第二二一号(昭一六・一・一)
  事変第五年を迎ふ        内閣総理大臣公爵 近衛 文麿
  大政翼賛運動の進路       大政翼賛会
  大政翼賛会事務局各部局の解説
  支那事変の現況
  事変第四年海軍作戦の回顧
  国際政局回顧と展望(上)     外 務 省
  日泰友好和親条約批准交換
  邦人の海外発展状況(上)     拓務省拓南局
  前線から銃後へ         現地軍報道部提供
  お正月の野戦料理        陸軍糧秣本廠

聖戦第四年の海寧作戦
沌軍作戦の経温と戦巣
撫軍部陳は、咋年の南支作戦忙引繊き、仝丈に亙り牌宰
小ん小▲J
爺隙と緊概な連格を保義多の作戦を敢行し、領触帝岡輝
一んくわム,lI
かしい戦果を牧めた.帥ち、梅上封銀部隊は組えず仝支治
し†だん
仙芹の封銀を繊行して敵の物賓祁給路を遽断し、或ひは滑h岸
▲▼▲’t▲’、い●・く
卒術の攻略、稀磁、閉轟を断行し、或ひは陸革部隊と協力
一んdつ
して魯東及び漢水雨作戟を始め、その他穣敵の覗滅、掃錨
▲▼小
に任ずる外、危瞼を胃して強簡偵察、横簡の虚分専に円夜
雅閉し、舵基部隊も亦舷艇、陸戦隊蛙びに陸騨邦陳の甜作
■耶に協力して多大の戦果を牧めると共に、長騒、敵の軍事=碓
くわいめつ
妓や、奥地峯軍基地を爆砕して釆塵政府の托馳力の流滅
に州和越してゐる.
和みれば、光輝ある紀元二千六官年はふ葦欝1、殊に煉史的
いん
足跡た印した窓魂沫い年であつた.最軍締兵の拙耶排骸は
し・りlワ止T17
勿給、日礪伊三団同批の柵紺、俳印進駈、日輩新傭約の成
立彗いづれも車攣の解決と氷粥新粍拝の旭設に新たなる
●■●
投階を招木し、ひいて俄界新払軒の建設に零輿するところ
大なるものがあつた.いま咋年度に於ける梅革部隊の主袈
作取と馳典の概婆を穣げれば次の泡りである.
治樺交鵡措師の強化
一▲Tt▲′
東郷方而鳩隊は事埠以衆、袈暑に統し、風退晶ひつ
つ、支那滑岸の封鎖に任じ、・敵の拭鞄輪血路の組械た刺し
て米たのであるが、断求魔にありながら、なほ節三岡に伐
存して杭恥を結府せんとする蒋政碓の杭恥力た絶滅するた
め、東に新封錦作勒に鮎づき、七月中句以陣杭州粥方所沖

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オ変泡鴻斯の強化む汰想し、従舛接蒋ルートの火なる柁割
●lン′∵I
と演じてゐた寧汲方両の閉劫む約行して、罪掟化府に一大
帝棒む加へるに吏つたのである。枕州剣耐の新対錦作戦
一り小−
とは、斬江、締栓粥省の釆躾粒渦であつて、その賓馳した
はくいいどん・,●}て●し
几艶の垂なものは自耗山(錦海)砲轟、長跳瞬、粥梅の占領
▲モ▲一ん′●▲Vl
t始め、泉州政略、輿化杓封鎖及び三都襖への敵前上睦等
†あつた.
江上艦艇の薄磁
オ一「l
女邪方南艦隊は、ニ千入官沌除の支郊滑岸忙互り封鎖
姦行すると共に、多教の舵艇その他の部隊を揚チ江流域
に配して、麦邪大睦の大動腑を耽が制鮎下に文配しっゝあ
ちことは、軍事上はもとより政治、舵済、丈化等あちゆる角
虔から見て頗る意轟深いことである.帥ち、江上艦艇は、砲
ム▲′lヽ
転呼雨の輩々しき戦場とは趣を輿にし、封鎖艦隊が日夜裟
景嘩大自戯の猪戚と閑ひつ1、滑岸封銀の勤抄に従事
してゐると同楼、鴎朗に睦戦隊の鴻睦や球敵の掃鴻忙不体
。清勅を樺けてゐる.殊に横官や絆流横常を敢見するヤ、
身た相らして大胎にも丸械となり、款々として手づからこ
川川▲ヽ′ヽ
れを捕掟廃分し、揚チ江舵行の☆仝を碓保して作恥上多大
の戦県をあげてゐるのである.
海軍杭・空郭隊の治…確
帝軍舵察部隊は金支の制纂械を碓保して俄械舛砧の朽沌
イん‘′ヽ
姦け、睦上、梅上、江上各部隊の作戟に仝帖の協力むな
して多大の取輿む収め、また長粥釆頃成粥昆叫等の妥
帝を和めとし、敵の奥地槻鮎及び舵察基地に封し態犬侯ち
の他萌耗を排しで狂爆む紐行し、敵峯宰の神杜を不能なら
けく・_い
しめると非に、敵の罪事尭払汝びに軍川緒交杓槻牌を鳩称
dム・かく
して敵た憫伏せしむるに吏つた.
