆洲方耐の敵舵察兵カに封する徹底
的迫劉、7ラフラ港の械定等と濠洲灯
封する攻撃が、七月末以氷新況を量
した折、西南太半洋においてもアメリ
さ1つ
カ増凍部隊に大牧北を喫せしめた大梅
靴の眞開をみた.
米】圃は7ヮューシヤソ列品のアッツ
しっ小ん
鳥、キスカ良の失陥、、・、ッドウェーの
方小い
敗戟以氷、太中沖における粥局打解に
・′●しん
櫛心してきたが、玖に7ッツ、キスカ
C髄失は、米大陣の一杓に有む以水の
汚鮎を印せしめたものとして、囲民に輿
へた精柵上の打弊は大きく、やがては米
本火にまで砺擦日本の粥酢を受けるで
あらうと想偉して戦々挽々.たる戌心
を他の方向に縛ぜしめる必ぜがある‥
この周心の輔換に役立つ最も有勒な
常南の間凝といへば、欺洲における粛
二戦線の泉閑か、或ひは太や洋におけ
る仝両的反弊以外にはない。なかでも
一▲7
濠洲の防契は、米囲に取つて赫めて切
‥レつ
茸である●
これまで7メワカの封漆接助が、い
かに穣樋的で、しかもアメりカの仝力
h汀い▲_沖l】−
を傾注してきたかは、先の粥瑚梅海
小いこ
戦の跡を回顧しても明瞭である.固潅
戦に参加した米海軍兵カは、常時太や
洋における米峯母勢力の牛分であり、
これに敵新銃戟艦ノースカロライナと
はじめ、巡洋艦、騒逐舷等の教斐を以
てして、強力な米英西南太平沖聯合塩
隊モ綿成した勺
羽瑚海凝戦の一瑠において、何臆隊
生力が渡滅するや、米臥の封濠夜助は
専ら飛行櫻の補給による以外にはなく
なつたが、埠強峯軍に封しては、俄が
04
小し〃.してLY小い
粍鷲が閃阿なき航補桝滅敬む展閑して
ゐるので、米凶から桝給されち飛行横
は、辛うじてそれに耐へる程度であ
り、飛行撃ノよる川而の打閑などは思
ひもよらめことである.
モこで米桝は叫び粥捕太中沖へ有力
り】」」川ん
な艦隊を弼州仙して、戊幣の手投に出.る
こと.になつた。
と1でほ竹仰しなければならぬこと
は、かゝる米嗣の反畢態静が、濠洲に
対してのみではなく、北方のアリュI
・シ†ン、太平乳の中央大鳥亀に封して
も−帝に計藻されたことである。如
ち、、封日肌攻路である三つのコース、
北方、中火、翔方のコースから一斉に
封日反幣に柑ぜんとした。閃戦以来米
詞が取つた汲も積極的にして綜合的
な、いはゆる粂南反驚が始つたわけで
ある。
『【九四二年のまhといふのは、戦九晰
か.ら米開が帖小にしまつておいた首来
けり一い
であつた.人山Cい渕H包桝抑が結戚
・−・}▲▼
され滋噂米‥圃は兜づ経済封鎖によつ
▲つイ川‘ヽ
て日本を舵迫し、やがて武力艇迫によ
●一′†
つて日本を締上げようと企滴したが、
武力盤迫に出る時期の一つ佐、大偲」
九糊二年の夏が選はれてわたことは、
l
.常時、漆、漸の首臓部に鴻らしたとこ
ろであつた.従つて岩し大東鵜私率の
打叩つ一汀つ一んlん
勃衆が遽娃してゐたら、今頓】圃民の受
けなければならぬ畦迫は、想像以上で
あつたことセあらう.
しかし、閑職以氷相次ぐ舷職で甚大
な打撃を受けながら、なほ戦局打山閉の
ために必柁のあがきを頼けてゐる米拘
一サ▲■▲X−
の▲姿を見究めることを志れてはならな
い.囲内の戦窓盈固め、王大な賓材の
はん
力によつて、縛衣いよ〈積橿的に反
撃すべく努力してゐる米園将封し、わ
、
が固民は最後まで膠利を耳徹する決怠
と態度を、この際】庸蟄固にしなけ
ればならぬ.
た′■
さて北方コースを辿つた米有力部隊
は、兜づ戟が占領下にある執前H(アッ
.ヱ、鳴紳(キスヵ)を目捲して西進した
てつベl_l’こ’
が、餓舵の駐陣にはじかれて、倉皇と
漫却した。次いで大鳥蟄斬に野丁る
▲けん
ものも、傭たる我が防備に歯が立た
、■†♪●
ず、反撃の.企固は水泡に蹄した.
また碑方においては「敵の†有カな盤
陳が、斡迭解珂までも合んで、ソJモ
ツ群蹄の一角を日指して出拳してきた
.が八河七日、行勅吋の敵艦隊は我が部
隊の蛸辞路忙引か1つた.
d叩モ一,ヽ
入日寛関、符撃隊は敵艦隊を捕捉、
し▲●れづつ
椒めて械烈な防架抱火を衝いで、敵艦
隊に大打驚輿へ、夜に入るや敵多故
舵隊の崩鮎を者扱tた我が水止部隊
さど
は、長騒爽進して敵艦陳の虜只中に沌
▲汀んl・1h
り込み、舷々柏摩す肉薄戦によつて必
椴の免節を離艦の胴脱に叩き込み、或
ひは砲門を朋いて辿るなど、批髄極ま
る大決勒を尿閑tた。
折しも、・暗夜で敵はソロモソ群島の
周洩に瀞†してゐたが、・戊を衝いた我
が水上舵艇は、忽ち敵の懐ろに突入
ヽ・.卓†●−1丁
し、埠‥埠に娘村したや攻の如く、主
砲盈同†る暇もなく、仇…堺叩を態鳩す
る間もなく、.伽川かに榊鈍、小鈍によつ
て鰊戦するのみで、敵巡絆舵は相次い
一灯り
で繊々と補淋の底に洩し、辛うじて沈
叫柁を免れたものも・犬ルへ災を也し、.火炎
一い山トつ
は呼夜の海に映えて砕烈な戦瑚た肘…ら
した.なほ敵舷隊の殆んどが仝滅の
▲Iつrた17◆ヽ●
一郡倒的戦輿た桝げながら、我が方の揖
りい“J
事が一礎めて柑微ハ巡洋艦二隻小破)であつ
たのは、酔が川箪して砲門を閑く畷が
なかつたためである.
この夜靴は、粥が飛行概、港水魅部
陳が容加したことにおいて、夜の立鰭
山軋としてもまた記什坪的なもの.であ.る.
九日、航≠部隊は敵わ一拍も逃さじ
と泊弊取た巾行、シドニー指して落行
く澱ハ乙巡7キリーズ刑を撃沈し、敵艦
隊は・文字油け俵つか拍ものは殆んどな
一ん止Yウて●
く、鶴滅的な大悌敗を喫したのである.
