第一七二号(昭一五・一・三一)
  昭和十五年度予算の概要       大 蔵 省
  青島会談の経過           内閣情報部
  祭祀の制度と本年の紀元節祭     内務省神社局
  献金美談              海軍省海軍軍事普及部
  極東を中心とする航空網       航 空 局
  戦時統制物資講座(九)医薬品    厚 生 省
  節酒はなぜ必要か
  浅間丸事件について         外務省情報部
  臨検・訊問・抑留・拿捕

祭祀の制度と本年の紀元節祭         内務省神社局

 我が大日本帝国は、神国と申す通り、古来神事を重んじ、
夙に神祗に関する制度が確立せられ、他邦に見られぬ特色
を有してゐるのでありますが、明治の聖代以来益々これ
を整備せられて、今日に及んでゐるのであります。神祗制
度の中に就ても、祭祀に関する制度が頗る重要な地位を
占めるのであつて、これは畢竟神社存在の目的が祭祀に存
するからであります。

  社格制度

 さて現今の祭祀制度の一斑を述べるに先だつて、社格制度
のことを一応述べる必要があります。伊勢に鎮り坐す皇大
神宮竝びに豊受大神宮の両宮は之を併せて単に神宮と称し
奉り、之には社格の適用がなく絶対尊貴の御宮柄とせられ
て居ります。次ぎに官国幣社即ち官幣大社、同中社、同小社、
別格官幣社(以上官幣社)、国幣大社、同中社、同小社(以上国
幣社)の七種の神社があり、総称して官社とも申し、更
にその次に府県社、郷社、村社の三種がありまして、通俗に
それ等を民社と云つて居ります。なほ別格官幣社は官幣小
社に準ぜられて居りますが、まだ社格の定められない民社であ
ります。然らば制度上官国幣社と府県社以下神社とはどう
違ふかと申しますと、国家のこれに対する待遇が異なるので
ありまして、後に申す神饌幣帛料の供進、或ひは奉仕の
神職などに就て差等があるのであります。

祭祀制度

 神宮、官国幣社以下神社の祭祀制度を申述べるには、宮
中の祭祀制度にも言及しなければなりませんが、これは別
の機会に譲つて、明治四十一年皇室令を以て皇室祭祀令が
定められてゐるといふことを申すに止めておきます。
 先づ神宮の祭祀に就ては、大正三年勅令を以て神宮祭
祀令が定められて居ります。これによると、神宮の祭祀を
分(わか)つて大祭、中祭及び小祭とします。大祭には、祈念祭、
神御衣祭、月次祭(六月・十二月の両度)、神嘗祭、新嘗祭(以上
恆例)、遷宮祭、臨時奉幣祭(以上臨時祭)があり、中祭には日
別朝夕大御饌祭、歳旦祭、元始祭、紀元節祭、風日祈祭、
天長節祭、明治節祭があり、大中祭以外の祭祀を小祭と致
して居ります。そして大祭の中、祈念祭、神嘗祭、新嘗祭、
遷宮祭、臨時奉幣祭には勅使が参向して、御幣物を奉られ
るのでありまして、年中恆例の祭に於ては神嘗祭が最も重
いものとなつて居ります。
 次に官国幣社以下神社の祭祀に就ては、同じく大正三
年勅令を以てその祭祀令が制定せられて居ります。これに
よりますと、大祭、中祭及び小祭の三種に分ち、大祭には
祈念祭、新嘗祭、例祭、遷座祭、臨時奉幣祭があり、中祭
には、歳旦祭、元始祭、紀元節祭、天長節祭、明治節祭、
神社に特別の由緒ある祭祀があります。而して官国幣社の
大祭に就ていへば、官幣杜の祈念祭、新嘗祭、例祭、本
殿遷座祭等、国幣社の祈年祭、新嘗祭等には皇室より、ま
た国幣杜の例祭、本殿遷座祭には国庫より、それ/"\一定
の神饌幣帛料を幣帛供進使或ひは地方長官参向の上奉奠せ
られることになつて居ります。
 また府県社以下の神社に於ては、大祭たる祈念祭、新嘗
祭、例祭に当り、特に指定せられた神社に限り、地方公共
団体から定額の神饌幣帛料が供進使によつて奉奠せられる
ことになつて居ります。なほ特別な神社として護国神社の
ことを記しますと、これは府県社に相当するいはゆる指定
護国神社と、村社に相当するいはゆる指定外護国神社とが
あり、いづれも官国幣社以下神社祭祀令の適用を受けるの
ですが、一般神社の大祭の外に、鎮座祭、合祀祭が大祭と
して認められ、例祭、鎮座祭、合祀祭にはそれ/"\地方公
共団体から一定額の神饌幣帛料が幣帛供進使或ひは地方長
官(市町村長)によつて奉奠食せられることになつて居りま
す。

