【週報286】「戦争生活読本」 一、大東亜戦争の目標と戦争生活
一 大東亜戦争の目標と戦争生活
新しい世界史の黎明来る
シンガポールは昭南島へ、古い大東亜の地図は書き改められました。過去数百年に亘つてあくなき侵略と搾取の上に打ち建てられて来た英米の支配を、根柢から覆へす世界維新の戦ひが、今や私どもの手によつて力強く戦はれつゝあります。輝ける世紀の黎明、新らしい世界歴史創造の時代が来ました。昭和十六年十二月八日、大詔を拝したあの日こそ、この世界歴史が始まつた日であり、日本の國體が世界に新しい光を煌(くわう)々と投げ始めた日であります。
開戦劈頭忽ちにして米英艦隊の主力を屠り、僅か二旬にして香港を、三旬にしてマニラを、七旬を出でずしてシンガポールを攻略し、米英の多年にわたる東亜侵略の三大拠点は、挙げてわが占領するところとなつたのであります。次いで敵の西南太平洋艦隊を撃滅し、全蘭印を降伏せしめ、南は豪州のポートダーウィンをわが鵬翼(ほうよく)下に、東はニューギニアに、西はビルマに兵を進め、首都ラングーンを攻略し、今や印度洋をもわが制圧下の海面とすることが出来たのであります。東はアメリカ東岸より西スエズ運河に、北はアリューシャン群島より南は豪州方面に、わが制海、制空権の威力はこの広域に及ばんとするに至つたのであります。
人類の歴史始まつてこの方、戦ひ多しといへどもかくも渺茫(べうばう)広大なる戦域において、かくも赫々たる戦果が、しかも短期間の間に収められたことがありませうか。まことに御稜威の下、皇軍将兵の勇戦奮闘の賜にほかなりません。これに対し私どもは感謝の言葉を知らないのでありますが、「皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ」と仰せられたあの詔書のお言葉を思ひますとき、神気閃くと申しますか、つねに天佑神助に護られてゐる皇國日本の有難さ、よくも日本に生まれ、よくもこの千載一遇の征戦にめぐり合た、御民われの感激にむせばずにはゐられないのであります。
戦ひは正に今後にあり
併しながら戦争に酔つてはなりません。大東亜戦争は現在の戦局を以て一段落したのではありません。南方の開発や建設が易(やす)々と実を結んで、すぐにも私どもの生活を豊かにしてくれるでせうか。そんな甘い期待を持つものが仮りに一人でもあつたら、それこそ征戦の目標と使命を解さない、恐るべき認識不足であります。否むしろ征戦の真義を冒涜するものといはねばなりません。
シンガポール陥落はむしろ真の戦ひの出発点であります。日本の強大と南方進出を抑へようとして大東亜及び太平洋に張り拡げられてゐた敵の包囲陣を、これによつて打ち砕き、さらに積極作戦に出で敵に最後の止めをさすのは実にこれからなのです。いはゞ征戦遂行の戦略的態勢が整ひ、大東亜戦争の第一期戦に勝利を博したに過ぎないのであります。
敵は何しろ世界に富強を誇る米国であり、伝統のねばり強さを持つ英国のことです。このまゝで引つ込む筈はありません。隙あらば日本本土を空襲し、潜水艦を以て海上ゲリラ戦に出ようと機会をねらひ、将来日本に対する反攻をやらうと、尨大な軍備拡充計画を進める一方、搦め手から、日本を思想戦、経済戦でまゐらせようとして画策もしてゐるやうです。私どもは緒戦の勝利に酔ふことなく、さらに積極主動、活溌な作戦を展開する一方、敵の出様をもよくにらんで、あらゆる場合に備へて最後の勝利を獲得する用意を整へてゐなければなりません。
大東亜戦争は、彼の出鼻を挫いたからそれでよいといふやうな生やさしい戦争ではありません。米英を最後まで屈服させずには置かない、皇國日本の存亡をかけての戦ひなのであります。
大東亜戦争は、大詔に拝しますやうに、帝国自存自衛のための已むなきに出でた戦ひでありますが、それは実に八紘為宇の肇國の精神に発する、歴史的征戦であることを知らねばなりません。まつろはぬものをまつろはしめ給はんとする八紘為宇の理想が、脈々と日本民族の歴史の中に生々発展して二千六百余年、こゝに東亜の天地に向つて、否、世界に向つて顕現しようとしてゐるのであります。
神武天皇が御即位に際して
六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩ひて宇と為むこと、亦可からずや
と仰せられた詔の御精神が、今こゝにこの征戦となつて発動し、日本の光が世界に光被せんとしてゐるのであります。
大東亜共栄圏の構想