】、筆沈艦解
米黙牡ウイナタ弛一雲蓮)
米野巡7ス・トy7型、乾隻
ハうち一隻棟艦)
(うち一隻赦沈)
英甲準オーストラりヤ型二隻
ハうち一畏港沈)
英甲巡臆型未評「宴(菰沈)
米乙巡hオマハ型一隻
英乙肋戦7キり−ズ型l一隻
乙巡舵型未詳■ニ隻
盤漆■艦九隻
潜水艦三隻
織途拠叩十筆
〓、悪鹿鎗d
甲巡聴型未琴一箪(大虐
騒逐晦三隻(大破)
玲迭肌叩】隻(大破)
三、撃墜飛行横
軋閑磯四九壌
戦開彙爆や横九墳
本海戦における我が方の絹A曹
飛行棟自蟻ニー横
桝址洋鮭二隻舛壌ハ偲し戦開舵海に差
車なし)
リロモン海・戦の影響
戦ひである以上、皮を斬らして肉、
肉を斬らして骨を斬るところに聯利が
lrん−ヽ
生れる.刑瑚晦梅軋喝、ミッドウェー海態
の如きはそれであつたが、ゾワモy海
鞋においては、極めて車難な夜勒に主
要な軋果が拳げられただけに、彼我力
景の豊は盤倒的な戦兵を生み、救にお
いて劣る♯が潮隙にまたも常聯の柴篭
が坪いたのである.
我が方に少しでも犠牲があれば(海
敬においてほ曹然のことであるが)、それ
ヾんやん
を幾倍にも称郵して寛偉することと
‡ナ山
志れなかつた米圃も、流石に今度ばか
りは水上潮隊について何ら官及するこ
とが出衆ず、いはんや海哉の粧過につ
小ん
いては米尊ハに口を域してゐる.
なほ漆洲の一部では、我が舵泰部隊の
クウソスヴィル、ポー十・ヘッドラyド
峯卑などを取あげて」米尚は吏に有勃
05
な協力をしてくれなければ、漆洲の渾
てつ
命は滞印の轍を蹄むと泣許さへしてゐ
溝粛琴淳洲はソPモソ梅戦によつ
て灸く椎にされ、・漆洲鹿梅の制揃槽は
こ▲つが
充仝に牝が畝中に樽り込み、術後に
及ぽナ彩塀は槌めて耗大であj.
ゾロモソ梅戦によつて西南太中洋聯
合艦隊が人滑滅した結典、米港、凍印間の
速絡にも寛大な滋障を生じた。特にイ
ソド」洋にはその飴汲が喧接影響する.
だが、この郎例的な戦兆の儀に、我
が海軍部隊が仝力をあげて食閑力戟し
たことを見逃してはならない。八日に
敵輸法塘を弊沈した埠合の如く、一竣
一賠の必捜を期して、衆上に眞一丈字
・たい▲・た
に敵艦、鴇箇サし、敵艦と共にル岡演忙
滑えた‥英盈のあることを志れてはなら
ない.
▼週報讃舶石からの
海外放迭用標語
・まる六月十日のl湖出朝」に目下‖弼外放
.遽に使川中の椒語を驚衣したところ、
粂園の沌報鴻新から白敬的に械詐が迭
られ、その救は】†三官較に及びまし
たが、その▲申から次ぎのものを選び、
今後封敵放法に利川することになりま
した.
インはr向
一、起て、イゾド、今だ、懲起だ、掬立だ
一、イソドよ、一圃結してイギリスの墓
に抗せよ
一、イソドよ、米‖英の誘惑に打併て
一、イソドよへ白如Mほ瞬りまで氷てゐるぞ
一、イソドの寄びは了ジアの寄び
一、怖陀の舵地は英観のものに沖ず
.て.敬後の持由は察手形
鹿鹿向
一、電碇を残して大アジアは前湛する
「竜皐よ、壌肺物賓はもう来ない
「▲軍置よ、山奥から川て見よ、世界地
蘭ほ嘩った
一、開父の概恵火アジア虫轟に遁れ
一、英米と鶉に減亡する鴻命を遇ぷな
」男沸▲向
一、米英を抽桝んで亡びざろ園なし
一、稗洲の杭救ほ稚洲の減亡
一、漆洲ほ英閲の依牲になる
米声向
「′丁メJヵもイギザスの楯となるのか
一、正しいエュースの聞けない米囲曳
「敗敬の賛任を追及せょ、そほアメサ
カ人の樽利なれば
一、潜顎鎖に開まれたアメりカ
一、米一園のための馳例雫か、ルーズグェル
トのための仙戦牢か
一、曽由の囲民よ、ルーズグエルトに自
由を教はれるな
一、アメりカよ、何を好んでイギりスの
犬になる
T、アメザカの偶ほアジ丁に干捗するか
らだ
一、丁ジアに米英の兵がない、あるのほ
お.前達の摘屏ばかり
」共山通
一、正しい眠で見よ、正しい日本
一、約東を守る日本、約東を破つて恥ぢ
ない米英
一、雀で肥る月考故敗で浬せる米英
準々は米、英弟段を光仝にた1き渡すまで戦ひ紬けて行かねばならないが、それには常に敵の杭敬能力といふ
小う‘ん
ことむ考へて軋率して行かなければならない。この扶戦力といふのは、†園の線園カであつて、あらゆる角度から
川l・ヽt・つヽ∨い
衿討しなければならない.しかし、彼我共に敵の情勢といふものは、はつきりしたことは分らぬのが戦時における
「●Iた‥.▲′す
常鮮である。それに舛形的な恥力、形で以て硯ほし柁ない恥力といふものがあることを打意しなければならない.
−−
{嵐‥凰
空づイギリスである。イギリスは、
り川けいヽ
今口までニ‥官年聞泄界の粥椎を捉り、
七つの海を支配して、「ユニオソ・ジヤツク
∩印るところ臼の沌すろことなし」と
一bで家語してゐたのであるが、仝般の
′、●†,9く
大勢からして、眈に朔落のこはを辿つ
てゐる.】健イギリスの開力といふも
のは、態季の度毎に衰へる一方である
が、特に大東髄戦季舶始以氷それがは
つきり示されたのである。イギリスの
首相チャーチルは、一度ならプニ度、慧
1舟うき●・・
でもワシソトンに村つて、この窮塊
打閑に苦心惨蠣してわるが、この一事
をみても、イギリスが如何に肘つてむ
るかゞ、はつきり分るのである.
し▲ヽ・’
以下、絞済、息想の粥方南からイギ
リスの杭戦力を検討してみよう.
川粁済抗戦力州
確碑杭戟力を梯討するに首つては、
一
艶時綻準茫資行する上に絶封映くべか
らぎる杓溌の供給と、これに必要な資
金那泣壬いふ方面からみることが、−
1・‥し▲▼ん
應栓討の基準になると思ふ.
06
・物費の開係については、食料晶の舘
給状態、被牌原料、エ発廃料の検紆と介
けることが出雑ると思ふ.
いレ●●・♪
まづ粛】に真穏品の常給状態であ
るが、これは眈忙いろくなもので紹
介されてゐろが、英固の食料晶の自給
卒は1I
奔粉が〓ニ%、紗柑がこ入%、席鈴著九
孝′果軍;▲啓、野秦粗七五飽、飼料
が三五%、顛四九%、牛乳が一〇〇%
で、茶、コーセdココ丁は一軍バター
一〇%、亀研入八%、.租卵六五%、
といふやうなエ合で、平時自給できる
巾レ●∫’ウ
ものは牛乳、虜鈴沓、比校的自給率の
高いものは魚頼、鶴卵、野兼頼、欲肉
将で、姦、チーズ、典軍バタd故
胎、マーガリy専は多少自給できる捏
度で、自給の仝く川雑ないものは水、
オり−プ軍泰、∴ヲーヒー、ヲコ7亜
である.
