第二一三号(昭一五・一一・六)
   教育勅語換発五〇年式典に於て賜はりたる勅語
   紀元二千六百年祝典について    内閣紀元二千六百年祝典事務局
   奉祝記念事業の概況
   地方に於ける奉祝記念事業
   「日本文化大観」の編纂
   大政翼賛会活動を開始
   支那事変の近況         陸軍省情報部
   伊軍、ギリシアに進入      外務省情報部
   米穀の国家管理         農 林 省
    −米穀管理規則の解説−

紀元二千六百年奉祝記念事業の概況


 光輝ある紀元二千六百年を奉祝する国家的な記念事業を行ふため、昭和十年十月内閣組理大臣の諮問機関として紀元二千六百年祝典準備委員会が設けられ、次いで、昭和十一年七月一日官制を以て紀元二千六百年祝典評議委員会が設けられ、本格的にその審議に当り、左の事業を決定したのであつた。

一、橿原神宮境域竝びに畝傍山東北陵参道の拡張整備

二、宮崎神宮境域の拡張整備

三、神武天皇聖蹟の調査保存顕彰

四、御陵参拝道路の改良

五、国史館(仮称)の建設

六、日本文化大観の編纂出版

 この外に、紀元二千六百年記念日本万国博覧会の開設があつた。
 しかして日本万国博覧会は、事業の特殊性に基づき、社団法人日本万国博覧会協会にその計画と経営とを担当させしめ、他の六大事業は、官民協力、挙国一致施行に当ることとなり、昭和十二年七月七日、財団法人紀元二千六百年奉祝会の設立を見た。
 紀元二千六百年奉祝会は、畏くも秩父宮殿下を総裁に仰ぎ、政府より五百万円の補助金を受け、国民より八百万円を拠出し、総額千三百万円の巨費を投じて、この六大事兼を行ふための挙国一致の団体である。設立と時を同じうして、今次支那事変の勃発を見たのであるが、紀元二千六百年奉祝記念事業に対する国民的関心はいよいよ昂揚し、寄附の募集は非常に順調に進み、各種事業もとゞこほりなく進行したのである。
 畏くも、皇室に於かせられては、本記念事業を助成し給ふ厚い思召から、御内帑金百万円を下賜あらせられ、関係者一同、恐懼感激、所期の目的達成のために努力を重ね、国民また金品の寄附に、献木運動、或ひは勤労奉仕に、その赤誠を捧げ、事業の完成に邁進し工事は意想外に早く進捗した。たゞ文部省にその実施を委嘱した国史館触は、資材等の関係から急速に建設は困難なため、着工が遅れてゐるのは遺憾であるが、これとても、出来るだけ早く、着工したい希望を以て、目下内容等について、国史館造営委員会を設けて研究中である。
 以下、各種記念事業の経過と進捗状況について概要を述べよう。