大東亜戦争のこの歴史的使命は、今後の我が新東亜建設の経綸に遺憾なく具現されようとしてゐます。東條内閣総理大臣が度々いはれてゐるやうに、「大東亜共栄圏の根本方針は、わが肇國の大精神に淵源するものであつて、大東亜の各国家、各民族をして、各々そのところを得しめ、帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立することにある」のであつて、米英諸国の東亜に対する態度とは全くその本質を異にするのであります。米英はすべて自己の利益によつてのみ考へ、東亜の国々や民族は搾取の対象であり、自己に奉仕する奴隷としてしか考へなかつたのであります。大東亜の産業分布を考へてみても、土着民族の欲するものではなくて、支配者米英の必要とするもののみを発達させたとしか考へられないのであります。土着民族の食ふものは作らなくても、米英の必要とするゴム、錫は造らねばならなかつたのであります。
しかしながら、私ども日本の大東亜共栄圏の経営は、かやうな利己主義、帝国主義の理念から脱却したものでなくてはならないことは当然であります。ですから、大東亜共栄圏確立のために、指導国家日本が防衛上、絶対必要な地域は、帝国自らこれを握つて領土としますが、その他の地域に関しては、各民族の伝統、文化に応じ、それぞれ適当な処置が採られることになつてゐるのであります。
少し具体的に、南方地域に対する帝国の方針を説明しませう。
香港とマレー半島は多年英領であつた上に、米英側の東亜禍乱の基地となつてゐましたから、主客それぞれ立場をかへて日本が今度はこれを防衛の拠点とするために直接抑へてゆくことは、シンガポール島が陥落した翌日、その名も昭南島と改称され、軍政下に新秩序建設と防衛の拠点として、限りない前途の希望と栄誉の下に甦りつゝあることによつてお判りでせう。
比島は米国の圧政下に置かれて来ましたが、こゝに住むものは東洋人のインドネシア民族であります。彼等は今日まで独立の見果てぬ夢を見続けて来ました。ですから日本は、比島が大東亜共栄圏の一翼として協力する場合には、彼等に独立の栄誉を与へることを声明し、すでに元マニラ市政府の中心人物ヴァルガス氏を中心とする新政府の設立を援助し、これを中心に、「比島人の比島」建設が、インドネシア人の喜びの中に着々と進められてをり、日本の大らかな建設方針は、米国はいふに及ばず、世界各国を驚かしたやうでありました。
ビルマに対しては帝国は進攻作戦を行つてゐますが、東洋人たるビルマ民衆を敵とするものでないことはいふまでもありません。ですから、ビルマ民衆が、すでにその無力を暴露した英国の現状を正視し、その多年の桎梏から離脱して我れに協力して来れば、帝国は欣然とし「ビルマ人のビルマ」建設に対し積極的な協力を与へんとするものであります。
印度についても、印度もまた今や英国の暴虐なる圧制下から脱出して大東亜共栄圏建設に参加すべき絶好の秋であり、帝国は、印度が「印度人の印度」として、本来の地位を回復すべきを期待し、その愛国的努力に対しては敢へて援助を惜まないのであります。
蘭印に対しては、米英と提携して敢へて抵抗を続けたので、帝国は徹底的にこれを撃滅したのですが、そこに住むインドネシア民族が、わが真意を諒解し、大東亜建設に協力してくるならば、その希望と伝統とを尊重し、この民族を米英の傀儡たるオランダ亡命政府の圧政下から解放して、その地域をインドネシア人の安住の地たらしめようとする方針なのであります。
豪州とニュージーランドもまた、頼むべからざる米英の援助を期待する無益の戦争はこれを避くべきであつて、今やこれら民衆の福祉は、一に懸つて、これら政府が帝国の真意を理解し、公正な態度にでるかどうかに存するのであります。そして迷夢なほ醒めぬ
重慶政権には最後の鉄槌を加へんとするものでありますが、中華民国国民に対しては、あくまで兄弟と考へ、相依り相扶けて共に大東亜建設を行はうとしてゐることは今さらいふまでもありません。
これこそ日本の大東亜建設の宣言であります。
何といふ大らかな構想であり、経綸でありませう。一月二十一日、二月十六日、三月十二日の三日に亘つて東條内閣総理大臣によつて行はれた、この声明こそ、わが肇國の理想を具現する「大東亜宣言」であり、「南方への構想」でなくて何でありませう。既に日本、満州国、中華民国国民政府の一体化はいよいよ緊密に、泰国及び仏印等との提携等日に固く、さらに独伊その他の欧州連盟との協力また鉄石の如く、世界新秩序建設の大事業は、相共に結んで着々と功を奏しつゝあることを思へば、まさに世界史の転換、新らしい世界史の創造の大事業の偉大さに感慨胸にせまるものがあるのであります。
日本歴史において、或ひは大化の改新に、明治維新に、西洋史において或ひは十字軍の遠征に、或ひは成吉思汗の制覇というやうな偉業を大いなる感慨を以て読んで来たのでありますが、私どもは今それ以上の大事業をやり、東西の歴史を書き換へようとしてゐるのだといふことを、はつきりと自覚すべきであります。
大国民の襟度を持て