氷商蛙衰料晶の求○%モ馬領がら、
ニ0%むヂyマークその他の北峡諸固
いrん
からの供給に依存してゐたのである.
ところが飲洲大陸がドイツの制盤下に
入つたために峡洲大陸から食横を符る
ことが出水なくなり、とれセ7メyカ
から埠人することにしたが、大東砧が日
木の手に入つてから、吏にこの方耐から
釆るものも抑へられることになつた.
従つ七食租開穎そのものからイギリス
は相常危瞼な状態にあるのである.
‘,●,
勒季の持久カがあるかないかは、そ
の顔の食壌が自給できるかどうかにか
かつてゐると首へる.前験洲大戦でド
イツュが負けたの・は、結一巧.固民の食租
がなくなり、そのために噂民め思想が
惑化し、祀曾が混軋するに至つたから
であ孔.
次ぎ塵仰雄席料の状態である.イ
ギりスは元雑、繊維原料に普れてゐ
て、一≠界一の輯維賛瀕を持つズゐ鼻園ゼ
一ネーI
あろJしかしながらその供給賓瀕は皆自
分の鹿絹にある.′イyド、ま洲、ミー
ジーラシド、カナダ等に依存してわて、
イギりス本圃には何もないのである.
純つて今後イyド、濠洲、ミージー
ラyドが英固の女配を舵することにな
▲l一り●●
ると、忽ち共掲の繊維賓瀬に致命的な
打轡となり、職力低下の一因になる.
次ぎにエ集凍料の自給状態である.
イギザスで自給できるものは、石衆と
鱗鋸だけで、製錦原漑は必ずしも完仝
佗自給できるとはいひ符ない.
この石次に最泣弊働間庵が次ぎく
・かく姓
に超り、石淡の生産高も十分確供する
ことはむづかしい状態である.鶉領は
自絵率六七%であるが、製鋼原料とし
て映くべからざるマyガソは自給が芥
可能である.徒つてエ糞原料の見地か
らみても、イギyスの観防息力は、
h非常に危瞼な状態忙あろといへ・るので
.ある.
飯魚の自払拳ほ大竹←00%位あろ潮、
身ソ〆ぺテソほ代かにニ%、鉛はこ四%、
錫が七%、哺抑がこ八%、そのほか石綿、
・丁.〜l
雫母、ポーキサイト、†ソガソ、叫ッケ
ル、アソチモニー、クローム、水埠ゴ
ムなどは零である.銅は位か三%、アル
nエウムは刺介よ〈て三一鹿である.石
油の自紛率ほ件かに五%である。
この不施溌搬は、現水発にアメリカ
ほlこか
から補給してゐる。7メリカから祁給
して澱はなければ、イギリスの開防は
一日も存墟しないことになる。これ
が、イギりスとして何日も構はザアメ
▲■・∫モ
りカに泣訴してゐる桝以である。7メ
りカもまたイギりスに封して川氷るだ
と∴−‥し・▲
け接助しなければ、自分の兄弟分がや
られるといふことになるので、米英一
絶といふことがこの鮎からもいへるの
である.
次ぎに生鹿に必要な資金開係から
みたイギリスの托職カであるが、海外
における溌命調遽の方法には、商品の
l・′・∫
愉山、その他拘を給付することによつ
て得た代慣甥金、命沖鵬州の現迭、信川
の椎付、といふ川つの方法がある.
けづ▲、−▲く
この賓令調達は、紙局アメリカに
依存しなければならないが、アメリカ
は」榊賊洲大恥の際に金を貸してやつた
が、允金はおろか利息も炎れないとい
ふ溝い舵飴む嘗めてゐる.従つてこの
川題止なか〈尉称である。
そてで紙局、輸山貿易にょつで道州
しなければならめことになるが、梅外
▲■ヽ′9
通商路が非冊な危瞼に曝され、毎日船
舶が撃沈されてゐる今日、この貿易
も非瑞に低下してゐる。イギリスとし
ては、欺洲は猫伊に制せられ、東並は
H本に制せられ、球つてゐるのは南北
アメリカとアフりカ、それからh僅かに
西7ジア方耐だけに過ぎない.
貿易の教字をみると、輪入が非常に
“て・’一
棉加し、輸山が非榔巾に減つてゐる片貿
ひづ′“′ヽ
易で、貿易肌態も追迫してゐる.\従つ
一て−一々つ
七常易による溌金詞遽も、望みがない
といふことになる。結局、固戌の官を
一ほい●●く
動臼する、或ひは水外賓金を資却す
るといふやうなし万法によらなければな
らないのである。
イギりスが伽有してゐる命坤備がど
の位あるかといふと、これは眈に前
、
大戦で相常減つてをり、一九三八舛三
月には十倍ポソドであつた.それが一
、
九三九年には約牛分に減つて凶千五首
万ポソドとなり、一九凶○年にはその
大部分が約費され、今では墟外賓金も
殆んどなくなつてゐる状態である.
ム【′_
・次ぎにイギリスの耗碑戦力を雄持す
る上の大閑禎は、輸送船舶の間題で
ある。仰火図としては、軍舘賓材、倉料
ひづえう
品む始め、必姿物賓は殆んど海外から
輸入しなければ一日もやつて行けない
のである.従つてイギyスの船舶が
どういふ事情にあるかは、各園が非
常な輿味を山て訓滋してゐるのであ
07
カいトく
る。これは、勿冷叫確なことは分らな
いのであるが、一−應、各固の敬準レてれ
つ●
る敏字を拉り合せたところでは、大建
確ぎのやうに首はれてゐる.
即ち、醗洲戟率の始まつた常時、イ
ギリスの持つてゐた船舶はこ千官万−
,り々くだつ
ソ、その後、中允閥の舵舶を抹奪し
たものが約一千刀−て合せて約三千
巧トソに達した。しかしながらドイツ
い・た
の婆賃及び碑水舷にょつて柏常傷めつ
けられ、*年六月噴までには約千五官
・方トソ位は解沈されてゐると推定され
る(ドイツ側也甥表一千九菅六十四万トソ、
イギりス側頚衷一千首〓十六万トソ).こ
れに大東相戦季の勃敬によつて」わが
海宰に噂托され液ものを加へると、イ
ギりスの硯有勢力は新毯遁を加へて
も、確かにニ†方トソは割つてゐるも
のとみられ、大健において千七、入百
万トソ接度であらう.
いホ小千七、入官万トソと侶定して、
さらにこの規有蛤舶の内謂をみると、
なかく苛しい状態になつてゐる.
