第一九九号(昭一五・八・七)
皇国外交の指針 外務大臣 松岡洋右
対満支貿易計画 企 画 院
新内閣の基本国策
想起せよ上海戦 海軍省海軍軍事普及部
商業報国運動の全国的展開 商 工 省
スパイは如何にして防ぐか 内閣情報部
外米の本質とその炊き方 厚生省衛生部
独伊のバルカン工作 外務省情報部
特集 新支那読本(六)文化工作
スパイは如何にして防ぐか 内閣情報部
外国では一個師団の兵力より一
人のスパイが恐ろしい」といはれて
ゐる。前回の欧洲大戦の際のスパイ
の活動振りは幾多の読物或ひは映画
などで充分御承知のことと思ふが、
今度の欧洲戦争でもスパイは実に目
ざましい活躍をしてゐる。例へば、
ノールウェー作戦に於て英国の軍需
品輸送船が目的の港に入らうとする
直前に、ドイツ空軍の空襲を受けて
沈没してゐる。これは、ドイツのス
パイが輸送船の目的地、入港時間等
を探知して、本国に報告した結果で
ある。
スパイといへば、とかく軍事機密
の諜報のみを考へ易いが、戦争が国
家の人的、物的のあらゆる資源を総
動員するいはゆる「国家総力戦」の形
態をとるやうになると、軍事機密だ
けではなく、これ等の資源の状況を
知ることも戦力判定の重要な資料
となるのである。ところが、総動員
に関する機密は頗る広範囲なもの
であつて、国民生活と密接不離の関
係にあるものであるから、今日では
防諜の完璧を期するには、是非と
も国民全体がこれに協カしなければ
ならない。これが国民防諜の必要な
所以である。
ルーター通信東京支局長コックス
のスパイ事件が大きな衝動(しようどう)を与へ
てゐる折柄、こゝに戦時下日本に於
けるスパイ活躍の状況と、スバイを
防ぐにはいかにせねばならねかを述
べることにする。
スパイの正体
日本に在留する外人は、、大公使、
領事館員をはじめ陸海軍武官、留
学生、宣教師、商人、観光客など種々
様々である。勿論これらの外国人
がすべてスパイであるとはいへない
が、これらの中に、公然と、または
隠密(いんみつ)にスパイ行為をしてゐる者もあ
ることを忘れてはならない。この外
に、いはゆるスパイとして本国から
特派され、商人、観光客などに偽装
して入込む者も勿論ある。
これらのスパイは人種の全く異る
日本で活躍する場合には、その諜報
網として多く日本人を利用するので
あつて、我々の同胞の中に、或ひは
全然スパイの手先となつてゐること
を知らず、或ひはそれを知りながら
も金銭に眩惑されて、売国奴的行為
をするものがあるとすれば誠に遺憾
なことである。
スパイの方法
’
スパイの活躍といへば、秘密裡に
暗躍する部面のみが強調され易い
が、各国で防諜が徹底して来たのと、
前に述べたやうに「機密」が軍事機密
だけに限らなくなつて来たために、
最近では、合法的な手段によつて、
公然とスパイする場合がむしろ多く
なつて来た。今日では、国力を知る
ことで相手国の戦力を推定すること
が出来、従つて素人が見ても何でも
ないことまでスパイの目標となるや
うになつたからである。
その国の状況を知るには種々の方
法があるが、新聞、雑誌その他の公刊
物を多数集めてその記事を科学的に
整理しても、その国の国情を探知す
ることが出来る。現に東京の某大使
館などは、事変以来年二万五千円を
投じて、新聞、雑誌その他の公刊物
を購入してゐる。新聞雑誌が思慮も
なく記事を掲載してゐると、これも
資料になるのである。
日本のやうに資源に乏しい国で
は、資源の状況を知れば、その必要
な資源の輸入の途を杜絶して、わが
国を苦しめることが出来る。また交
通網、鉄道車両数、自動車数、商
船数、水陸の交通施設の状況等は、
戦時の輸送能カ、即ち動員速度を推
定する重要な資料であり、。航空工
業、自動車工業、化学工業、染料工
業等は戦時航空兵力、機械化部隊兵
力、科学戦能力力の推定資料となる。
発電所や電信局、重要工場、水資
池、都市の写真、殊に俯瞰写真は空
爆の好参考資料となる。
ところがスパイは、官衙、学校、
工場、会社、商店等へ照会を発
し、その回答からこれらの資料を得
るのである。この照会は学術上又は
商取引上の照会に偽装してあるか
ら、一見疑ひを挟む余地がなささう
に見えるのである。
また外国系の会社で、社員採用
試験の口頭試問に全国の自動車の
数、道路網、港湾の状況等を質問し
たこともある。外国商社が日本支店
に命じて重要建築物の写真を蒐集し
たこともある。外国系の自動車会社
が、大学生に自動車を貸し与へて全
国の自動車旅行をさせ、沿道の道路
の状況、気象、産業状況等を逐一会
社へ報告させたこともある。学生は
スバイの手先となるとは知らず、喜
んで総動員機密を外国に提供して
ゐるのである。
政治、外交の秘密なども極めて迅速
に外国に漏れてゐる。政変の発表な
どで、日本人はアッと驚いでゐるこ
とも在京の外国通信員は二三日前
に既にこれを知つて打電してゐると
いふ有様である。国外に寄与しよう
といふ善意から、外人と座談してゐ
る間にスパイされてゐることがしば
しばあるから巌重な注意を要する。
