二・二六事件獄中日記 磯部浅一
七月卅一日 明日は十五同志の三七日なり、余は連日祈
りに日を暮す、ただこまることは、十五同志に対しては
いかに祈るべきかがわからぬ事なり、成仏(じょうぶつ)せよと祈って
も彼らは「維新大詔の渙發せられ天下万民ことごとく堵(と)
に安んずるの日までは成仏せじ」と言いて死したるをも
って、とても成仏しそうにもなし、「成仏するな迷え」
という祈りをするわけにもゆかず、ほとほと困る次第な
り、余はここにおいて稀代なる祈りをすることとせり、
「諸君強成の魂に鞭打ちて、も一度二月事件をやり直せ、
新義軍を編成して再挙し、日本国中の悪人輩を討ち尽せ、
焼き払え、日本国中に一人でも吾人の思想信念を解せざ
る悪人輩の存する以上、決して退譲するこ上なかれ、日
本国中を火の海にしても信念を貫け、焼け焼け、強火の
魂となりて焼き尽せ、焼きてもなおあきたらざれば、地
軸を割りて一擲微塵(いってきみじん)にしてその志を貫徹せよ」と。
夜に入り雷鳴電光盛ん、シュウ雨来る、一七日の夜と
同じく陰気天地を蔽う、余は本記をなし村中は一念一信
読経(どきょう)をなす、今や、天上維新軍は相沢司令官統率の下に
まきに第二維新を企図しあり、地上軍は速かに態勢を回
復し戦備を急がざるべからざるを痛感す。
八月一日 何をヲッー、殺されてたまるか、死ぬものか、
千万発射つとも死せじ、断じて死せじ、死ぬることは負
けることだ、成仏することは譲歩することだ、死ぬもの
か、成仏するものか。
悪鬼となって所信を貫徹するのだ、ラセツとなって敵
類賊カイを滅尽するのだ、余は祈りが日々に激しくなり
つつある、余の祈りは成仏しない祈りだ、悪鬼になれる
ように祈っているのだ、優秀無敵なる悪鬼になるべく祈
っているのだ、必ず志をつらぬいて見せる、余の所信は
一分も一厘もまげないぞ、完全に無敵に貫徹するのだ、
妥協も譲歩もしないぞ。
余の所信とは日本改造法案大網を一点一角も修正する
ことなく完全にこれを実現することだ。
法案は絶対の真理だ、余は何人といえどもこれを評し、
これを毀却することを許さぬ。
法案の真理は大乗仏教に真徹するものにあらざれば信
ずることができぬ。
しかるに大乗仏教どころか小乗もジュ道も知らず、神
仏の存在さえ知らぬ三文学者、軽薄軍人、道学先生らが、
わけもわからずに批判せんとし毀(こぼ)たんするのだ。
余は日蓮にあらざれども法案をそしる輩を法謗のオン
賊と言いてハバカラヌ。
日本の道は日本改造法案以外にはない、絶対にない。
日本がもしこれ以外の道を進むときには、それこそ日本
の歿落の時だ。
明らかに言っておく、改造法案以外の道は日本を歿落
せしむるものだ、如何となれば官僚、軍閥、幕僚の改造
案は国体を破滅する恐るべき内容をもっているし、一方
高天ケ原への復古革命論者は、ともすれば公武合体的改
良を考えている。共産革命か復古革命かが改造法案以外
の道であるからだ。
余は多弁を避けて結論だけを言っておく、日本改造法
案は一点一角一字一句ことごとく真理だ、歴史哲学の真
理だ、日本国体の真表現だ、大乗仏教の政治的展開だ、
余は法案のためには天子呼び来れども舟より下らずだ。
八月二日 シュウ雨雷鳴盛ソ、明日は相沢中佐の命日だ、
今夜は逮夜(たいや)だ、中佐は真個の日本男児であった。
八月三日 中佐の命日、読経す、中佐を殺したる日本は
今苦しみにたえずして七テン八倒している、悪人が善人
をはかり殺して良心の苛責(かしゃく)にたえず、天地の間にのたう
ちもだえているのだ、中佐ほどの忠臣を殺した奴にその
ムクイが来ないでたまるか、今にみろ、今にみろ。
八月四日 北一輝氏、先生は近代日本の生める唯一最大
の偉人だ、余は歴史上の偉人と言われる人物に対して大
した興味をもたぬ、いやいや興味をもたぬわけでないが、
大してコレハと言う人物を見出し得ぬ、西郷は傑作だが
元治以前の彼は余と容れざるところがある、大久保、木
戸のごときは問題にならぬ、中世、上古等の人物につい
てはあまりにかけはなれているのでよくわからぬ、ただ
余が日本歴史中の人物で最も尊敬するは楠公だ、しかし
て明治以釆の人物中においては北先生だ。
八月五日 佐幕流の暴政時代、南朝鮮総督、杉山教育総