一 橿原神宮境域並びに畝傍山東北陵参道の拡張整備

 神武天皇及び皇后媛蹈鞴五十鈴媛命を祭神とする官幣大社橿原神宮の境域及び神武天皇御陵の参道は、従来、聊か狭隘の感があり、且つ御陵及び神宮の尊厳を保持する点について遺憾な点があつたので、まづ第一に、これが拡張整備をして、我が国創業の英主の神鎮まります聖地に相応しい森厳幽遠なる地域にしようと計画された。拡張地域は十万坪でこの工費総額は四百万円を予定し、工事は宮内省、内務省、奈良県、及び大阪電気軌道株式会社、大阪鉄道黴式会社に委嘱し、慎重なる工事設計を終つて、昭和十三年五月八日、浄雨けむる畝傍山裾の畝傍公園に厳かなる起工祭を行つて着工したのである。
 御陵と神宮の尊厳を維持する上に遺憾の点のあつた大阪電気軌道株式会社の軌道を約三百米東方へ移設する大工事も、関係会社の協力により容易に解決し、墳域と参道の拡張にともなふ民有地の買上、民家の移設等の問題も、地元民の誠意で、順調に進み、地元奈良県始め、京都府、大阪府、和歌山県等近接府県民はもとより、全国からの建国奉仕隊の汗と脂の勤労奉仕は、涙ぐましい努力を以て続けられ、拡張された地域の造苑に要する植樹の献木は、日を次いで全国より申込殺到し、去る九月三十日の締切日までの献木数は、実に二万三千本の多数に上つた。幸ひに、これらの献木類は、しつかと、聖地に根を下ろし、すくすくと成長してゐる。目下のところ、参差(しんし)たる樹林を見るといふわけには行かぬが、十年二十年後には、境域の森厳静謐の保持に遺憾なきに至るであらう。
 既に橿原神宮附属建物の建築も、省線畝傍駅と大軌(だいき)、大鉄(だいてつ)の橿原綜合駅とをつなぐ延長約二千六百米の参拝道路工事も竣工し、膨大な地域の造苑工事も殆んど完成を見てゐるので、来る十一月十九日を期して、これが、竣工奉献式及び奉献奉告祭を橿原神宮で行ふ予定である。

二 宮崎神宮境域の拡張整備


 官幣大社宮崎神宮は、神武天皇が大和御東征以前に、日向に在しまして、国民を綏撫し給うた御徳を慕つて、日向の国民が、天皇を斎(いつ)きまつつた由緒深い神社であり、宮崎県民の崇敬の中心をなしてゐるのであるが、この宮崎神宮境域拡張の計画成りその工事を宮崎県に委嘱するや、宮崎県民を以て組織された祖国振興隊々員は、この事業に動員され、拡張地一万六千坪の地均(ぢなら)しに、或ひは全国からの献木一万二千本の植栽に、労力を奉仕し、工事は昭和十三年十一月二十五日起工祭を施行してから、一瀉千里の勢で進行し、境域内に建築中の肇古館の落成を待つて、十一月二十五日竣工奉献式及び奉献奉告祭を行ふことになつてゐる。

三 神武天皇聖蹟の調査保存顕彰
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 既に文部省では、歴代天皇聖蹟の調査保存の事業が計画されてゐたのであるが、紀元二千六百年奉祝の意味から、神武天皇聖蹟の調査保存顕彰の事は、奉祝紀念事業として行ふを適当とするので、紀元二千六百年奉祝会がこれに当ることになり、聖蹟調査に関する事務を十万円の予算を以て文部省に委嘱した。
 文部省では、神武天皇聖蹟調査委員会を設け、筑波藤麿侯爵を会長に、学界各方面の権威を網羅した委員により、古事記、日本書紀所載の聖蹟につき調査を進め、この研究審議の結果、先きに「週報」その他で報告した通り左記の十八ケ所を聖蹟と決定した。

    名     称                   所  在  地

 神武天皇聖蹟菟狹(うさ)推考地   大分県宇佐郡
 神武天皇聖蹟崗水門(をかのみなと)   福岡県遠賀郡蘆屋町
 神武天皇聖蹟埃宮(えのみや)・多祁理宮(たけりのみや)伝説地 広島県安芸郡府中町
 神武天皇聖蹟高嶋宮(たかしまのみや)伝説地  岡山児島郡甲浦村
 神武天皇聖蹟難波之碕(なにはのみさき)    大阪府大阪市
 神武天臭聖蹟盾津推考地   大阪府中河内郡孔舎衙村
 神武天皇聖蹟孔舎衛坂(くさゑのさか)伝説地 大阪府中河内郡孔舎衙村
 神武天皇聖蹟雄水門(をのみなと)伝説地   大阪府泉南郡樽井町、雄信達村
 神武天皇聖蹟男水門(をのみなと)伝説地  和歌山県和歌山市
 神武天皇聖蹟名草邑(なくさのむら)推考地  和歌山県海草郡、和歌山市
 神武天皇聖蹟狹野(さぬ)          和歌山県新宮市
 神武天皇聖蹟熊野神邑(くまぬのかみのむら)   和歌山県新宮市
 神武天皇聖蹟菟田穿邑(うだのうかちのむら)  奈良県宇陀郡宇賀志村
 神武天皇聖蹟菟田高倉山(うだのたかくらやま)伝説地 奈良県宇陀郡政始村、神戸村
 神武天皇聖蹟丹生川上(にぶのかはかみ)   奈良県吉野郡小川村
 神武天皇聖蹟鵄邑(とびのむら)    奈良県生駒郡
 神武天皇聖蹟磐余邑(いわれのむら)推考地 奈良県磯城郡桜井町、安倍村、香具山村
 神武天皇聖蹟鳥見山中霊畤(とみのやまのなかのまつりのには)伝説地
                                   奈良県磯城郡城島村、桜井町
 神武天皇聖蹟狹井河之上(さゐがはのほとり)推考地 奈良県磯城郡三輪町、織田村

