第一八七号(昭一五・五・一五)
派遣軍将兵に告ぐ 支那派遣軍総司令部
武力作戦の重要性 陸軍省情報部
その後における仏印ルートの爆撃 海軍省海軍軍事普及部
近東の現状 外務省情報部
特別寄稿 二千六百年史抄(一三) 内閣情報部参与 菊池 寛
近東の現状 外務省情報部
去る四月三十日、英国政府はイタリア朝野最近の動向に
対処するためと称して、英国船舶に対しスエズ運河経由地
中海航路を避けて南アフリカの喜望峰経由航路をとるやう
指令を発し、それとともに英仏両国の主力艦隊が続々エジ
プトのアレクサンドリア港一帯に集結され、地中海の風波
はとみに険しくなつた。
それに次いでエジプト政府は、五月一日、エジプト全土
に亙り非常防禦措置を実施するとともに、翌二日、マヘル・
パシア首相司会の下にランプソン駐埃英国大使、ウィルソ
ソ英国エジプト艦隊司令官等の参集を求めて重要会議を開
催し、一方英仏軍はアレクサンドリア港における艦隊集結
と相俟つて近東地方に兵力増強が伝へられ、即ちシリア方
面における仏軍兵力は、最近一ケ月間に十五万より二十万
乃至二十五万に増強され、また現兵力六万と称される英軍
のパレスタイン及びエジプト部隊にも近く濠洲、ニュー
ジーランドより増援部隊が到着の予定と伝へられ、トルコ
における各新聞も若し戦争が拡大する場合トルコは英仏側
の通告があり次第、直ちに起つて英仏側に参戦する用意れ
りと報じてゐる等、バルカン、東地中海方面への戦火波及
の危険性増大につれ、それに関連する東地中海諸国も事態
の急変に備へるため必死の準備活動を開始するに至つた。
西南アジア、いはゆる近東及び中東地方が、太陽に恵ま
れる南方に出口を求めてやまないロシアと、大帝国網の維
持に躍起となつてゐる英国との葛藤地とされてきたことは
既に久しいものである。
即ち、一八五四年当時には、クリミア戦争(英、仏、土、サ
ルヂイニア四ヶ国対ロシア)の形において、一八七七年には
露土戦争の形において、近東中東地方をめぐる英露の争覇
戦がくり返され、前世紀末頃かちはそれにドイツの陸路バ
グダッドを経て印度洋進出の運動が介入するに至り、事態
はとみに複雑となり、深刻化したのであつた。
ついで第一次世界大戦となり、帝政ロシアは崩壊し、ド
イツの大望も空しく失墜し、こゝに近東地方一帯は一先づ
英国の勢力下に収められた。が、やがてソ聯は赤化エ作の
貌(かたち)によつて再びそれら各地への進出を企てるに至り、そ
の後エチオピア問題で英伊関係が悪化するや、イタリアの
近東回教諸国に対する工作は或る程度まで功を奏し、ため
に近東地方における英国の地位は頗る同様するに至つた。
既にそれよりさき、イランにおいては国権回収運動が盛
んとなり、石油利権をめぐつて反英抗争が積極化し、パレ
スタインにおけるアラブ猶太両民族の紛争も悪化の一途を
辿り、ついでトランスヨルダンにも内紛が激化され、イラ
クにおけるモスール油田の如きに至つては、英伊両国の当事
者間に三度もその支配権の争奪が繰かへされたのであつた。
かくして、一九三八年、英伊協定の成立と前後して復興
ドイツはいよくイタリアに代つてそれら近東地方に経済
本位の実質的な進出振りを示すに至り、こゝに英ソの宿
命的争覇線へドイツが再び介入し、期せずして英ソ独三列
強の角遂場とされることとなつたのである。
それに対し、近東諸国間には、近来二つの集団勢力が築
かれてゐる。一つは、大アラブ主義の旗幟の下に、イラク
を初めとしてエジプト、サイデイ・アラビア、イエーメン
の諸国が結び、トランスヨルダン、シリア、パレスタイ
ンのみならず、アフリカ北部一帯のアラブ語常用各地とも
密接な接触を進めて来てゐるものである。他の一つは、
一九三七年七月に相互国境の不侵略を目標として結ばれ
たトルコ、イラン、イラク、アフガニスタン四ケ国間の
サーダバッド協党に拠るものである。
但し、この両集団が、かつて英国の委任統治領であつた
イラク王国によつてつながりを持つ、といふ特異性を帯び