監、西尾次長、寺内大臣、宇佐美侍従武官、鈴木貫太郎、
牧野、一木、湯浅、西国寺等々、指を屈するにいとまな
し、今にみろッ/\/\/\/\必ずテソプクしてやるぞ。
八月六日 一、天皇陛下 陛下の側近は国民を圧する漢
奸で一杯でありますゾ、御気付キ遊バサヌデハ日本が大
変になりますゾ、今に今に大変なことになりますゾ、ニ、
明治陛下も皇大神宮様も何をしておられるのであります
か、天皇陛下をなぜ御助けなさらぬのですか、三、日本
の神々はどれもこれも皆ねむっておられるのですか、こ
の日本の大事をよそ忙しているほどのなまけものなら日
本の神様ではない、磯部菱海はソンナ下らぬナマケ神と
は縁を切る、そんな下らぬ神ならば、日本の天地から追
いはらってしまうのだ、よくよく菱海の言うことを胸に
きぎんでおくがいい、今にみろ、今にみろッ。
八月七日 明日は同志の四七日だ、今日もシュウ雨雷鳴
アリ。
八月八日 同志の四七日、読経
一、吾人は別に霊の国家を有す、日本国その国権国法を
もって吾人を銃殺し、なお飽き足らず骨肉を微塵(みじん)にし、
遠く国家の外に放擲すとも、ついに如何ともすべからざ
るは霊なり、吾人は別に霊の国家、神大日本を有す。
一、吾人は別に信念の天地を有す、日本国の朝野ことご
とく吾人を国賊叛逆として容れずといえども、吾人は別
に信念の天地、莫大日本を有す。
一、吾人に霊の国家あり、信念の天地あり、現状の日本
吾にとりて何かあらん、この不義不信堕落の国家を吾人
の真国家神日本は膺懲せざるべからず。
一、大義明らかならざるとき国家ありとも其日本にあら
ず、国体亡ぶとき国家ありとも神日本は亡ぶ。
一、捕縛投獄死刑、ああわが肉体は極度に従順なりき、
しかれども魂は従わじ、水遠に抗し無窮に闘い、尺寸と
いえども退譲するものにあらず、国家の権力をもって圧
し、軍の威武をもって迫るとも、ひとり不屈の魂魄(こんぱく)を止
めて大義を絶叫し、破邪討好せずんば止まず。
余は日本一のスネ者だ、世をあげて軍部ライサンの時
代に「軍部をたおせ、軍部は維新の最後の強固な敵だ、
青年将校は軍部の青年将校たるべからず、士官候補生は
軍の士官候補生たるなかれ、革命将校たれ、革命武学生
たれ、革命とは軍閥を討幕することなり、上官にそむけ、
軍規を乱せ、たとい軍旗の前においてもひるむなかれ」
と言いて戦いつづけたのだ、スネ者、乱暴者の言が的中
して、今や同志は一網打尽にやられている、もう少し早
くこのスネモノ菱海の言うことを信じていさえしたら、
青年将校は二月蹶起においてもっともっと偉大な働きを
していたろうに。
この次に来る敵は今の同志の中にいるぞ、油断するな、
もって非なる革命同志によって真人物がたおされるぞ。
革命を量(はか)る尺度は日本改造法案だ、法案を不可なりと
する輩に対しては断じて油断するな、たとい協同戦線を
なすともたえず警戒せよ、しかして協同戦闘の終了後、
直ちに獅子身中の敵を処置することを忘るるな。
八月九日 死刑判決主文中の「絶対にわが国体に容れざ
る」云々は、如何に考えてみても承服できぬ、天皇大権を
干犯(かんぱん)せる国賊を討つことがなぜ国体に容れぬのだ、剣
をもってしたのが国体に容れずと言うのか、兵力をもっ
てしたのが然りと言うのか。
天皇の玉体に危害を加えんとした者に対して、忠誠な
る日本人は直ちに剣をもって立つ、この場合剣をもって
賊を斬ることは赤子(せきし)の道である、天皇大権は玉体と不二(ふじ)
一体のものである、されば大権の干犯者(統帥権干犯)
に対して、純忠無二なる真日本人が激怒してこの賊を討
つことは当然のことではないか、その討奸の手段のごと
きは剣によろうが、弾丸によろうが、爆撃しようが、多
数兵士とともにしようが何らとう必要がない、忠誠心の
徹底せる兵士は簡単に剣をもって斬奸するのだ、忠義心
が自利私慾で曇っている奴は理由をつけて逃げるのだ、
ただそれだけの差だ、だから斬ることが国体に容れぬと
か何とか言うことは絶対にないのだ、否々、天皇を侵す
賊を斬ることが国体であるのだ、国体に徹底すると国体
を侵すものを斬らねばおれなくなる、しかしてこれを斬
ることが国体であるのだ、公判中に吾人は右の論法をも
って裁判官にせまった、ところが彼らはロンドン条約も
