銃後へ寄せる
前線より銃後への言葉
中 支 近藤部隊長
全勝を祈る銃後の心意気が、前線に伝はつて、不落の堅
塁を突破する攻撃力となります。銃後の熱が、前線を尽忠
報国の一心に燃えあがらしめます。
海を渡つた当部隊、さほどでもなかつた将兵の意気は、
その後の銃後の熱誠によつて次第に昂揚せられるのを現実
に目のあたり毎日々々目撃します。
前線の力と銃後の熱、これ実に聖戦完遂の二大要素で
あらうと思ひます。
銃後の青年へ
井上部隊 一将校
「祖国を離れて祖国を観る。」僕等はこれまで森の中にゐ
たやうなものです。森の中の樹の恰好は見てゐましたが、
この森がどんな形をしてゐるのか、他の森との関係位置は
どうなのかを知らなかつたのです。
今、大陸に渡つて、日本といふ森の多がだん/\わかつ
てくるやうな気が致します。
この辺は中支第一の繁華な街で、最も平穏な都です。そ
れでゐて郊外一歩と出れば、夜毎に銃声を聞き、離れる
こと五里、十里となれば、鉄道、橋梁は土匪のため頻々
として破壊せられ、その警備と討伐に日も足らない次第で
す。この混沌たる中から、平和と秩序とを産み出し、皇道
を宣布し、建国の大理想を押し拡めて、直ちに東洋の平和
を確保するのは、実に容易ならぬ仕事です。どうして十年
や二十年で出来ませうか。郷里にゐる時、国民精神総動員
運動で叫ばれてゐた挙国一致、尽忠報国、堅忍持久、が如
何に必要であるかは、大陸に一歩足を踏み入れゝばすぐわ
かることです。
第一線は引受けた
竹内隊 末 武 直 治
長閑な而かも悠暢な、生きとし生けるものすべてが喜び
迎へる春の陽気も夢のやうに過ぎ去つてしまひ、発汗淋漓全
身濡鼠となる大陸の夏に、顔と言はず手足と言はず汗と
埃で染色した赤銅体は、入隊の時とはまるで一変して、
自分ながらその頑健さに驚かされたことでしたが、かうし
た夏も終つて、今は早や中秋の冷気が訪れて参りました。
この頑健な肉体は、精神的にも田舎生活の青年時代と格
段の相違を来したことは、争はれぬ事実でございます。
銃後の皆様。何とぞ御安心下さい。別に自惚れではござ
いません。かうした戦友が集つて、隊長の許(もと)に鞏固な団結
を作り、わが国策の第一線に仁王様のやうに頑張つて居
るのであります。
国を出てから早や二年、歓呼の旗の波に送り出された
時、既に私共の心中には生還期せずと固い決心は抱きこ
そすれ、時と処の変化により、ともすれば其の決心も或ひ
は乱れがちなこともないではありませんでした。それは偽
りのない私の告白です。然しながら、入隊後の私は、精神
的と肉体的と両方面から、いはゆる心身の鍛錬に努力し
て、数度の討伐には、この身を敵弾下にさらし、或ひは夜
毎に寒月を眺めて鉄道の守りにつき、或ひは明日の戦闘に
備へて猛訓練に寒暑も物かは寧日なく警備に努めて参りま
した。
銃後の皆様よ。国家総力戦の今日、私共は同じ大和民
族、共に戴く 陛下の赤子です。燃ゆるが如き愛国の意気
に於ては何の変りも無いでせう。たゞ/\銑取る手を鍬や算
盤に換へた国家の兵士だと思ひます。銃後にかうし
た皆様の御活躍があればこそ、私共は最前線にあ
つて何一つ心配もなく、たゞ一途に名誉ある股肱た
るの信倚に酬ゆべく、朝に夕にあらゆる困苦欠乏に
耐へ、不眠不休、第一線を守り、心強く滅私奉公の
誠を擢んで、以て微力たりとも皇軍の一員として、
その本分を完うし、銃後の皆様方の御熱誠に応へ
るべく、最善の努力を傾注して奮闘致せるのであ
ります。
私達の覚悟は既に成つて居ります。それは次に掲
げました私達戦友の遺書によつて御諒察願ひ度い
と存じます。
遺 書 一
父上様へ
僕は肉迫攻撃班を志願しました。−中略−明日の攻
撃には生還を期しては居りません。白木の箱で戻
つたら、よく勝つたと褒めて下さい。母上様もど
