第一七四号(昭一五・二・一四)
  海運統制令             逓 信 省
  支那事変に現はれた戦法の種々相   陸軍省情報部
  浅間丸事件の交渉経過        外務省情報部
  南寧方面の殲滅戦          陸軍省情報部
  南支海軍航空部隊の活躍       海軍省海軍軍事普及部
  二千六百年史抄(二)        内閣情報部参与 菊池 寛

浅間丸事件の交渉経過
外静省情報部

川レ●く●
貴る一月二十二口忍起された渦間丸事件は、その後的
‘つしJ・’
〓過間にわたる日英折殉の結典、二月五日に至り、円英蟹
けん小いり}d
号の相封立した法律的見怖を留保したま1、政治的僻決の
〃∵り小い
l段階に到遽した.
即ち、英拘政府は法律上の横利を嘲保すると北ハに、先づ
じ†く●しん
蔑問丸事件が樋めてゎが紀梅で惹起されたことに封して深
了んムかんらつも
在な潰憾の窓を表し、ついで粒致したドイツ人般空‡T
て▲▼
名の内で、取調の結兆比校的軍汚に池せぬ九名の引渡を
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承諦するに吏つた.
音ふまでもなく帝固政府としては、わが方の法律的見解
′’つ▲サ
に基づく、拉致ドイツ人二十一名仝部の引渡し要求を、それ
くわ.】
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ら忙よつて放薬するものではなく、今後も引つゞき宴求耳
▲てづ
徹のため封英折街を行ふ方針であるが、とにかく鴻問丸事
件の交渉は、部分的には一應の話合ひがついたわけである.

帝固政府は事件勃教の翌川、クレーギー英固大使を外務
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省に招致して、谷外務次甘より、帝固政府は濁間丸事件に
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開し英図軍艦の行動を非友誼的行名と見なさぎるを得ず、
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本件について至念に英図政府の根操ある充分な詮明を婆求
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し、且つ抑留されたドイツ人賠客の引渡しむ要求する権
く■ソい、
利を濠じめ留保するものであり、今後このやうな事件が繰返
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されるやうなことがあれば、帝団臣民の封英感情はますま
小1′可・▲
す意化すべく、英囲側はこの鮎を考鹿して曹鹿するやう厳
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重な杭議を行ひ、この際英団倒が大局的の見地から、速か
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に抑留ドイツ人を引汲すととが、日英均交のために最曹の途
▲ソ●<つ
であるといふ粘を力詑したのであつた.
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ついで翌二十三日、更にクレーギー大使の釆訪を求めた
有同外相は、蒐ねて壌間丸事件に帥する帝開政府の見解を詮
して▲I、
明すると共に、事件の釆大性を指杓しておいたのである.
し.汀4つくんれい
一方、ロソドソにある訳光大使は、帝固政府の訓令に基
づいて、ニ十四日、ハヮファックス英外相を訪問し、日英
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友好閥係といふ大局的見地から憐蕊な考慮む促し、それ
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に封しハりファックス外相は、今次の招壇は封昭勒率聯利
ウ●・}小い
穣保のため以外に他窓はなく、口本の不平はよく諒解出
一くし
爽ると共に、ドイツ現破の計音を阻止しょうとする英図の
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立場を認められたい旨を頚詣した。
然るに二十五日に至り、クレーギー大使は英団政府の正式
同答に兜きだち、都下各新川祀に封し墳然攫明を行ひ、こ
ナ∫くわ.∨几い
れに封し甥桝外彷省情粍佃ポが、外交上の慣桝から見て非友
秤的であるとの見解を犬椚し、同大位は有円外相に白身の
し●くめい
尿窓を繹明し、且つ英閑政府の正式同答は鶴めて紀い内に
侍へられる旨を申述べた。
かくしてこ十七日、有田外柏とイレーギー大使の倉見と
なり、クレーギー大使は湧間丸事件忙一閑し、日本政府から
か1ノγIしゆ小l
行はれた杭議に封する英囲政府の同答文を有四外相忙手交
したのである。英固政府はこの同答に於て、今同のやう
f上りか。▲ん汀▲、
な事件が帝囲の首都聞近で惹き起され、日本臣民の怖激む
招いたことに封し遭憾の意を衣してきたが、それと同時
ヽ▲く■ソーフ
に、ドイツ人の抑留は固際法により常然の稚利であるとい
ふ、法律上の見僻を縄返へして釆たのであつた.
この英固政府からの同答に封し三十日、三十一日と二同
に亙り、有田外相とクレーギー大使との間に合談が行は
ら−つ▲り
れ、有田外相は鴻間丸から拉致されたドイツ人二十→名の
、んくbん
返遭は絶封必要であることを主張したのであつた.
そして、帝図政府はこ月一口付の公文を以て、先づ英
一ろんし一け●
閉政府が■潤問丸事件によりわが図の蝕ハ論を刺戟したことに
封し特に傾式な考想た珊ひ、一月二十七日の同答文に於
さかん【′●・1し,●う
て濃憾の旨を夫明して水たことを諒承すると共に、英団
こしふろ・ヽイ‥く
政府の間勃する法律上の見解に封しては詳細にそれを論駁
し、津間丸事件に於ける英園軍艦の行動は、団際法上から
見ても不法なることをカ紋し、あくまでも前記ドイツ人ニ

10

十一名の引渡しむ要望する晋む申迭つたのである.

