皇軍、仏印に進駐

  大本営陸海軍部発表  (九月二十三日)

 日・仏印現地軍当局間において八月廿五日及び同卅日纏ま
りたる日仏両国政府の間の話合に基づき九月初旬以来軍事
問題に関し交渉中のところ、九月廿二日午後四時卅分(日本
時間)に至り協定の成立を見たるを以て陸海軍部隊は本協定
に基づき廿三日仏印北部に平和的進駐を開始せり。わが部
隊の国境通過に当り一部若干の紛争を見たるものの如きも、
今後大なる支障なく進駐完了に至るものと期待しあり。

 

協定成立まで

 支那事変の解決と東亜新秩序建設に密接なる関係を有す
る仏領印度支那問題について、松岡外務大臣は、八月以来
駐日フランス大使アンリー氏と友好的話合ひを行つてゐ
たが、その結果フランス側は今後わが陸海軍に印度支那
における軍事上の便宜を与へることを承諾した。これは
実に意義深いことといふべきで、わが支那事変処理は、こ
れによつていよ/\その最後的仕上げへと急ぐこととなつ
た。
 いま、仏印との交渉経過を簡単に述べてみよう。
 わが仏印援蒋ルート監視委員長西原少将の一行が、仏
印の河内(ハノイ)に着任したのは去る六月二十九日で、それ以来、
カトルー仏印前総督やドクー現総督を相手に交渉を続け
た。しかしこれまで敵性を発揮してきた仏印との交渉だけ
に、さう簡単には進捗せず、遂に現地の交渉は八月から
東京に移され、松岡・アンリー会談となつた。この会談は
八月二十五日漸く意見の一致を見、同月三十日になつて話
合ひはまとまつた。
 そこで西原少将はこの取極めに基づきドクー総督と
折衝せんとしたが、仏印の希望によりマルタン軍司令官
と交渉開始することになり、九月四日両者の間に原則的
協定が成立した。続いて五日から細目協定に乗りだし
たが、仏印側は突如些細な突発事件を口実として、不
徳義にも交渉打切を通告し、あまつさへ虚構の宣伝
を振りまいて世界の輿論を有利に導かうとし、はては原則
的協定さへも破棄せんとするに至つた。
 かくて日・仏印間の空気は極めて険悪となり、在留邦人の
総引揚準備命令さへ発せられた。しかしわが代表は辛抱強
く相手方の諒解するを待ち、松岡・アンリー協定によつて種
種説得し、遂に九月二十二日に至つて、漸くわが要求の正
当なることを是認せしめるに至り、幾度か破局の危機に追
ひやられた日・仏印協定も、同日午後四時三十分円満成立
したのである。
 九月二十三日の鎮南関附近よりする仏印北部への平和的
進駐及び二十六日の海防(ハイフオン)よりの海路進駐は、いづれもそ
の協定に基づく公正なる行動である。

進駐の意義