第一七七号（昭一五・三・六）
　　支那事変の意義　　　　　　　　　陸軍省情報部
　　時局と緑地計画　　　　　　　　　　内　務　省
　　支那事変貯蓄債券の使命
　　蒋政権の経済力　　　　　　　　　　陸軍省情報部
　　欧州戦争の宣伝戦点描
　　海軍と気象　　　　　　　　　　　海軍省海軍軍事普及部
　　米国務次官の渡欧と和平問題　　　　外務省情報部
　　二千六百年史抄（五）　　　　　　　内閣情報部参与　　菊池　�ｪ

欧州戦争の宣伝戦点描

　欧州に第二次の大動乱が勃発して以来、既に半年、戦争は近代戦の特徴である総力戦の特質を発揮して、宣伝戦、思想戦、経済戦が、火華を散らして戦はれてゐる。武力戦より、むしろ宣伝戦の観をさへ呈し、ジークフリート、マジノの両線に兵力を増強すると共に無形の要塞線である宣伝機構を強化、文明の最新鋭の武器である通信、写真、映画、ラヂオ等を総動員して、華かな宣伝戦や思想謀略戦が、展開されてゐるのである。
　戦時の宣伝戦は、自国民の国民精神の昂揚と、敵国の民心攪乱、中立国の同情獲得の三つの面を持つてゐるが、開戦当時の宣伝戦の目標は、戦争勃発の責任を敵国に転嫁するとともに、戦争の目標を閘明することにあつた。
　ドイツ側は昭和十四年八月三十一日夜、Ｄ・Ｎ・Ｂ通信社を通じて、いはゆる対波十六ヶ条の提案を発表、「ドイツは和平を希望する」旨を世界に印象づけよとうと試みたのであつた。翌九月一日、ポーランドへの進軍命令を発したヒトラー総統は臨時議会を召集し、「ドイツは和平を希望したが、英仏がこれを拒んだ。もはやドイツは自己の力で問題を解決すべき時に至つた」と獅子吼、この演説を全世界に放送したのである。
　続いてヒ総統のナチス党に対する布普（九月三日）、ゲッペルス宣伝相の演説（九日）、ダンチヒに於けるヒ総統の演説（十九日）等を矢継早に放送、ドイツは、欧州の安定平和の美名の下にドイツを包囲せんとする英仏に、あくまで対抗する。我々はドイツ民族の生命のために戦ふのだ」と戦争の責任は英仏にありとし、戦争の目標を明らかにした。
　これに対して英仏側も英国皇帝の御放送をはじめ、九月一日夜のチェンバレン首相の議会演説や全英帝国放送によつて開戦の決意を明らかにし、次いでダラディエ仏首相が議会に於て、英国の決意を支持する旨を述べ、フランスの決意を明かにした。イギリスでは更に一歩進んでチェンバレンはドイツ語で放送して直接ドイツ国民に呼びかけた。かくて電波が宣伝戦の最も有カな武器として登場して来たことは、今次欧州戦争に於て特筆すベきことである。
　宣伝戦の手段としては、前大戦でも盛んに用ひられた「紙の爆弾」も勿論利用されてゐる。戦争開始と同時に「宣伝空襲」によつて空中から投下された「紙の爆弾」は恐らく何千万枚に達するであらう。
　ドイツの対敵宣伝は、鉾先を英国に向け、チェンバレン罵倒のポスターを使用するなど苛烈を極めてゐるに反し、フランスに対しては寧ろ攻撃を控へ目にし、英仏の離間を図つてゐる。
　英仏側の対独宣伝は、ドイツ国民とナチスの離反に主力を注いでゐる。この民主主義対全体主義の反ナチス思想戦は開戦前から深刻に戦はれてゐたのである。既に開戦前から、英人キング・ホールが正確な情報の交換といふ名目で、手紙の形でドイツ国内に向け発送してゐた。キング・ホール通信の数も数十万に達するといはれる。
　中立国に対する交戦国の宣伝は、戦争の責任を相手国に帰し、自己の力、武力、経済力等を誇示して、中立国を自己の陣営にひき入れるやうに努力するにある。少くとも敵方に廻さぬことが必要であるから、自国に同情を求めるため、あらゆる事件が宣伝の対象となつてゐるのである。例へば英船アセニア号や、照国丸爆沈事件を繞つて英独間に盛んに宣伝戦が行はれたのである。
　英独の宣伝戦を技術的に見れば、ニュース・映画、写真等ではドイツが圧倒的に勝利を占めたといへるだらう。開戦後一週間、中立国の新聞、雑誌はドイツ側の写真と通信で埋められたほどだつた。これは英仏側の検閲が厳重を極めた結果で、英仏もそれに気がついて後には検閲の手をゆるめた。
　宣伝には心理作用が最も重要であるが、この点では英国の方が巧妙である、宣伝は先づそれを信用さすことが根本的な要件なので、英国は前大戦の経験に鑑みて、秘密主義を捨て、自国の損害なども出来るだけ発表して、「英国側のニュースは確実」との印象を与へるのに努めてゐる。
　たゞナチスとドイツ国民の離間工作は、ドイツ国民の強固な思想的団結の前に歯が立たない、といつた形である。国家の興亡に思想の力、国民精神の強弱が、いかに大きな役割をもつかが、こゝにも明らかとなつてゐる。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　−　内閣情報部　−