また七・一五も統帥権干犯にあらず、と言って逃げるの
だ。
余は断乎として言った。「二者とも明らかに統帥権の
干犯である、現在の不備なる法律の知識をもってしては
解釈ができぬ、法官の低級なる国体観をもってしては理
解ができぬ、この統帥権干犯の事実を明確に認識し得る
ものは、ひとり国体に対する信念信仰の堅固なるものの
みである、余の言うことはそれだけだが、一告白つけ加え
ておくことがある、法官は統帥権干犯にあらずと言うが、
何をもって然りとなすか、余ははなはだしく疑う、現在
の国法は大権干犯を罰する規定すらないところの不備ズ
サンなるものではないか、法律眼をもってロンドン条約
と七・一五の大権干犯を明らかにすることはできないは
ずではないか、ついでに言っておく、本公判すら全く吾
人の言論を圧したるヒミツ裁判で、立権国日本の天皇の
名においてされる公判とは言えないではないか、軍司法
権の歪曲、司法大権の乱用とも言うべき事実が、現に行
なわれつつあるではないか、統帥権の干犯が行なわれな
かったと断言できる道理がないではないか」と。
理においては充分に余が勝ったのだ、しかし如何にせ
ん、徳川幕府の公判延で松陰が大義をといているような
ものだ、いやそれよりもっとひどいのだ、天皇の名をも
って頭からおさえつけるのだ、天皇陛下にこの情(ありさま)をお知
らせ申し上げねばいけない、国体を知らぬ自恣僭上の輩
どもが天皇の御徳をけがすこと、今日よりはなはだしき
はない、この非国体的賊類どもが吾人を呼んで「絶対に
わが国体に容れず」云々と放言するのだ、余は法華経の
勧持品を身読体読した。
八月十日 「私は決して国賊ではありません、日本第一
の忠義着ですから、村長が何と言っても、区長が何と言
っても、署長が何と言っても、地下の衆が何と言っても、
屁もひり合わないで下さい、今の日本人は性根がくさり
きっていますから、真実の忠義がわからないのです、私
どものような真実の忠義は今から二十年も五十年もしな
いと、世間の人にはわかりません」
守が学校でいじめられているような事はないでしりんりんょう
か、それも心配です。
「叔父は日本一の忠義者だと言うことを、よくよく守に
教えてやって下さい」
私の骨がかえったら、とみ子と相談の上、都合のいい
ところへ埋めて下さい。
「もし警察や役場の人などがカンショウなどして、カレ
コレ文句をいうようなことがあったら、決して頭をさげ
たらいけません、もしそれに頭をさげるようでしたら、
私は成仏できません、村長であろうと区長であろうと、
磯部浅一の霊骨に対しては指一本、文句一口いわしては
磯部家の祖先と、磯部家の孫末代に対してすまないので
す、葬式などはコソコソとしないで、堂々と大ぴらにや
って下さい、負けては駄目ですよ、決して負けてはいけ
ませんぞ、私の遺骨をたてにとって、村長とでもケイサ
ツでも総理大臣とでも日本国中を相手にしてでもケン
カをするつもりで葬式をして下さい」
「磯部の一家を引きつれて、どこまでも私の忠義を主張
して下さい」
右は家兄へ宛てた手紙の一節だ、しかして括弧内は刑
務所長によって削除されたるところだ、吾人は今何人に
向っても正義を主張することを許されぬ、家兄へ送る手
紙、しかも遺骨に関することすら許さぬのだ。刑務所の
曰く「コノ文を許すと所長が認めたことになる」と、認
めたことになるから許さぬというのは認めぬということ
だ、吾人の正義を否定するということだ。
八月十日 天皇陛下は十五名の無双の忠義者を殺され
たのであろうか、そして陛下の周囲には国民が最もきら
っている国奸らを近づけて、彼らのいいなり放題におま
かせになっているのだろうか、陛下 われわれ同志ほど、
国を思い陛下のことをおもう者は日本国中どこをさがし
ても決しておりません、その忠義者をなぜいじめるので
ありますか、朕は事情を全く知らぬと仰せられてはなり
ません、仮りにも十五名の将校を銃殺するのです、殺す
のであります、陛下の赤子を殺すのでありますぞ、殺す
と言うことはかんたんな問題ではないはずであります、
陛下のお耳に達しないはずはありません、お耳に達した
ならば、なぜ充分に事情をお究(きわ)め遊ばしませんのでござ
いますか、なぜ不義の臣らをしりぞけて、忠烈な士を国
