第一八七号(昭一五・五・一五)
派遣軍将兵に告ぐ 支那派遣軍総司令部
武力作戦の重要性 陸軍省情報部
その後における仏印ルートの爆撃 海軍省海軍軍事普及部
近東の現状 外務省情報部
特別寄稿 二千六百年史抄(一三) 内閣情報部参与 菊池 寛
武力作戦の重要性 陸軍省情報部
一、武力作戦の重要性
汪牙ハ氏を中心とする支那新中央政府の成立によつ
て、事変処理の過程が一進展したことは事実であるが、
これによつて武力戦のもつ役割がいさゝかでも軽減され
るだらうと考へたり希望したならば、大いなる誤算であ
る。殊に事変の本質が、領土や賠償を目標とせざる以
上武力戦の速かなる終結を願ふ感情が湧くかも知れぬ。
しかしこの感情こそ戦争遂行の大きな敵であつて、敵側
の抗戦力を左右するものである。
また現実容共抗日の敵が依然として頑張つてをり、こ
れが存在する限り、帝国としては武力による圧服をいさ
さかも緩めることはできない。殊に敵は最近第二期第三
次の整備訓練期と称し、窮乏の中にあつて必死の抗戦力
培養に努めつゝある。もとよりその抗戦能カの恢復は、
到底昔日の如き姿を再現せしめることは不可能なこと
で、一戦毎に弱まりつゝあるが、これを屈伏せしめ最後
の止めを刺さねばならぬ。帝国としては、五年でも十
年でも、敵が降伏するまで武力作戦を続行せねばなら
ぬ。
過日新中央政府の樹立せる事実、敵に精神的打撃を
与へ、その戦争指導を困難ならしめたことは吾人の想像
以上で、「日本は武力が既に弱つたので、それに代ふるに
政治攻勢の手を使つたのだ」と勝手な理屈をつけて民心
をごまかさうとしてゐる。そこで行はれたのが今回の北
支、中支方面に於ける積極的大掃蕩作戦で、目標はもと
より敵を捕捉してこれを撃滅するにある。
戦地は時恰かも初夏の候、大陸特有の熱風が襲ひ来り、
黄塵天を覆ふやうな悪い時期にもかゝはらず、遠征の将
兵は元気に活躍しつゝあるのである。
二、最近の主なる戦果
1 晋南作戦
去る四月十七日頃から開始された山西省東南部晋南地
区の大掃蕩戦は、衛立煌の率ゐる約六万の敵中央軍に対
する包囲作戦で、既に多大の戦果を収めてゐる。安(ろあん)南
方沢州(たくしう)を中心とする山岳地帯により、山西、北支の治安
攪乱の策源
地をなして
ゐた敵十八
万も、この
作戦によつ
ていよ/\
掃蕩される
こととなつ
た。目下、
軍は沢州を始め各要地に分駐し、附近残存匪の掃蕩を続
行中で、山西奥地の明朗化は日一日と進んでゐる。
2青陽(江南)方面の作戦
去る四月二十日過より、蕪湖(ぶこ)、湖口間揚子江南岸青陽
を中心とする地区の大掃蕩戦が行はれた。本作戦は、揚
子江方面に比較的近接せる顧祝同麾下の第三戦区の敵
を撃破し、以て揚子江航行の安全確保を企図せるもので
あつて、蕪湖方面より南進せるわが部隊は、安慶(あんけい)南岸地
区方面より東進せる他の部隊と共に敵を青陽附近に包囲
し、これに多大の打撃を与へて撃退し、四月末一応その
作戦を終了した。
(上の地図は五月九日に於ける棗陽、源方面の我が軍の体勢)
3 漢水方面の作戦
漢口西北地区に駐屯せるわが軍は、去る五月初めより
前面に対峙せる第五地区の敵に対し一斉に攻撃を開始し
た。各部隊は折からの炎暑を冒し、地形の困難を克服
し、途中敵の抵抗を撃破しつゝ前進を続行中で、五月七、
八日頃には早くも源(ひげん)、棗陽(きうやう)、呂堰鎮(棗陽東北)の線に
進出、敵に対する包囲態勢と完成しつゝある。