第二一九号(昭一五・一二・一八)
大政翼賛会実践要綱
国民更生金庫について 大 蔵 省
事変下の人口問題 人口問題研究所
時局と思想国防 教 学 局
大祓について 神 祇 院
燃料の話 ガス
議会開設五〇年を顧みて 衆議院事務局
米の対英財政援助問題
時局と思想国防 教学局
外においては善隣との盟約をいよいよ固うし、内においては万民翼贊の挙国新体制の具体化と、こゝに我が国は内治外交相応じて大東亜の新秩序を確立し、進んで世界新秩序の建設に邁進すべき飛躍的進展の段階に入つた。しかも国際情勢は日を追うて複雑深刻となり、国内事情また必ずしも楽観を許さず、かゝる時艱を克服突破して世界史的使命を完遂するには、その前途至難遼遠なるを覚悟しなければならない。
かゝる難局に処してこれが打開を遂げしめるものは何か。言ふまでもなく我が国力の如何である。事変は、固より国家各部門を総動員し、挙国全力をつくしての戦ひであり、国家総力の如何がその成否を決定するのである。しかして当面の課題たる国力を、如何に充実し発揮するかを真剣に考へれば考へるほど、国民思想の問題の重要さに想到せざるを得ないのである。今日、国防国家体制の確立について思想国防の問題が喫緊の要務として取りあげられてゐる所以はこゝにあるのである。
国家総力戦と思想戦
戦争といへば古くは殆んど武力戦を意味し、武力行為のみを以て戦争の手段と考へられた。しかし周知の如く、近代戦に至つて戦争の規模が驚くほど拡大され、第一次欧州大戦には経済戦、思想戦等が武力戦と併行して行はれたが、現在では更に国家総力戦として国家総力をあげて一体となし、国民生活の全体が戦争の実体をなしてゐるのである。この点、今日においても往々にして武力、経済、思想等を並列し、これらを合して国力をなすと考へられる。国力に関し物質的要素の占むべき重要なる地位については異論のある筈はない。しかし如何に物質的要素が完整してゐても、精神的要素に欠けるところがあれば、それは恐らく何の用をもなさないであらう。武力といひ経済といひ、それらが国力として十全に力を発揮し得るのは一に確乎不抜の国民思想の統一によるものである。かくて国民思想の問題は実に国力の核心をなすものであり国民思想の定立なくして国力の充実発揮は到底望むべくもないのである。
さき頃ドイツが、今次欧州大戦におけるフランス降服に至るまでの綜合戦果を発表した中に、盛り上る民族精神、ナチス魂の力を高らかに説いてゐるのは周知のことである。そして同じドイツが二十余年前、第一次欧州大戦において聯合国軍の攻囲の中に、戦争前半まで西部戦線にあつては一歩も譲らず、東部戦線にあつてはロシア軍を粉砕して、ブレスト・リトヴスクに屈服的な単独講和を求めしめる等、相当の戦果を収めて寧ろ優勢を誇りながら、後年に入り聯合国側の思想戦工作に乗ぜられて国内思想の動揺分裂を来し、これが主因となつて内部崩壊となり、遂には武力戦に勝つて思想戦に敗れる結果を招くに至つた事実を想起されたい。思想が建設的に働くか、破壊的に働くか、その孰れとして作用するかによつて、或ひは国家に統一と発展とを齎し、或ひは分裂と敗亡とを招く。思想のもつカの重大さが知り得られるではないか。思想国防を単に国防諸要件の一とし、思想戦を武力戦の助成手段としてのみ考へることは、思想の問題に深き認識を欠くものといはざるを得ないであらう。
思想戦の二つの意義
しからば思想戦、思想国防とは何を意味するものであらうか。思想戦なる語は色々に説かれてゐるが、一般には大体二つの場合が考へられてゐるやうである。
宣伝謀略戦
思想戦は普通に宣伝謀略戦の意味に用ひられる。敵国に対しその士気を沮喪せしめ、戦意を放棄させるといつた心理的動揺を策すもの、敵国の判断を誤導して用兵の錯誤を来し指揮を混乱に誘ふもの、また第三国に対して敵国への悪感情を刺戟し、自国への好感情を誘発しようとするもの等がこれである。第一次欧州大戦において敵陣攪乱のために行はれた思想戦工作は余りにも有名である。当時、敵国の新聞、パンフレット、その他を偽装して反戦反軍感情を扇動する記事を盛り、これを前線のみならず銃後にまで巧みに頒布し、或ひは塹壕戦において敵国の民謡を蓄音機にかけて敵兵の郷愁を誘ふたといひ、また陣営の夜空に聖母マリアの像を映写して敵砲の鋭鋒を挫いたといふ。その偉力は知れば知るほど単に笑つては済ませぬ挿話(エピソード)である。
思想と思想との戦
思想戦はまた、論理的、体系的な構造を有する思想と思想との戦ひと考へられる。世界の現状は数箇の国家群に分れ、それぞれ異なる世界観の上に立ち、支配的地位を争ふ深刻な国際思想戦の渦中にあるといつても過言ではない。端的にいへば、共産主義的思想によるソ聯、自由主義的思想による英米、全体主義的思想による独伊等がその主要なものであるが、各々の立脚する思想に基づいて激烈な思想戦を展開しつゝあるわけである。顧みれば今日、新興国家と呼ぶに価するものは、いづれもこの思想戦を戦ひ抜き、勝ち抜いて来たものであつて、ナチス・ドイツ、ファッショ・イタリアの興隆は、正しく自由主義的或ひは共産主義的世界観に対する全体主義的世界観の勝利にほかならない。
思想戦の攻防手段
