第一七一号(昭一五・一・二四)
全国民の協力を求む 米内内閣総理大臣
宮中歌会始について 宮 内 省
鉄道貨物運賃の改正 鉄 道 省
大陸の衛生(下) 陸軍省医務局
所年初頭に於ける海軍航空郡隊の活躍 海軍省海軍軍事普及部
西南三都の近況 外準省情報部
内閣の更迭
新内閣一覧表
宮中歌会始について 宮内省
宮中に於ける新年の御儀式にはいろ/\あるが、特にこの歌会始(うたくわいはじめ)の儀は講書始(かうしよはじめ)の儀と共に新年御行事(おんぎやうじ)中の特異性を持つ御式であつて、その由来するところも亦相当古いのである。
然からば何時ごろから始まつたものであるかといふことについては、未だ判然とした拠(よ)りどころが明らかになつてゐないのであるが、歌会、歌合等が盛んに行はれた王朝(わうてう)の末からであらうと言はれてゐる。
その後、文献に拠ると或る時代には盛んに行はれ、或る時代にはさほどでないこともあつたが、併し朝廷の式微時代でも、亦戦乱相つづ時代でも全然廃されたといふことはなく、一貫して独りこの御儀式の存続したことは皇室と斯道との関係も窺はれて洵に尊い感がある。
明治時代になつてからは一層、この御儀が尊重せられるやうになつて、今日では一つの立派な御儀式として、皇室儀制令の定むるところに依つて、単に御歌所の所管だけでなく、式部職の扱ふところとなつてゐるのである。
明治天皇御即位遊ばすや、国事いよ/\御多端なるの時にもかゝはらず、その翌年即ち明治二年正月二十四日清涼殿に於て初めて御代始の歌御会始が行はせられた。これが明治時代に於ける最初のものであつて、当時尚ほ兵馬倥偬の間にあつて此の歌御会を催され、しかもその御題「春風来海上」と仰せ出され、
千代よろづかはらぬはるのしるしとて海辺をつたふ風ぞのどけき
と遊ばされた御製の御真意を拝して、誰か感激せざる者があるであらうか。未だ定まらぬ天下の騒がしさを外に、真の平和を御所期遊ばされた 陛下の大御心こそ畏き極みである。この御製の御含蓄こそ、維新の大号令にも勝る歌道の真髄とこそ拝し奉る次第である。
さてこのことあつて翌年、即ち明治三年正月二十四日、「春来日暖」といふ御題で東京の宮城で始めて歌御会が催されたのである。これに先立つて左の太政官達が発せられた。
太政官達第一五
御歌会御題、別紙之通被仰出候間、勅任官宮華族各詠進可有之候、尤来二十四日辰半刻、無遅々持参、宮内省へ可差出事
但詠進無之輩ハ前以断リ可差出事
との御達に依つて、今まで限られてゐた範囲が拡張され、先づ華族勅任官の詠進が許されるやうになり、ついで明治五年には判任官にまで差許され、同七年に及んで一般臣民が許され、茲に国民の誰もが等しく詠進することが出来やうになつたのである。誠に振古未曾有のことと言はねばならぬ。
越えて、明治十一年十二月六日の布達に依つて選歌の制が設けられ、同十二年の御会始から御実行あらせられて、茲に全国津々浦々に至るまで誉阜、遍く民の言葉をそのまゝ天聴に達するの機会を開かせ給うたのである。
即ち異国(とつくに)に銃とる兵(つはもの)は申すに及ばず、辺疆の地に働く一夫に至まで、その詠歌を、その筆跡を、「あるがまゝに」「ありのまゝを」上聞に達し奉ることは、畏れながらこの歌会始のみに拝する無上の特典であると考へるのである。
この聖旨の存するところは、即ち彼の
千万の民のことばを年毎にすゝめさせても見るぞたのしき
