四 生活戦としての大東亜戦争

生活を通して戦ふ信念

 今日の戦争が国家全体の総力戦であり、武力戦、思想戦、経済戦等はいふに及ばず、実に一億国民の全生活を以て戦つてゐる戦争であることはすでにお話した通りであります。実に私どもの家庭も戦陣であり、私ども一人々々の心の中も戦場なのであります。
 ですからこの大戦争を最後まで戦ふためには、私どもがお互ひに生活に深い反省を加へ、あの宣戦の詔書を賜はつたあの感激を私どもの心の中に生かして、最後まで戦ひ通す恒久的な国民生活体制を考へなければならない。
 「こんなに南方に資源を獲得したのにどうして生活は楽にならないのだらうか」といふやうな疑問はすでに氷解されたことでせう。いま私どもは如何に大きな目標に向つて、どんなに大規模な戦争をしてゐるかもお判りになつたでせう。従つて差当つて、私どもの生活物資が今日以上に不自由になる場合も、或ひは覚悟せねばならないと思ひます。もちろん政府では、統制経済の合理化、是正等によつて生産、配給等に日々改善を加へて努力はしてゐますが、当面は物が前のやうにあり余るわけではありませんから、みんなが満足するやうになる筈はないのであります。
 戦争をしてゐる以上、それは当然なことであります。ですから不平、不満を漏す前に、「私どもが一人一人が生活を通じて戦つてゐるのだ」といふ自覚をまづはつきりさせる必要があります。戦つてゐるのは前線ばかりではありません。
 あのハワイ真珠湾強襲で護国の華と散つた、あの特別攻撃隊九勇士の話をきいて泣かされない者はなかつたでせう。尽忠無比といひますか、眼中に出世なく、栄達なく、快楽なく、わが身さへなく、全く「自己」といふ観念を捨てゝ、ひたすら大君と祖国に全身全霊を捧げた勇士こそ、実に日本精神の権化であります。また他の戦線では、手榴弾に両眼をむしり取られながら敵兵に飛びつき、その咽喉を締めたまゝ敵と共に絶命した兵もあります。炎々と燃え熾る戦車の中に身を焼かれながら、機銃を撃ち続け或ひはまた身を以て敵トーチカの銃眼を塞ぎ楯となつて斃れた兵もあります。また空雷を抱いて弾幕の中に敵艦を屠り、また爆弾を擁して身と共に敵塁を摧いた武勲もあります。
 私どもは、相次いで至るすばらしい戦果の陰に、あのわづか数行の大本営の発表の中に、かうした皇軍将兵の人間を超越した艱難労苦があり、鬼神を驚かしめる勇戦奮闘があることを知らねばならないのであります。大君のため、祖国のため死を顧みないこれらの壮烈無比の多くの勇士に想ひを馳せるとき、銃後の私ども日本国民は、誰も彼も、じつとしてゐられない気持が込み上つて来ずにはゐられないではありませんか。
 その気持が、銃後の私どもの生活に生かされねばなりません。前線の心を心とするところに、真の戦ひの生活は始まるのであります。さうすれば、少しぐらゐの不自由や、不足などに文句がいへる筈はありません。
 戦ひの生活とは何でせうか。戦争生活の理念とは何でせうか。「生活とは個人のものであり、個人の自由である。個人のものでなくとも自分たちの家庭のものであり、家族のためのものだ」といふやうな考へから抜け出て、生活は国家のものであり、国家あつての生活でなくてはなりません。
 生活といへば、自己の慾望を満たし、自己の利益をはかるためといふ個人本位の生活観が、強く多くの人々の心に根を張つて来ました。金まうけのための生活、立身出世のための生活といふ、精神を忘れ、物にとらはれた個人主義、利己主義が巾をきかして来たことは御承知の通りですが、今こそ私どもが馴らされて来た、誤れる個人主義、現実主義の、いはゆる米英的な生活のしみ(#「しみ」傍点)を洗ひとつて国家の悠久の発展の中に生活の真義を発見する新らしい生活観を築き上げねばなりません。
 私どもの戦争生活は、かういふ理念の下に打建てられねばなりません。消極的に国策に協力するだけでなく、積極的に生活を通じて国策を盛り上げて行く気魄がなくてはなりません。そこに戦争下にふさはしい衣食住の生活様式も生れ、生活の基準も立つのであります。

