第一九〇号(昭一五・六・五)
  時局と節米            農 林 省
  綿製品の切符制度         商 工 省
  貯蓄債券と報国債券        預金郡資金課
  海鷲、支那奥地を制圧       海軍省海軍軍事普及部
  ベルギーの連合軍、独軍に包囲さる 陸軍省情報部
  欧州戦争と支那事変
  英国の戦時体制強化        外務省情報部
  学校給食の実際          文 部 省
  特別寄稿 二千六百年史抄(一六)  内閣情報部参与  菊池 寛

べルギーの聯合軍、独軍に包囲さる 陸軍省情報部

 五月十日未明オランダ、ベルギー両国に進入したドイツ軍は、破竹の勢ひを以て随所に聯合軍の抵抗を打破しつゝ果敢なる進撃を続け、僅か四日にしてオランダ全土を席巻し、八日にしてベルギーの要衝アントワープ要塞を攻略した。
 またアルデンヌ地方より進撃したドイツ軍は、ミューズ河を利用する仏白両軍の果敢なる反撃を制しつゝ同河を渡河し、セダン方面より前進せる部隊と協カしつゝモーブージュ、セダン間、概ね百キロの正面に於てマジノ要塞延長部を突破し、引続き強烈なる空軍掩護の下に、戦果をサンカンタンよりアミアン方向に拡大し、次いでその鋭鋒を西北に転じて英仏海峡方向に指向(しかう)し、五月二十一日その機械化部隊はソンム河河口アブヴィルを占領した。
 こゝに於てドイツ軍は完全に聯合軍を南北に遮断することに成功すると共に、ゼーランド地方よりガン、ツールネー、モーブージュ要塞、アラスを経てブーローニュに亙る大包囲圏を完成し、数十万の聯合軍はドーヴァー海峡を背にして完全に独軍に包囲され、世界戦史上曾て見ざる一大殲滅戦が展開された。



    ベルギー戦線

 僅か三日にしてリエージュ要塞の大部を攻略したドイツ軍は、マーストリヒト方面よりアルベール運河を渡河した部隊と共にアントワープ、ルーヴァン地方の英白軍に対し猛攻撃を開始した。
 これに対し十日朝以衆急遽ベルギー戦線に送られた英仏軍は、ブリュッセルを中心に白軍と共に防戦大いに努めたが、決河の勢ひを以て前進する独軍の前には敵すべくもなく、五月十七日には遂にアントワープ要塞は陥落し白国首都ブリュッセルはその守(まもり)を失ひ、聯合軍はシェルド河の線に退却を開始した。
 爾後アントワープを攻略した独軍はシェルド河を渡河して西進し、ブリュッセルを経て前進せる部隊はフランダース地方に達し、先にマジノ要塞延長部を突破し北仏を席巻せる独渾とよく連繋し、聯合軍を逐次ドーヴァー海峡に圧迫した。
 五月二十一日頃独軍はヴァランシエン及びアラス附近に於て強大な聯合軍の反撃に遭遇し、激戦を展開したやうであるが、これは聯合軍自滅の前の最後のあがきであつて何等大局を左右すべきものではなかつた。
 本作戦間を通じ、ドイツの航空部隊は、オスタンド、ダンケルク、カレー、ブーローニュ等の諸海港を猛爆し、相当数の英国軍艦、輸送船を撃沈し、以て一は英本土よりの補給を妨害すると共に、一は敗敵の退路を遮断し、殲滅戦の目的達成に協力してゐる。

    北部フランス戦線

 アルデンヌ地方よりミューズ河河谷(かこく)に進入したドイツ軍は、空陸相呼応せる猛攻撃を以て、五月十五日先づディナン、ナミュール間のミューズ河渡河に成功し、爾後各所に於て同河を渡河し、頑強なる仏軍の抵抗を排除しつゝ数ヶ師団の装甲部隊を先頭に、しかも優勢にして強力且つ有效なる航空部隊の支援の下に、一挙にマジノ要塞延長部を突破し、十七日怒濤の如き勢ひを以て仏国内に進入し、セダン附近の戦闘に於ては一万七千の仏軍を捕虜とし、又その快足部隊の先頭は、同日夕早くもフランスの要衝サンカンタンを占領した。
 その快足振りは誠に賞讃に価するものがあるが、これは一に高度に機械化された近代軍備の特性を遺憾なく発揮したものであつて、情報によれば独軍は、絶対優勢を誇る空軍支援の下に、多数の戦車及び装甲車を先頭に進撃し、聯合軍の抵抗に会へば先づその空軍を以て、或ひは重量爆弾の投下により、或ひは得意の急降下爆撃により、徹底的に敵を粉砕して敵の戦意を喪失せしめ、その效果を利用して機械化部隊は火力と踏破力と機動力により、敵陣を字義通り壊滅せしめてゐるやうである。
 要するに、近代戦に於て最重要な空陸の協同がよく行はれてこの快足ぶりを発揮してゐるのである。
 数日来独軍の新兵器に関して、いろ/\想像的な記事が沢山出てゐるが、これ等に関しては確たる情報を持たずに夢想的架空的な、いはゆる新兵器論を闘はすよりも、独軍が刻苦数年間の周到な準備に於て、作戦の要求に応じて着実に整備した優秀兵器を、作戦の目的に応じ合理的組織的に戦場に縦横に駆駛し、よつて以て絶対の戦力を構成発揮した点に思ひを致すべきであらう。
 かくの如くしてドイツ軍は、サンプル河上流地区より主力を以て一意ドーヴァーを目ざして西進し、他方一部を以て南進を続行し、主としてパリ方面よりする仏軍の反撃に備へてゐる。
 而して西進を続行せる部隊はアラス、アミアンと続々北部フランスの要衝を陥落せしめ、二十一日総長遂にソンム河下流アブヴィルを占領し、こゝに英仏白の聯合軍を完全に南北に遮断するのに成功した。
 と同時にベルギー戦線より北部フランス戦線に亙り一大包囲陣は形成せられ、ドーヴァーを背にした聯合軍数十万の軍隊は、逃げるに道なき袋の中の鼠となつてしまつたのである。アブヴィルを占領した独軍は進路を再転、海岸線に沿つて北上、二十六日には聯合軍の退路として最も重要な海港カレーを占領した。
 聯合軍はミューズ河の線に於て敗れてより周章狼狽成すところを知らず、仏首相レイノーは悲痛なる議会演説をなしてフランスの危機を訴へ、一方ウェーガン将軍を新たに総司令官に任命して陣容の一新を図ると共に、被包囲部隊の主力を以てアラス、ヴァランシエンヌ間の地区に於て大反撃を企図し、以て独軍の包囲圏を突破すべく奮戦した。
 しかるに二十八日ベルギー国王レオポルド三世は、ドイツ軍猛威の前に無意義な抵抗を中止し、二十八日遂に降伏を決意するに至つた。かくてレオポルド三世はドイツのベルギー軍無条件降伏の要求を受諾し、全軍に対し武器抛棄を命令した。
 ベルギー軍の降伏により、ドイツ包囲圏突破作戦に偉大なる誤算を生じた英仏軍は、包囲圏内にあるものは勿論外部突破企図の両者共に非常に不利な事態に陥つた。
 かくて独軍は二十八日にはベルギー海岸の要港オスタンドも占領、三方より漸次包囲圏を圧縮して行つたのである。