▲ヽンし†’
し即ち、そのうち損‖悩のため勤かないもの
が約冨五十万トソはあり、軍に徴用され
てゐるものが少くとも三官万トソ、各鹿
頂並びに英木土各地運逮川のものが二首
】−1,.ク
三十万トソ、油棉触が三官二十六万トノ
といふことになり、千毅首万トソほあつ
てもそのうち的千万トソはこれらにと
られ、魂りの的入官万トソ乃讃六甫万ト
ソ或ひほ五習万トソ位のものでイギリス
の生A叩をつないでゐるわけである。
イギりスの千時の喩人皆ハ物の鵠盈
.は、年六千正官万トソから七千方トソ
に上つてゐたが、このうち約五千万ト
ひついレX
ソが絶封必舘晶の喩遽であり、このた
めに三千七、八官万トソの触舶が必婆
であるといはれてゐる。元水イギリス
触の回挿卒は、中時において年三河穂
度である.…佗つて▲今大ざつばに、七、
八官万−ソの三、川河の迷樽とみると
三千二甘万寸ソ仲の輸迭しかできない
わけである.
今まで相常の造拍能力を持つてゐた
英囲も、今日では、努カの沸底、或ひ
はドイツ軍の峯襲、或ひは輸迭難とい
ふやうな戦争にょる各種の慈い條件の
ため、新遽船能カは首万トソと割つ
て、六、七十万トソ程卑米固を加へて
む、年二首六十万トソ位ではないかと
考べられる。
けい′●Jヽ
現鹿ではまづ何とか戟牢を潜績して
行くぎりくのものは持つてゐるだら
うが、しかし今日、月に入、九十万トy
も撃沈されてむり、今後、日本及び濁
伊の梅上攻勢が引絨き猛烈に行はれ、
この状態が二年も続いたならば、イギ
ワスは胎舶の鮎だけでも参るといふや
うなことになるであらう.
…思想的抗戦力
次ぎに息想的にイギりスの状態は
.どうかといふ閃題である。開戦山雑イ
ギヮスは形勢侮めて不利であり、如何
もんち●くい、ど
に沈着冷辞なイギリス人と雑も、心
に動格む感ぜぎるむ得ないわけで、この
lヽ▲●
鮎7メワカとは非常に事情を輿にして
ゐる.アメワカは今日まで未だ別に大
したものは失つてゐない.ハワイ舵隊
がやられたのは痛手だが、これを祁充
すべき確艦に沌塩となつてゐるし、
フィりビソを取られたことも、魂鮮身
に響く揃手ではない。
しかしイギサスの方は現資に大東拍の
甲領を失つてしまひ、或ひは非常に多
毅の船舶む敬沈されたといふやうに、
′ヽ′_
7メyカと校べて非常に揖失が大きい
Cである.それからアJyヵは別に展
苅●乞持つてゐないから足手紹ひがない
が、イギリスは屠領を失ふことによつ
だ●●
て威信がなくなり」今まで歎つてゐた
イyド、漆洲、南阿等の属領が文句を富
n・出してついて氷ない。これがイギリ
スにとつて】一苛の大きな悩みである.
それから、イギりスは今日愛で‖琵浄
むして氷た開である.だん/1苦しい状
いと
況になつて衆ると、戦率を厳ふ気持、反
戟、反軍的な考へ方が知らずくの間に
わ・ソいつ
困民の榊に柿湛して爽ることになる。
さういふエ合に、イギりスは鰐史的に
いちづ
みて、また湛命的に、凋落の一途を辿
つてゐる。これはイギリス人自身も認
めてゐるところである.
耶黎に次ぎから次ぎへと敗れて、今
卓{で臼分の挿つてゐたものを次ぎから
次ぎと失ふといふわけで、如何に冷舶聯
托淡佃な北∧固人と雑もあわてぎるを得な
い.しかしながら流石、三官年聞天下
を支配して衆たイギヮス人である.簡
Jヽつ
m単にこれに屈するやうなことはなく、
ねは
どこまでも沈蔚冷称を失はず粘り強い
▲T■う.汀・〃
ことは、如何なる生活・窮乏にも堪へ、
如何に南目む失しても、辟げられても
ゃって行くセ那人と好一封である.
紆仙伺イギリス人はまだ一負けるとい
ふ考へ方は持つてゐないやうである..
・今日イギりスの閥内に弊働率議が抑敬
し、政府不信任の登もあるがトこれら
ひ▲_ん
は政策のやカ方についての非難攻笹と
いふょり.鳥、どうも人物が泉にくは
ぬ、両白くないといふ不中不浦であ
る。敬率指導そのものに封して圃艮が
反封してゐるのではないのである.従
けい‘1わん
つて或ひはチ十−チルが墟意するこ
とになつても、イギりスゐ戦季指導方
いイん
井は攣ちず、依然として粘り強くやつ
て行くものと考へねばならない.
息凰
衆ぎは7メりカである。アメリカの
托戦力の槍討は、7メりカの固が大き
いので非常にむづかしい閃題である。
しかしアメリカのいろくなものを捻
討してみると、結招、結論としては、
アメリカの故の大睾いのを別に恐れる
08
也要はない.輔紳的な弱鮎が多分にあ
る.我々は」この故の懐弊に封してど
こまでも日本の持つてゐる倦銃的な構
紳の博葬性を向上し、また−面、物箕
力施極力鞋傭して戦ふことが、結局赦
の統戦力を姓く所以であることがわか
る」次ぎにすこし典健的にアメyカの
杭勒方を践べてみよう.
叩戦争梢導洲
γメヮカの戦率指導の蕎七みる
と、今までアメyカは戦革に封して直
津間接の準傭七怠づてわた.これは、
丁ayカといふやうな周では、戦畢に
し.汀●’
なつて督くたてば、それに‥華り得る
力を持つてゐるからでもあり、またア
は与らア
メサカ人は械めて・円巾放堵な一圃民で、
平繁戟時的に規肘叩されることむいや
がるからでもある.それがいよノ1戦
牢になつて、好むと叶まざるとを問は
Mレ_・7じづ
ず、輝備を充賓しセければたらない
ことになつたわけで、ルーズヴールt
と始め、政府甘局辛は、妊剣になつて
▲▼●■
宰涌の充‡を促漁し、凡ゆる政讐こ
れに集中してやつてゐるのであろ.
1
…経済的抗戦力仙
は・▼だい
モの一軍億叩は尤犬なものである.よく
天丈畢的な救字といはれてゐるやうに
一月六日の涛曾忙資つた軟血曹による
と、新年虔葦♯算馳瀬は五首六十偉
ドル、その後さら忙温加激算が捉山Hさ
れて、ニ官入十五憶rルと坤加した.
これは−九四l年、四二年の最和の礁
算の.約三倍忙なつてゐる.瑞金はこ首
七十憶ドルで、三首五十憶Fルの・赤字
になるが、これは公使粁よることにな
づてゐる.徒つて‥国錬は年鹿末杵−千
く一_
盲憶r・ルになり、日本と軒べ、て財政状
態ぺ決して*戟して打ることは出氷な
い∵のセある.
かく教字は非常に尤大であるが、肘
九鞘○年の六丹から咋年末までの・宰事
潔算の洩瀕七官鰭ドルのうち、昨年入
月むでの十四ケ月の音際の寛沸貌は七
十二億ドルに過ぎない。さういふエ合
に瀧算絶瀬は非常に大きいが、‡際将
はそれ程は使つてゐない。また、使へ
ない.使かにその】割かこ割といふ程
けいく・ウく
庇に過ぎな、いのであつて、この計壬む
一驚沌するためには、陶円の産菜の大牛
てんく一Xん
む箪討席柴に捲換する必妥がある.