港南鳥の挿韻
海南鳥部陳は三月上句より睦戦紘を柑淡し睦輝部隊と
l甘カして再び仝鳥の徹底的揃胡を柑始、その主沓部落む仝
し†▲Jも●,一.‘ん
く我が箪中に収め、次いで僅かに飴喘々傑つて崎椰を故
ける魂敵址びに非鹿郎を準滅し、吏に梅軍航峯部隊及び睦軍
‡Iくつ
薮師と協力して敵の貴官験簡朗を瞭滅して仝ぬを席巻し
たが、その後潮衆繭正の資をあげ、今や名資共忙明朗海甫
島の川現を見るに至つた.
壬丘邁甥
咋年度の乗塵犠撃行は五月十九日に始まり、同を重ねる
とと資に四十七岡に及んでゐる.この問しばく海陸宰
儀同の大縞隙群よりなる荒驚隊は、重盤む中心とする敵の
耗桝を窮掛なき車で忙爆砕し、今や霧埋市稗は眈に我が漣
はい▲▼▲−
♯によつて約その入刺まで磨墟と化し、僅かに斯宋魔の菅
一一−ん
頼忙飴喘を保つてゐる惨状である.
かくて、敵の首都を迫ふ我が梅驚の大群は、薄政械が浪
d,−●く
汝するまでは、四首飴州いづこの姦忙もその鵬末を種ばし
析じて京弾の雨をやめねであらう.
ビルマ・ルートの鳩撃
」てん▲Yん
三ケ月の期限で日英聞に成立した損紬公路(賓南ビル了
ルート)は咋年十月十入日期眼滅了と兆に、再閑を見るに
室つた。我が海軍舵峯部隊の摘銃は、畠軍の俳印進駄と井
汀l▲く●
忙早くも長脂貸浦の山嶽地珊忙鵬災を延ばし、照懲を術い
て漣爆を触行し、亜磐梼梁の爆轡ヤ飛行横製法∴切の悌伸
に赫々たる戦果々牧めた.殊にメコン河上流に架した功氷
及びサルウィγ河に架した想池の二大橋梁の輔抑によつ
て、敵の唯一と頼む輸血路は売仝に速断されてしまつたの
である.
息ふ忙、今や江精衛氏の新政府確立に伴ひ、鴇埠庖理に
】段の光明む認め、郷介石の釆段政府佃地方政柵に純落し、
■●一■ん
旬かに最後の斯釆魔に飴喘を保つといふ窮填に佑つてはゐ
は小
るが、今以て伊なき験米依存の夢から醍めず托馳を拙けて
ゐるので、事奨の前途は未だ容易に鶉親を容さないのであ
る.また欧洲戟以衆時局はせ鼎の大柑換期を一が峻し、我が
申は曳戦下室つて重大なる軌際情勢に也耐してゐることは
周知の泡りである.準々囲民は時局の或嬰性と恥川の椎移
とを深く頻税し、新健制の下に虞に一低一心不勅の伯念の
下忙、時兜の克服に適進せねばならないのである.
左に咋各十二4手四日敢寧亡れた番欒妨川咋の抑軍作
取の耗過と戦輿を摘げる

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畢戦第由年に於ける海軍作戦の
繹過姓びに成果の概要
大本驚海軍報造部公衷(昭一五こニ・ニ四)
●ん▲Iつ
帝閥栴軍在支作敬部除は、咋年に引堺き常時搾帯椰隊と緊蜜
なる速鮨を保持しっ\或ひはこれと協伺し或ひは岬翔に成大鈍
閃に亙れる各憧作職を稔行して、隣鹿に多大の職梨を収めたり.