との御製に拝し奉ることが出来るのである。実に単なる歌道の御精進、御奨励に止まらず「わが治めつゝある国の様は如何に。又わがまつりごとは如何あらん。」との軫念より千万の民の声を聞召し給ふ大御心のほど畏しとも畏き次第である。
この有難き聖旨に基づいて、年々全国より詠進する歌はその数四万以上の多きに達し、国内は勿論、遠く本土を離れた絶海の孤島より、或ひは遙かなる満蒙開拓の天地より、或ひは聖戦参加の将兵より異質の声を御題に寄せて詠じ来るのである。
この詠進歌は御歌所で極めて厳格なる方針の下に選歌を決定するのであつて、その選歌はこれを陛下の御前で披講するのであるが、その外にも次選歌数首を定めて、詠進者の氏名のみを発表せらるゝことになつてゐる。
選出が終ると、選歌以外の詠進歌は道府県等地方別に整理、製本の上 聖上の天覧に供し、次いで皇后宮 皇太后宮の御覧に供し奉つて、御下渡しの後は永久に図書寮で保管されることになつてゐる。
次に当日行はれる歌合始の儀には、予じめ題者(だいしや)・点者(てんじや)・奉行(ぶぎやう)・読師(どくじ)・講師(かうじ)・発声(はつせい)・講頌(かうしよう)の諸役が仰付られる。題者は旨を奉じて御題の選定に当り点者は寄人(よりうど)が下選びした選歌の決済に当り、詠進歌の選定に任ずるのである。奉行は二人、御会の前後に亙り総ての事務を担当し、読師は披講諸役の指揮官のやうな役目で主に門地ある華族が仰付られる。講師は披講すべき歌の瑞作(はしづくり)(題の事)から作者の官位姓名、その詠み歌等を、句を切り/\一反(ぺん)読み上げるので、節といふほどの節もないが、その読み方は一定の方式があつて中々むづかしいのである。発声は講師の
読み上げた歌の後を受け、その歌の初句を高低緩急極めて変化のある一種優雅な節を以て歌
ひあげる。以上は各一人の役であるが講頌は普通四人で発声の歌ひあげた後を受け、第二句
目からを発声と共に合唱するのである。
当日、時刻到るや、先づ 陛下の御前に於てこれ等の諸役各々所定の位置につき、いよ/\披講となるのであるが、先づ初めは選歌から順次に上位の者、即ち大臣・皇族に及び次に 皇太后陛下、次に 皇后陛下、次に 聖上陛下といふ順位になるのである。この場合の歌はすべて懐紙(くわいし)に認めてあるので、その懐紙を整へ一枚々々卓子上の硯蓋の上にひろげて、講師以下をして披講せしめるのが読師の役である。 三陛下の御製御歌は当日その御席でお下げになるので、御前に進んでこれを拝受し、披講終つて又これを御返し申し上げるのが亦講師の役である。
尚ほこの御儀に於て特に申し上げたいことは、皇后・皇太后両陛下までの御歌は国民一般の歌と同様、 聖上陛下に対し奉つて詠進されるといふことになるので、披講の場合は御懐紙が 聖上陛下の御前の方へ向けてさし置かれる、従つて講師は歌の文字を逆に拝見して講ずるのであるが、御製は 皇后・皇太后両陛下を始め奉り、下臣民に対しお下げ下さるといふ形になるので、御懐紙が講師の方へ向けて置かれる。こゝに歌合始の御儀を通じて「至尊」「上御一人」の御意義が窺はれ、我が國體の尊厳をも明確に拝することが出来るのである。
披講の反数(へんすう)(詠み返す事)は皇族までが各一反、 皇后・皇太后両陛下の御歌が三反、御製が五反である。
新玉(あらたま)の年たちかへる大奥(おほおく)なる鳳凰(ほうわう)の間に於て、南方禁庭(きんてい)に面し、講頌の雅やかなる声、朗々としし高く低く、時に軒鶯の来つて是に和し、馥郁たる白梅の薫り流れて真に九重の奥深きを思はしめ瑞気溢るゝを感ぜしめるのである。