うか笑つて迎へて下さい。
遺 書 二
僕は男と生れ、一世一代の死場所を求めることが出来
て、こんな愉快なことは御座いません。僕は肉迫攻撃
班となつて死にます。
白木の箱が届いたら、。父上も母上も、どうか泣かずに褒
めて下さい。
一人の妹よ。兄なき後は父母に孝養を尽して呉れ。
最後に村人よ。僕は草葉の蔭から我が村の発展をお祈り
して居ります。
今や欧州の情勢は混沌として、予測は出来ません。ソ蒙
国境の状態は、いま小康をを保つてゐるとは言へ、一触即
発の危機を脱せず、日支の紛争は今なほ続いて居ります。
今にして備へを怠らば、悔を後世に残すの譏を免れませ
ん。冀はくば銃後の皆様よ。日々の業務御繁忙の中を、
涙ぐましき銃後の御活躍に東奔西走日もなほ足らざる状
態と御察し致しますが、時局の重大は寧ろ今後に残された
問題でありますから、どうか一段と弾力性あらしめ、以て
国策遂行に一致協力、軍民一体となつて邁進して下さるや
う、銃後への、感謝を捧げると共に、前線にある私達の誠
意を述べた次第であります。、
銃後を頼む
太田部隊 福 永 康 夫
各虚の′モγハy事件≠、救ケ月の。聞忙鹿漠不毛の地
小くd は▲
で一帯八千の死傷者む出して、満ゾ蒙国境確保の使命む点
した皇軍は、今日も明日も、益モたゞ「大男の食め」にl切
‡− ’いしん け?tく ●▲l■ヽ
を赦げて本分に邁進してゐるが、銃後の結束せる筆同なる
小くど り一
カは、更にl此の将兵の一党惰む驚くする。
然るに日々耳にする長紀の囲一円さl−スは、これに反す
・るものが二三忙して止まらない事は、まことに球金であ
けレ▲−∫l− ′ヽん小い
る。今や世界大戦は徐々に展開せられ、わが閑の立場はl
▲●’ イ・フらい
歩決れば盛大なる結果を招雑すべきものあeに、怒見が池
川つモく ムtん ぐ・、Uゆいいさ
ら拍とて柵来して不穏の気を示した♪、帯締景気で収入が
一一いlんて● ■与ひ じ●んこく
増せば不生産的の馬鹿騒ぎ忙浪費して、食き殉図の英荘を
ちつ‖しJ
泣かしむるが如きぢのがあつては、東和潮粍序の建設の第
たす、・すほ
一歩は、兜づ我が国民の人生紺の棋*的立直しから行ふに
ありとの感を深からしめる。
付いlい 允
大陸経常を充分行ふには、先づこれに耐へるだけの大国
小ん一−ん ▲
民の教委が必要である。眼前で一家を挙げて消防に従事し
と】y ▲ひ
つ1あるのに、後方では鶏論に熱中して渦防む怠れ、飛火
し●●■‥レん こ▲▼
するのも窓としないやうな衆人のあるのは困りものであ
し小く 小九
る。たうてい大陸耗歯の■資格ある国民とは音ひ難い。
む 【ん
天皇陛下の東大無遽の大親心忙まします大神心む心とし
けん。けん ‥し 亡 一ナ‥し一うてさ は一ばつ
て、小なる糠限やら、自己の小乗的感情、渡閥に左右せら
けlたl し▲ば
れ、朋盤叩。忙縛られて、耳はこれ忙反する行動をなすは天下
わちひlの た小ひ だいじJ}て● かく
の笑物である」ぉ互は大乗的の大国民に一日も早く食
一い
醍して、大柿公の
身の鶉め忙君を思ふは二心
君の馬めには身をも息はで
▲▼●●
に従ひ、率ふのも、熊論するのも、商ふのも、鼻をなす
も、この信念から行はなければ、虞の忠良なる図民とは首
じ 小く
ひ得ないと自催せねばならない。
いく▲f K▲u
この人生軌、否、信念ありてこそ、敬の場に立つも立た
つく ●↓′ヽと ●一。,こ
ぬも、団に壷す誠に攣りなく、鋲後のカは輩固にせられ、
・†小† J 一サ
外国忙は窺ふ飴地を輿へず、従つて第一線の将兵は安心し
一い●やl
ていよ〈精強忙、世界の光となるであらう。精紳線動員運
動もさることながら、この人生軌Jり流れ出づるものでな
挿 ・●か l
ければ、たビ吠えるばかりで中身がない。