ム【,▲‘
特に海上封錦部隊は、事蟹以衆漣蛸不断に袈暑凪漆と闘ひつ
、い●、Jヽ
つ、常に椚綽の葬所を監鋭†ると共に、主要池滑を占増閉盗し
て糞耶糖舶の航行を幾断し、稗輸を封じ、以て敢補紛線の晰絶に
帝めつ1ありしが、七月十五口王にその強化壷宮して、銃埠
泉州、興化鞄、辿尾、三都埠温州、海門等の諸粘也びに庚九
】y†ン
頼道沿緑を急境し、敢陣地を革破して残散酸蛾を揃溢し、戎
′くわん→●
】巧荷揚施設その他の帝槻関を汝滅し、以て海上封錦の宋空
を期しっ▲あり●
北支部隊は、〓月上旬以求その舵健陸故除及び航蛮陳の全カ
ろと▲′
纂げて陸軍部隙の魯東作汲(山畢島の全簡的掃溢戯)に協力
葡職し、大いに治普舘正のせむ轟げたるも六舟以降更に岡械
の作戦を操返し、山東、江蘇沿岸滋びに射陽河、滞洞河岸を日
一▲7小い
♯唱成して、草二囲船舶及び戎克の輯換を完封すると共に、庇、
陸鞄緑を拐維し、或ひは随祈部隊と協カして、溌姥、溌州、石
衣舛、⊥ニ山、石島その他椚鮮各地に試拗する批郡悍隙竣び舛鹿
姥を討代し、約安肘正に寄輿するところ終犬なるものあわた
hツ●
▲−ん.く
攣丁江部陀は、哲より岳州に至る塊蝮入宵飴畑に革る本流
を始めとし、大小艶多の支流胡上を制し、或ひは江鉛に水輿す
る残敵を糾滋すると共に、悶虞に陸戦隙を掲沌して敵昨の根嬢
を砺き、或ひは舵行船舶を狙ふ敢移勅砲兵の柁鮎を壊減し、ま
●I▲7全く、い・々・、‘ん
た敢浮流横鮮の捜索輔海に至つては、速日迎夜兵江兵糾払の碓
保に必柁の努カを傾注せり。六月以陣に於ては、洞庭糊、那山
方同の敢地を制鮎し、吏に漢水、高郵湖その他に於ける陸節部
幹の掃鴻馳に協カし、また廃l陸執隊を以て江柁輿地に湛入
l●1フくつ
し1敵粥の典緒を改減せり.
1くt▲.一−
珠江部陣はまた、水蹄鋳絵せる同流域に於て、掲子汀珊陣と
同棟錯錐不鋭なる作敬に杜事して、主変水蹄、特に陳村水埠
y†ン′
西口下流桝梓の敵兵泣びに破克を掃滋すると共に、牛角山島
汝びに大淋島を攻略する等、珠江水城也びに附汝の治弊鮒正に
任じ、荊々その成梨を蓼げつ▲あり.
海南鳥部隙は三月上旬より陸敬隊を村強し、陣輔部隊の協カ
一▲ユ汀ん
を得て徹底撃開始し、忽ち全島を席巻、童弊部落を我が
革中に収めたるもその後依然鮎を保ちて曙碓を線くる共蛮
醍殻びに残敵を叢し、なほ航蓮部除ほ陸軍部陳と協カしてそ
ムくめり
の貴を殻滅せり.特に石山、清瀾、峨山蔓、石壁、陽江、嘉
帝、大成、嬰、感慮、和資、臨高、長披その他盲蝕ケ所に於
て徹底豊を賓施して、漸次筋正の隻を拳げ、今や明朗瀬甫
鳥を現川するに至れり.
この間海軍航蘇郡陳は、周知の洩り全安に亙り潮轟械を碓保
して椛棉無轟の箔曜を撥け、凡そ、作放の行はるるところ陸上
に、海上に、或ひは江上に、我が海革析蕗都隙の箔椛を鬼ざるこ
となく、克く各種作救に全捕の活籍を致せり.六月以降に於て
ほ宜員、資慶、湖口、壌水、武埠、禽革方而の陸箪部陳の蒋準
ふん▲‘い
又は柿藩汲に協カして、帝敵の叢、散堅盛の粉砕、敗敵の域
械等作放の湛渉に寄輿すること多犬なるものありたり.また斬
帝頼慈その他全玄水陸各種の交漁‖据舶叩、軍締品貯誠噂出びに
し一ん、・亨へいtく
‡串施設を爆砕し、或ひは四川宰帝省の逢触に逃紬好忠せる敵
泰軍を汰滅してその再捷を封じ、更に敵首都克慶に封してほ十
二月二日までに女に巧十七他に亙る適瞭的大蛮舛を敢行して、
モの革事、政漁上の壬毒捌軋弼鮎に斤せしめたり・
▲て一ん・抄.ヽ■つ
十月十入日演赫路の霞閑を見るや、我が桁祁机絹捲の棉銀は
禎を央せず、救次の適線爆撃を決行して岡柁の綿沈を次々に破
こ▲フくわ
革し、殊に功梨、凛通の〓大椅粂の爆押によつて木輪汰路を完
金に遮批仰するに至れり。
以上の作傲に於て江止催艇の慮分ぜる槻締如びに梅耶舵窺邸
Rの準曙爆破せる敵飛行機政左の如し。
ニ)虎分散槻昏放
鹿分敵仙憐溜敗
年度撃江方而掛珂Jm
十三年ニ、三一二四一七ニ、七二九
十四年一、五二六五〇四ニ、〇三〇
十五年七五一10入入五九
東計四、五入九一、0ニ九五、六一入
(ニ)粍行槻に典へたる挽‡
年庶確礪紳渦幣幣仰1糾
十二年五二六五二五七入
十三年七六七・一五八九二五
十四年一一五二五一臼0
十五卒二六ニ〓三二入五
累計一、六七〇〓五八一、九二入
我が損串十二年六三、十三年五〇、十餌年二九、十五年」二

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