食生活の戦時態勢

 さて、これからの私どもの生活の上で、住の問題は暫くおきて、食の問題について考へてみませう。
 さきにお話したやうに、大東亜共栄圏の尨大な農産資源を擁してゐますが、私どもの食生活がすぐにも豊かになるといふものではありません。主食をはじめまだ/\消費規正に努力し、代用食、混食やいはゆる栄養指導にも多くの研究工夫が必要でありませう。与へられた配給と、得られる食料品によつて、如何にして国民体位の向上を確保し、国民栄養の低下を来さないやうにすべきか、私どもは今こそ真剣に考へねばならないのであります。
 現在のわが国の食糧事情は、決して食糧が不足してゐるとはいへなくとも、確かに従来よりはいろ/\と不自由になりました。私どもの生命、私どもの力の源である食物に対して、国民の一人々々が本当にその有難みを感ずる事の出来るやうになつたのも、この不自由から得た尊い教訓であつて、転禍為福のものとしようではありませんか。今こそ私どもの口に入る一つ/\の食物のどの一品もが、天恩の賜であり、自然の恵みであり、生産者の労苦の結晶であることを認識して、これに対し十分なる感謝の念を捧げる時でありませう。食に対して心からの感謝を持つならばこれを無駄に使つたり、徒らに独占して他を顧みなかつたり、これを不当の利得の対象とするやうなことはない筈であります。
 そこでいろ/\の食物を組成してゐる栄養成分の働きを十分に認識して、無駄ナック十分に活用させることが大切なのですが、食物を栄養的に摂取するやうに心懸けても、その人の生活が真に保健的でなくては、食物は生理的に浪費されたといつてもかごんではありません。即ち、いくら栄養的に食物を摂つてゐても、生活が不摂生では、食物の栄養成分は十分にその機能を発揮し得ないのであつて、食に対する満足な感謝とはいひ得ないのであります。ですから私どもは、食物を栄養的に完全に活用すると共に、生活を飽くまで保健的にし、長い期間の労苦に堪へる強靱な体躯を備へなければなりません。
 私どもは今まで兎角豊富な食物に恵まれてゐたため、食物の調理に当つて、多くの廃棄物を出す習慣がついてゐますが、捨てられるものにかへつて大切な栄養分を含んでゐることが多いのですから、この際、葉、皮、臓器、魚の頭、骨の類を十分に活用するやうに心掛けなくてはなりません。また、日常の食品の中からも、余つたものや、捨てるものの中からも将来の不足の災厄に備へて、貯蔵、保存に堪へるものを作つて残しておくなどの工夫も必要であります。
 食物の完全な利用と関連して、食事に当つて咀嚼を十分にすることと食事を摂る心構へもまた大切です。食物をよく噛みしめていたゞく習慣と和気藹々たる食事は、生理的な食物の利用の方面からも非常によいことであります。
 さて、これからわれ/\の食卓に現はれて来る食品は、今までの観念よりすれば、相当に変つて来てゐることはもはやすでに普く経験されたところですが、特殊な品種の食品は自然出現が抑制されて、一般的なものが多く出廻ることとなり、または予期せぬ材料に出会ふことも想像されます。さうした場合、栄養的な知識を持つといふことが最も必要となつて来ます。同じ材料が何回も重なつても、調理の工夫によつてはいろ/\と変化がつけられやうし、どんな材料にぶつかつてもこれを立派に栄養的にこなす工夫が大切です。
 しかしながら、一方、食物を全くその生産者のみに依存するといふ考へは棄てて、でき得る限り、空閑地を利用して蔬菜を作るとか、淡水魚や小動物等を飼つて自家用の栄養資材を自ら生産するとか、また農村などでは、部落単位に食料を計画的に生産する行き方を講ずることも大いに有効です。すでに或る農村では全村協同して主副食物の栄養的な計画生産を行ひ、村民の栄養状態を改善した一方、米を従来よりもかへつて多く供出することに成功した実例があります。
 このやうに今の私どもの食生活のゆくべき道は、粥を啜つてもとか、塩を舐めてもといふやうな短期間の辛棒ではなく、長期戦に備へて、如何に食糧が不自由しても、手には入るものの中から、十分にその栄養成分を活用して身体の栄養状態を優位に保ち続けてゆくやうに計画しなければなりません。農村では、農繁期の共同炊事や常設共同炊事、都市にあつては町会または隣組単位の共同炊事とか、家庭栄養食材料配給組合等の事業がます/\普及してゆくことは、食内容の栄養化と食生活の合理化とを目指す真に戦時下の国民栄養問題を真面目に解決してゆくよい方向です。殊に共同炊事の精神は、栄養を基調とした一つの釜の飯を食ふといふことから、農村共同体の固い結びとなり、新たな農村の生活設計にまで発展してゆくやうな、農村更生のよい進路とみることが出来ませう。しかし共同炊事は飽くまで栄養改善を通しての健康増進、福利向上のものでありますから、これが指導はその専門指導者に俟つことは勿論であります。
 かういふ家庭における栄養改善は、健康の増進になるばかりでなく、これによつて尊い協同精神を培ふことが出来、また一方、個々別々の炊事による労働力の無駄を集約して、生産の方向に利用することが出来ます、また栄養資材を完全に活用し得るし、炊事に用ひる燃料その他の節約にも顕著なものがあります。さらに学校、工場、事業場その他における集団的栄養食の供給は、身体の健康と相俟つて作業能率を増進し、戦時下食生活の進路として真に相応しいものであります。
 以上のやうに私どもはこの戦ひひ勝つために、如何なる食糧事情下においてもこれに処してわれ/\の栄養を確保し、銃後国民力に聊かの罅をも作らぬやう、万全の覚悟と工夫とを以て銃後奉公の誠を竭さねばならないと思ひます。