くんれん ・た・フ。一ん
平時でも国民訓練で常然資行すべき事柄を、今さら大簸
び一モんて● tけ
ぎして微温的な‡行実の一こを叫ばねばならぬ現下の団艮
ほこ 。●
速動は、決して外固忙誇るべきものではない。決して克く
■一
息に、克く孝なる国民と申し難い。もつとく上下共にこ
小く一い
こ忙覚醒して人生翫を建て直すべきである。そして大御心
を安んじ奉らねばならね。然らば渦費節約尊は昇なり、各
ナT 好い川レ▲}て●
方南の凡ての紙動員も、大乗的に解決し、東亜新漉序捷投
一い一け∫ ‥しん一、く。・
の空共は、もつと迅速に完成に向ふであらう。
淋しい慰問状
林瀬幹 米 谷 辞・天
・‡い▲▲7ひん 小,くl●
山慰問袋には手紙を入れておいて催しい。内容品の表華な
一「く Aし
慰閑袋でも、そのなかに滑り童の手紙が入つてゐないと、
l,’ ▲′▼ け ひん川レ●′ヽ
貰つても味気のな叶心持がする。内容は虜鵜でも手紙が
} 小
人つてゐると、とても賭しいものである。手紙−本の有無
し 一 」丁一■l,つ
が兵隊の心を如何に左右するかを推察していたゞきたい。■
一んさ●, てい
さて、慰問袋を賞つた線状を、戦況ニュースと共に、T
l■い。こ一●−■・I 」▼・{▲▼ ▲l
寧に細々と書いて遽つても、何の音沙汰もない場合がしば
しばある。
(⊥
慰問袋を十同貰ひ、十人へ全部稚状を出しても、返事の
くるのは、その一円の二人か三人、それも好い方で、どうか
告
すると十軒出して十軒とも返事のこない場合がある。
●く
慰問袋を筋つた方では、祀炊くらゐ貰ふの漑常り前で、
かl・
見も知らぬ兵隊へ重ねて手紙を出してやる必妥もない、ま
▼ hY
たその義済もないと思つてゐるかも知れないが、兵隊とし
lん ‘んつl
ては慰問袋を橡に一円地の人との丈汲む大いに蒋笠してゐる
’●1フl、つ
のだから、兵隊の心境も充分諒察して、慰問袋を途つて鎖
lん
状がくれば、それを繰にドyく丈漁するやうにして頂き
●いわ′ヽ
たい。丈迅することによつて、その人へ迷惑をかけるやう
なことをする兵隊は、。戦地には一人も居らぬと息ふ。
● ”レ
新陶をみても、最近は欧洲大戦の記事が一ばいで、支那の
一んと, ぴ ■ 一Mレん くわんしん
戦闘言1−スと云へば微々たるものになつた。世人の脾心
,つ ●
が支那事牽から欧洲大我の方に移つたのは、止む転籍ない
た・フし▲ い ●
としても、事変常初ほどの黙と意気が今の国民にあるかど
′ヽ,■ 一汀ん一・’‘
うか − 事牢常初に比べて現亜の慰間状の減少振りはどう
ヽ l
カー・
い▲▼…レ tいけん
一円地からの便りの著るしい減少頼れを箕地に頒験し、或
ひは新開等で野戦郵便局長の談話を組肌むと、兵隊達の心は
そゞろに淋しくなる。その記事をみて新開むクツ†くに
たヽ
し、地上へ叩きつけたものもゐる。
一■り
現地の兵隊の心境も察してやつてほしい。
銃後の人々よ〓心からなる慰問状の−本を前線へ法るこ
とを、お忘れなく・=・
戦線では何を求めるか
∬ 円 山。噂。誠 司(海‡)
‘たい ムクモやナ山上
舞避の上では、美しいメロヂィーに合はせて菜しい振袖姿
が突しく発つて居ります。場内にギッyヮ入つた兵隊は、
∫・ ムh′さ、一で
みな朝一杯に微笑を浮べて、その収納の動きを日で迫つて
▲わ
ゐます。その日は楽しかつた。そして新らしい元気を湧き・
lん。汀いだん
印させて下さつた慰問演薮囲の演拳曾の一日でした。
∫ Yん
かうして速く内地から、不便な戦地へと私達を審ばせよ
うと雑て下さる銃後の皆様忙、また慰閑袋忙慰問真になほ
▲汀一−れい
銃後は大丈夫だと激励して下さる皆様忙、今駐銃後への注
文など飴り蕗のょすぎた詣ですが、】官私達の気持む開い
ていたゞきます。
hほさ
