第二二五号(昭一六・一・二九)
第七十六回帝国議会に於ける各国務大臣の演説
近衛内山閣総理大臣
松岡外務大臣
河田大蔵大臣
東条陸軍大臣
及川海軍大臣
勤労と増産の日 大政翼賛会
農林省官制の改正
米国政界最近の動向
第七十六回帝国議会に於ける各国務大臣の演説
松岡外務大臣
本日第七十六議会の初めに当りまして、こゝにわが外交の近況につき説明する機会を得ましたことは、私の最も欣幸とするところであります。
三国同盟条約の締結 皇國の外交が、わが肇國の理想たる八紘一宇の大精神に随ひ、万邦をして各々その所を得しむるに存することは、申すまでもない所であります。昨年九月二十七日締結されました日独伊三国同盟条約の目標とする所も、亦かゝる大理念の貫徹にあるのでありまして、同条約締結に当り、畏くも大詔の渙発を拝し、国民の向ふべき所を御明示されましたることは、まことに、恐懼に堪へぬところであります。(写真は松岡外務大臣)
本条約において、独伊両国は、皇國が大東亜に新秩序を建設し、且つその圏内において、指導力を保有することを承認したのであります。皇國の志す所は、大東亜圏内における各民族をして、その本年固有の姿に立返らしめ、和衷協同、共存共栄、いはば、国際的に隣保互助の実を挙げ、以て世界大同の範を垂れんことを期するといふ事に尽きるものであります。またわが国は、独伊両国のヨーロッパにおける同様の努力に関し、その指導的地位を認め、これを支援し、これに協力せんことを約したのであります。即ち、三国同盟条約は何国をも敵視せず、世界新秩序建設を目的とする、強力なる提携であるのであります。既に本条約に基づき、三国の首都に混合委員会の設置を見る運びとなり、三国の親善関係は、政治的にも、軍事的にも、経済的にも、将また文化的にもいよ/\緊密の度を加へつゝあります。また昨年十一月中本条約全文の趣旨に従ひハンガリー、ルーマニア及びスロヴァキアの三国が本条約に参加致しました。申す迄もなく、今後わが外交は、八紘一宇の大理念を基調とし、この三国条約を枢軸として、運用せらるるものであります。
なほ本条約について特に説明を加へて置きたいと思ひますことは、その第三条であります。即ち、同条によれば「三国中何れかの一国が現に欧州戦争または日支紛争に参入しをらざる一国によつて攻撃せられたるときは、三国はあらゆる政治的、経済的及び軍事的方法により相互に援助すべき」義務を負うてゐることは明白でありまして、いやしくもかゝる攻撃を受けたる場合には、この規定による義務は当然に発生するのであります。
序を以て一言しますれば、イタリアの軍事行動につき種々の宣伝は行はれてゐるやうでありますが、遠からず我が盟邦イタリアが、その所期の目的を達することは、私の疑はざる所であります。
日満関係 大東亜における諸国のうち、わが国と特殊不可分の関係に在りまする満洲国は、建国以来早くも十年の歳月を重ね、国礎漸く固きを加へ、国際的地位も日を逐うて向上し、国運隆昌に赴きつゝあることは、御承知の通りであります。而して、昨年皇紀二千六百年に当り、わが皇室に御祝詞を述べさせられるため、同国皇帝陛下の御訪問を見ましたることは、いよ/\以て両国が、一徳一心の関係を具現しつゝあることの顕著なる表徴(へいちやう)として、日満両国民の、ひとしく慶賀措く能はざる所であります。また過般は、日華基本条約締結と同時に、日満華共同宣言により、中華民国は満洲国を承認し、満華両国間に大使の交換を見ることとなりました。
日支関係 出来得ることならば、一日も速かに、支那事変を処理することが、大東亜共栄圏樹立について望ましきことでありますので、現内閣成立以来、蒋政権の反省を促し、汪牙ハ氏を主班とせる南京政府との合流促進を企図したのでありますが、同政権は未だに反省する所なく、抗戦を続けてをります。しかしながら、蒋政権内部の分裂軋轢漸く激化し来り、同政権支配下の民衆は、物価騰貴、物資不足その他あらゆる艱苦窮乏に悩まされてをり、また一面蒋政権の抗戦力も低下し、他面最近は共産軍の勢力頓(とみ)に増大し、次第に国民軍の地盤を蚕食しつゝあるやうな実情でありまして、蒋介石も共産軍の跋扈跳梁には余程苦しめられてゐる模様であります。窮状かくの如きにも拘らず、今なほ抗戦建国を標榜する主なる原因は、英米殊に米国の援助に望みをかけると共に、過去の行懸りに捉はれてゐるためであると思はれます。英国は、昨年六月、一時香港及び緬甸援蒋ルートを通ずる物資の輸送を止めたのでありますが、三国同盟成立後、十月十八日に至り、緬甸ルートを再開し、爾来物資の輸送に努めてゐる模様であります。また最近蒋政権に対し一千万磅の借款を与へました。米国もまたこれと前後して、一億弗の借款を約束しましたが、目下米国は国を挙げて、英国に対し大規模の援助を企ててゐる際でもあり、また忠勇果敢なるわが航空部隊の適切なる処置により、緬甸ルートがしば/\大破損を蒙りつゝある現状において、実際幾許の援助をなし得るか、甚だ疑問であります。
