第一六五号(昭一四・一二・一三)
現地寄稿特集 前線より銃後へ
支那事変を解決するもの
支那派遣軍総司令部報道部長 馬淵逸雄
ニ年前、皇軍が敵国の首都南京を占領した時に、国民は之を以て事変は一段落を告げると思つたに違ひない。戦線に立つ我々としても、敵が南京に城下の盟(ちかひ)をすれば、たとひ蒋政権が武漢に残つても、之は一地方政権に過ぎなくなると思つた。
然し之は日本人の皮算用で、蒋介石の指揮する党軍は徹底的抵抗を持続し、戦争は益々拡大し、徐州会戦から武漢作戦に発展し、広東・海南島に及び、遂には皇軍長駆して広西省南寧を占領するに至つた。皇軍の南寧占領は、軍事的にも、政治的にも、又経済的にも、痛く重慶政権に響き、西南将領や、雲南、貴州に一大衝動を与へた。
蘆溝橋一発の銃声を聞いた時、果して何人がこの大戦争を予言したであらう。皇軍上海郊外に激戦した頃、大場鎮・蘇州河の敵陣地線さへ突破すればといふ心持が一般の常識のやうだつた。皇軍が蘇州・常熱・福山を連ねる所謂呉福陣地を突破した時、私は「軍は南京に向つて追撃する」と新聞記者に云うた所、新聞記者に笑はれた。実に南京攻略前後の事を考へると盛慨転(うた)た無量である。
過去二年有半の赫々たる皇軍の武勲、戦史に名だたる作戦用兵の妙は、古今東西その類例に乏しい。然るに、今猶ほ事変は終局するに至らぬのは何の為めであらう。要するにこの戦争は、武力だけでは解決が困難なのだ。所謂武力戦に終始するならば、重慶・昆明はおろか、四百余州を悉く鉄蹄に蹂躙し尽さなければ戦争の鳧(けり)はつかない。元の耶律楚材ならずとも、徹底的蹂躙の得策でないことは判る。従つて今後に於ける戦争解決の為めには、武力の外に、政治・外交・思想・文化・経済・謀略・宣伝等、あらゆる分野に於て国家の総力を挙げて敵を圧倒することが重要な事となつた。今や思想戦の火花が灼熱して散つてゐるのだ。事変当初、抗日軍閥の膺懲を目標として戦端は開かれたのであるが、戦争は次第に深刻化し、日支両国その欲すると欲せざるとに拘はらず国民戦争の形体に追ひ込まれてしまつた。
そも/\この戦争は、支那人、殊に蒋介石の日本に対する認識不足と、その日本の実力誤算から出発し、又日本の支那に対する研究不足と認識不足とによつて始められ、又深められて来た。極端に申せば日本人の多くは支那を日清戦争時代の支那と見縊り、近代支那の実体を把握してゐなかつた。支那人と云へば利己的で臆病者であると考へ、支那の社会は二、三の野心家や軍閥・権力家から動かされてるやうに早呑込みをしてゐた。従つて日本の武力を以てすれば鎧袖一触、忽ちに支那を屈伏せしめ得ると思つてゐた。その意気は誠に壮で、外国と戦ひ未だ曾つて一度も引けを取つたことのない日本人としては、一応尤もなことではあるが、「敵を知り己を知るは百戦殆からず」と云つて、相手の実体を把握しないといふことは危険である。日本人は事変の初から事変を嘗め、支那を嘗めてかゝつてはゐなかつたか。作戦の規模といひ、出征兵力といひ、尊き犠牲といひ、日本としては有史以来の戦争で、日本が過去に於て経験した最大の戦争
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日露戦争と雖も比較にはならぬ。恐らく世界の如何なる国と雖も、一国がこれだけ大規模に作戦するといふことは少からう。これに加へるに世界の情勢は日本に取つて必ずしも有利ならず、国家の安危存亡は懸つて国民の双肩にある。我が国民が、この重大な戦争を呑んで懸るといふことは、誠に偉大な国家であり国民であるともいひ得るが、事実この戦争はしかく単純ではない。