民の中に求めて事情をお聞き遊ばしませぬのでございま
すか、何というご失政ではありましょう。
こんなことをたびたびなさりますと、日本国民は 陛
下をおうらみ申すようになりますぞ、菱海はウソやオべ
ンチャラは申しません、陛下のこと、日本のことを思い
つめたあげくに、以上のことだけは申し上げねば臣とし
ての忠道が立ちませんから、少しもカザらないで陛下に
申し上げるのであります。
陛下 日本は天皇の独裁国であってはなりません、重
臣元老貴族の独裁国であるも断じて許せません、明治以
後の日本は、天皇を政治的中心とした一君と万民との一
体的立憲国であります、もっとワカリ易く申し上げると、
天皇を政治的中心とせる近代的民主国であります、さよ
うであらねばならない国体でありますから、何人の独裁
をも許しません、しかるに今の日本は何というざまであ
りましょうか、天皇を政治的中心とせる元老、重臣、貴
族、軍閥、政党、財閥の独裁の独裁国ではありませぬか、
いやいや、よくよく観察すると、この特権階級の独裁政
治は、天皇をさえないがしろにしているのでありますぞ、
天皇をローマ法王にしておりますぞ、ロボットにし奉っ
て彼らが自恣専断を思うままに続けておりますぞ。
日本国の山々津々の民どもは、この独裁政治の下にあ
えいでいるのでありますぞ。
陛下 なぜもっと民をごらんになりませぬか、日本国
民の九割は貧苦にしなびて、おこる元気もないのであり
ますぞ。
陛下がどうしても菱海の申し条をおききとどけ下さら
ねばいたし方ございません、菱海は再び陛下側近の賊を
討つまでであります、今度こそは宮中にしのび込んでも、
陛下の大御前ででも、きっと側近の奸を討ちとります。
おそらく陛下は、陛下の御前を血に染めるほどのこと
をせねば、お気付きあそばさぬのでありましょう、悲し
いことでありますが、陛下のため、皇祖皇宗のため、仕
方ありません、菱海は必ずやりますぞ。
悪臣どもの上奏したことをそのままうけ入れあそばし
て、忠義の赤子を銃殺なされましたところの陛下は、不
明であられるということはまぬかれません、かくのごと
き不明をお重ねあそばすと、神々のおいかりにふれます
ぞ、いかに陛下でも、神の道をおふみちがえあそばすと、
ご皇運の涯てることもござります。
統帥権を干犯したほどの大それた国賊どもをお近づけ
あそばすものでありますから、二月事件が起ったのであ
りますぞ、佐郷屋、相沢が決死挺身して国体を守り、統
帥大権を守ったのでありますのに、かんじんかなめの陛
下がよくよくその事情をおきわめあそばさないで、何時
までも国賊の言いなりになってござられますから、日本
がよく治らないで常にガタガタして、そこここで特権階
級がつけねらっているのでありますぞ、陛下 菱海は死
にのぞみ、陛下の御聖明に訴えるのであります、どうぞ
菱海の切ない忠義心を御明察下さりますよう伏して祈り
ます。獄中不断に思うことは、陛下のことでごぎります、
陛下さえシッカリとあそばせば、日本は大丈夫でござい
ます、同志を早くお側へおよび下さい。
八月十二日 今日は十五同志の命日。
先月十二日は日本歴史の悲劇であった。
同志は起床すると一同君ケ代を唱え、また例の渋川の
読経に和して瞑目の祈りを捧げた様子で、余と村中とは
離れたる監房から、わずかにその声をきくのであった。
朝食を了りてしばらくすると、万歳万歳の声がしきり
に起きる、悲痛なる最後の声だ、うらみの声だ、血とと
もにしぼり出す声だ、笑い声もきこえる、その声たるや
誠にいん惨である、悪鬼がゲラゲラと笑う声にも比較で
きぬ声だ、澄み切った非常なる怒りとうらみと憤激とか
ら来る涙のはての笑声だ、カラカラした、ちっともウル
オイのない澄み切った笑声だ、うれしくてたまらぬ時の
涙より、もっともっとひどい、形容のできぬ悲しみの極
の笑だ。
余は、泣けるならこんな時は泣いた方が楽だと思った
が、泣けるどころか涙一滴出ぬ、カラカラした気持でボ
オーとして、何だか気がとおくなって、気狂いのように
意味もなくゲラゲラと笑ってみたくなった。
午前八時半頃からパンパンパンと急速な銃声をきく、
そのたびに胸を打たれるような苦痛をおぼえた。
あまりに気が立ってジットしておれぬので、詩を吟じ