また固内の渦饗鋭正を徹底的に強化す
る必斐がある.固防費の撒布によつて
〓▲フ.汀い
由然に購貫カの増加が超るので、l方
に滑雀規正とやらなければ瀬ら鹿い.
現夜眈に7メりカには相常なイy・才
レ現象が起つてゐる、今日7メ甘カの
一▲7▲て人
財政開逝の焦軒は、イyフレを如何に
■Jく′一′ヽ
して克服するかといふ軒にある−あの
金を持ち、物を持つてゐるアメ外カで
さへも、今日戦時イyフレを如何にす
るかといふととに、非常に潜弊してゐ
る均桃である..
以上ほ余榊的にみた方痢であるが、
物驚駒にみても恥坤になつてから非常
ヽヽ
にあはモくつてゐるのである.飛行横
乃施桝廿以料であるアルミニウムは一
l・l▲J▲r・小
那代裔の鵬給を杓んど中絶した。ゴ
ムが入らなくなつたので、零幣エ糞に
.わ■ツ▲「て
封する割常む入割に制眼し、一般民舘
は殆んど仝部止めてゐる。孝毛も本年
粛】四牛拗に民舘は毛糸五〇%、械物
・モく.汀ん
川六〇%に別械してゐる.輸遽帥係か
らガソりソが十分手に入らず、ゴ〜タ
イヤが少(なるといふので、罪用串、
てい−−
貸物自動串の生産を、一切倖止してむ
る.かういふエA‖に、大東胡恥簿のた
めに南方から雑てゐた物資が入らなく
なづたために、各種の規制が行はれて
ゐ.る¢
しかしわれくとしては、これを以
て薄ちにアメリカの抗戦力が弱つたと
考へではならない.鞋力を充辛ナるた
ノーいtへ′ヽ
ぬに伺揖の奪渾な浦費払規正監やつて
ゐるのであつて、巾南からいふとアメ
リカの戦寧準備がそれだけ鴇んてゐ冬
といへるのである。元衆、アメリカは
〓う一汀・♪−I●く
性鼎一のT菜力を符つてゐる閥であ
る.かういふやうに、団民の日常生活
を規正して馳率堆備む進めたならは、
このエ発力はさらに漉歩磯庚するもの
と考へられる。
て′・・ヽわ・ウ
→例をアメリカの錬銭に採つてみると、
一九三九年には五千二首入十万トソの鍍
鋸を生蛮してゐ・{上りが、一九田0年には
六千七石万トソ、さらに一九朽一年には
入千二甫万トソになり、それが一九四ニー
年には九千二育万トソになつてゐる。
飛行槻についていふと、一九三九年には
月蕨平均二苛械、咋年は一千械、入月末
ほ′ヽ小′}
には千入官五十四椀、本年七月射には四
千嘩襲勅確は月琵四千五】萱亀七月頃
にはこれが倍になつてをり、約九千峯の
牢動頼が出来る計賓になつてゐた。
かういふエ合に7メリ・カの生蕨敷字
【が掛肘町に上写ゐることは沌誉・沓
丁亀またアメ羞は最普で盛んに
Z軍堆姦退してゐたが、大就鵡戦季必
l糊健カ州…………弼
…鮎を凝いてゐるやうで、巡祥紙を航さ
“枇艦に改鞍したり、戎ひは亭万トン
【の商糖建造計諒の一部を欒吏して舵峯
母艦に改袈し、冬教の舵箋母艦をつく
る計賽も堆めてゐるやうである.
物資はどんな状態にあるかとい
し.・くク†与じ●・かじtく
ふと、貪堵は大健十分自給自足でき
る.せ界でいま食糧に困つてをらぬ朗
はないといつてい1位であるが、アメ
リカだけは現鹿あ▲まり困つてゐない。
それでは錆定物はどうかといふと、
これも大鰭において自給自足が出衆
hT′
る。たゞ錫、−→ッケル、ポーキサイ
ー、マソガソ、クローム、クソグステ
y、特に錫とクローム、タングステy
09
は自給率が低い.
しかしこれらも、南木、或ひは中米
こで、大櫨は何とか月Gるから、戦率綿
しJい.∨
日本が米英から錦物資瀬が衆なくて帽
つてしまつたのとはちがひ、結論とし
ては締物費猥的にもアメリカは大働に
ナゐ小l
おいて由始白点がで書、戦季遂行には
一団らぬとみなければならない.
たどそのうち、マレーの錫、スウェー
ヂyの繊錦石、フィりビyのクローム、
川“つ
号邪のクy〆ステソは、ほかの桝で敬
くつ
]凋してゐるけれども相常の年月と事す
るし、邪して山何るかどうか分らねの
い・たや
で、これがアメ少カの戦カに相常柿手
となるといふことは考へられる。しか
し窄達したエ発力を以て、何とか代川
方法を考へるであらうから、そのため
に戦一琴接行上、敦命傷を受けるとはい
へないであらう.
これに騨聯してアメりカでは、労力
が非常に軋率参行上、大きな聞願にな
つてゐる.これはイギサスにとつては
し一レl■′ヽ
貞に深刻な間壌で、粛二職線間題もイ
ギりスの人口からみればその験カがな
い。規墟で手−ばいで何ともすること
が出水ないといふ舵態である.
・′つてい
アメりカでも、弊力沸底といふこと
けり小ん
が団防上の非常に大きな映略である.
今日のやうな大エ弟むやるためには、
どうしても尤大な弊動カが必渉であつ
て、その鮎、敵倒の舶鄭は大きい.ので
人し11イ‥▲
ある.失紫者、米就柴者、舵憩弊働者
た動点することにょつて大鯉、計宴は
一lい一い
m水るであらうが、それまでの態勢を
薮へることが、今まで軋碓な自由翁蕗
固であつたアメりカでは肘難なこと
で、相常時間がかかるとみられるZこ
れが戟季途行上の一つの舶那となつて
ゐるのである.
最後に輪邁力についてみると、丁
メワカはイギリスと沌巾ひ、大餓、自囲
で自紛自足が〓氷る。樅民地もないの
一「▲り山一11
で、糖舶の粘はあまり心配は多らねや
うであるが、しかし大きな一国であるか
ら、やはり胎舶も必婆である.アメy
カのエ糞は、だいたい盈岸に蟄達
し、費瀕は西海岸から船舶で持つて行
くことになつてゐた.ところがこの般
ユ丁と】,′†く
舶が最近梶軸倒によつて次ぎ〈に率
沈され、舵潅が非常に危瞼になつたの
で、睦上蓬途の必蛮を痛感するやうに
紆つてゐる。
元氷7メyカは舵舶の必婆がないの
托▲■
で、圃にも似合はずあまり胎舶む持つ
てをらず、欺洲戦串開始普時は、千ニ
←▲7小夕
首万トy、うち海外に叔行し待るもの
は八首万トy程度であつた。今使つて
ゐる糖舶ははつきりしないが、まづこ古
方トソ乃至三官万トソ位と息はれる.
