第一九四号(昭一五・七・三)
  支那事変三周年
  畏し戦時下の御精励        宮 内 省
  帝国の外交方針
  世界情勢と事変処理の目標     陸軍省情報部
  支那事変と帝国海軍        海軍省海軍軍事普及部
  抗日支那軍の現況         陸軍省情報部
  海軍航空隊の活躍         海軍省海軍軍事普及部
  仏印国境の支那都市を語る     外務省情報部
  満州建設勤労奉仕隊        文 部 省
  特集 新支那読本(一)新秩序の黎明

 

満洲建設勤仙労奉仕隊
文部省
一はしがき
咋年、六千の日本大衆青年を以
て輿亜青年勤昇報図陳を組椒し
ハこの外に畢生陳として一千七管人を
浦淋へ、一千九管人を北支に波適し
た)六月から九月にかけて約三ケ
は打ん
月忙亙り、浦洲固に演遽して、h浦
洲壌紋事黄の大規横な儲園勅穿
′ヽわく●て▲▼
に率仕させたことは、‥判期的
な青年湛動として、盤戦下の日本
開艮杵強い印象を輿へたのであつ
た.かく多救の背年む遽距憮橡遽
●■_
によつて集粛動豊丁仕に普らせたことは、最初の金胡
でもあり、徒つて々の計‡、立案、賓施などは非常に急
L■,た▲l
を嬰したため、周到な準備といふ鮎では、多少欽ける
lつ灯づ
ところがあつたが、純慮泡青年の鬱勃たる率公の捕紳
■】▼●こん●んこくふく
漑、よくこれらの快鮎を補つて、艶多の因難む克服、
小ん一け●
.憮期以上め成轍む牧め得たことは、艮に感激に堪へな
い.
勤労奉仕除の精紳
小ん小
この耳繊に鑑み、本年は日h滞南図常事者の間に熱心な
▲んくわづ
協講が浪められ、より数典的に、より卸渦に、青年をし
n打ん▲■▲7しん一r
て訓棟勤‥労一健の賓を擬げさせるやう研究審州講を重ねた
椅典、白本側では文部、農林、拓秒の三省が】墟となつて

とれに=常ることとなつた.▲即ち、満洲】珂におけ旦開柘政
●・くしんし上く,●,しれl
乗の促堆、日満を洩ずる食牡、飼料の埠産む日的とする
愚味を埼的に表現するために、名稀藍滞洲逮設動弊革仕
験と改め、満洲南においては、新京に同除の中央普輝本
▲育−レだ’小んとく
部を設け、同除渡満後の指尊虚督に普せ、甘本からも挿
係各省から條官む演辻してとれに協カし、この事菜の‡
ユ■山ん
施に簿撼なきを期してゐる宋年もこの育年陳の外に、畢生
幹一、五〇〇人を満洲に涯辻する).
し●’′いdl
時年は艶多の轄碍があ・つた代少に、華やかな感数的
な事柄も多かつた・血‡して参加と宗した管年や、貯
耽に逸りだすと河じやうに射尉した軋兄もあつた・しか
l▼_”,
しこの事貴が執道に乗身、青年教青上の】つの恒久的施
設となつてくると、反動的にくるもののあるととに留意
しなければならない.郎ち、恒久化された事によつて、
●ヽ小んげ●■つい■ていてl
動もすれば宕々しい感激と勲意とむ映いたタ、低調に流
わもいけい←い
れて無閑心に略るやうなことを極力替或しなければなら
●つじ一一いげ▲
ない.東玉℃新らしい秩序を建設するといふ空糞は、長
▲た,▲くり∫く‡ん
勅忙亙つて不境不屈の精紳を以て拳し革らなければな
ちないと同じやうに、浦洲逮設動豊丁仕醗の事∬弟も亦、
この掃紳によつて資現されなければならない.新東亜の
h汀いし一,
盟主日本を、女代に租承する青年に課せられた使命は、
血耳にこ1に見
mHさるべきで
あると官は虫
ばならない.
太陸に封する
と’一てり
透撤せる認故
▲●■
の下に、駄ゆ
るやうな新
東亜建設へ。
川レ●l一つ
」情熱を一円に
り■▲‘●
包み、汗と▲脊
とを丁大陸の犬
I■
地ににじみ払
一l−1∧′_−一ノ
ませて、革公と動穿とに生きぬく時、輿亜日本膏年とし
たい粧ん
ての本質は、如‡に世認されることと信ずる.