衣生活の新設計

 衣生活についても新らしい設計がなくてはなりません。去る二月一日から衣料の切符制が実施されましたから衣生活の戦時態勢を実行するのに丁度よい潮時であります。
 衣生活は人によつて甚だしく違ひますから、米その他の食料品のやうに一人当り何がどれだけといふ具合に品物毎に一定量の割当をする個別切符制はとれませんから、こゝに点数制による綜合切符制を採り、その点数の範囲内で皆さんが自分の消費生活の計画従つて一番必要と考へられる品物を買入れることが出来るのであります。しかし切符制を実施するといふことは、配給の公平、円滑と同時に、物の消費規正にあるのですから、政府のお願ひは百点なり八十点なりはみんな使つていたゞくためてはなく、なるべく、あるものを活用し、買はないて点数を余らせていたゞきたい点にあることをよく御理解願ひたいのです。そして政府としては、この切符制によつて、戦時下の国民は如何なる酒類の衣料品を最も必要とするかといふ間題の本当の答を得て、この答の線に沿うて戦時下に不必要な衣料品の生産を抑制すると共に、最も国民の消費に適した生活必需衣料の生産を確保するために指定生産をもやり、国民生活の最低限度を維持する方針なのですから、私どももこの際、今までの衣生活に再検討を加へ、合理化をはかるやうにせねばなりません。

配給と生活

 かういふふうに政府としては、戦争を遂行するには国民生活が安定し確保されてゐることが第一条件
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とも手近にまつ私どもの−軒々々の敷牢町内曾、市町柑串といふやうな少さな−牢の中に八鈷のある
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ことを見遜してはなりません。紘って、一宰の中に迩いて八紘を光雑ずるの精榊と努カが満ち溢札完
逐されて、初めて、日ネ岡毅として八紘名字の大理想が逮成栢現ゼられるのでありまず。
健はこの;一の巾棍であり、働心共に蠍の悌ましき努カによつて藩衆の貸を凝げる乙とが出凍るので
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固層は民族の括カを代求し、戦拳は固民資質の競替だといはれ慧ずが、その藁を良くするのも憑くず
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銃虜の銀活に任ずる戦時下の健親は、その銃後の構へに】寸の隙もないやう、周い決意と盤惇を以て
守つていたゾきたいと思ひます。
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官に容易なら脇大串米で参り空す。これが完遜の上は、私どもの前
卦も貿に洋々托るものが参り、名貸ともに「世界の日本」となり得る
ので参り芝すが、その戦ひの過程に迩いて、曹南私どもは今日以上
の不自由や凶難と戦はねばなり芝ぜん。その際、安易の逸を求めて
戦ひの中途にあいて腰がくだけたり、蛮協したりするや是ことが
もし町参つ・たら、今芝での歩菩も水泡に蹄し、輝かしれ日本の鹿史
の粂審を失ふことになるのであります。その逆にこの筈難の峠を越
・ゼば、日本の輝かしい耕水は開け、私どもの生活にも光明が輝きは
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戦ひは柁封に勝ち抜かねばなりません。戦ひの食後の鍵は、最後
まで戦ひ按く圃民の瑞紳力てあり、必膀の悟濱であります。戦ひは
倍念に封する億念の戦ひに掃するのであります。今後いかなる困鵜
付りんわ′ヽ
に遭遇しよちノとも、目先の戦果に眩惑されることな−く、小成に安ん
ぜず、皇嗣日本の葬を世界に光破ゼんとする大東亜戦寧究極の使命
くわんてつ
を‥貰徹ぜずんば止空ざる決意を団めねばなり慧ゼん。・
私どもl慣圃民は、生をこの皇圃にうけ、この戦勝に働ぐり合つ
しよくゐユ音
た感激を火と燃え上らせ、身に迫る銃後の生清の戦ひに職域睾公
の線をつくレ、nて畢旨に應へ皐らねばならないのであけ普す。