第一九二号(昭一五・六・一九) 欧州戦争の展望 ドイツ軍に対する観察 陸軍省情報部 欧州戦争に於ける海上作戦 海軍省海軍軍事普及部 伊参戦とパリ開場 外務省情報部 襄西作戦の経過 陸軍省情報部 現地に軍律施行 神武天皇聖蹟の調査 文 部 省 実例に見る貯蓄報国 国民貯蓄奨勅局 東京下関間新幹線の増設 鉄道省幹線調査課 友好和親条約と日泰関係 外務省情報部 ノモンハン国境確定の申合せ成立
イタリア参戦とパリ開城 外務省情報部
イタリア速に参戦
六月十日イクワ7は、英併南開政府忙封し、同十一日
午前零時からイクyアは南国と戦争状態に入るべき旨そ
れぞれ洩合し、こ1に時期の間額と見られてゐたイクy
7の参戦は、つひに昔現することとなつた.同日午後六
時ムソy−ヱ■首相漑、ヴェネチヤ官の.ハル≡−−に硯は
小く
れ、熱狂した群集に向つて、伊参戦の目的及び閲民の党
ご lんん.イつ・
悟につき演詮した.右済詮はこれを宴約すれば、
「今や不変の決定をなすべき時横は到来し、宜戦布
っクたつ u,
台は既に英彿大使に通達された.吾人は伊囲民を阻み
●んけん
且つ欺いた西欧の金権及び反動図家に封し敬ふもので
ある.全世界は諸粛と共に伊太利が欧洲における戦争
防止のため−切の手段を轟したことむ立許するもので
、い一い
あるから、吾人の良心は平静である.
かいけつ と
吾人は海上の団塊問題を解決するため武詐を執り、
tく〕uく ●uん
且つ吾人の海上において吾人を束縛する璃絆む破らう
とするものである.四千五官茶人の大国衆も、自由の
洩路む有せぬ限り、虜に自由の固民たるを得ない.
1I い
殴子はすでに投げられた.プロレタyγ忙して叉フア
シスtであるイタリアは三度その仮についた.命令は
〓日に塞きる.日く『聯利を得よ』と.吾人はイクリ
l▼t
T、欧洲及び世界に平和と正義を射らすために聯利を
符なければならない.イクyア国民よ、武群を執り、
臭気た示せJ
このイクサマ参戦む、先づ界一忙秋迎したのはドイツ
である.サペントロップ外相は十打午後入時、ベルy
yの濁外秒省に新聞記者む集めて、次のやう忙宴明し
た.
小ん●い
「礪政府及び全国民は深き感銘む以てムづy−き甘
●
相の官を砥いた..仝ドイツは、イクy7が自由の決意
により濁側に亀ち」封実体故に参加した鹿史的事件と
一●▲_こl 小ん▲け●
凄の感激む以て迎へるものである.英俳が吾人の生
毒と♯エするに至るまで吾人は戦ふであらう.邦伊
一ん一▲
の戦捷の後町、始めて南開に封し平和と確保すること
●一r
が巣る.頓叩伊南国民の抑へ切れないカと、ヒトラー
いl▲r
丸統及びムyy−11首相の不変の友駐漑勝利の保澄で
ある」と●
.何日ヒ搬就は、伊皇帝エ▼ヌエーと二世陛下及びムy
サー鼻骨相に封し親電を致して感謝の意を表した.伊の
ナ,一●く
参戦が濁伊枢軸による伊の封猫安住から行はれたもので
あることは、伊側のカ詮する朗である.