てゐるものであることは見のがせない。即ち、最近数年来
のイラク政情がしば/\不安であつたことは、イラクを
掌中に収めることによつて、それら両集団に勢力を及ぼ
し得る余地があるため、専ら欧州列強の進出の目標とされ
た結果に外ならなかつたのである。
そして去る九月三日、遂に大戦が勃発するや、それら近
東中東の諸国中、まづトランスヨルダンは熱狂的に対英
援助を申出で、パレスタイン及びシリアは英仏の行動に
順応し、エジプトは一九三六年の英埃同盟条約により、
英仏の対独宣戦と同時にドイツとの外交関係を断絶し、イ
ラクも遂に一九三二年の英イ同盟条約に基づいて九月六日
ドイツとの国交断絶を宣言するに至り、また、ソ聯と国境
を接するイラン及びアフガニスタン両国は英対独ソの微妙
な関係を懸念しつゝ九月四日及び九月六日にそれ/"\中
立の声明を行つたのである。サウデイ・アラビアは、早急
に向背(かうはい)を敢へて決する必要を認めないやうな態度を示した
が、実際問題として現在までのところでは少くとも反英で
はないものと見なされてゐる。
なほ、サーダバッド四国協定の盟主と評されてゐるトル
コが、十月十九日に至り、遂に英仏と三国相互援助協定を
結び、少くとも英仏対ドイツの戦争に関する限り英仏側に
立つことを明らかにしたのは周知のところであるが「それ
は独ソのポーランド分割に次いで、バルカンならびに近東
地方に対する独ソの重圧がにはかに増加し、トルコとして
はその重圧に対杭するために英仏の援助を頼むのやむを得
ない情勢となり、且つ英仏側としても独ソのバルカン及び
近東地方への進出を抑へるために、是非ともトルコを自己
の陣営に引込む必要に迫られ、とりわけドイツの近東中東
への通路を断ち、ソ聯を黒海に封鎖し中東地方に対するソ
聯の脅威を牽制するため、近東作戦を企図するには絶対に
トルコの協力が必要な結果、遂に英仏対トルコ協定の成立
となつた。
かくの如き事情の下において、近東地方の情勢を支配す
るトルコの動向が最も重視されて来たのであるが、英仏土
協定の成立以来トルコとドイツとの関係が悪化したことは
当然であり、去る二月に至りトルコ海軍省のドイツ人技師
解雇事件や首都イスタンブールにおけるドイツ資本のク
ルップ造船所の占拠事件などが起り、独土関係の緊迫が伝
へられた。然し、当時のドイツとしては英仏との長期戦に、
備ふべく、バルカン地方の物資を獲得するとともにルーマ
ニア、ブルガリア、トルコを通じて近東、中東及び東洋に通
ずる物資補給路を確保せんとし、バルカン地方の中立保全
に努め、ために二月末に至り独土第二次バーター協定の成
立となつた。
一方、トルコは極力中立保持につとめるとともに英仏側
と緊密な連絡をとり、英仏軍のシリア方面への増強と相応
じて、英仏の指導援助の下にブルガリア国境寄りに要塞を
構築し、ダーダネルス海峡の防備完成を急ぎ、ニ月十九日
に国防法を実施して戦時体制を強化するに至つた。そして
三月に入り、ルーマニアが百六十万の動員を行ふや、トル
コもそれにつゞいて動員の官僚が伝へられたのである。
トルコについで重要視されてゐるのはイラク及びイラン
であるが、イラクは近東地方における屈指の空軍根拠地と
して、また欧州より印度への空路の要衝を占め、且つ石
油の供給地(一九三九年中産油約四百四十二万噸)として英帝国
網に絶対不可欠とされ、世界大戦後の英国委任統治期
限をすぎて独立の王国となつてから未だ八ケ年であるが、
大アラブ主義運動の勃興に際会し、正真正銘のアラブ民
族盟主国を以て自任してをり、その富裕さはアラブ諸国中
随一と号されてゐる。但し、その反面においてこのイラク
はサスーン財閥などの発祥地でもある通り、同国経済界
にはアラブ人のみならず、ユダヤ系勢力が根強く張つてゐ
る事実も、イラクの国勢を概観する上に看過できない要素
とされてゐる。
そして建国の経過からして、初代のフエイザル王当時の
イラクが親英第一主義であつたことは云ふまでもないが、