謀略スパイ
以上は主として諜報に関すること
であるが、スパイにはこの外に恐るべ
き諜略スパイがある。諜報と謀略
とを併せて、武力戦に対して秘密戦
といふが、謀略スパイ活動の適例は
ドイツのオーストリア、チェッコ両
国の無血占領である。これは単なる
外交の成功だけではなく、ドイツの
秘密機関が、長い間努カした結果、
政治的に思想的に、この両国をドイ
ツ色に塗りつぶして置いたからであ
る。
前大戦にドイツが、武力戦には勝
ちながら敗戦の憂目を見たのは、英
国の思想謀略に陥つたためであるこ
とは周知の事実である。
思想謀略の魔手手は、平時戦時を
問はず、我々の周囲に躍つてゐる。謀
略スパイは軍民離間の反戦思想を鼓
吹し、ストライキ、サボタージュを
扇動する。コミンテルンの赤化工作
などは、平時から我が国に浸潤して
ゐる思想謀略の適例である。
思想謀略の最も単純なものは流言
蜚語である。事変以来種々のデマが
乱れ飛んだ。これが総て謀略スパイ
の放つたものとはいへないが、真偽
を確かめずこれを信じ、しかも次ぎ
次ぎに輪をかけて放送するに至つて
は、完全に諜略スパイの魔手に乗つ
てゐるといへる。
如何に防ぐか
外国の諜報組織は軍事の機密は勿
論、政治、経済、産業、思想など、
あらゆる部門についての諜報を集め
るのに、経済団体、宗教団体、学術
団体、通信社など、平和の仮面を被
つた団体を通じて、平時から深く
我々国民の中に喰ひ下つてゐるので
ある。単に諜報を入手するだけで
なく、またこれ等の組織を通じて恐
るべき謀略宣伝も行はれる。
このスパイの魔手をいかに防ぐか
は、諜報についていへば他にない、
秘密を絶対に他人に漏らさぬととで
ある。殊に官庁や軍需工場に勤務す
る者は、職務上知り得た秘密事項は
家族にも話さぬ覚悟でなくてはなら
ない。「秘密で語つた秘密は漏れる」
一たん口から漏らしたことは必ずス
バイの耳に入るものと思はなくて
はならない。汽車、汽船、電車、バ
スの中などで、秘密に亙ることを
得意然と高声にしやべつてゐる者が
あるが、スパイは外国人だけと思つ
てはならない。
殊に軍事上の秘密に関しては厳重
にその漏洩を防止する必要がある。
この種の事項については手帳や紙片
にも記入せぬだけの心がけが必要で
ある。官庁や官吏、軍人、軍需工業
関係者の家庭から紙屑を買集めるの
はスバイの常套手段である。
また前に逃べたやうな各種の照
会には、慎重注意の上回答する必要
がある。取引上の照会だと喜んで飛
びつくと、それを綜合して全国の製
造能カ、或ひは貯蔵量をすつかり知
られてしまふことがある。何でもな
い照会だと思ひ込むと、その中に一
つだけ機密に関する質問が隠されて
ゐることがある。
文化団体、社交団体への照会、調
査にも思想戦の重要資料があるか
ら、照会先や内容を充分に検討する
必要がある。
戦地から来た手紙を会報などへ載
せると、これから重要な戦地の情報
をとられることが多い。戦地へ出す
手紙にも秘密事項や同有部隊号を書
かぬやう注意せねばならない。
以上のやうな軍事機密の外に、前に
述べたやうに今日では国力を知るこ
とによつて相手国の戦力を堆定する
ことが出来るから、素人が見ては何
でもないことでもスパイ活動の目標
となるから注意を要する。
日本人の欠点
日本人はその国民性が開け放しで
隠すことが嫌ひである。この国民性
は日本人の特点でもあるが防諜上に
は非常な欠陥である。外国人が、日
本では警察は厳重だが、スバイは
実にやり易いといふのはこの点であ
る。殊に未だに残つてゐる外人崇拝
の傾向、外人と会話することを誇り
とする気風が最も禍ひをなすので
ある。
英国の我が国に対する宣伝方策の
一つに「パンフレットトやニュースは
日本語でもよいが、英語で書いたも
のは日本人の中には喜ぶ者が多いか
らこの点に注意せよ」といつてゐる
のは、この弱点を巧みに利用してゐ
る実例である。英国の極東政策の第
一階梯は、相手国内に親英派を獲
得して、親英思想を普及することに
あるのである。
思想謀略、諜報スパイに乗ぜられ。
る根本の原因は、日本人の欧米崇拝
にあるともいへる。外国思想のうち
日本の思想と全然合はないもの、即
ち反国家的な思想をいだく個人や団
体は、この際断乎として排除しなけ
ればならない。また外国系の経済団
体で既に日本に不必要となつてゐる
ものは取除かなくてはならない。宗
教団体や教育団体についても同様で
ある。
要するにスバイは今日では、マタ
ハリのやうな個人的なものではなく
なり、一つの組織、
組織網となつてゐ
る。スパイを防
ぐにはこれに対応
する国内の組織を
一日も早く確立せ
ねばならない。い
はゆる国内新体制
は防謀の上からも
必須の要件であ
る。そしてわれわれ国民の思想や考
への中にある謀略の温床体を打砕
くこと、即ち外国思想にかぶれぬこ
とこそ、防諜の根本である。換言す
れば、真のの日本の姿、日本の力、日
本の美点、日本が外国に卓越してゐ
る点に目ざめることが先決問題であ
らう。
第一九九号(昭一五・八・七)