の・’■ツー●く
尤もアメXカは非常な造給能カむ持
つてゐるから、・今年は大したことはな
くとも、衆年、再水年になれば非常な
辻船舵カを蟄坪して耗るであらう‘
州思想的抗戦力仙
女ぎに思想情況について越べると、
▲▼一一−ん
7メサカは綺敬によつて意外の敗北
●つち,ばい
を喫し、常局は非常に猿択し、閣民も
L.し■く
自粛自戎せしめられた.
ハワイ海戦を始め、.ハクアソ牛・埠
コレヒr−ル乞次ぎから次ぎにやら
れ、また先般東京峯製をやつたけれど
ごユ_
も何の手應へもなく、多数の飛行士を
殺し、結局失敗に経つたので、アメy
と▲′●へl・
カの岡論は相首に動格してゐる.政肘
常局に封する非難の宴せ夙い.
しかしながらアメリカは、最初に越
べたやうにr戦季準備をしてゐなかつ
た.これから取率準備をしつかゎやつ
て、やつつけてやらう」といふのが一
−●入.一ル
般の輿論であり、政府の考へ方でもあ
る†それでカ大な軍事壌算を組んで、
】九些二年(最近はこれを「ニ年娃
したやうである)を日機とし、その
聞、専らゲ¶ニフ戦、如ち峯艶や潜水
イH▲フ〃い一さ
艦による胎舶輪迭の妨簿によつて、渦
’▲7
耗恥をやつて行かうといふわけであ
はんイ川’
る。今まであまり自山弊放であつたた
めに不中不滴を首ふ者もゐるが、金放
▲丁▲フノ●い
の増勢としては−歩々々戦率態卦に進
みつ1ある.
現准の戦率は、向ふとしては、まだす
つかり準備ができてゐないといふわけ
で」かういふ鮎から考へても、H本と
しては武力戦的に膵つて防つて膵ち竣
いておくことが必姿である.従つて戦
畢は今後、アメリカが敵の中心卦力と
なつて、太平洋、大宵洋盈轟妖んで長
期の深別な世界戦率が展開されるとい
ふことになるであらう。
巾鼎轡一
小ん▲叩一〃
次ぎに滞政棟の杭戟カについて簡単
に越べてみよう.蒋政碓。統戦カにり
いては、七月七日の事攣記念日の前後
にいろく新聞、雑誌に報造されたの
▲ひつえう
で詳しく述べる必斐はないであらう.
落政樺はなほ蒼干の杭戦飴力を持つ
一●々′I
て盈り、杭戦悪識もなほ侮り雑く、ナ
ぐには参らぬといふのが妥首な見方で
あると思ふ.わが五年間の努力によつ
て、年々歳々重慶の杭戦力は、軍事的、
しll▲フ
経碑的、息想的に舶つて衆てゐることは
事賓である.その上、大東亜戦季によ
こ■yウ
つて重塵が紳立無援になつた¢これは
節旗として一つの大きな統戦力の低下
である。
それから戟寧目的といふ鮎からみて
も、童慶は眈に抗戦目標を失つてゐる。
““lノしん
従米の指導方針としては、「日本は支
那む怯略に氷たく支郵簡艮は転つて戦
け・つ
はなければ支黙は滅びる」といふので、
10
▲・〃一り▲▼
頓代の杭戦怒識い髭山礪り、こ・れむ率ゐて
戦つて水たのである。
ところが憲粥鞄帝で、日本が兎胡
小いは▲7
民族を開放して大東拍舛柴樹もも碓立す
」■「
るために雄々しく▲程ち上つた.東詔民
▲てい川い
映は、どこま.でも掟止弼してやつて行か
なければならない、といふことむ如蜜
に示したのである。ル椚方作戦において
は、各地の仕民が円本軍に協力して、
一・l「い
作戦の進矩を容易ならしめた。
それを現許に見せつけられた寛慶と
しては、今までのやり方では戦率の窓
耗がなくなつて氷た.かういふ考へ方
l、lT・た・’
が支那の‥岩い盾には相常盛んになつて
水たのである。戟▲堺目的がなくなるこ
か与一ん
とは、締抑的に杭戦窓識計低下させる
ことになるのである.
■一●だん
真慶の痛手は海外ルート計虚断さ
れたヱとである.と.にかノ、物賓が碑な
いし、財政群終は非常な意性イγフレ
である。絃淋的にみると、前大恥にお
り“†くわい
けるドイツが耗折的に崩汰した−年
前の状況と大鰭同じであるqドイツと
史耶とは非常に…料情が達ふから同じ簿
法では行かぬだらうが、典していつま
で粧済的に持ち臆へ狩るかは問頃であ
る●
く・■
軍事的方両.は粧済方南忙校べると
比絞的よいやうである。現水なほ三官方
の軍隊を持つてむり、それに封する蒋
卜一11tつ
介石の統率力はなほ相常に強固であ
る.また軍膜の士親も、まだ仝く袈へ
てしまつてはゐない。反鞄、反軍思想一
もまだみられないのである。
要するに粛鹿の抗戟力は浦樺的にな
ほ相常長期横行し碍る。しかし日*が
・か・91、
現在やつてゐる封錦炸戦、或ひは各地
における襲碑戦を触頼してやつてをれ
はl、い
ば必ず周伏する。この克盛此柚を破描
†ることが大衆粥凱稗の【つの大きな
閥嶺であろ。
しかしこれは、なかく理窟で考へ
るやうに、一.朝→タには問単に解決し
得られない.日本の硯在の大東亜戦季
における投階、四園の情勢からみて、
すぐに聯決するといふわけにはいかな
い.結局、支那榊磁は、大来鵡共螢出
における一番重大な、一掛附難な間塩
であつて、これが解決したならば大束
威勒零もいよく碓乎不凱の有利な態
勢を占め得ると思ふ。
4我々の
【ゅ構へ
以上、敵米、琴重慶の拡戟カと今
後の企団について〓應の槍討を終つ
・た。覗奄のあが態罫は、勒畢尭堪の上
たんし一
においては勝利の棉緒を打開し碍たの
に掲・ぎないのであつて、酎米芯ハ戦にお
けa粥牧の沃が花に今裸における絶力
耗の靖果に存することは、改めて音を
怜たねところであるく
徒らに惟牌制朝を夢見た米澱ハ粥図の
勢カを根横より桝康せしむるに非ざれ
ほこ
ば、断じて正魂の弐・を枚めざること
は、・長くも瑞馳め詔舶を秤し率つた閑
小り】
耶常和より、一倍同胞の絶始−耳漁ら
■■・・′●−
ぎる咋乎たる決音である。
大東耶軋秤仝般の柑移より大税する
に、今や靴局は漸攻安駐化し、勒季の
小んてい
紆過は逐攻拙定作戦の投階に移らうと
してゐる。I
今後の戦事指導は、世界の驚輿と
たつてゐる性海軍協同作戦の妙をいよ
l【一ヽレ●
いよ黎押し、飽くまでも敵を来めて必
ずこれを撃滅し、ネhすく緒戦の戦兆
山11一一−・l−
を璃充すると共に、この豪批な積極作
山んか・’
艶に呼應し、エ排大な姓設を鮒行して図
衆絶力の飛碓的な向上む樹り、これに
ょつていよく必膠の態勢を強化する
ことにある.
