第一九〇号(昭一五・六・五)
  時局と節米            農 林 省
  綿製品の切符制度         商 工 省
  貯蓄債券と報国債券        預金郡資金課
  海鷲、支那奥地を制圧       海軍省海軍軍事普及部
  ベルギーの連合軍、独軍に包囲さる 陸軍省情報部
  欧州戦争と支那事変
  英国の戦時体制強化        外務省情報部
  学校給食の実際          文 部 省
  特別寄稿 二千六百年史抄(一六)  内閣情報部参与  菊池 寛

欧州戦争と支那事変


 独軍が近代装備を誇るエベネメール要塞を一日にし
て陥落させ、難攻不落と信ぜられてゐたマジノ線を易(やす)々
と突破したところから、「恐るべき新兵器出現」のニュー
スが新聞紙上にセンセーショナルに報道され、中には神
話的なものさへあつた。独軍の作戦、戦術の巧みさは誠
に賞讃すべきものがあるが、要塞線突破の最大の武器
は戦車と飛行機であつたやうである。即ち驚くべき多数
の飛行機が要塞の頭上に巨弾の雨を降らせて敵の砲火
を沈黙させ、間髭を入れず戦車の群が潮の如く殺到し
て守備兵に全く手も足も出させず、これを制圧したもの
のやうである。即ち質と数に於て圧倒的に多数の戦車と
飛行機を緊密な連繋の下に、作戦目的に使用したことが
独軍の勝因である。
 人力を以て抜く能はずとまでいはれたマジノ要塞線を
突破したのは、独軍が先づベルギーを席巻した後マジノ
延長部の左翼を衝く、前大戦当時の作戦をとると見せ、
英仏軍をこの方面にひきつけた隙に、仏軍がよもやと思
つてゐた鬱蒼たる原始林のアンデンヌ山脈の、セダン方
面からマジノ線を突破した、いはゆる「備へざるを撃つ」兵
法である。古くは鵯越(ひよどりごえ)の坂落しがその例であり、広東
攻略に於てバイアス湾に上陸した皇軍が、敵の防禦して
ゐる自動車路を避け、鉄爐嶂の嶮を突破して敵の意表に
出たのもその例である。
 戦車部隊が敵の薄弱な部分を選んで錐を揉み込むや
うに敵中深く突入するのは支那事変で我が軍がしば/\
用ひてゐる戦法で、徐州会戦に於ける岩仲戦車隊の隴海(ろうかい)
線遮断などはその例である。戦車隊が敗敵を追うて敵中
に突入した例は保定(ほてい)会戦に於ける今田戦車隊の京漢線突
破など、記憶になほ新らしいところであらう。
 道路の整備状況、地形、本国との距離など条件の異なる
欧州戦争と支那事変とを比較することは困難ではあるが
独軍が十四日セダンに突入してから二十六日のカレー陥
落まで十三日間、平均の進撃速度二十二、三キロであるに
対してバイアス湾敵前上陸から広東陥落までは十日間、平
均速度二十キロであつて、広東入城の日などは増城−広
東間六十粁の行程を僅か半日で突破したのである。
 仏白両国に於ける作戦区域の面積がわが台湾より少し
大きいぐらゐで、独軍がこゝに大軍団を集中してゐるの
に対して、支那事変に於ける占拠区域は実に日本全土の
二倍強、満洲国の広さに等しく、戦線延長約三千五百キ
ロに達してゐるのである。
 欧州の戦局の進展をスポーツを見るやうな興味を以て
眺めるより、我々はこの戦局の進展によつて起る世界情
勢の変化、それが東亜に及ぼす影響を慎重に見守らね
ばならない。欧州戦に眠を奪はれて足もとの支那事変を
忘れてはならない。
 ドーヴァー海峡を独軍に扼(やく)されて、カレーからドー
ヴァーまでの距離は僅かに四十キロ、丁度杭州湾銭塘江
口の巾(はば)である。伝統の海軍力、制海
権を誇る英国といへども、航空機の
極度に発達した今日、絶対優勢の空
軍力を持つドイツを向ふに廻し、し
かもドーヴァー海峡の水深浅く大艦
隊の作戦に不適であるとすれば、
ドーヴァー海峡を越えての英本土侵
入は最早制梅権の問題ではなく、大
規模の渡河作戦に近いものであると
いふことも認識して置く必要があ
る。