第二一二号(昭一五・一〇・三〇)
教育勅語渙發五〇年に当って 文 部 省
明治神宮鎮座二〇年を迎へて 内務省神社局
地代家賃の新統制令解説 厚 生 省
国民徴用と国民登録制の改正 厚 生 省
興亜学生勤労報国隊現地報告
部落会・町内会の整備について 内 務 省
教育勅語渙發五十年に当つて
文 部 省
千古不磨の聖訓
光輝ある紀元二千六百年慶祝の年である本年は、又畏くも明治天皇が千古不磨の聖訓たる「教育ニ関スル勅語」を下賜あらせられ、永世に揺ぎなき我が国文教の大本を昭示せさせ給うてより正に五十年の記念すべき年に相当致します。恐れ多くも 天皇陛下に於かせられましては、時局下御政務御多端に渡らせられるにもかゝはらず、十月三十日文部省主催の下に明治神宮外苑憲法記念館に於て挙行せられる教育勅語渙發五十年記念式典に親しく行幸遊ばされます。教育振興のことに関する深き御珍念の程、洵に畏き極みであります。
時恰も世界は史上空前の深刻激烈なる大動乱の渦中にあり、この間に処してわが国は、大東亜の新秩序建設といふ未曾有の大事業の完遂に遺憾なきを期すべく、今や内外相応じて国策の飛躍的進展の段階に入つたのであります。
今般の日独伊三国條約の締結に当りましては、畏くも優渥なる詔書を渙發あらせられ、帝国の向ふところを明らかにし国民の進むべき道を示させ給ひました。聖慮宏遠、洵に恐懼感激に堪へません。
思ふに独伊両国は、蔽ふべからざる矛盾の瀰漫せる世界旧秩序を根本的に打破し、万邦をして各々その処(ところ)を得しむべき世界新秩序を建設することこそ恒久平和の先決条件たりとする点に於て、わが国と意図の相通ずるものがあるのであります。帝国は茲にこの両国と積極的に提携協力せんとする方針を中外に闡明したのでありまして、世界新秩序建設の上に果すべきわが国の指導的役割は、今や一段と重きを加へるに至つたのであります。
かくてこの条約の目的とするところは、戦禍の拡大を防止し、平和の克服を促進せんとするにありますが、しかしながら、旧秩序世界の維持に汲々たる国家が、これに対して如何なる対策を講じ、如何なる手段に出で来るべきかは、にはかに予断を許さざるものがあります。わが国民と致しましては、或ひはそのことなきを保し難き最悪の事態の発生に対しましても、敢然その難に処すべき十分の覚悟と万全の準備とを整へ、如何なる試練にも堪へてあくまで不動の国是の貫徹に邁往せねばなりません。即ち、今や政治・経済・教育・文化等国民生活のあらゆる領域に於て、国家総力体制に更に一段の飛躍的強化を図り、高度国防国家を完成することこそ、刻下焦眉の急務であります。今日政府が萬民翼賛の挙国新体制の確立に努力しつゝある所以も、実にこゝに存するのであります。
しかしながら、この事は、国民が真に己が生活の真義に徹し、よく我が国の歴史的使命を自覚するのでなければ、その徹底を期することは困難であると云はねばなりません。このときに当り、日本国民たる者の履践すべき大道を昭示し給うた教育勅語に拝する不滅の聖訓に深く思を致すことこそ、現下国民にとつて喫緊のことと信ずるのであります。
教育の大道を御暗示
顧みまするに、明治維新以来未だ七十有余年に過ぎないのでありますが、その間、わが国運の目ぎましき伸張は、正に世界の驚異とされる所であります。しかしながら、この青史に比なき隆々の国歩は、決して坦々たる大道の一途を辿り来つたものではありません。明治時代に於きましでも、内外の危機は一再(いつさい)ではなかつたのであります。日清日露の両戦役のことは申すまでもないことでありますが、国内事情にもまた深刻な波瀾があつたのであります。