すでに欧米諸国は、第一の意味における思想戦遂行のために、第一次大戦の頃から強大な政府機関を特設し、いたる処に諜報、宣伝、謀略の組織網を布置してその攻防に余念がないが、我が国は甚しく立ち遅れの憾みがある。思想戦の経験なく訓練なき我が国民が、敵性諸国の諜報、宣伝、謀略に乗ぜられないためには、思想国防上この点に関して一層周到の用意が必要であることは多く贅言を要しない。過般来、数次に亙る外国諜報網の検挙事件にしても、徒らに驚愕する前に各国秘密網が現に我が国内において如何に巧妙にその組織を拡大し、また合法的仮面の下に暗躍し、国民の一言一行をも看過すまいとしてゐるといふ事実を正視し、全国民が深く思想国防意識に目覚めて戒心しなければならないのである。
第二の思想戦について見るに、我が国において思想国難の叫ばれたのは遠い過去のことではない。現に国内思想情況は遺憾ながら必ずしも楽観を許さず、共産主義のみならず、その根柢をなし温床となつた諸思想の克服も徹底しない状況である。明治初年以来、西洋思想の急激かつ広汎な無批判の受容が、政治、経済、教育といはず、あらゆる方面に浸潤し、今やその積弊の根本的解決を迫りつゝある。西洋思想と雖も我が国の発展に極めて大なる貢献をなし刺戟となつたことは否定し得ない事実であるが、これを批判検討し醇化摂取することを忘れた結果は、我が国固有の思想を蠢毒し、却つて国家生々発展の活力を害うに至つた。もともと西洋思想は個人主義、自由主義、功利主義、唯物思想を根幹とし、共産主義の如きもこれより成長したものに他ならない。これらは我が国古来の思想、日本人本来の考へ方とは一致しないものである。元来人間の生活は、時と所とにおいて考へらるべきであり、それは歴史的、国民的なものである。他国民の生活と歴史とによつて生れた思想は、我が国の思想と本質的に血脈を異にする。皇国のよつて立つべき思想は國體に出で國體に帰すべく、これに背反するものは異端の思想である。事変遂行の途上にあつて、我が国はこの思想戦において敗れるやうなことがあつてはならないが、そのためには、これらの反国家的諸思想を徹底的に批判し克服すると共に、積極的に國體日本精神を閘明し、これを世界に宣布して理論的に戦はなければならない。
いづれの思想戦の場合にあつても、速かに攻防の方途を講ずることが極めて必要であるが、なかんづく国民思想を不抜に啓培確立することが緊急の要務であり、これが即ち思想国防の根本をなすものである。儼として世界に比類なき國體を奉ずる我が国は、思想国防の根基に揺ぎなきものであるが、国民の全部が真に國體、日本精神に徹し、肇國の理想を健認し、これを生活の実践にまで不断に具現するに至らなければならない。国民思想が確立すれば思想国防は全く、若しこのことが行はれなければ、国力の充実も到底その真価を発揮することはできぬといつても敢て過言ではない。かくて国民思想の強化を図ることは現下第一の重要事項といはねばならない。
国防国家と思想国防
しかしながら、これが実現のためには、国家のあらゆる部門、あらゆる活動はその全力をあげて思想国防の統一目的に綜合されなければならない。今や着々と進展しつゝある挙国新体制の整備においても、国民全部がひとしく過去の残滓を払拭して、真に國體の本義に徹し、報国の赤誠に燃えて大政を翼賛し奉るのでなければ、到底所期の目的は達成さるべくもない。この意味において思想国防体制の樹立は、高度国防国家を目標とする万民翼贊体制の建設と全くその軌を一にするものであつて、たゞそれを思想の角度より規定したものに外ならない。かゝる思想国防体制の核心をなすものとして、特に國體の本義に基づく思想研究機関の拡充、教育学問の刷新振興、反國體思想防遏のための思想取締の強化、防諜機関の充実、外国の宣伝謀略に対する情報の蒐集竝びに積極的思想宣伝機関の整備等が統一的に企図せられ、これら国家の諸機関が政府民間を通じ中央と地方と相呼応し、相互に緊密な連繋をもつて常に綜合的な基本方針竝びに対策の樹立実施に当るとき、思想国防の一貫した体系が成立する。しかしてこの思想国防体制の中にあつてその実現の推進力となるものは、その実践に直接当るべき国民思想の指導組織であつて、思想指導者が全国到る処にあらゆる機関に配備され、中央地方を通じての思想指導網がこゝに確立されなければならない。
文部省の思想対策
教学局においても夙に思想国防の重要性を痛感し、昨年七月各道府県に思想対策研究会を設置し、各地方の実情に即して國體、日本精神の透徹具現の方策、その他思想指導に関する具体的対策を樹立し、鋭意これが実施徹底に努めてゐるのであるが、何分にも設立以来日なほ浅く、実際にはいまだその緒についたに過ぎない状況である。しかしながら、差し当り重点を本来国民思想啓導の任にある教育関係者の動員に置き、すなはち教育関係者を思想指導者として一段と錬成し、生徒児童に対しては勿論、その家庭に対し、更に進んでは既設の各種実践網、各種団体等に働きかけ、広く国民各層に接触して思想指導の実際に当らしめ、國體、日本精神の徹底、国民思想の昂揚を図ると共に、激しき時局の変移に応じ明確なる認識を与へて国策への理解と協力とを進めしめんことを期してゐるのである。
かくて敍上の如く、現下わが国の飛躍的進展に即して、国民思想を不抜に啓培確立し、各種思想戦に対処して、万全を期することこそ思想国防体制の核心であるが、それが推進を図らんがためには、今後いよいよ各方面協力して思想国防施設の拡充強化を図り、時局下における思想国防に万遺憾なからしめたいと思ふのである。
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