このやうな大事業は、私ども一億国民のすべてが、よくその使命を理解し、認識し、雄大な構想の下に、大国民たる豁達な気宇を以て臨まねば完遂し得るものではないのであります。今までとは余程違つて、万事物指をかへてかゝらねばならないのであります。
それにはまづ私ども日本人が、この大事業をやるにふさはしい、大東亜の、否、世界の指導国家日本の日本人たる資格を養はねばなりません。今までの島国日本の日本人であり、米英の息をふきかけられた日本人であつてはなりません。私どもは、徳川三百年の鎖国のせゐもありませうが、何とはなしに大きさを失つて来たやうです。明治維新で大きな眼を明き、胸を開いた日本ではありましたが、その後、あまりにも英米的な思想、欧米文化の輸入に急であつたのに禍ひされて、米英の支配こそ真の世界であるかのやうな世界観が、知らず知らずの中に私どもの心の中に喰ひ入つて来てゐたのではありますまいか。
しかし今こそ、日本が、そして大東亜の天地が、彼等の絆をはらひのけて、自らの歴史を自覚し、自らの使命に生きて自らの大いさを発見し、これを生かす時に際会したのであります。
日本は古来、神武の御精神に拝しますやうに、雄渾なる気魄に満ちてゐたのであります。「日出づる国の天子、書を日没する国の天子に」・・・と聖徳太子の遣隋使の書は、日の本、日本の誇りと民族的信念の発露であつたのであります。米英その他の欧州国人に先立つて東亜に進出してゐたのは、他でもない私どもの祖先であつたのであります。しかしながら時利あらず、島国日本としての逼塞を余儀なくされて来たのでありますが、今こそ、神意の動くところ、肇國の精神は大東亜戦争の征戦となつて具現したのであります。私どもは、この歴史を思ひ、祖先の心を生かす使命にいま直面してゐるのであります。外に出でて、東亜十億の民族と共に八紘為宇の世界を築き、東亜を真の東亜に還し、真の世界を建設せねばなりません。
私どもは、この理想のもと、大らかなる心を以て、敵米英が彼等の誤れる世界観を捨て、真に皇化に従ひ、心から協力して来るまでは、断じて戦ひの手を緩めてならないのであります。武力戦における彼等の徹底的潰滅と共に、思想戦において、また経済戦において、文化戦において、米英的の思想と、米英的経済秩序とをこの際徹底的に破摧せなばやまないのであります。
でありますから、わが赫々の戦果によつて、敵の圧制下にあつた南方物資が一部わが手に帰し、開発が緒についたといふやうなことで、一応大東亜戦争の目標に達し得たやうな考へを持つてはなりません。それは徒らに敵の思想謀略に乗るやうなもので、将に征戦遂行を害するものといはねばなりません。経済的にみても、大東亜戦争は敵の手にあつた物資を獲得し、利己主義的な自給自足圏を確立するやうなものではありません。彼等がとり来つたやうな経済政策をこそ、排撃し、これに変る皇道に基づく政策を以て臨まねばならないのであります。
征戦完遂の戦争生活
私どもは今こそ、祖国日本に課せられた使命を自覚し、自らに課せられた責任を果たさねばなりません。それには、日本がまづ、この大東亜共栄圏の指導国家たるにふさはしいものになると同時に、私ども一人々々が征戦の真義に徹して新しい出発をせねばならないのであります。大東戦争完遂の成否も究極において、国内における銃後の戦ひの如何にかゝつているといへるのであります。
戦ひは長期に亘ることを覚悟せねばなりません。戦ひのつゞくに伴ひ私どもの前途にはいろいろなことが起り、予期しない困難にぶつかることもありませう。しかし、洋々たる前途の希望は開けました。最後の勝利を得るためには、この緒戦における大勝の感激を十分に生かして、政治に、経済に、文化に、あらゆる分野において、この際、真に強力な戦争態勢を確立して強力な実践を以て驀進しなければなりません。来る四月三十日を期して翼賛選挙が断行されるのもこの意味にほかならないのであります。それはこの国家躍進の秋に当り、純正な国民政治意識の昂揚をはかり、国民政治の刷新と清新な翼賛議会を確立しようとするものであります。
戦ひの生活とは大御心を奉体して生活することにつきます。生死を超越して、たゞ大君のため、お国のため血達磨となつて敵陣に飛び込んで行くあの軍人精神は、決して前線だけのものであつてはなりません。前線、銃後の区別なく、大御心を奉体するこの精神が、惜しみなく発揮されねばなりません。そこに何ものをもおそれず、何ものにも打勝つことの出来る私どもの戦ひの生活が盛り上り、そこに戦ふ日本の政治が、戦ふ日本の経済が確立され、実践されるのであります。内にこの戦ひの生活が徹してこそ、外に征戦を推し進め、皇威を世界に光被する日本の世界史的使命を達成することが出来るのであります。
以下、章を分けてまづ戦ふ日本の姿を解説することにしますが、そこに、私ども自身の戦ひの戦略戦術を発見し、これを力強く実践に移して行かうではありませんか。