即ち、維新以来海外の文物制度の輸入に急なるの余り、やゝもすれば本を忘れて末に走り、文明開化の名の下に、欧米の思想・風習を無批判的に受けいれ、盲目的に模倣して得々たるやうな風潮が高まり来りました。条約改正の方便としての欧米親善政策の過度の強調は、かゝる風潮に拍車をかけ、いはゆる欧化主義時代を現出し、明治二十年頃にはその絶頂に達したのであります。かくてその弊の及ぶところ、わが古来の国風を無視し、父祖伝来の醇風美俗を破壊して憚らざるに至つたのであります。しかしながら、かゝる底止するところを知らざる欧米心酔の風潮は当然その反動を生みました。国粋保存の名の下に、欧化主義に拮抗した伝統復帰の運動がこれであります。蓋しこれ、澎湃たる欧米文化の輸入の潮流に抗した国民的自覚の現はれではありましたが、その多くは、欧化主義の排撃に急にして日本の積極的発展性を顧みる余裕なく、兎もすれば狭隘固陋に偏するを免れなかつたのでありす。かくて欧化思想と国粋思潮とは相対立して譲らず、多くの大胆なる論説が跳梁し、甲論乙駁、輿論は動揺し、国民はその帰趨すべき目標に悩み、明治中葉の我が国思想界はまことに憂慮すべき事態を呈したのであります。
早くより徳教振作に深く御珍念遊ばされた明治天皇に於かせられましては、こゝに明治二十三年十月三十日、「教育ニ関スル勅語」を渙發あらせられ、国体の精華に基づくわが国教育の根本精神と国民の履践すべき大道とを昭示し給うたのであります。こゝに於て、始めて我が国民は真の日本的自覚に甦り、己が生活の揺ぎなき指針を見出したのでありました。まことに「大詔一下するや、天下靡然として服従し奉り、民心のこれに向ふこと、恰も大旱(たいかん)の雲霓(うんげい)を求むるの慨があつた」のであります。
かくて我が国の教育は、爾来この勅語の聖旨奉体を究極唯一の目標とし、何等方針に迷ふことなく、その隆々の成果を期することを得たのであります。
皇国の世界史的使命
恭しく惟ひまするに、皇祖皇宗の肇國樹徳の聖業こそは、漂(たゞよ)へる世界を永遠に修理固成し生成発展せしむべく歴代天皇の悠久に紹述し給ふところであり、国民は克忠克孝、億兆一心、世々相継いで天壌無窮の皇謨を翼賛し奉るのであります。聖訓に示させ給ふこの我が國體の精華こそ、実に道義国家家族国家として宇内に冠絶する所以でありまして、まことに、「八紘一宇」の我が肇國の精神こそ、宇宙の心を心とするものであり、あらゆる対立、あらゆる相剋を止揚して万物を光被するものであります。されば、混沌たる今日の動乱の世界に於て、各国家・民族を基本とする共存共栄の一大家族世界を肇造し、世界永遠の平和を確保する不易の新秩序を建設すべき真の指導力を有するものは、世界広しと雖も我が国をおいて他に絶対にあり得ないのであります。
こゝに今日に於ける我が国の世界史的大使命が存します。しかしながら、この使命の達成は決して容易な業ではありません。世界情勢の推移はいよいよ複雑を極め、国歩の前途はますます艱難を加へんとしつゝあります。今日の我が国に於て、高度国防国家体制の確立が焦眉の急とせられる所以であります。しかしながら、当初に述べました如く、根本的に要請せられますものは、国民各自に於けるその本分と使命との自覚であり、実践の大道の体認でなければなりません。
畏くも「教育ニ関スル勅語」に於ては、皇祖皇宗の御遺訓であり、臣民の倶に遵守すべきところたる実践の徳目を親しく御示し遊ばされて居るのであります。しかも「之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」と断じ給ふ御教へこそ、今日の我々にとつて殊に感激に堪へざるところであります。まことに一億国民のすべての生活は、これ等実践を通じて恒に天壌無窮の皇運を扶翼し奉ることに帰一すべきものであり、こゝに我が国臣道を貫く唯一無二の原則が存するのであります。
しかしながら、今日この有難き聖訓が国民全体に本当に徹底してゐるや否やと反省しますに、真に恐懼に堪へぬことながら、まだまだ十分であるとは申し兼ねると思ふのであります。