てみようと思ってやってみたが、声がうまく出ないので
やめて部屋をグルグルまわって何かしらブツブツ言って
みた、お経をとなえるほどの心のヨユウも起こらぬので
あった。
午前中にだいたい終了した様子だ。
午後から夜にかけて、看守諸君がしきりにやって来て
話もしないで声を立てて泣いた、アンマリ軍部のやり方
がヒドイと言って泣いた、皆さんはえらい、たしかに青
年将校は日本中の誰よりもえらいと言って泣いた、必ず
世の中がかわります、キット仇は誰かが討ちますと言っ
て泣いた、中には私の手をにぎって、磯部さん、私たち
も日本国民です、貴方たちの志を無にはしませんと言っ
て、誓言をする著さえあった、この状態が単に一時の興
奮だとは考えられぬ、私は国民の声を看守諸君からきい
たのだ、全日本人の被圧迫階級は、コトゴトクわれわれ
の味方だということを知って、力強い心持になった、そ
の夜から二日二夜は死人のようになってコソコソと眠っ
た、死刑判決以後一週間、連日の祈とうと興フンに身心
綿のごとくにつかれたのだ。
二月二十六日以来の永い戦闘が一まず終ったので、つ
かれの出るのもむりからぬことだ。
宛も本日 ――
弟が面会に来て、寺内が九州の青年にねらわれたとか
のことを通じてくれた、不思議な因縁だ、たしかに今に
何か起こることを予感する、余は死にたくない、も一度
出てやり直したい、三宅坂の台上を三十分自由にさして
くれたら、軍幕僚を皆殺しにしてみせる、死にたくない、
仇がうちたい、全幕僚を虐殺して復讐したい。
八日十二日 政府の優柔不信に業をにやしたる軍部は、
国政一新の実を速やかにすべき理由として曰く「軍部は
あれだけの粛軍の犠牲を出したるに、政府は庶政の一新
に尽力するの誠意を欠けり、よろしく軍部の犠牲に対し
て代償を払うべし」と、何ぞその言の悲痛なるやだ。
馬鹿につける薬はない、軍部という大馬鹿者は自分の
子供を自分で好んで殺しておいて、他人に代償を求める
のだ、かくのごときたわけた軍部だから、正義の青年将
校を殺すことを粛軍だとも考えちがえをするはずだ。
正義の青年将校は国奸元老重臣を討ったのだ、その忠
烈の将校を虐殺すると言うことは、それが直ちに元老重
臣らいっさいの国奸に拝脆コウ頭することになるのでは
ないか、一たびコウ頭した軍部が、今さら代償を払えと
言ったとて何になるか、軍部の馬鹿野郎、いったい軍部
は政府を何と見ているのだ、政府は常に元老重臣の化身
ではないか、だから政府に対して言うことは、元老重臣
に対して言うのと同様だ。
よく考えてみよ、元老重臣に代償を払えとせまったら、
彼らは何と言うだろう、オイオイ軍部よ変なことを言う
な、おまえの子供は俺のいのちをとろうとした大それた
奴だ、元来俺が手打ちにすべきところを許してやったら、
おまえは自分でスキ好んで子供を殺したのだ、だから俺
が代償を払う道理はどこにもないではないか、おまえの
子供と同様に、国家改造という代償を俺にせまるだろう
が、俺とはおまえの子供の考えはちがっていて国賊の考
えだと信じている、おまえもおまえの子供を国賊だと言
って、最先きに天下に発表したではないか、それに今さ
ら、おまえが子供と同じように国家改造など言うのは、
おまえ自身が国賊だと言うことになるぞ、代償なんか一
文もやるものか、と元老おやじが言いつのったら、軍部
さん、何とする。
馬鹿野郎軍部、ざまをみろ。
貴様は元老重臣からも見はなされた、今に国民から見
はなされ、孝行者の青年将校、下士兵から見はなされる
ぞ、いやいやもうとっくの昔にみはなされているのだ。
軍首脳部という高慢ちきなおどり姫さん、おまえさん
は自分の力を過信して、背景の舞台をムリヤリに自分で
とり除いた、そしてわたしのおどりをみよとばかりに、
国政一新というやつをおどっている、背景があればこそ、
おどりも人気をよぶのだ、しかるにおまえさんのうしろ
には、もう美しい絵道具も三味シキ、タイコたたきの青
年将校も一人もいないので、見物人はこんなおどりに木
戸銭が払えるかといってかえった、おまえさんはさあ大
変と思って、代償をはらえといって追かけたら、何に代
償? 何をいうか、自分で勝手に背景をとりのけておど
ったのではないか、とけんもホロロPだ。
おどり姫さん、おまえはいっさいの見物人から見はな