なほ、濁穴ロ番件に閑する法律上の見解について、英鴎
こ17かい
何は、公粍上に於て平和的舵海を行つてゐる中立団般舶
らつも‘んけん
から拉致m氷る粋図人の範閑について、ロソドソ宜青第四
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十七傭(週報耶召七十二舵参料)に猫特の解搾を加へ、且つこ
て〜いん(く。じゆん
のロソドソ室肖そのものは、調印図によつて批准されて
こ1フ◆I′ヽ,▲−く
ゐないものであるから何ら杓来カはないと朽し、平和的
舵海に従事してゐる中立団舵舶上から敵図人を拉致する
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慣はしは、開際池上に碓立された原則であると主張してゐ
るのである.
しかしながら、帝図政府は、ロソFソ宜音第四十七條は
英囲側の立張するやうに僻繹するものでないことは常時の
。Mレ●ん
園係曹耕にょつて明らかであり、叉ロソドソ室弓は批准
されてゐなくとも合理的であるとの見地から、多教の困々
▲て
はそれJr・・団内法によつて定められてゐる事賛に照らし、
へ▲7‥し●ん
南際法上の械坤とされるものとの見解を持つてゐる.そ
中.つ
してもし侭り忙一汐を譲り、英囲側が主張するやうにロソ
アソ宜音む仝く佃数であるとするならば、むしろ公海に平
和的舵海を行ふ中光団蛸舶上より敵硯人を杜致することは
出釆ないといふ−般原刑に碓はなければならない.従つ
て、英圃側の見僻は、準誼や兜例に照らして見ても何等我
・すつとく
が方を納得させることは〓水ないのである。
徒つて帝閥政府は、あく柔でも前述のやうな我が方の法律
いん‘、い小,
上の見解を竪持するものであるが、それと併行して、政治
的見地より、英閉倒がこの際遽かに抑留ドイツ人の引渡し
●■んl・9
に應ずることが口英図交の大局からして緊姿である旨を、
‘いい
東京及びロソドソに於て数周に瓦り力詮し、英図倒の誠窓
はん‘いlいいくわんてつ
ある反省を求め、銃意日的の甘徹につとめたのであつた.
かくて、英開政府はこ月五日付公文を以て、英図とし
一Jlん●◆ん
ても法律上の見解を柾げることはH釆ないが、固滴に解決
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しようとする英図政府の紙意の許明として、抑儲ドイツ人
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について香港到着以氷それノぐ−各自の修練状態や乾艦を取
調べたととろ、その内の或る者は此校的軍務に過しない者
はんめい
であることが判明したといふ理由の下に、法律上の稚利む
曾保し、ニ十】名中の九名だけを、迫つて協定される埴常の
′ヽわんけ,∨
時期−及び壌山岬に取て帝h珂官窓に引渡す周意のある也すむ一通
音して氷たのである。
帝岡政肘としては、確朋丸事作を出釆る眼り速かに潮滴
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に解決させょうとする英団倒の沌意は諒とするが、英固政
帝から申‖でたドイツ人引渡し人数は我が方から引渡し妥
・T−.り】r・く
求をした一部分に過ぎぬため、それのみを以て満足するこ
とはmH氷ないのである.
故に、前記のドイツ人九名は引取ることとなるが、わが
洪律上の見解に基づいて今筏ともあくまでも英団政府に封
rん−一
して、確放の抑留rイツ人の引渡し方を要求することは勿
冷である。
なほ、終水に閑しては帝開政榊は今後日本賠舶航行上の不
安を除く花め、ニ月七日付遽信補H甘示第二官七十四鴇を以て
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本邦各綿令祀に封し、一般に交恥咽の軍踪に綱入されてゐる
▲▼んし
者(その雄ひのある老を含む)の凍純引受を禁止したのである.
’、・ヽ舟ヽ.レト●l−・つ
かくて、こ1に閃難を預想された溝間丸事件の交渉は、
だんトいlゐ‥し
塀決上爪大なる一段附に達し、終氷顆似事件の黎生するが
如きことはあろまいと思はれる.

『東京ガゼヅト』普及版
竿年以上の線約に隈り−部費り
週報の英文版「末京ガゼット」の「普及版」は、徒来高等革門
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内間怖科部分蒙内充京ガゼット挙行所
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