第三〇四号(昭一七・八・五)
心緩めず建設の必成へ
中小商工業再編成協議会について 商 工 省
戦争と船腹
建艦と造船の一元化 大本営海軍報道部
防空待避所の作り方 内務省防空局
米国の対印野望
−告知板−
体力章検定に水泳が加はりました 厚 生 省
大東亜戦争日誌
心緩めず、建設の必成へ
大東亜戦争の勃発以来八ケ月、御稜威の下皇軍将兵の善謀勇戦は、大陸に、大洋に、また大空に、全世界を驚倒せしめる赫々たる戦果をあげ、今や皇軍は盤石の戦略的態勢を整へるに至り、さらに、大東亜をめぐる太平洋、インド洋の全面から米英勢力を撃滅せずば已まぬ概を以て、皇軍独特の雄渾な作戦行動を不断に進めてゐるのである。
かく必勝の態勢を確立すると同時に、新秩序建設に必要な措置も着実に進められ、建設必成の基礎的な態勢も確立されたといふことが出来よう。
支那大陸においても、抗日の動脈であつた浙※(せつかん)線を占領すると同時に、北支、中支、南支に亘つて作戦行動を展開し、重慶政権に痛撃を与へてゐるが、汪牙ハ氏を主席とする国民政府は、清郷区域の拡大、旧法幣の駆逐など目ざましい成果を収め、その基礎は日一日と育成強化されてゐる。
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さらに欧州では、盟邦枢軸国の不撓不屈の敢闘によつて、北阿に英軍を撃破し、大西洋に米英の船舶を撃沈し、戦局は枢軸側に極めて有利に展開してゐる。
かく米英両国と重慶政府が日一日と崩壊の過程を辿つてゐる時、日満華三国の提携はいよ/\固く、泰国も同志として緊密に我が国に協力し、南方諸地域の諸民族も我が国の真意を理解して、心からの協力を示してゐる。大東亜戦争のおける日本の勝利は、いよ/\確乎不動のものとなつたといふことが出来よう。
しかし米英は、その恃みとする物質的威力の増強に努め、或ひはゲリラ戦により、或ひは思想戦、宣伝戦によつてわが国内結束の弛緩を図るなど、あらゆる方法によつて必死の反攻を企ててゐる。全世界に亘る米英勢力を根柢から覆滅し、屈服させるためには、今後武力戦はもとより、政治、経済、思想などあらゆる方面において敢然として戦ひを続けねばならない。
今や作戦必勝、建設必成の基礎は成つたが、これは飽くまで大東亜共栄の基礎が成つたといふに止まり、大東亜戦争の勝敗の鍵は、正に今後の建設の成否如何にかゝつてゐるのである。必然的に長期建設戦の性格をもつ大東亜戦争完勝への途は、さらに遠く長いことを覚悟しておかねばならない。
もし万一、赫々たる今日の戦果に心緩み、或ひは今後の長期戦に倦むやうなことがあつたとすれば、折角今日までに築き上げた必勝の態勢、必成の基礎も画餅に帰する虞れが絶対にないとはいへないのである。
われ/\は勝つて兜の緒を締めて、すべての力を戦争完遂の一点に集中し、建設戦を戦ひ抜かねばならない。建設とは、現地における経済建設だけではない。建設戦は前線と銃後を通じ、経済・政治・思想のあらゆる面に戦はれなければならぬのである。長期建設戦を戦ひ抜くための国内態勢の強化こそ今日の急務であり、銃後奉公の途である。
国内態勢強化の根本方針は、必勝の二字に尽きる。銃後奉公の要諦は、皇軍が縦横に作戦を行つて敵を屈服させることが出来るやう銃後の勤めを果すことにある。
第一線将兵の念頭を常に離れぬものは銃後のことである。銃後に後顧の憂ひのない将兵にして初めて、身命を擲つて戦ひ、あの大戦果をあげることが出来るのである。畏くも昨年十二月八日の宣戦の大詔は国民の嚮(むか)ふべきところを示させ給ひ、これによつて一億国民は、私を捨て己を空しうして大東亜戦争を完遂する一つ心に統一されたのである。翼賛政治会の結成、大政翼賛会の機能の刷新拡充など、今や国を挙げて渾然一体となり、大東亜戦争の完遂に邁進してゐるのであるが、戦争の遂行には国民の精神的結束の強化が先づ第一に最も必要である。
次ぎに、今日のやうな広大な地域に作戦し、殊に豊富な物資と大規模な生産力を唯一の頼みとする米英を撃摧するためには、我が方の兵器、軍需品も、質量ともにます/\強化拡充せねばならぬことはいふまでもない。軍需品の増産とその質の向上は、大戦争を勝ちぬくための欠くべからざる切実な要求であるから、これら軍備強化に必要な生産拡充の遂行が絶対に必要である。
長期戦を戦ひ抜くために、国民が最小限度の生活に、不安なく明朗闊達に、銃後を護りながら奉公し得ることが必要なことはいふまでもないが、このために政府は、食糧の増産、物資の増産配給など各方面に必要な戦時態勢を確立しようとしてゐるのである。
その他大東亜を担ふべき優秀な次代国民の養成、即ち教育の充実刷新も緊要である。
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建国二千六百二年、今日こそ世界に皇道を推し広めるために、全国民が一丸となつて邁進すべき秋(とき)である。銃後にあつては、国内態勢をいよ/\強化して、飽くまで征戦完遂する決意を固むべき秋である。
銃後一億は、開戦以来わが国民性の優秀さを発揮して見事に戦ひ抜いて来たのであるが、戦ひの勝敗はこの態勢を最後まで続けて行き得るかどうかにかゝつてゐるといふことが出来る。戦ひがたとへ百年戦争にならうとも、万が一にも「熱し易く冷め易い」などの批判を受ける不覚をとつては絶対にならないのである。