第二一二号(昭一五・一〇・三〇)
   教育勅語渙發五〇年に当って    文 部 省
   明治神宮鎮座二〇年を迎へて    内務省神社局
   地代家賃の新統制令解説     厚 生 省
   国民徴用と国民登録制の改正    厚 生 省
   興亜学生勤労報国隊現地報告
   部落会・町内会の整備について   内 務 省

 

明治神宮鎮座二〇年を迎へて    内務省神社局

 本年は官幣大社明治神宮御鎮座二十周年
に相当し、同神宮に於てはこの十月三十一
日より十一月四日に至る五日間、厳粛なる
祭儀が執行はせらるることになつた。
 畏くも十一月一日第一日の御儀には 
天皇皇后両陛下行幸遊ばさるる旨仰出(おほせいだ)
され、御叡慮の程誠に忝なき極みである。
 そも/\明治神宮が旧南豊島の御料地
即ち今の代々木の森神さびた裡に、千木高
く宮居清々しく御鎮座あらせられたのは大
正九年十一月一日のことで、茲に早くも満
二十年を迎へるに至つた。
 謹みて明治神宮の御創立の御事を伺ひ奉
るに、明治神宮四十五年七月三十日明治天皇崩
御の悲報伝はるや、国民は天に慟き地に哭
し聖徳を追懐し奉つて已まなかつたので
ある。
 明治天皇に対し奉るこの国民の々た
る崇敬追慕の至情は相率ゐて御神霊奉祀
の情願となつて顕はれ、国を挙げての運動
と進展した。然るうちに大正三年四月十一
日昭憲皇太后の崩御に遭ひ奉るや、国民は
再び哀痛極りなく、御神霊を明治天皇奉祀
の神社に併せ祀り、長(とこしな)へに聖徳を慕ひ奉
らんことを冀うたのである。
 この事天聴に達するや、畏くも明治天皇
昭憲皇太后を奉祀する神社の創立を仰出さ
れ、左の通り告示せられた。
 一 明治神宮
   祭神  明治天皇 昭憲皇太后
 右東京府下豊多摩軍代々幡村大字
 代々木ニ社殿創立社格ヲ官幣大社
 ニ列セラルル旨 仰出サル
  大正四年五月一日
      内務大臣 子爵 大浦兼武
 こゝに於て内務省に明治神宮造営局が設
置せられ、御造営の事業は具体的に進捗せ
らるることとなつたのである。元来明治神
宮の御造営に就いては、国費を以てこれを
支弁し、一般篤志家の献資によることはこ
れを避けたのであるが、国民の赤誠は或ひ
は献木となり、或ひは勤労奉仕となつて
顕れ、幾多涙ぐましき美談佳話を残してゐ
る。今日御境域に鬱蒼と繁る樹木は、殆
んどすべて国民姿勢の献木であつて、その
数実に十万五千余の多きに達し、而してま
た造営工事に奉仕した地方青年団その他の
団体は、北は北海道から南は沖縄県の果に
至るまで、全国各府県に亙つてゐる。
 かくて官民戮力して夜を日に継いで御
造営の事に従ふこと前後六ヶ年、目出度く
工成り、大正九年十一月朔日御鎮座を拝し
奉つたのである。一方御祭神に対し奉る頌
徳報恩の至情は期せずして明治神宮奉賛
会の結成となり、同会に於て外苑を増設奉
献して以て盛徳鴻業を万世に記念し奉るこ
ととなつたのである。
 御鎮座以後皇室の御尊崇の篤き事は申す
も畏し。鎮座祭の翌二日には 天皇陛下の
御名代として皇太子殿下御参拝あらせら
れ、同じく十一日には大正天皇の御参拝を、
次いでその十五日には皇太后陛下の御参拝
を拝し奉つたのを始めとして、しば/\行
幸啓の御事があつた。
 かくて御鎮座後の代々木の森は全国崇敬
の中心と仰がれ、参拝者の数は年と共に増
加し、その崇敬は遠く海外領土より、延いて
世界各地にも及んでゐるのである。これ実
に「よもの海みなはらから」と思召し給ふ仁
慈至高の御神徳を景仰し奉る人心の自(おのづか)
らなる顕現に他ならない。
 この年毎に仰ぎ奉る明治神宮御社頭の
隆昌は、畏き事ながら明治天皇が御英邁
の天資を以て、幕末国歩艱難のときに皇位
を継承し給ひてより、宵衣食、四十有
余年の久しきに亙りて内には皇政復古の大
業を済して文物制度百般の確立を図り給
ひ、外は日清、日露両役を経て東洋の和平
を進め、国際の親和を敦くし給ひ、皇化宇
内に遍く、皇威八紘に輝き、万邦倶に(み)
るの鴻業を樹立し給ひし御盛徳と、昭憲皇
太后の坤徳高く至慈にましました御恵沢と
に対する讃仰感恩の至情の致すところに
外ならぬのである。
 更に宏大なる御神徳の一端を拝し奉る
に、慶応四年三月十四日、五箇条の御誓
文を御親告遊ばされた折下し賜うた「神祗
を親察し公卿諸侯を会し誓約し給ふ御沙汰
書」の中に
 今般朝政一新の時に膺り天下億兆一人も
 其処を得さる時は皆朕か罪なれは今日
 の事朕自身骨を労し心志を苦め艱難の先
 に立(たち)(いにしへ)列祖(れつそ)の尽させ給ひし蹤(あと)を履み治
 蹟を勤めてこそ始て天職を奉して億兆の
 君たる所に背かさるへし
と仰せ給ふ。これ実に御治世四十五年を貫
かせ給へる御叡慮であつて、この畏き大御
心は明治神宮の社頭に額く者が、皆崇敬仰
拝その感激を新たにし、一意奉公の念を堅
めて、これを日常生活の上に具現せんと期
し奉る所以である。
 今や紀元二千六百年といふ記念すべき歳
に当り、国家の総力を挙げて東亜新秩序
の建設に邁進するのとき、こゝに鎮座二十
年祭の盛儀を執行はせらるることは、その
意義まことに深しと申さねばならぬ。今日
わが国は内外に幾多緊迫せる情勢に直面
し、未曾有の難局に遭遇してゐる。この
難局を打開して有終の美を済すは、正に
我々国民に課せられたる一大試練である。
これに処するの道は、一億一心、各々その
職分に応じ、臣民としての道を実践し、皇
運扶翼の精神を生活の前面に顕現するより
外にはない。而してこれこそ実に明治神宮
御祭神の我々国民にお示し遊ばされた御遺
訓に外ならぬのである。