右の如き情勢に鑑み、わが政府は規定方針に従ひ、昨年十一月三十日、南京の国民政府を承認し、これと基本条約を結んだのであります。この条約は善隣友好、経済提携及び共同防共の三原則を具体化したものでありまして、日華両国の相互にその主権と領土とを尊重しつゝ平等互恵の原則により、緊密なる経済提携を行ひ、また両国は共同して共産主義を防圧するため、蒙疆及び河北の一定地域に皇軍の駐屯すること等を規定してをります。皇國が領土及び戦費の賠償を求めず、また進んで治外法権を撤廃し、租界を返還するの方針を約したことは、東亜民族の道義による結合を衷心念願してゐる一つの確乎たる表現であり、証左であります。已に基本条約を締約し、日満華共同宣言も発せられたる以上、我々は一意専心、汪牙ハ氏を主班とする国民政府を援助し、名実共にこれを中華民国の中央政府たらしめねばなりませぬ。斯くて日満華三国を根幹としいよ/\大東亜共栄圏の樹立に向つて万難を排し邁進せんとするの態勢を執り来つたのであります。
蘭印・仏印・タイとの関係 次ぎに大東亜共栄圏内の蘭両印度、仏領印度支那及びタイ国等の関係を一瞥しまするに、蘭印、仏印等は地理的情勢その他の上よりも、わが国と緊密不可分の関係に在るべきで、従来これを阻害し来つた事態は、あくまでこれを匡正し、相互の繁栄を促進するため、隣保互助の関係の設定を期せねばなりません。政府はこの見地よりして、昨年九月初旬、特に小林商工大臣を蘭印に派遣致しましたのでありますが、石油購入その他に関し、重要にして急を要する問題の交渉一段落を告げたるを機会に、長く現地に滞在することを許さない事情もありますので、同代表の帰朝を見るに至り、次いで政府は過般その後任として、芳沢元外務大臣を派遣し、已に交渉を再開してゐるのであります。
仏印は支那事変が勃発致しまして以来、援蒋ルートの最も重要なるものでありましたが、昨年六月、ヨーロッパにおける情勢の急変と共に、日本と仏印の関係もまた変化を来し、仏印の支那国境閉鎖、皇軍進駐等の事実が相続いで起つたのであります。なほ昨年八月駐日仏国大使との間に交換せられました文書に基づき、目下東京において交渉が開かれてゐる次第でありますが、頗る友好的雰囲気の裡に進捗してをります。右はフランスが世界の新情勢と東亜の新事態に基づき、日仏提携の必要を認識したからに外ならぬと思考致します。
仏印問題に関連して申し上げたいのは、わが国とタイ国との関係であります。昭和八年の満洲事変に関する国際聯盟総会の際、同国代表が議場に留まり、独り敢然として棄権を声明しましたことは、今なほ我が国民の記憶に新たなる所であります。
昨年六月、彼我の間に、友好中立条約が調印せられ、十二月二十三日バンコクにおいて批准交換を了し、両国の親善関係はます/\緊密を加へつゝあるのであります。同国においては、今次仏印における失地回復運動が澎湃として起り、目下同国の軍隊は仏印軍と国境において対峙し、衝突頻発の模様でありますが、かゝる紛争は東亜の指導者たる我が国の到底無関心たり得ざる所でありまして、わが国としては、その一日も速かに解決を見むことを希望する次第であります。
濠洲との関係 今回わが国と濠洲との間に公使を交換することとなりましたが、伝統的友好関係に結ばれたる両国は、今後直接膝を交へて隔意なき話合ひにより、不必要なる誤解を一掃し、両国の親善促進によつて、太平洋の平和増進に貢献せんことを期待してをります。
イランとの関係 なほイラン国との間の修好条約は既に御批准の手続を完了し、わが国と近東諸国との関係も最近頓に親善に赴きつゝあります。
アルゼンチン、ブラジルとの関係 更にわが国とアルゼンチン国との間にも、過般相互に公使館を大使館に昇格することに致しました。またブラジル国とは同じく昨年九月文化協定が締結せられ既に御批准を見るに至り、両国関係はます/\敦睦を加へつゝあります。これ等諸国と我が国との関係が、近年政治的にも、経済的にも、文化的にも、急速に密接となりつゝあることは、真に慶賀すべきことであると思ひます。
かくの如き外交関係の進展を見まする一方、欧州戦争の影響により、在欧大公使館中には引揚または廃止の余儀なきに至つたものもあります。しかしながら、在外外交機関については重点主義により、着々その充実を図つてゐるのでありまして、なかんづく大東亜共栄圏内においては極力外交網の整備に努めてをります。
日ソ関係 大東亜共栄圏を建設し、東洋平和を確保するためには、この際日ソ両国の国交を現在の儘に推移せしむることは望ましくありませぬので、何とかして相互の誤解を除き、出来ることならば、進んで全面的に且つ根本的に国交の調整を図りたいといふ考へを以て折角努力中であります。満蒙国境問題、漁業問題、北樺太