勒場は硝方地城にとゞまらず、件界
仝域に宜つてゐる.しかも大東並、太
平洋においても、なほ今後皇軍の活
躇すべき部而が多々ある。作戦が一時
小駿状態を盈しても、作戦そのものは
ヽい小,
まだ′1である。この大作戦に並行し
て大東亜、杏、偲界の新建設識が進めら
れてゐるのである。これは嘗秩序を打
■モ▲フで†一フ
倒し、これに勝る新丈化を創造する戦
ひであり、この大事柴は到底短日月の
ょくするところではない。我々の一生
む以てしてもなほ米先成であらう。恐
らく現藤の青少年が成凝した挺、郎ち
わか1Iの
この新しい時代に戟葺された岩者が囲
家の中竪として活搾する時代になつて
勧めて、虞の建設が出氷上るであら
う。長朔滑耗敬ではないが、かういふ
性質の一大艮期戦である.
我々は大東正戦革に生書大兼玉戦字
に死するものである.今日の戦時態弊、
は、決して−時的、欒態的のものでは
なく、これがこれからの常態であ手と
てつてい
の考へに徹底しなければならない.従
って長期戦に封する胡々の弊張もま
た、如何に長期に亘るとも持輯し待る
性質のものでなければならない.換首
十れば一憶囲民仝部が大東髄戦の戦士
しふ一い
としての自覚を持ち、これを習性化す
るやうに囲家、固民の態勢が出黎上ら
ねばならない。
前線鋭後ともいよく一致して艮期
し▲爪ん
試練(これ宜苛難と考へてゐる間は宋だしレ
ナ一、
に堪へ、敵に牽Tノる隙を輿へねと共
に、我等一億いよく必勝の信念と
以て、何鹿までも堅資な行き方を以
て、敵を屈服せしめるまで戦ひ軟か
ちノ‘
11
行政の簡素化について
−官應機構の改正と滅員−・
▲灯つ一ばつ
麦那事欒勃蟄以衆、中央、地方む池じて恥時下の行政事
粉は飛躍的に埠大し、これに伴つて官騰棉構も棟充の一造
◆I′、
を辿つて釆たのであるが、大東煎戦節む完逢し、溌東滋む
小ん一ふ
建設するためには、行政事抒をできるだけ簡捷化すると此ハ
いレ叶1J’・′ヽ
に、官鹿貝の減貝によつて大東胡建設のための婆貝を充足
†ることが、戦率速行上、喫緊の要秒となつて衆た.政府
は本年六月、行政簡素化資施要領を決定し、爾氷、その貴
つ■■
施準備に簸めて釆たが、入月十一日、内葛yび各省行政簡
索化案大網の閣譲決光むみるに至つた.
こつし
今回の行政簡素化案の骨子は、内閥おょぴ各省における
てケ‘い小んモ
部局の亜理粍合、朗管事按の調整による増構の簡索化と、
中央官庶三割、地方官鹿二割、作柴臆一割の減鼻による絶.
計十二万五千三首五十五名の官麻貝の減少とにあり、救字
.′ヽb′ヽ●
の上からみても正に劃期的な戟時行政の簡素化といふこ
とができよう.
今回の行政簡索化は、内卜多年懸案の官界刷新に着手す
けん▲−ん
ると共に、外、建設への積極的態勢を整備したものであつ
て、東傭内閣絶理大臣は左の如き談話む賀衣した.
Mレつし
行政簡索化を箕施するに普つてほ、行政各鹿沓局老ほ演かに
かん一ムは小
事耕簡恭を噺行し、能率の檜湛を囲り、少紋を以て激埼すろ事
務を克服せんことを期せねばならぬのである。しかもなほ、故
時下各自の職域においてその菜に励む一般民衆に封しては、一
こん一つ
屏懇切を昏とすべきことほいふまでもないことである.
ま七政府ほ官麟員の待遇改著方策を決定したが、素より官史
‘い一ひんいた
は滞費に甘んじて率公の誠を敷すべきであるが、現在の待遇は
‡情に適せざるものある針以て、これに封して必襲最小限度の
かい」Iん
改‖著を汲轤とするものである.
時局の湛屁に件ひ、大東誠哉撃の蓬行に、また大東亜建設の
賓現に、帝囲の位命はいよ〈電大ならんとしてゐろ。外に出
■−一−
でて大東舶の各地域において浦躍せんとする者も、内に止まつ
て戦時行政の激辣に常らんとする老も、すべて官髄員たろ者は
し・のい
この際洗く時局の重大と帝閑の使命とを思ひ、いよノ〜香ひ紀
べんれい
つて各自の職務に勉勒し、以て聖慮の萬−に報い革らんこ′
を期せねばならぬのである。
行政簡索寮大網
内聞及び各省においては、部尚の盤
理、碑人〓、桝管頚緒の刑鮪等によb横
構の憫素化を行ふ.その鼓姿なものは
左。組りである。
ニ)絶務局の設董
各省内の行政却仙胡の結合調拒を樹るた
め、外務省、大絨省、文部省、遽信省及
び触珂道省に紙粍局を設曜すること
(ニ)外局の整理
大繕省周民貯嘗奨励局、預金部及び管
捕管材局を内局とす
文部省、教塀局を内局とす
商エ省貿口紆わ鹿止して内局として交
易局を新設す
遷信省電気頗を厳止して内局として管
句局を斯詣す
耗邁省園瞭軌光局及び錦邁胡恕部・む−於
血す
厚坐省保険院を撥止して太省の一局と
馬す
(三)その他の酎局の廃合
内閤紀元二千六官年祀輿寄務局は水
年度末までに撥止し、余賓院の
一部を減じ、沌糊局の部制を庶
止す.
外務省南洋局と東鰯局とを合して一局
(東亜局)とし、調査部を撥止す
大捕省翔材局と曾舵部を腔して、甥柑
局とし、馬番崗を外資局に改め
馬客局及び理材局外串課桝管事
蒋を移管す
司法省調査部を賠止す
文邦省革門準朔局、普過塀淋局及び資
苧桝琳局を臆止して、斯たに
専門数笥局及絢民教背局を設塩
し、靴禽教背局及び山祁教局を歴
止して軟化局む設曙し、新たに
内局として科拠・は伺を設耀し、教
育調査部を艇止す
偉柿省山契村部を駿止す
汚エ省頒稀局及び絨鋼周を合併し金儲
局を新設し、燃料局第一部及び
第二部を合併して石油部とナ
甥信省管翔局、経理局を敬血し、管理
局の却務ほ郵耕局に、経甥局の
事務は新設の絶耕局に移す
鍔道省野貝局、監理局、菜務局、施設局
及び賛村局を設襟し、監督局、
鶏摂局、建設局、工耕局、工作
局、簡窺局∵経理局及び糀品局
を歴止す
柘務省胡鮮部を腔止す
厚生省現行の六局を人口、民生、琴
弊政の四局に改絹す
(四)朗哲事務の移管等
簡易休瞼局を厚生省より遽信省に移管す
内閑統計局を企仙難院の統指丁に駐く
蘭ニ、副矧m洲恕劉掛執仙
→円閣及び各省は、六月一日硯准の官
制定月または礁算定艮により、申央甘
12
騰はニ‥倒、地方汀ぬは二剖、作態臆は一
割の梯叩を以て械Hをりひ、その減出
救と改正泣R敬は次ぎの池りである.
