第二三五号(昭一六・四・九)
  借地法及び借家法の改正      司法省民事局
  鮮魚介の配給統制         農 林 省
  作付調整について         農 林 省
  戦争と金属の回収
  学生と政治問題          教 学 局
  一六年度体力検査について     厚生省体力局
  激化する国共相剋

学生と政治運動    

はしがき

 学生と政治、または学生と政治運動といふ問題は、従来
からしば/\論じられてきたのですが、新体制運動が広く
国民一般にゆき亙つてくるい従つて、学生の翼賛運動がど
んな形で具体化されたらよいかといふことに関連して、こ
の問題が最近の学生問題の重要なものの一つとして、新た
にとり上げられるやうになつたことは周知の通りであります。
これらの論議は、大体二つに大別されます。すなはち
その一は、学生の本分と地位に鑑み、学生はその本分であ
る学業、修練に専念すべきであり、また学生の地位は将来
活躍すべき準備時代にあるといふ理由から、政治に関与す
べきでないとするものであります。その二は、すべての事
柄は政治に連関を持つてゐる、従つて学生の専念すべき
学業、修練も当然これと無関係ではあり得ない、将来活躍
するためには、既に学生の時から政治的関心を持ち、進ん
では政治に関与しなければならないとするものでありま
す。
 このやうに二つの結論が主張されるのは、実は各々の論
者の「政治」といふ言葉に対する異なつた解釈がその基調
をなすのでありまして、二つの主張の批判に先立つて、
「政治」といふ言葉が、どんな意味で使はれてゐるかを明ら
かにしなければなりません。

政治といふ言葉の意味

 政治は国家の生活なりと言はれてゐるやうに、その関連
するところは極めて広範囲であり、またそれ/"\の時代の
実際の政治の様相形態に従つてその意味も種々に解されて
ゐます。「政治問題化する」、「政治的判断」、「政治的手腕」
等の言葉はよく使はれ、現在「政治」といはれる場合、それ
は或ひは議会政治を、或ひは政治の運用を、或ひは政治運
動を表(あらは)すものと解されてをり、政治そのものが複雑多様で
あるため、政治といふ言葉は極めて多義であつて、時と場合
によつて種々異つた概念内容を表してゐるのであります。
 元来、我が国では万世一系の天皇の御統治の下に、祭祀・
政治・教育はその根本を一にしてゐるのであります。「まつ
りごと」は 上御一人の大御業(おほみわざ)であり、万民はこれを翼賛
し奉るといふのが日本本来の政治の姿であります。
 而して万民翼賛によつて政治が行晴れる場合、政治の意
義は一応広義、狭義にわけることが出来ます。直接国家の
政治に携はるもの、例へば、政府、議会、政事上の結社等
の行ふ政治活動は狭義の政治といふことが出来、また一般
国民が各々の職域で臣道実践を通じて大御業を翼賛し奉る
ことは、広い意味で政事に関与することになるのであり
ます。
 従来我が国では、一般に「政治」は狭義のものとして考へ
られてゐた傾向があり、欧米の自由主義的、民主主義的風
潮に影響されて、政治の実情においても必ずしも常に大御
業を翼賛する趣旨が貫徹されてゐるとは言ひ得なかつたの
であります。
 しかしながら、今日の政治の意味はもはや従来のそれと
は違つて、我が国本然の姿に還り、 上御一人の「まつり
ごと」を翼賛し奉るために万民各々職分を通じ、誠を以
て臣道を実践するといふことが昂揚されるに至つたので
あります。実に万民各自が各自の職域でその本分を尽すこ
とは、そのまゝやがて大御業を翼賛し奉ることになるので
ありまして、この意味においてわれ/\の日常生活は、従
来と異つて政治に密接な関係を持つのであります。すなは
ち、かくて、国民として憲法その他の法令によつて定めら
れてゐるところに従つて行はれる国家の動き、またはこれ
に関する運動をすることは、前述の狭義の政治であり、職
域奉公による大御業の翼賛は広義の政治であります。
 すなはち、大政翼賛とは、各人の業(わざ)がそのまゝ国家の事
につながりを持つもの、すなはち、各自の行動が国家目的
達成のためであり、各自が国家目的達成に向つてそれ/"\
の部面を受け持つものであることを自覚して、あらゆる行
動が臣道実践といふ意味でなされることであります。すな
はち、国民の日常生活はそのまゝ大政翼賛といふ臣道実践
にほかならないことが、よく理解自覚されなければならな
いのであつて、国民すべてが政治に関与するといふ言ひ表(あら)
はしは、この意味にほかならないのであります。