 右の外、橿原宮(奈良県高市郡畝傍町)及び竈山(和秋山県海草郡三田村)の聖蹟は、既に国家的に確認されてゐるものと認められ、今回の調査に於ては更めて聖蹟の決定をしなかつたのである。
 この聖蹟調査委員会の答申に基づき、紀元二千六百年奉祝会で町は、それぞれの地について保存顕彰の施設を行ふこととなつた。顕彰施設は、花崗岩の標柱を建設することとし、この設計も定つたので、総工費二十五万円を以て実施すもこととなり、聖蹟所在の大阪府、福岡県、広島県、岡山県、和歌山県、奈良県、大分県にそれぞれ工事を委嘱し、本年七月十日、神武天皇聖蹟難波之碕(なにはのみさき)顕彰碑建設地たる大阪市天満宮境内に於て全聖蹟地の顕彰施設起工祭を執行(とりおこな)つたのである。本工事は、大体本年中に完成の見込であるが、遅(おそ)くも、来年早春の期には全部竣工するであらう。

四 御陵参拝道路の改良


 近時皇陵尊崇の熱誠祓は、いよいよ昂まり、御陵参拝者の数は、非常に増加してゐるのに鑑み、御陵参拝道路中、近代交通に不適当なもの或ひは狭隘なもの等を改良し、御陵参拝者の便利を計り、皇陵尊崇の国民的要望に応へようと、総経費五十万円の予算を以て之を改良することとし、昭和十四年五月十七日、安寧天皇陵他三十九陵の参拝道路改良工事起工祭を京都府乙訓郡大原野村石作尋常小学校々庭に於て厳かに執り行ひ、淳和天皇大原野西嶺上陵参拝道路拡張工事現場に鍬入(くはいれ)の儀を行ひ、次いで本年六月十二日鹿児島県新田神社境内に於て、可愛山陵(えのみさゝぎ)及び高屋山上陵の参拝道路改良工事起工祭を行ひ、最後に去る九月十一日後醍醐天皇陵の参拝道路改良工事の起工祭が吉野国立公園に於て行はれ、それぞれ直ちに着工された。大工事であつた大原野西嶺上陵参道も京都府民の勤労奉仕と委嘱を受けた京都府土木関係掛員の努力により、御陵の拝所の近くまで自動車が登り得る程度の道路が竣工し、次いで奈良県及び京都市に委嘱した各御陵の参拝道路も着々竣工を見、難工事である清和天皇陵及び後醍醐天皇陵参拝道路を除いては、全部本年中には完成する予定である。
 なほ参拝道路改良工事実施の御陵名は次の通りである

京都府委嘱

   淳 和 天 皇   大原野西嶺上陵(おほはらのにしのみねのへのみささぎ)

奈良席委嘱

   安寧天皇  畝傍山西南御陰井上陵(うねびやまのひつじさるのみほどのゐのへのみささぎ)

   懿徳天皇  畝傍山南繊沙渓上陵(うねびやまのみなみのまさごのたのにへのみささぎ)

   孝昭天皇  掖上博多山上陵(わきのかみのはかたのやまのへのみささぎ)