されたことを知れ。
八月十四日 身は死せども霊は決して死せず候間「銃殺
されたら、優秀なユウレイになって所信を貫くつもりに
御座候えども、いささか心配なることは、小生近年スッ
カリ頭髪が抜けてキンキラキンの禿頭にあいなり候間ユ
ウレイが滑稽過ぎて凄味がなく、ききめがないではある
まいかと思い、辛痛致しおり候。
貴家へは化けて出ぬつもりに候えども、ヒョット方向
をまちがえて、貴家へ行ったら禿頭の奴は小生に候間、
米の茶一杯下さるよう願上候」
「正義者必勝神仏照覧」
右は山田洋大尉への通信の一部、括弧内は削除された
るところだ。
神仏照覧まで削除されるのだから、当局の弾圧の程度
が知れる、これではいよいよこの次が悲惨だ。
相沢中佐、対馬は天皇陛下万歳といいて銃殺された。
安藤はチチブの宮の万歳を祈って死んだ。
余は日夜、陛下に忠諌を申し上げている、八百万の神
神を叱っているのゼ、この意気のままで死することにす
る。
天皇陛下 何という御失政でござりますか、なぜ奸臣
を遠ざけて、忠烈無双の士をお召し下さりませぬか。
八百万の神々、何をボンヤリしてござるのだ、なぜお
いたましい陛下をお守り下さらぬのだ。
これが余の最初から最後までの言葉だ。
日本国中の者どもが、一人のこらず陛下にいつわりの
忠をするとも、余一人は真の忠道を守る、真の忠道とは
正義直諌をすることだ。
明治元年十月十七日の正義直諌の詔に曰く、「およ
そ事の得失可否はよろしく正義直諌、朕が心を啓沃すべ
し」と。
八月十五日 村中、安藤、香田、栗原、田中、等々十五
同志は一人残らず偉大だ、神だ、善人だ、しかし余だけ
は例外だ、余は悪人だ、だからどうも物事を善意に正直
に解せられぬ、例の奉勅命令に対しても、余だけは初め
からてんで問題にしなかった、インチキ奉勅命令なんか
に誰が服従するかというのが真底の腹だった、刑務所に
おいても、どうも刑務所の規そくなんか少しも守れない、
後で笑われるぞ、刑務所の規そくを守っておとなしくし
ようなど、同志に忠告されたが、どうも同志の忠告がぴ
んと来ぬ、あとで笑われるも糞もあるか、刑務所キソク
を目茶目茶にこわせばそれでいいのだ、人は善の神にな
れ、俺は一人、悪の神になって仇をウツのだ。
八月十六日 毎日大悪人になる修業にお経をあげている、
戒厳司令部、陸軍省、参謀本部をやき打ちすることもで
きないようなお人好しでは駄目だ、インチキ奉勅命令に
ハイハイというて、とうとうへこたれるようないくじな
しでは駄目だ、善人すぎるのだ、テッテイした善人なら
いいのだが、余のごときは悪人のくせに善人といわれた
がるからいけないのだ。
陸軍省をやき、参謀本部を爆破し、中央部軍人を皆殺
しにしたら、賊といわれても満足して死ねるのだったに、
奉勅命令にも抗して決死決戦したのなら、大命に抗した
といわれても平気で笑って死ねるのだったが、なまじッ
かな事をしたので、賊でもない官軍でもないヨウカイ変
化になってしまった。
前原一誠が殺される時「ウントコサ」といって首の坐
に上ったのも、西郷が新八(?)どん「このへんでようご
わしょう」といってカイシャクをたのんで死んで行った
のも、二人がどこまでも大義のための反抗をして、男児
の意地をたてとおしたからの大満足から来る安心立命の
一言だ、大義のために奉勅命令に抗して一歩も引かぬほ
どの大男児になれなかったのは、俺が小悪人だからだ、
小利巧だからだ、小才子、小善人だったからだ。
八月十七日 元老も重臣も国民も軍隊も警察も裁判所も
監獄も、天皇機関説ならざるはない、昭和日本はようや
く天皇機関説時代にまで進化した。
吾人は進化の聖戦を作戦指導する先覚者だったはず、
されば元老と重臣と官憲と軍隊と裁判所と刑務所を討ち
つくして、天皇機関説日本をさらに一段階高き進化の域
に進ましむるを任とした、しかるに天皇機関説国家の機
関説奉勅命令に抗することをもなし得ず終りたるは、省
みてはずべき事である。
この時代、この国家において吾人のごとき者のみは、
奉勅命令に抗するとも忠道をあやまりたるものでないこ
とを確信する。余は、真忠大義大節の士は、奉勅命令に
抗すべきであることを断じていう。
二月革命の日、断然奉勅命令に抗して決戦死闘せざり