二代のガージ王となり、やゞもすれば反英風潮が表はれ、
最近数年来屡々惹超せれた政変の背後には常に列強の影が
映てゐたとさへいはれてゐたが、去年ガージ王の御急逝
以来、幼王を補佐する摂政政治となり今日に及んでゐる。
かくて、去る二月、イラクにおけるフリ・サイド内閣は、
その親英政策を国軍方面から非難されて辞職したが、その
後を受けたイラク臨時内閣は果敢にも軍部内の反英分子の
一掃を断行し、ついでサイド前首相は再び組閣して外相を
兼摂し、従来の親英政策を一層徹底するに至つた。
因(ちな)みに、イラクはトルコと一九二六年町友好協定を結ん
でをり、元来イラクにはトルコ方面からの移住者も多く、
またアラブ民族主義者としてのイラク人の内には新興トル
コを敬慕する者が多教あり、これらがイ土両国を親善関係
に導いて来たものと見られてゐる。
イラクにつゞくイランyは、元来英ソ独三列強の角逐場と
なつてゐたゞけに、その動向は極めて注目されでゐる。
世界第四位の石油国イラン(一九三九年中産油約一千一百五
十二万噸)は、未だその住民の八割までが耕作によつて生
活してゐる農業国であり、一九二五年以来反ソ反英の態度
をとつてゐたが、昨年以来、英国と極めて密接な関係にあ
るエジプトと接近するに至つたことは注目に値ひしよう。
そして、従来ソ聯側はイラソに対して専ら経済的圧迫と
赤化工作により、イランの対英関係を断たせようとつとめ
て来たのに反し、英国側はイランの財政困難等の事情に乗
じてクレディットや物資の供給による経済工作によつて着
着対ソ作戦の基礎を固めてゐた。最近も英国はイラン政府
に対し、石油採掘の特許権を担保として五百万磅を鉄道計
画の促進のため融資し、ソ聯も躍起となつてイランと新通
商航海条約の仮調印を行ふに至り、イランをめぐる英ソの
角逐は刻々に激化しつゝある。
次にエジプトは去るエチオピア紛争を契機として、リビ
アとエチオピアとの両伊領に挟まれる成行に直面し、且つ
英国側もスエズ運河確保の必要を痛感させられ、こゝに英
埃両国の歩みよりとなり、即ちイタリアの東アフリカ進出
は期せずして、英埃関係を過去五十年の抗争から一変させ
るに至つた。
又、サウデイ・アラビアが、去る世界大戦の当時からそ
の統治者サウド王の巧みな行動によりしばく英国外交に
後塵を吸はせて、大アラビア復興王の名を恣にしてき
たことは余りに有名である。そしてアラビア経済生活の近
代化に際しても、努めて欧州の列強勢力を介入させぬよう
な方針で進んできたのであるが、近来同信の回教徒とい
ふ建前によるエジプト資本の進入は著るしく、先頃結ばれ
たエジプトとサウデイ・アラビア間の経済協定には、アラ
ビアの軍用道路建設に関する取極めさへも含まれてゐたほ
どで、結局経済的に現今のエジプト即ち英国の影響下にお
かれてゐる大勢を示してゐる。
以上のヤうな近東情勢の下に、英国は近来それら方面に
対する独伊ソの動きを牽制すべく、しきりにサーダバッド
条約加盟諸国(イラン、トルコ、アフガニスタン、イラク)
に働きかけてゐると伝へられてゐるが、右諸国の中、最近
特にトルコ、イラン両国間の国交密接となり相互援助条約
成立し、トルコはこの程イランに対し、イランが若し第三
国より攻撃を受ける場合、トルコは全力を挙げてイランを
援助する旨の保障を行ひ、イランもこれに対して好意を
示してゐると伝へられる。
一方、トルコ、イラン両国とエジプトとの関係も最近甚
だ接近しつゝありと伝へられてをり、かくて一度挫折した
サーダバッド条約を現行の不可侵条約より軍事的相互援
助条約に発展させようとする運動は、アフガニスタンの代
りにエジプトが加はり、異る形において英国の勢力を背景
とし、近東、中東
を結ぶ回教四ケ
国互助協定成立
の予想が伝へら
れてゐることは
注日に値する。
即ち、最近この方
面に対するソ聯
の進出説も下火
となつた折柄、
以上のやうな英
国側の進出は、
今後この方面に
特に多大な関心
を有するイタリ
アに重大な影響
を及ぼすものと
見られてゐる。