顧みれば、明治年間の我が国革新期の深刻なる思想国難は、畏くも天皇の御稜威の光被によつてよく克服するを得たのでありました。しかるに、その後国民はやゝもすれば聖恩の渥きに狎れ、日本人として常住坐臥の間須臾も離れることの出来ない皇国の大道を忽せにし、或ひは之を滅却するやうな思想・行動の跡を絶たないことは、上聖明に対し奉り何とも申訳のない次第であります。國體明徴・教学刷新の声の叫ばれる所以であり、これ実に教育勅語の聖旨奉体の不徹底に由来すると申さねばなりません。
期せよ聖訓の実践
今次の事変が、わが国民をして真に日本的なるものに目ざめしめる貴重なる契機をなしたことはまことに心強い事実であり、われ等の先祖が国家の難局に遭遇する毎に示した神州不滅の精神の伝承具現を此処に認め得るのであります。かくて事変勃発以来既に四年、御稜威の下、忠烈なる皇軍の勇戦力闘は青史に比なき戦果を収め、今や大東亜共栄圏の建設は着々その歩を進めつゝあるのであります。しかしながら、今こそ旧秩序陣営との本格的衝突を覚悟すべきときであり、真実の建設の苦闘は正にこれからであります。思へば現下わが国の直面する事態は、実に有史以来の国難であると断じて憚らない情勢であります。しかも今日に於て尚ほ、銃後国民の生活の間に、やゝもすれば時局の認識を欠く節々の見受けられることは、真に憂ふべきことと云はねばなりません。新体制運動は実に一面思想運動であり、國體明徴運動であるのであります。一旦緩急あれば義勇公に奉ずるの誠は、ひとり前線忠勇の将兵にのみ俟つべきでなく、銃後国民共々一体の本分であり光栄であります。よく曠古の国難を克服し、新文化を建設して、世界を光被すべき。我が国の真の指導力を発揮せんがためには、全国民が挙つて聖訓を服膺し、これを実践の隅々にまで徹せしむべく一段と精進するところがなければなりません。
このときに当り、身教育の任にある者、又学生生徒たる者の責務の自覚の一入(ひとしほ)なるべきは申すまでもないところであります。興亜の大業を全うし、わが国の世界史的使命を完遂するは、実に一朝一夕にしてよくし得るところでないことを思ひます時、明日の日本を荷(にな)ふべき青少年学徒の、又明日の日本に培ふべき教育者の責務の重且つ大なる、まことに今日の如くなるはありません。畏くも 天皇陛下に於かせられましては、昨年五月、全国の学生生徒代表を御親閲あらせられると共に、優渥なる勅語を下し賜うて、青少年学徒の向ふべきところを昭示し給うたのでありますが、重ねて又、今十月八日には東京帝国大学に行幸あらせられ、その学事状況を天覧遊ばされました。これひとり学徒の光栄たるに止らず、国を挙げて感激に堪へないところであります。日露戦争いよいよ酣ならんとする時、明治天皇が東京帝国大学に行幸あらせられ文部大臣を召されて賜はつた御沙汰に、「軍国多事ノ際卜雖モ教育ノ事ハ忽ニスヘカラス其局ニ当ル者克ク励精セヨ」と宣はせられたるを偲び奉るにつけても、 今上陛下の聖旨も亦、明治天皇の叡慮に則らせ給へる御事と拝察せられ、まことに畏き極みであります。身教育の任に在る者は、学生生徒共々、よくその本分を弁へ、深くわが国教育の本義を体し、修道研鑚苟くも懈りなく、新文化の建設に寄与し、よく国運進展の重責を全うして、深遠なる聖旨に応へ奉るところがなければなりません。
恐れ多くも明治天皇に於かせられましては、「朕爾臣民卜倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセン」と仰せられ、御親ら国民の前にその範を示させ給ひました。まことに恐懼感激に堪へないところであります。
教育勅語渙發五十年の今日、先史に比なき非常の世局に処する我が国民は、今こそ不滅の聖訓を心魂に徹して奉体し、一億一心、万民翼賛の体制を確立して、神明に誓つて天壌無窮の皇運を扶翼し奉るの覚悟を新たにするところがなければなりません。