中央、地方、作尭虎別
宅色減員改正奄貞
中央官也孟、宗−山一q宜老表、れ∧六
地方官戚六へ宗正〓⊇ロf宅、〓ハ?
・作業官鹿一d葛、宗凹一雪、宅三.皇山芸九一
計二竺、∧空三慧這求一占ニハ、六毛
官験職員別
▲定▲貝漉桝良只改朽巾化貝
勅任「ホ‥一‥P〓ニ「竺二
葵任一巧拘金ニ、ニ宝蔓二宍
秦托待週「火〓−∧∧「竺三
.判江蒜巧一ハ宍一七、宝涼ご六、(三
列托待遇蔓崇一「四ニセ三、セ九四
喝託へ宅一、言九七、甲人
膚員宍二九−六∋ハ宅竺へ宍山
傭人芸∋毛弐望ハ竺責一、空沌
計二竿∧九二三五、孟正一、○〓ハ、責七
なほ満洲、文郷およぴ卜耐沖忙おける
.けんんん
黎拷の簡来化と甘むの沌良については
別途にこれを行ひ、濁光官嘩鰍府解、
外地については引綾き決光する.
待遇改睾要領
−頂也
行政の簡索化に並行し、左記婆領に
たいぐ,
ょり官磨職貝の待遇改拳につき持檻す
るものとす.
甘1賓彗萌一
(〓取時動姐手皆の支給
山官鹿職出允員に封し、倖姶、粉料の一
▲て▲7ん■Iつ
剰に柏常する金絨を哉時動勉手薗とし
て支約すること
■ワトVH}
何鞄時動勉手歯ほ現に臨時手箇を玄給
しをる渚に封しても之を雀拾すること
(ニ)衆族手せの増輔
毅族手常の一人禽り金紳現行三胤を五
●し」モ・♪
風とし、官磨峨貝全部に文拾すること
;〓共済削度の斌強
→枚民間における工仙貝または噂貝の健
●、く▲r・7
康保瞼制伎に如應し、.官鹿職員の共済組
合につき組合加入濱の範周並びに共済給
付を拷漁する等の稽同姦ずろこと
(四)名辞的待遇の改沓
也間莱なる組繊の下に長くその地位に留
γlフしん
り、触化率の榊山越む翔するため、秦任軍
剤件官またほ環只を悼遇する意昧におい
て、内閑または各雀時に秦什官、判托官ま
一
たは同員等の丁定敷をそれぐ・・勅任官
奏托官または粥什官等と馬し柁ること⊥
すること
備.考
りトいひ
(〓木靖濯の管施に伴ひ要する稚費は、
行政簡索化により生ずる預算⊥の剰飴封
‥し伊▲フルー,
を筋一次に充渚するものとす。従つて
行政簡索化のi施により減少すべき官磨
職員に伴ふ抑費は、減貝に伴ふ俸給、給料、
常輿は同より、事務贅その他についても
必ずこれを附榔するの稚別途轡lり
舵定粍費の節減を糊行すること
(〓)公吏等に封しては、公共閥贈の却我
かん′・
の簡詐化に郎應して水指筐に椎じ指楷す
ること
ハ三)官吏の給鼠ハ改‖背に件ふ禽舵稚理統制
∧ソ▲つ.ヽ
に仙関し留音すべき鮎左の如し
(イ)禽融経理統制令の=通‥用を受くるA腎
モ▲フ山′ヽ
牝の敢員に封しても毅族手常の増額を
諷めることゝするが、禽融が毅朕手富
を椅絹せんとする堵合においては嘗訪
薄皿禾揺“督濱は、審の簡索化等による
†‥か
経賓り節約を樹り、一貌族手酋樹糾に妥
する賛派を得るやう努カすることを必
要とすること
(P)禽融の触貝の質輿箕漉椅粥はこれ
.をト認めざること
(ハ)拾輿の棉朗により常詣車業の生壷
■●lノーl}−I
物契の債格晴蛍を来さしむることは容
L認せざること
ハ四)今次の待遇改沓に伴ひ一暦俄時貯蓄
の柑加に努カすべきこと
戟時申の官廃執務時開に
閑する件
軋時中は官妓温臨時刻は之を−時間廷
長す
行政簡窯化軍確による
内間及び各省窒佳官改正党鼻表
別定員滅貞鰍舵
一宅五一竺貫諒
・岩九〓九八
外務{慧一珊柵柵
二天二申≡伊
望∧合早畜
大按概k糊料
司法撃・耗拡‥払糾
空‥〓王
;○正、完三
岩ニ≡○〃
良棟{苧.桝‥榊榔舶
商エ{儲…≡ニ触
慧苧k棚l、榊
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九−ニロ六七
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六一〇天霊二
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九童ニ、童五
仝−三、五竺
宅九∧、天l
ニ、ニ夏l四、宝人
13
囲民貯蓄組合の
強化撰充に努め息ぜう
九月l日から珊日まてのlケ月星園民貯蓄粗合強化嬢充期間とし
く.わく“レゆ▼与
て全園l督に園民貯審組合の.壌充整備に努めることゝなりました。
けんせつ
大束脚戦率を戦ひながら大東舶共柴尉を建設しで行く瀬めに、われくは鼻軍の
かJヽ〈.こ〃n
赫ケたる戦果に鷹へ、何が何でも貯薔戦を立振に戦ひ挨かねばなりまぜん。
貯薔のガ法にはいろくみり芝すが、闘民貯背組合を作り、お互ひに迂研に住み、
または同【の職場に働いてゐる夢敷の人が−国となつて、勒きし合ひながら貯蓄を
ほご
掃けて行くことが敦も効果があります。そこでこの貯薔組合を保護助長して、皆が
付レつし
安心しで貯薔する乙とが出凍るやう、昨年の六舟から刷民貯沓組合法が箕施されて
ゐることはご承知の洩りです。
閑民貯薔組合については、別項「固民貯蓄租合の話」を御賢下さい.
てつてい
今月の常音では、特に左の事項を徹底させて、戦時貯蓄め・増加に
つと
努めていたゞきたいのてあります。
二)組合設立の届出をしませう
せつりつとYけ
圃民貯蕃組合のまだ出変「ゐな卜向では、すぐに組合を作つて設立届を出して下
きい七また組合に入つてゐない人には、加入を勒めて下さい。
これまて地域や職域の申合せで貯蓄は賓行してゐるけれども、園民貯蓄組合としての届出
をしてない向は、速かにその届出をして下さい。
(二)貯蓄額を檜額L息せう
爬背組合の出凍てゐるところでも、組合員の貯蓄額が−瀕に催いやうなものは、引上げ
るやう努力しませう。
態カのある方は、温んでその埠額を申し出て下さい。
(三)組合貯蓄も沸庚しまサ
ごかい
組合貯蓄は戦事の終る阜て梯房し卒てきないやう打詠解してゐる人もありますが、鮎呼
きつ幸上上つ
男書、青凶など不時の出費の場合や相首の埋舟のある場合には、組合長に申
し月
し出れば直ぐ梯庚しが出来ます。乙んな訣解から組合貯蓄を溢つてゐる人が参つた
ら、課解を解いて、もつと襲な普通の貯蓄と同壕な気持ちで組合貯著をしていたゾきたいの
でザ。