学生の大政翼賛

 右のやうに、現今は「政治」といふ言葉の意味が、従来の
それと異つたものとして受け取られようとしてゐるのです
が、前述のやうに、この言葉はもと/\多義であつて、い
ろいろな意味で用ひられてゐるのですから、学生が「政治」
に関与すべきか否かについて簡単に答へることは誤解を生
ずる虞れが少くないのであります。
 臣道実践による職域奉公が大政翼賛運動の根本義である
以上、「学生の大政翼賛」とは、その本分において御奉公す
ることであることはいふまでもないことであつて、学生が
その本分を抛棄し、いはゆる政治的実践運動に参加するや
うなことは決して大政翼賛の重責を果すものではなく、か
へつてこれに反するものといはねばなりません。従来極め
て少数ではありますが、学生が選挙運動等に参加した例も
あつたのであります。しかし、元来我が国では治安警察法
を以て、政事に影響を及ぼすことを目的とする「政事上の
結社」に学生が加入することを禁止してをり、学生の本分か
ら言つてこのやうな狭義の政治の団体やその実践運動に参
加することが禁ぜられてをるのは当然であります。また、往
年行はれた学生の各種の非合法運動も、或る意味では政治
運動と目されるものもありましたが、右のやうな意味の政治
運動には絶対に参加すべきでないことは言を要しません。
 そこで学生の大政翼賛は、どんな形でなされたらよいか
は、当然学生の本分から定まるものであります。学生は将
来実社会において活動すべき基礎を作りつゝあるものであ
ります。従つて学生を現に実社会に活動してゐる社会一般
人と同様に考へられないことは当然であります。将来君國
に尽すための準備時代にある学生の第一義的責務が、学業
修練にあることは異論のないところであつて、将来の自己
の責負に鑑み、自己の当面の責務を熱情を以て果すべく努
力精進することが、すなはち学生の大政翼賛であります。
 しかしながら、学生は将来への準備時代にあると同時
に、また国民たるの責負を持つてゐるものですから、特に現
下非常時局下ではこれを深く自覚し、国家における自己の
立場と責務とをはつきり認識すべきであります。

