第二八〇号(昭一七・二・一八)
   シンガポール陥落の後に来るもの
   大東亜共栄圏内の農産物     農 林 省
   シンガポール攻略戦      大本営陸軍報道部
   防空欄
           防空警報の伝達方法  内務省防空局
   告知板
      衣料切符の使ひ方        商 工 省
      臨時教員養成所の増投     文 部 省
   資源に観る英領マレー
   大東亜戦争日誌
   通 風 塔

シンガポール陥落の後に来るもの

 敵英国が最後の牙城と恃んだシンガポールにも、つひに最後の日が来た。英国が十数年の歳月と数千万ポンドの巨費を投じ、その不落を世界に呼号したシンガポールも対米英開戦以来こゝに二ヶ月余御稜威の下、わが陸海将兵の血の猛攻の前に、遂に敢へなく潰えるに至つた。
 シンガポール陥落---それは何を意味するのであらうか。一五八八年、西班牙の無敵艦隊をトラファルガーの開戦で撃滅し、ついてオランダより海上支配の優越権を奪ひ、フランスをワーテルローの一戦に打破つて、世界帝国建設の基礎を築いた英国は、爾来、東亜に侵略の魔手を伸ばし、インドより支那へ、更に南洋へと進出したが、その侵略の最大拠点となつたのが香港とシンガポールである。
 シンガポールは一八二四年、英国の領有以来、百余年に亘つて、英帝国の重要な一環をなすアジア領土、即ちインド、マレー、豪州、ニュージーランド及び支那市場に対する軍事的、政治的、経済的基地として、英帝国の繁栄の生命線たる役割を果して来たばかりでなく、殊に満洲事変、支那事変を通じて行はれた日本の進出に対するいはゆるABCD包囲陣の最重要戦略基地として、マニラ、香港と共に、あらゆる策謀と東亜攪乱の中心地となつてゐたのである。
 このシンガポールが皇軍の電撃的猛攻の前に、忽ちに潰滅するに至つた事実は、皇國の国威を全世界に誇示すると共に、近世史における大世界帝国たる英国の、東亜よりの全面的退却、アジア領土の崩壊を意味し、逆に日本はこゝを基地として更にその陸海作戦を進展せしめ、大東亜建設への巨歩を進め得ることは疑ひないのである。
 即ち、今や日本は、東、太平洋と、西、インド洋とを結び、ビルマ、印度方面の敵勢力に有形無形の威圧を与へると共に、南方、蘭印、豪州方面に対する圧力を強め得ることになつたのである。
 かくて、東は遠くアメリカの西岸より西はインド洋へ、北はアリューシャン群島方面より南は豪州方面へ、渺茫二億数千方キロ、地中海の実に百倍近く、全世界海洋の三分の二に及ばんとする広大な海域を戦場として、米英勢力の徹底的打倒潰滅と、新東亜建設の戦ひを押進めることとなつたのである。
 シンガポールの潰滅---かくも偉大な戦果が、かくも急速に来ることを果して誰が予想し得たらうか。
 われ/\は御稜威の下、皇軍の勇戦に限りない感謝を捧げ、殊に一命を大君に捧げ、護国の鬼と化した英霊に対しては、最大の弔意を表すると共に、この尊い犠牲に応へるべく、相共に神州不滅、必勝の信念をいよ/\固めねばならないのである。
 シンガポール陥落の後に来るものこそ真の戦ひであり、戦果大なればこそ、今後の戦ひはいよ/\大きく、われ/\の責任はいよ/\重大であることを忘れてはならないのである。
 今次の大東亜戦争は、中途半端な解決や妥協は許されないのである。過去五年に亘り、支那事変を戦ひながら未だ解決できなかつたものをいよ/\解決しなければならないのである。支那事変はいはばあやつり人形と戦つてゐるやうな形であつたが、今やわれ/\はその人形を陰であやつつてゐた悪辣な人形使ひ、米英の手を断ち切り、正にその息の根を止めんとしてゐるのである。今次の戦ひが東亜の攪乱者であり、新秩序建設の妨害者である真の敵米英に対し、正々堂々と戦ひを宣し、これを徹底的に潰滅し、東亜の安定を確保し、世界平和に寄与しようとするものである以上、最後の目的を達成するまでわれ/\は戦ひ抜かねばならないのである。
 もちろん、この大東亜戦争を勝ち抜く道は生易しいものではない。大東亜戦争は国家のすべてを挙げての戦ひであり、単に南方ばかりでなく、極寒零下何十度といふ北方でも、また国内でも戦はれてゐるのである。大東亜戦争を勝ち抜くためには、日本自身が強く日本精神に還り、東亜の指導者たるに相応しい姿にならねばならない。
 華々しい戦闘が一段落しようがしまいが、戦争状態は依然として続いてゆくのである。従つて、われ/\は作戦の進展につれ、いよ/\国をあげて真の戦争生活に徹しなければならぬのである。われ/\は単に戦勝と、南方における豊富な物資の存在に眩惑されることなく、更めてこの戦争の経緯を省み、その目的を自覚しなければならない。外に征戦が戦はれてゐるとき、内、国内でも大東亜戦争完遂のために、あらゆる苦難と闘つてこれを克服しなければならないのである。