24

今同の奉仕除の特欲
、ん一い
・今同七千の若人によつて縮成された濁洲建詑勤弊率仕
隊にお小て特紀すべきことは、青年隊と共に女チ青年隊
が液遽されるヱとであり、史に青年隊が咋年とは異つて
閑拓園班漣特詑負場粧と檻濱分されたことである.
しんたい●†1・けんL▼‡Iけん‥レウ
青年陳は身嘩浄健、思想寧にして満洲建紋勤弊率仕
▲−ヰ」V
作糞に封する勃州意を有する、・年齢概ね十入蔵以上二十
五凌までの者で、′公私立青年皐溌生徒、青年囲、青年皐
一ん▲げり
校教鼻成節生徒、.修錬兵場生徒等から地方騰が選故す
る」緒導者は年齢四十五裁未滴の者であつて、青年隊点の
しだ,。ll−●く
指導能カある者む地方鹿で準定するのである。これらの
指導者上青年は、患ク茨城凝下の滴斉閑拓青少年義鼻宰
小dセ‘
訓練併河和田分節に入併し、緒導者は約十七日脚、除負
々りくも1−いもl
は約十日間の訓練む施される.それは八故】字の艮族理
くはしん●
想の下に、「東玉凄の鍬む振ふ青年としての自鬼む振亀
ていしんは,亡lじ●ん一んくて●じつ一ん
し、挺身率公に殉ずる先駐的意志と耳竣とを蕃成する
のである。堆づ七この十日開は、まことに鮫かい期閉で
−・・・ぜ■llFFEF巨L巨きL【
●†I小l山Wんlヽ▲●た
ほあるが、これらの背年が、いかに強剛に、竪飼に鍛へ
し●小ん川−▲′
あげちれてゐるかは、−人々々の緒瀕、かゞやく屑字に、
●こだ〜〜・・,か▼
裸鼓塵々と行進して行く除列に、明らか忙親はれるの
である.かくして、青年隊は各隊に拐成され、開係各省
.じ●∫・たい・●け,
大臣から授輿された隊旗を捧じて五月から七月にかけて
出磯し、約三ケ月の紳盈な勤弊に率仕するのであ.る.
緒拓囲班は咋年と同じやうに、眈存の開拓地における
?,小,‘Jt,.かいこん
開柘民の農排、⊥エ木、除革及び開黎作菜址びに開柘緒建
設に率仕するのであるが、その開拓地は概ね第六次粛七
次粛∧次の六十ケ析の開拓輿である.
いlヽい
特設兵場班は、今同の計宴に−異彩を加へるもので、
ふ′−一_▲▼
とれは浄釆の集園、集合開拓民移佳辣定地たる宋墾地を「
小いたくほ▲し一く
.主として槻械カを利用して開拓し、後績開柘艮の入植
を容易にする役剖をもつものである.徒つて脊年が振
小いこん
。下す】歓L々々は、‡に虚女地閑墾の創造的な鍬であり
、lし●
九陸教展に封するカ強い壊散である.今この特設鼻場の
鮭替払ついて、その概畢と示せば、女の洩りである.
イ、−鼻場の線南頓を約三、000へクク〕ルヘ】へ′
タールは→町二十五歩)として、之を鮭替の畢伐とする.
†−兵象の作付両積を−、000へククールとし、
別に五〇〇ヘ
ククールの体
閑地む設け、
奉仕隊の弊カ
と壌械力とむ
組合せた大負
粧山督添によ
る●
ハ十作物は小
lんはく〆●
葬、燕変、包
●●●一一●
米、大奔等と
し’こく,ん‡い
し、主穀輪栽
し●の,はム
式盈法によ少
●与−小ん
埴宜休尉を行
ふ.
,Lくひ‡いばいしつち
−←、練肥の熊椅と、浪地その他に生ずる野革の利用
●l−●く
により、地力・の維持檜進を囲る.
はし■し,くわく
特役兵場班は、五月中旬の播種から十月中句の牧穫
小,▲たい
♯了までの聞二耶交替制とし、】兵場忙−中験≡00
はいrく●
名)む配展し、この勤労作菜によつて得られた生鹿物中
何料は、特設農場参加部隊川身町材の各部落に廉倍に配
・舟されるのであるが、飴剰分は開拓鋼班に封しても特紋
兵場のそれに準じて配分が考慮される.
閑柘囲、樽設塊場班の編成
開拓開班は五〇人を以て−除む締成し、各道府将は】
験乃至廃を綿成してこれを何々道府願隊と稀し、】隊
ビとに隙長】人、隊附二人によつて指埠される.別に各
験どとに指蒋者】人、隊員四人を以て先延隊を縞成、本
験より約十日前に先教して、本隊到着臼の咋備に徒事す
る.特詑農場那の締成は、五〇人を以て】小隊とし、各
濃府願は】小隊乃至四小隙を締成、これを何々道府願擬
と稲し、四小隙を以て中隊む縞成し、−中隊を−盈場に
lいrく
配展する.中隊の指導者は中隊長−人、隊附二人、小隊

25

長四人、小陳附八人であも射那晰は故朗の抹中から申
隊どと忙指特準一人、隊れ九人を逃〓派迫する.筏期は
先池隊は浜櫨しない.
以上逃べた閲拓綿班と、特詑農場拭の液達方面、沢遽
▲邸隊名と出只敷等は、左の泡りである。
〔肘川柘一四班〕
.篭方町巧稚.鮮l批
青・林省三釆、群属、霞粟ニ00人
溌江省帽弼鞘腑明則粥折昭霊0人
穂亀香川、高知、北海仙喝愛知、
北安省島破、宮噂、群喝.覇紳奔川、六五〇人
出帽井
瀧江省栃木1・冤和卑新淘ニ0。人
牝丹江省紳奈川」埼玉、香川、秋Hニ00人
末・安省郎明稲弼呵佐喝岡山、腎0人
≡▼江′省捕紺昭昭、弼入00人