真の学問、教育とは

 学生に関して何事かが論ぜられる時、学生と不可分の関
係にあるところの学問、教育がまず考慮されなければなり
ません。そも/\我が国の教育は、一に國體の本義の体
得、國體の精華の発揚に淵源するものであり、肇國以来の
皇國の道を具現しようとするものであつて、祭祀・政治と
ともに、その根源においては不可分一体であるとこ(ママ)は前
に述べた通りであります。而して教育受ける側からいへ
ば学問することであり、従つて学問もまたその根源におい
て國體に合致し、皇基を振起し奉るためのものでなければ
なりません。すなはち真の学問とは、我々日本人にとつて
は「皇國民となる修行」に他ならないのであります。従つて
教育の直接の機関である学校は、国民生活から遊離した単
なる知識や技術だけを授けるところではなくて、実に皇國
民錬成の道場であるべきであります。
 教育、学問の意義は右のやうでありますから、学生がそ
の本分である学業、修練に専念することは、決して広い意
味の政治から遊離すること、または国家生活から超然たる
ことを意味するものではないのであります。
 寧ろ、刻下の日本がおかれてゐる内外の政治情勢につい
て十分な関心と正しい認識とを獲得しつゝ、国民生活に即
して行動するところに学生の本分が完うされることは、改
めて言を要しないところであります。従来、学問が多くは
抽象的観念を弄ぶことに終始して生活から遊離してゐた
こと、学生の中にはたゞ高踏的で国家の動きに無関心であ
り、透徹した國體の本義と体得せず、日本人としての信念
を欠き甚だしきは自我功利の思想に捉はれ、更に国家の
将来に対する自己の責負の何たるかについて十分な自覚を
持たないものが少くなかつたのであつて、これ等に対して
は学業、修練の内容及び形態において刷新さるべき点は多
多存してゐるのであります。
 従つて今日のやうな重大時局下では、一日も早くこのや
うな点を是正して、学生に國體の本義を徹せしめ、国家的意
識を旺盛ならしめ、積極的に国策遂行に協力せしめようとす
る要望が強調されるのは当然のことであります。すなはち
現下学生の大政翼賛の道は、国家への奉仕といふことを目
標として、国家の重大事局を切実に認識し、内外諸情勢を
正しく把握して学生の本分である学業と修練とに精進し、
何時でも身を挺して君國の難に赴き得る準備と覚悟とをも
つことにあるのであります。
 「学生に政治性を与へ」、「政治に関与する」といふことが
右のやうな意味のものであるならば、更にまた、例へば、
食糧増産に協力する等、直接国家の政策遂行に積極的に参
与することが「政治性を持つもの」とするならば、これらは
進んでなされなければならぬことは当然のことであり、ま
た当局としても折角努力してゐるのであります。

大政翼賛の方法

 学生の大政翼賛といふことが、右のやうなものである以
上、また我が国の教育組織が、国民学校から大学に至るま
で文部大臣の下に統一されてゐる以上、学生の修練は当然
学校を中心として行はれなければなりません。この意味に
おいて学生の大政翼賛の方法の一つとして、目下各大学、
高等・専門学校で着々その組織を整備してゐる学内修練組
織(「週報」第二一五号参照)の強化拡充を挙げることが出来
ます。すなはち、その目ざすところは、学行一如の理想の
下に、師は先達として後進である生徒に道を示し、生徒は
師に信倚して道に随ひ、師弟相携へて倶学倶進し、学校を
して教学の本義に基づく修練道場たらしめ、以て皇國民を
錬成せんとするのであります。すなはち、師弟一体となつ
て倶学倶進する新体制を樹立しようとするものであつて、
全学生は積極的且つ建設的に是に協力すべきでありま
す。これ、すなはち学生の職域における一の政治的修練と
もいふことが出来るのであります。

むすび

 以上学生の大政翼賛がどんな形でなさるべきかについい
て、また同時に学生に与へらるべき、「政治性」、学生の関
与すべき「政治」の意義を述べたのであります。
 昭和十四年五月、青少年学徒に賜はりました勅語に、

「国家隆昌ノ気運ヲ永世ニ維持セムトスル任タル極メ
テ重ク道タル甚ダ遠シ而シテ其ノ任実ニ繋リテ汝等青少
年学徒ノ双肩ニ在リ」

と仰せられてあります。青少年学徒たるものの光栄これに
過ぐるものなく、同時にその責任の重大なことを更に心に
深く銘じなければなりません。また、

「執ル所中ヲ失ハズ嚮フ所正ヲ謬ラズ各其ノ本分ヲ恪
守シ文ヲ修メ武ヲ練リ質実剛健ノ気風ヲ振励シ以テ負荷
ノ大任ヲ全クセムコトヲ期セヨ」

と仰せられて青少年学徒の進むべき道を御諭し遊ばされて
ゐるのであります。これ実に青少年学徒の践むべき大道で
あり、その実践は青少年学徒が大御心に副つて大御業を
翼賛し奉ることにほかならないのであります。

                         教 学 局