戦局の勅書と伊の参戦
▲てい
イクワ7は昨年五月二十二日、アイツと軍事同盟む址叩
u打り
結したので、ドイツが戦争に参加した場合、我助の義務
があるが、昨年九月東二大戦勃頚以後今日に至るまで
r群雲戦国」の態度を取り、直ちに参戦はしなかつた.こ
れは寧ろドイツ側の希望に基づくものであつた上云はれ
ひlワ
る.これに上つてドイツは、最初から戦線を展げる不利
なく、また伊の中立約地位を利用して外固から物資藍仰‥
ぐことができた.しかるに、英外灯ポーランド戦後∵r
一ていし●I tい r
イツが捷唱した和平捷詠にも鹿ぜす、長期抗戦の態度と
示してゐたので、ドイツは氷河のウールズ特使がな瀧滞
欧中の去る三月十入日、ヒ馳溌ヘ ム首相のプレンネ.ル▲甘
けん ■■ ▲▼●
秩を待つて、濁伊枢軸の堅南性む明示して栗に備へ
た.それから四月九日濁音の北欧進学、五月十畑の亀
uいtい
漸進撃と、濁軍が次丼に成功を収め、英俳軍が放逸する
_
に従つて、イクy7は最後に下イツ側に気勢と添へて英
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併殊にフランスに止めを刺す方針でd進んできたのであ
し●
る.これ最紀イタ少丁の参戦詮が頻りに竣想される忙至
つた節以である.
1●
これに封し英怖倒はなほ−捗の・希望むイクワ7にか
け、五月発射伊交渉を行つたのであるが、六月早々、イ
▲▼▲ ひ
タy7側から振香の同答があり、封伊働きかけも失敗忙
経つてしまつた.
小ん・■く
一方六月四日、ダンケルク陥落で猫軍は英俳海峡←帝
れん,●く 一_
の梅池を占領し、北において英仰の聯絡を断ち、また、
一
フラン・イルーアルト7戦線における大勝の飴戚た騒つ七
先ん‘●
.ハパ包尉陣む進めたのであ.つた.伊参戦が、ヱの命旦夕
に迫つたパワの状況と解凍な朋聯を持つた時撥に行はれ
たことは意味息ることである.
偶軍撤退、バリ開城
一■・rはく
瀾軍パワに急迫の形勢裡において、.ハヮがどんな風で
あつたか9パリから外抄・箭についたh稚合忙よれば、
「礪軍進蝉、伊牟礼の報に加へてヾ フランス政府が
た一d ”
軍の変成によつて十日パリを立温いたため、六月十−
日米明から、市民取立温は極めて多く〔商店の九分洩
へい き
りは開銀され、取引祈鳥立合中止となづた.たゞ銀行
一汀く●ん
・の丁和が開いてゐるだけである.しばノ\砲舞と爆音
●
が速く聞えるけれども、察爆はバザ近郊の軍事目標に
集中され、市内には曝撃がない横樺である.北部かち
ケ さんAん
逃れてくる避難民は、続々.ハyに流れ込んできてゐ
る...ハXの姿は、.この二十四時間臥内に全く変り果て
たしと.
てつたい
猫軍はいよく.ハり忙迫り、.ハザの併軍は撒温と飴儀
なくされ、.ハサは砲郵に曝らされ.ることなくして六月十
lニ日開城することとなつた・イタ町7参戦以来僅か由日
日のこtである.
イタリア参戦の影▲響
l’こ
イタリア参戦直後に起つた最大の問題は、鮭史的.ハy
開城であるとして、伊参戦そのものが、地中海及び歓洲
仝飽乃至世界に及ぽした影響は如何であつたらうか9
伊参戦敢衷と同日の六月十日、英国情報相ダフ・クー
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バト氏はラヂオ敬遠で「イタ町アの参戦は、ドイツの演
“レ一 ⊥r ▲たん
助となるよりも鼻緒となるであらう.また、考へ方杵よ
つては、.伊の参戦は聯合図む授助するものだ.」と述べ
た.叉「今日までイクワ7は、われくの封礪経済封鎖の
▲け▲● ふl,
最大の披穴であつたのだが、今やこれが完全に尭がれる
川Hい●一 ▲
ことになつた.ム首相は結局イタリア名物の『廃墟』む殖
やすに過ぎないであらう.」と宜伸した.