し吾人は、後世、大忠大義の士にわらわるることを覚悟
せねばならぬ。
八月十八日 北先生のことを思う。
先生は老体でこの暑さは苦しいだろう。
つくづく日本という大馬鹿な国がいやになる、先生の
ような人をなぜいじめるのだ。
先生を牢獄に入れて、日本はどれだけいい事があるの
だ。
先生と西田氏と菅波、大岸両氏などは、どんな事があ
つてもしばらく日本に生きていてもらいたい。
先生、からだに気をつけて下さい、そしてどうかして
出所して下さい、私は先生と西田氏の一日も速やかに出
所できるように祈ります、祈りでききめがないなら、天
上でまた一いくさ致します。
余がこの頃胸にえがく国家は、穢土日本を征め亡ぼそ
うとしている。
このくさり果てた日本が何だ、一日も早く亡ばねば駄
目だ、神様のようにえらい同志を迫害する日本ヨ、おま
えは悪魔に堕落してしまっているぞ。
八月十九日 西田税氏を思う、氏は現代日本の大材であ
る、士官候補生時代、早くも国家の前途に憂心を抱き、
改革運動の渦中に投じて、爾来十有五年、一貫してあら
ゆる権力、威武、不義、不正とたたかいてたゆむところ
がない、ともすれば権門に媚り威武に屈して、その主義
を忘れ、主張をかえ、恬然たる改革運動の陣営内におい
て、氏のごとく不屈不惑の士はけだし絶無である。
氏の偉大なるゆえんは、単にその運動における経験多
き先輩なるがためでもなく、また特権階級に向って膝を
屈せざるためのみでもない、氏はその骨髄から血管、筋
肉、外皮まで、全身全体が革命的であるのだ、この点が
何人の追ズイをも許さぬところだ。
氏の言動、一句一行ことごとく革命的である、決して
妥協しない、だから敵も多いのである、しかも氏は、こ
の多数の敵の中にキ然として節を持する、敵が多ければ
多いほど敢然たる態度をとって寸分の譲歩をしない、こ
の信念だけは氏以外の同志に見出すことができない、余
は数十数百の同志を失うとも、革命日本のため、氏一人
のみは決して失ってはならぬと心痛している。
八月二十日 相沢中佐の四九日だ。祈りをなす。
八月二十一日 日本改造法案大綱は絶対の真理だ、一点
一角の毀却を許さぬ。
今回死したる同志中でも、改造法案に対する理解の不
徹底なる者が多かった、また残っている多数同志も、ほ
とんどすべてがアヤフヤであり、天狗である、だから余
は、革命日本のために同志は法案の真理を唱えることに
終始せなければならぬということを言い残しておくのだ、
法案はわが革命党のコーランだ、剣だけあってコーラン
のないマホメットはあなどるべしだ。同志諸君、コーラ
ンを忘却して何とする、法案は大体いいが字句がわるい
と言うことなかれ、民主主義と言うはしからずと遁辞を
設くるなかれ、堂々と法案の一字一句を主張せよ、一点
一角の譲歩もするな、しかして、特に日本が明治以後近
代的民主国なることを主張して、いっさいの敵類を滅亡
させよ。
八月二十二日 大神通力
八月二十三日 日本改造法案大網中、結言、国家の権利、
緒言、純正社会主義と国体論の緒言を、法華経とともに
朝夕読誦す、これによりていっさいの敵類を折伏するの
だ。
官吏横暴一等国日本、わが官吏のごとく横暴なるはな
い、官吏といえばハシクレの小者までがいばり散らして
国民を圧する、刑務所看守中にもはなはだしく不遜な奴
がいる、この無礼なるハシクレ官吏が民間同志に対して
は、殊さらになまいきな振舞をする。
余は不義の抑圧の下には一瞬たりとも黙止することが
できぬ、三月収容初期、われらを国賊視し、反徒扱いに
したので、怒り心頭に発してブンナグロウとさえした事
があったが、この頃また一、二の不所存なハシクレ野郎
が無礼な言動と抑圧するのを見た、今は少し我まんして
おくが、機会があったらブチ殺してしまいたい、この不
明なるハシクレ野郎どもが、特権階級の犬になって正義
の国士を圧し、銃殺の手伝いまでしたのだ。
八月二十四日 一、山田洋の病状瀕よからざるをきく、為
に祈る、彼の病床煩々の病苦はおそらく余の銃殺さるる
ことより大ならん、天は何がために彼のごとき剛直至誠
の真人物を苦しめるのか。
二、日本という大馬鹿が、自分で自分の手足を切って
苦痛にもだえている。
三、日本がわれわれのごとき大正義者を国賊奴徒とし