放行者は日本む離れて始めて日本の良さを知るといひま
しみ■・・■11
す。私連は、いま完全にこの育英が身に払々感ぜられるの
です。慰問園収、慰問袋に、私達は何を−呑求めてゐるので
せうか。慰問囲の人々の慰問行きに斬らしく造られたらし
⊥▼く・たん
い岡防服などは、私達を落治させるばかりです。慰問袋の
中の「慰問川Jと書いたレッテルの品物などは私達を事ばせ
−つ 【
る率を減らせます。私達は、たゞ皆様が内地で常に粛て居
8つ
られるま1の婆を求め、皆様のお家で出水る品物を欲して
居るのです。私産は今はたじ少しでも内地の皆様から、内
には 小
池の生活の匂ひを嗅ぎ川し舞い気持で一ばいなんです。
次にお佗り。内地の便りほど私達に輿へる力の偉大なる
さつ ●ウ
ものはないでせう・懐かしい内地の有様打開き、そして俵
ふけ
かしい内地の思ひ出に耽る私達には、たゞ一泡のお依りでさ
つ小
へ今打までの疲れを忘れさせ、明日への元気と弟束を沸き出
▲■†与・t▲7′Iい ▲▼▲たひ
させる高偶な弧批剤忙も催するものとなるのです。だか
ら私遽がお位り待つ粛持は、ちやうど赤ちやんが温いお母
ふと’ヽろ
標の慎む待つ気持と何等攣りがありません。
芳し私達にお便りが衆た日、その中の−人にだけ便りが
宅l′▲ぎ▲フ 。。レ‥レ†・フ こ・,む お■ヽた
非なかつた場合を御想像下さい。私情で公務を怠ること
一ばん〜l
は、もちろん許す可からぎることとは茶々承知致しなが
L果その人のその日一日のことを考へてみて下さい。音ぶ
人建の中に只】人、世の中の人々に忘れられたやうな落着
■t つ小
かない淋しさに襲はれることは勿論です。そして今日の疲
くは く・X
れが借の疲れとなつてその人の雨眉に加はるといつても過
】rん
曹ではないと信じます。
鈍後の皆様、非常時局の折から御多忙のこととは常々承
こく びつ い こく
知致して居りますが、只の一刻、只のl筆、異国に居る私達
ひ◆一 つく
のためにお暇を造つていたゞきたいのです。この官吏は、
しん一・●
親兄弟、・親戚、友達にお迭抄するのは勿論のこと、なほ慰問
ビ lん み も
愛で御嫁になつた未知の方々だつた皆様忙も、何とぞ私産
■−
の心を砲めて出す祀状の名前のl字だけでも、時々は思ひ
出していたゞきたいのですか銃後の皆様、何とぞ飴りにも
み 〃つ て
身勝手な私聖ヨ口実を御許し下さい。
そら富の為る慰問卓
首山幹 線 秋 法 衆
▲l′●
我々は今度戦地に衆て、いろくの人から慰閏袋を箕つ
た。
1兵隊さんはどんなに慰開袋と喜ぶか、それは青葉や筆
にはつくせない。」といふことは、よく…叩いたものである。
だが、今まで一度も戦争に禿たことのない自分としては、
この味はどんなものであるかを知らなかつた。それを今鹿
l、ん‘ん しん
の参戦によつて、ほんたうにこの官業の虜の味を味はふこ
かl
とが出水た。と同時に、慰問袋は、決してその人の一番鈷
′かつ
物としてゐるものを遽つたとて書ばれるものでないといふ
一つ】じつ か与−‘つ
ことも知り、又これを切資に味ひh得た。勿論自分の好物む
途つて貰へば賭しいには撞ひないが、それは心を喜ばすガ
均し
けで、ほんたう灯遮り主の心む知り一得て感謝の心を呼び点
すに至らない。
いレゆつペい‘▲つかひ
私は或る時、陸軍省他兵都政の山慰問袋を甘ハつたこと舶
てう一いし● あさ」
ある。調製者は岡山願の某農村女子青年囲であつた。田金
から衆たこの袋は、決して高便な品々が入れてある昔が舟
い。
たはし・ローソク・耳かき・盲人一首・そら豆
これらの内容晶を見た時、私は都合から造られる袋を且
・‡ しつげlて●
馴れてゐるところから、ちよつと失墜的な気特になつた。
しかし、ぢつとこの品々の−つくを見てゐるうちに、ふ