ム首相はその参戦演詮中に「伊は隣凍囲む戦争に巻き
い 小l
込む意頼はない・.スイス、ユーゴ−スラゲイア、ギyy
ヤ、トルコ、エジプトはこれむ了知すべししと云つてゐ
●▲ヽ
る.この藁は、濁伊軍の進撃の的となることを怖れて
ゐたこれ専バルカン、紀東抒固に安心を輿へた.最も
▲▼ん ど
危険挽されてゐたスイス・.の安堵は勿論、英俳と相互媛助
傭約と結んでゐるトルコも、伊のこの態度によつて英俳
▲−L▼ ‘
偶に参戦することに足踏みしてゐるやう瀬形瀞もある.
イクy7が、かくの如き櫻鹿む取つたことは、それだ
.▲たい一い
け英併忙向つてその頻勢に乗じてぶつつかつて行かう占
いふ方針セあるかに見ヰれる.
伊は地中海の由人たらざるために、先づ地中海におけ
るその座勢な峯軍を動かして伊の勢力伸儲を囲る尊があ
らスノ●
そのため粧は、ジャワー鳥の対岸にあ々チ三スを確
保し、伊本土、ツシワー、.チごlスの線において、.地中
し●甘ん ▲lI
海を東西忙遮断して英俳のスエズに至る邁を塞ぎ、同時∴
一l
にフランスがその対岸のアフリカと聯終する凋む断つて・
封彿郎迫を加へる必嬰があらう.この伊の態度と粥聯し
てスペインの動向が注目され、伊はスペイソの汐アラル
クル回収詮む草授してゐるが、スペイy軍はつひに六月
十四日、・タyザール国際管理地帯中立姦保するといふ
名拳で同地帝を占領した.地中海の波紋はいよく演犬
されんとする形勢である.
欧 洲 戦 局 日 誌
六月−早 稲横「南俳マルセイユ、.
サヲy葦姓(礪宰領表)
三日・礪横.ハy初事典 ∇礪軍ダシ
ケルクに突入ハ濁草教衣)
四月 礪軍ダyケルク完全占領、フ
ランドル戦絶碁ハ濁軍獲表) ▽生
遭の英沸軍三十二甫と英首相下院
で報」昔
五日 ヒ縫紋、新攻勢開始を発明
▽濁軍、ウェ」ガン線突破、ゾソ
ム河む渡河(俳軍尊家) ▽俳内山閣
乱造
七日 濁軍随所にウエーガン線爽
破(礪軍敬表) ▽弼軍、シュマ
ソ・ヂ・ダーム高地の一部む占領
ハ俳側教表)
九日 礪軍全戦線に新政埠、エーヌ
河を渡河、ゾワッソソ占領(礪側
報道) ∇ノールクエー軍、封礪銃
戦中止 ∇濁海軍、ナルゲイク沖
で英舵姦母艦グロIyアス能率沈
と教義
十日 イクyT参戦、封英俳宜哉布
骨 ∇礪軍、セーヌ河畔忙到達、
下流で渡河に成功(伸軍塵表) ∇
.ハyに戎厳令
十一日 彿軍、マ礼ヌ南岸に線返却
ハ俳側報道) ∇伊横、マルタ鳥峯
興(英事態衣) ▽英杢軍伊領yビ
.丁重虜 ▽英領北伊重態(英側蟄
表) ∇沸政府ツールに遽都
十二臥 珊軍、シャトー・チエサ附
紀でマルヌ河を渡河、ラyスも占
領ハ梯例報造) ▽伊仙蟄丁、シa
,−、チニース間機官敷設ハ伊偶
報山姐)
十三日.ハサ防衛司令官「ハ溜は非
武装都市」との布蕾む蟄す ∇
「ノールウエー作戦完結」とヒ蒙
宜首 ▽狗土新治商協定成立
十四日 濁軍.ハサ入城、∇濁軍ザー
ル地宮にてマ汐ノ線の親政半開
始、その一角モソメデイ要塞占領、
セーヌ河口の要鞄アブゲイルも占
領ハ礪軍後家) ▽併政府更にボル
†−に遽都 ▽アルプス地方で川併
伊交戦(伊軍教義)・∇スペイソ
軍、中立都市クソジールに進駐