て迫害する間は、絶対に神の怒りはとけぬ、なぜならば、
われわれの言動はことごとく天命を奉じたるところの神
のそれであるからだ。
四、全日本国民は神威を知れ。
五、俺は死なぬ、死ぬものか、日本をこのままにして
死ねるものか、俺が死んだら日本は悪人輩の思うままに
される、俺は百千万歳、無窮に生きているぞ。
八月二十五日 天皇陛下は何を考えてござられますか、
なぜ側近の悪人輩をおシカリあそばさぬのでござります、
陛下の側近に対してする全国民の轟々たる声をおきき下
さい。
八月二十六日 軍部をたおせ、軍閥をたおせ、軍閥幕僚
を皆殺しにせよ、しからずんば日本はとてもよくならん。
軍部の提灯もちをする国民と、愛国団体といっさいの
ものを軍閥とともにたおせ、軍閥をたおさずして維新は
ない。
八月二十七日 処刑さるるまでに寺内、次官、局長、石
本、藤井らの奴輩だけなりとも、いのり殺してやる。
八月二十八日 竜袖にかくれて皎々不義を重ねてやまぬ
重臣、元老、軍閥等のために、いかに多くの国民が泣い
ているか。
天皇陛下 この惨タンたる国家の現状を御覧下さい、
陛下が、私どもの義挙を国賊叛徒の業とお考えあそばさ
れていられるらしいウワサを刑務所の中で耳にして、私
どもは血涙をしぼりました、真に血涙をしぼったのです。
陛下が私どもの挙をおききあそばして、
「日本もロシヤのようになりましたね」と言うことを側
近に言われたとのことを耳にして、私は数日間気が狂い
ました。
「日本もロシヤのようになりましたね」とははたして如
何なる御聖旨かにわかにわかりかねますが、何でもウワ
サによると、青年将校の思想行動がロシヤ革命当時のそ
れであるという意味らしいとのことをソク聞した時には、
神も仏もないものかと思い、神仏をうらみました。
だが私も他の同志も、いつまでもメソメソと泣いてば
かりはいませんぞ、泣いて泣き寝入りは致しません、怒
って憤然と立ちます。
今の私は怒髪天をつくの怒りにもえています、私は今
は、陛下をお叱り申し上げるところにまで、精神が高ま
りました、だから毎日朝から晩まで、陛下をお叱り申し
ております。
天皇陛下 何というご失政でありますか、何というザ
マです、皇祖皇宗におあやまりなされませ。
八月二十九日 十五同志の四九日だ、感無量、同志が去
って世の中が変った、石本(寅三)が軍事課長になり、
寺内はそのまま大臣、南が朝鮮(総督)、ああ、鈴木貫
太郎も牧野も、西園寺も、湯浅もますます威勢を振って
いる、たしかにわが十五同志の死は、世の中を変化さし
た。
悪く変化さした、残念だ、少しも国家のためになれな
かったとは残念千万だ、今にみろ、悪人どもいつまでも
さかえさせはせぬぞ、悪い奴がさかえて、いい人間が苦
しむなんて、そんなベラ棒なことが許しておけるか。
八月三十日 一、余は極楽にゆかぬ、断然地ゴクにゆく、
地ゴクに行って牧野、西園寺、寺内、南、鈴木貫太郎、
石本等々、後から来る悪人ばらを地ゴクでヤッツケるの
だ、ユカイ、ユカイ、余はたしかに鬼になれる自信があ
る、地ゴクの鬼にはなれる、今のうちにしっかりした性
根をつくってザン忍猛烈な鬼になるのだ、涙も血も一滴
ない悪鬼になるぞ。
二、自分に都合が悪いと、正義の士を国賊にしてムリ
ヤリに殺してしまう、そしてその血のかわかぬ内に、今
度は自分の都合のために贈位をする、石碑を立て表忠
頌徳をはじめる、何だバカバカしい、くだらぬことはや
めてくれ、俺は表忠塔となって観光客の前にさらされる
ことを最もきらう、いわんや俺らに贈位することによっ
て、自分の悪業のインペイと自分の位チを守り地位を高
める奴らの道具にされることは真平だ。
俺の思想信念行動は、銅像を立て石碑を立て贈位され
ることによって正義になるのではない、はじめから正義
だ、幾千年たっても正義だ。
国賊だ、教徒だ、順逆をあやまったなど下らぬことを
言うな、また忠臣だ、石碑だ贈位だなど下ることも言う
な。
「革命とは順逆不二の法門なり」と、コレナル哉コレナ
ル哉、国賊でも忠臣でもないのだ。
八月三十一日 刑務所看守の中にもバク府の犬がいる。
馬鹿野郎、今にみろ、目明し文吉だ。
トテモワルイ看守がいる、中にはとても国士もいる、
大臣にでもしたいような人物もいる。