   孝安天皇  玉手丘上陵(たまてのをかのへのみささぎ)

   孝霊天皇  片丘馬坂陵(かたをかのうまさかのみささぎ)

   孝元天皇  剣池島上陵(つるぎのいけのしまのへのみささぎ)

   崇神天皇  山辺道勾岡上陵(やまべのみちのまがりのをかのへのみささぎ)

   垂仁天皇  菅原伏見東陵(すがはらのふしみのひがしのみささぎ)

   景行天皇  山辺道上陵(やまのべのみちのへのみささぎ)

   成務天皇  狹城盾列池後陵(さきのたたなみのいけじりのみささぎ)

   安康天皇  菅原伏見西陵(すがはらふしみのにしのみささぎ)

   顕宗天皇  傍丘磐坏丘南陵(かたをかのいはつきのをかのみなみのみささぎ)

   武烈天皇  傍丘磐坏丘北陵(かたをかのいはつきのをかのきたのみささぎ)

   宣化天皇  身狭桃花鳥坂上陵(むさのつきさかのへのみささぎ)  

   欽明天皇  檜隈坂合陵(ひのくまのさかあひのみささぎ)

   村上天皇  村上陵(むらかみのみささぎ)

   光孝天皇  後田邑陵(のちのたむらのみささぎ)

  後宇多天皇  蓮華峯寺陵(れんげぶじのみささぎ)

  後亀山天皇  嵯峨小倉陵(さがをぐらのみささぎ)

   宇多天皇  大内山陵(おほうちやまのみささぎ)

   嵯峨天皇  嵯峨山上陵(さがのやまのへのみささぎ)

   清和天皇  水尾山陵(みづのをやまのみささぎ)

鹿児島県委嘱

   瓊瓊杵尊  可愛山陵(えのみささぎ)

彦火火出見尊  高屋山上陵(たかやのやまのへのみささぎ)

   崇峻天皇  倉梯岡上陵(くらはしのをかのへのみささぎ)

   舒明天皇  押坂内陵(おさかのうちのみささぎ)

   斉明天皇  越智崗上陵(をちのをかのへのみささぎ)

   天武天皇  檜隈大内陵(ひのくまのおほうちのみささぎ)

   持統天皇  檜隈大内陵(ひのくまのおほうちのみささぎ)

   文武天皇  檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのへのみささぎ)

   元明天皇  奈保山東陵(なほやまのひがしのみささぎ)

   元正天皇  奈保山西陵(なほやまのにしのみささぎ)

   聖武天皇  佐保山南陵(さほやまのみなみのみささぎ)

 
  称徳天皇  高野陵(たかゐのみささぎ)

   光仁天皇  田原東陵(たはらのひがしのみささぎ)

   平城天皇  揚梅陵(やまもものみささぎ)

  後醍醐天皇  塔尾陵(たふのをのみささぎ)

京都市委嘱

   白河天皇  成菩提院陵(じやうぼだいゐんのみささぎ)

   鳥羽天皇  安楽寿院陵(あんらくじゆゐんのみささぎ)

   仁明天皇  深草陵(ふかくさのみささぎ)

   醍醐天皇  後山科陵(のちのやましなのみささぎ)

   六條天皇  清閑寺陵(せいかんじのみささぎ)

  後深草天皇  深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)

   外十一方


五 国史館(仮称)の建設


 我が國體の精華と国史の成跡とを展示し、国民精神の作興を計(はか)る意味に於て、東京に建設すべき国史館(仮称)については、当初、予算三百万円を計上してゐたが、資材の価格昂騰等により、予算も六百万円に増額し、この建設を、昭和十三年二月文部省に委嘱した。
 文部省では、国史館造営委員会を設け会長(文部次官)始め委員、幹事約二十五名の任命を見たが、資材等の入手難から、その建設が遅延してゐるが、その内容について目下研究が進められてゐることは前述の通りである。

六 日本文化大観の編纂出版

 日本文化大観については、別項を参照されたい。