〔持投兵頓初〕
一紫埠地名
榊弼軍宗…野悶粥ニ0。0。…
Qぬ胴弼……悶ニ00人
ニ00人
i酢鵬遽宗…犠騨粥ニ0000…
ニ00人
ニ00人
剛窮栗{悶川芸喝愛知ニ…0。…
幣監……繊如潔…………川
照粥霧{悶…形、長野……………
気候風土の攣化に備へて、奉仕陳月忙封する卦射掛封
には特に留窓し、各湛府願出教前にチフス、∋レラ、
一●,●,●▲げこ
赤痢に封する竣防を辞ずると共に、各小隊どと粧救急箱
】Wい・社い
む挽帝させて居り、また道府椒隊どとに(特晋良場班にお
いては良均埠位に)隊懸と隊唇附を瀾して常仝の紫と辞ず
▲17’
る外、滴洲閥においても現働の嘗療海紋を動貞し遭漏な
きを期してゐる.
女子常年険の初流遣
女子青年隊は、年齢概ね十∧歳以上二十五歳までの醐
。lし●
偶者を持たない者の中から、】造府願からこ人宛の中豊
一んし●づ
女子青年を選出した九十四人と、丈部省で遜定した除長
】人、陳附四人と隊督、隙督附の指導者とと以て組続す
る最初の溌治女チ背年部隊である.七月五日から茨城頻
いレ●んぴくんれん
日本堵民高等畢校女子部において、五日聞の準備訓錬
と行つた後、七月十日紳戸から的帆する瀬定である。
てつ外い
女子背年隊は渡沸後、先づ繊騒の背年鞋弟隙基本訓練
朗において、約二十日問の合岡訓練率仕む行ひ、次に五
班に分れて、左の五地▲方資務訓棟朗において、革仕件薬
忙稚事するのである卜
粛l班士仰林朝敦化願大石溺
第二州桝寵江省盛抑東麻大崩
‥第三軒寵江省嬰裕願吟川及び寧年
粛四研三江省樺川麻大林
第五研演江省安達願藤南囲姑
女子背年族の日的とするところは、耳習訓練j勤弊革
■▲フ●Iてり▲てい
仕とむ漁じて報圃精紳の長揚と、大睦認散の撤底とを期
し、以て▲釆亜の女子青年として、やがては東立の卑性と
れん一い
しての性格を錬成するにあるのである。如ち、女子青年
ナ一さ‥レ‘んtく
験は裁縫(衣服や邦輿の手入)炊事(料理法の指尊)洗港、
一いl}
血椚掃作糞、その他各訓練朗の資情忙徒つて、女子に邁切
l一’.し小汀I▲んはい
な作貴を行はせると共に、最寄の四家庚、安丼、群馬村、

26

●′1.y■lい
千瀕、周家営等の開柘朗において、岡防界一線に働く
たい川りん叱んLV
移位戊の生活む健飴させ、満洲移位における女子の任扮
・。▲丁
が、いかに∧絃l字の大理想に結びつけられてゐるかむ
私散させJぅとするものである.女予背年隊は、今同が
●と
モの最初の企蹄であるために、その成香には多犬の押心
と寄せられてゐるが、女チ背年隊は、日本女性としての
けんし一}r一いはつ●
♯耗的な鹸身犠牲の摘紳を黎抑して、必ずや立溌な成兵
▲▼
を皐げ得るものと固く信ずる.女子青年隊に封しても、
亦甫金の留頼施設を持ずることはいふまでもない」
勤穿率仕除町網領
我等勤弊奉仕隊ハ、
鼻岨ノ紳勅ヲ率ツ、協心数力身ヲ挺シテ輿蒐ノ天糞
さ迫進シ、紳明二背ツテ、
天皇陛下ノ大御心二削ヒ準ラムコトヲ期ス
小・1■ツ●I
とれぞ滴洲建設勤弊準仕隊の網領である.輿発す本
一んべいくわ・’●
一円年の尖兵として、紀元二千六官年といふ光称ある年
一くtんl小たlくbい
に、興亜の天柴に拳し率ることは、碑び得難い横曾

でなければならない.革仕牒の勤弊率仕作菜が、たとへ
ニケ月乃至三ケ月の耳践訓練であるにせよ、彼等七千の
▲;I
若人は、立鴻な輿東精紳に生き屯くに相速なく、この汗と
▲‘°一’いしん
脊によつて蔵ち得た、輿窮の天糞に邁進せんとする、星
き報囲精紳む以て、大辟より掃遺後忙は必ずそのl村−施
の背年を指導tてゆくであらうと信ずる.香この大糞に
参加した奉仕陳貝の償務は、かくあらねばならないのであ
つて、こ1にこそ、満洲建設勤券率仕隊の網領の示す最後
さい●
の目榛がおかれてゐることを錆記しなければならない..