紀元節祭

 さて紀元節祭は、さきにも述べましたやうに神宮、官国
幣社以下の神社に於て、それ/"\中祭と定められて居りま
すが、本祭の主旨はいふかまもなく毎年紀元節の佳節に方
り、皇位の大元(たいげん)をかしこみ敬ひ奉りて、宝祚の無窮、国
運の隆昌を天神地祗に祈請するのであります。こゝに、
顧みて本祭の制定せられた沿革を一言致しませう。
 明治五年十二月十五日太政官布告を以て、

今般太陽暦御頒行 神武天皇御即位ヲ以テ紀元卜被定候
ニ付、其旨ヲ被為告候為メ来ル廿五日 御祭典被執行
候事 但書略

と制せられ、こゝに我が国に始めて「紀元節」が制定せられま
した。即ち神武天皇御即位の年を以て我が国の紀元と定
められたわけであります。ついで明治六年一月二十二日
太政官布告を以て、

来ル廿九日神武天皇御即位日相当ニ付御祭典済後宴会
被為行候事 但書略
と定められました。ついで同年三月七日同じく太政官布告
を以て、
神武天皇御即位日紀元節ト被称候事
と達せられるに及んで、こゝに「紀元節」といふ称呼が定
まりました。神武天皇御即位は、日本書紀に、
辛酉年春正月庚辰朔、 
天皇即帝位於橿原宮是歳為天皇元年
とあるやうに辛酉(かのととり)の年正月元日であります。布告に二十
九日とあるのは、明治六年一月二十九日が旧一月元日に当
るからであります。しかし御即位相当日を毎年不変のもの
に定める必要上太陽暦で逆算すれば、辛酉の年の正月元
甘は二月十一日となります。よつて明治七年以来この日を
「紀元節」と定められたのであります。
 かくの如き次第を以て紀元節が制定せらるゝと共に、こ
の佳節を寿ぎまつる紀元節祭が新たに神宮神社の祭祀に
加へられたので、これ全く明治天皇の叡慮に基づくことと
拝察するのであります。明治維新の大業が、神武天皇御
創業の古に復(かへ)るを理想とせられたことと思ひ合すれば、こ
の佳節に際し、日本国民はひとしく肇國の昔を追念し、そ
の御精神を体して愈々皇運を扶翼し奉るべき心を鞏固にし、
敬祝の慶びを共にすべきであります。畏くも明治天皇は
御製に
橿原のとほつみおやの宮柱たてそめしより
国はうごかず           (明治四十二年)
と遊ばされて居ります。惟へば現世界は、未曾有の動乱期
に際会し、国家の興亡、艮族盛衰の運命はまのあたりに展
開されてゐます。この秋に当つて、わが日本は世界の中区
に立ちつゝ八紘一宇の大理想の下に屹然として闊歩してゐ
ます。この国に生を享けた者としての感激は言ひ尽すべく
もありません。而していま我が国は、興亜の聖戦たる支那
事変第四年を迎へ、益々粉骨砕身の誠を致すべき意議深き
紀元二千六百年に遭遇したのであります。我等臣民は、東
洋永遠の平和を希求したまふ大御心のまに/\、愈々忠誠
の操志を堅守して、聖業翼賛に尽さねばなりません。
 されば去る昭和十四年十二月二十三日、畏くも特別の思
召を以て、例年中祭たる紀元節祭を、本年に限り大祭とし、
新嘗祭に準じて神宮並びに官国幣杜に奉幣あらせらるゝこ
とと定められ、府県社以下神社に於ても、これを大祭とし、
畏き思召を体して地方公共団体より神饌幣帛料を供進する
こととなりましたことは、誠に意義深いことと存じます。
この時局下に二千六百年の佳節を迎ふる我等皇國民は、有
難き思召を奉戴して、この大祭に方り奉祝の誠を致すと共
に、挙国一致、億兆一心となつて皇國の隆昌を熱祷致した
いのであります。