第二八一号(昭一七・二・二五)
南方諸国、諸民族に対する方策
シンガポール陥落の意義
シンガポール要塞攻略戦 大本営陸軍報道部
更生した昭南軍港 大本営海軍報道部
大東亜戦と中小商工業対策 商 工 省
満州建国十周年
今次の恩赦について 司法省刑事局
常会の頁 内務省貯金局、農林省
通 風 塔
シンガポール陥落の意義
シンガポールは遂に陥落した。盡忠報國、精鋭無比の
わが皇軍の前には遂に屈服せざるを得なかつた。いまや
シンガポールのかんらくによつて、世界の歴史は新らしき段階
に第一歩を踏み出したのである。
帝国陸軍はわが海軍との緊密なる協同の下に、雲煙五千
キロの波濤を蹴つて、英領マレーの一角に壮絶なる敵前上
陸を敢行、爾来約二ヶ月、南方特有の地障瘴癘を冒して優
勢なる敵野戦軍を随所に撃滅し、強靱なる突破力と神妙
なる機動力とを巧に併用して一千百キロを超える戦野を征
服し、さらにジョホール水道を強行渡河して、力攻僅か七
日、海軍の海上封鎖と相俟つて敵をして遂にわが軍門に降
伏せしめた。敵も最後の時期においては死物狂いの抵抗を
行ひ、第一線においては各所に白兵戦を演ずる激烈な戦闘
が展開された。しかし、わが将兵の旺盛なる攻撃精神の前
には敵すべくもなく、敵は遂に二月十五日午後七時五十
分、無条件降伏を申出た。上陸作戦以来こゝに七十日、あ
らゆる戦場の辛労を耐へ忍び、戦ひ抜いた参加将兵の感慨
はいかばかりであつたであらう。
またこゝに特筆大書すべきことは、昼夜の別なく奮戦、敵
空軍を撃滅し制空権を確保すると共に、地上部隊の進撃に
絶大な協力を遂げた陸海航空部隊の活躍振りである。攻撃
精神においても戦闘技能においても、敵と格段の懸隔ある
ことを実証し、そのために、マレー方面に作戦した地上部
隊が、当初の予定した兵力よりも遙かに少い兵力を以て作
戦目的を達成することを得たのである。これは全くその
旺盛なる盡忠報國の精神と、不断の猛訓練の精華を発揮し
たことによるといふべきである。
シンガポールは地球上の形勝を占め、西には印度洋を
控へ、東には太平洋を控へ南支那海を控へてゐる。欧亜の
関門であり、米、豪、印の通路である。扇の要とは正に
このことである。英国はこれに拠つて東亜制覇の要地とし
た。しかも彼がこれを以て一大海軍根拠地とし、一大要塞
と化せしめたのは既に今より二十数年前、大正十一年ワシ
ントン会議において日英同盟破棄以来のことである。この
時以来日本を仮想敵国として戦備おさ/\怠りなかつた。
最近はABCD対日包囲陣の中枢拠点として敵の牙城を形
成してゐたのである。
この英国東亜侵略の牙城も遂に皇軍の決死敢闘によつ
て見事に陥落、世界歴史に不朽の一頁を刻んだ。
シンガポールはこゝに南を昭す昭南島と命名され、大東
亜建設のため新たなる発足をすることになつた。
昭南島の占領は軍事的には後にも述べる如く、遠く広く
今後の作戦に自由を獲得したことになり、敵の綜合作戦企
図を困難ならしめ、従つて重慶軍にも痛棒を加へることと
なる。
経済的には、昭南島を中心とするマレー、ビルマ、印
度、豪州、ニュージーランド等の英帝国の植民地が今や皇軍
の制圧下に入らんとし、英本国の海外依存物資の正に五十
二パーセントを抑へることになる。一方、アメリカに対し
てはゴム、錫、キニーネ、タングステン、麻等各種の南方依
存の軍需資源を獲得し、米国を相手に経済逆封鎖戦をやる
ことが出来ることになつた。
思想戦的には東亜民族をして米英の圧迫搾取から解放
し、わが皇威に浴せしめ、東亜人の東亜を復興することが
出来ることになつた。
かやうに昭南島の占領は軍事上、経済上、思想上図るべ
からざる大いなる意義がある。吾等は今こそ皇國臣民とし
て生まれた甲斐をつくづく感ぜずにはをられない。
昭南島占領の意義は大きい。しかし、これはまだ大東
亜戦争の一階梯を築き上げたに過ぎない。この際、吾々が
かりそめにも戦勝に驕り、気を弛めるやうなことがあつて
はならない。現に作戦は既に次ぎへの段階に進められ、
十四日にはわが勇敢なる落下傘部隊は、昭南島南方五百
キロの遠距離にあるスマトラ島バレンバン方面に活躍し
てゐる。今後も敵機は絶えず昭南島にも襲来するであら
う。第一線では少しも戦ひは中絶されてはゐないことを忘
れてはならない。吾等は昭南島占領に方り、参加将兵の辛
労に対し感謝の誠を捧げると共に、いよ/\必勝の信念
を以て大東亜戦争を戦ひ抜かねばならない。