最近に於ける支那は、抗日救国といふスローガンにより、蒋介石を中心に、軍事・政治のみならず、経済・外交・思想に至るまでこれを統一し、何時の間にか一個の民族国家を形成してゐた。大小幾千の戦闘に破れ、国土の大半を失ひつゝも、なほ且つ抗戦を持続してゐるのは、一体何故であらうか。現在支那国民の国家観念、民族意識は、我々の想像以上に旺盛で、殊に支那国民の中堅層、知識階級の愛国的民族精神は熾烈である。今の支那を動かしてゐるものは、全くこれ等の中堅分子であつて、抗戦の底力を為すものは、決して既成の軍閥や既成の政治家ではない。我々が名前を知らないやうな無名の中堅分子が、蒋政権は今や一地方政権に転落してはゐても、新らしい支那を動かしてゐる。恐らく蒋介石と雖も、この無名の勢力に依つて左右せられてゐると云つてよからう。日本は事変の解決の為めには、この支那の実体と、その実力とを無視してはならぬ。
日本の人は正直だから、日独伊防共協定が成立すれば、独伊が非常に頼りになるものだと思ひ、日ソ停戦協定が出来上ると、明日にも日ソ両国は仲好しになるやうに思ふ。汪精衛を主班とする新中央政府でも出来れば、たちどころに日支の紛争は片付き、平和克復に至るであらうと考へ易い。これは皆、他力本願といふもので、他人の力で国家の大事を始末しようとするが如きは、この世智辛い世界に何処にも無い。
日本が世界を闊歩する上に、頼るべきものは日本自国民の力だけである。この大戦争の解決の鍵は、日本国民の中にあつて、断じて汪精衛や蒋介石の手の裡にはない。
蒋介石を屈服せしめるものは日本人の力である。汪精衛をして日本と提携して善隣友好の実を挙ぐべき中央政府を作らせるのも、亦日本人の力を必要とする。援蒋国家群、殊に英・ソをして東亜よりその手を引かせるのも、日本人の力に俟つ。そして戦線の勇士が敵陣を突破し、城鎮を占領するだけでは、蒋介石も兜を脱がぬ。
汪精衛の中央政府も物にはならぬ。英・ソも手を引かぬ。
日本人の総力が打つて一丸となり、全国民が本音に一個の利害を抛棄し、一身一家を挙げ、真裸になつて国恩に報ずるの気持になれば、事変解決の途は自ら拓ける。今や重慶でも汪精衛でも、英国でもソ聯でも、世界中の視聴は大陸に於ける我が戦線に集まらずして、日本国内に集中せられてゐる。日本国民の心の中に、他力本願、「貴方任せ」の考へがある間は彼等は決して日本を偉(ゐ)なりとは考へぬ。従つて事変は何時までも片付かない。
これだけの戦争に乗り込んだ以上、右顧左眄は無用、自主権、独往邁進あるのみである。今や新中央政府の樹立運動も逐次その歩を進めてゐる。世間ではその速急なる実現を見ないとて失望してゐるものがあるが、これも甚だ性急な他力本位な考へである。
戦争真最中に武力を持たない汪精衛が、蒋介石の反間苦肉の切崩しの中で、重慶を引繰り返すやうな中央政府を立てるといふことは並大抵の事ではない。日本の武力を以てすれば何でもないが、それでは独立支那政府には成り得ぬ。支那人の手で、ロボットでない魅力のある支那の中央政府を作り上げ、前に述べた現代支那の底力を為す愛国中堅分子を吸引するには、内政問題上いろ/\支那人同志の苦心を要する。大切な瀬戸際に、話の延びるのは当然である。急いで下手なものが出来るより、落着いて立派なものとなる方がよいに極(きま)つてゐる。
日本と新支那との関係を調整することは、極めて重要な問題ではあるが、これ等は新中央政府が一人前になつてからの問題である。今は政府が出来上るといふことが大切である。日本人の多くは、新中央政府が成立すれば、直ぐにも名実の伴うた政府が樹立し、之を相手に日支の国交が調整せられると思つてゐるが、たとひ今急に新中央故府が出来上つても、重慶政府が屈服しない限りは、東西の二勢力が恰も南北朝のやうに両政府の正閏を争ふ戦ひが続けられ、武力を持たぬ汪精衛は、日本軍の重慶討滅に便乗して戦ふこととなる。従つて重慶が潰滅する迄は戦争は続く。たとひ蒋介石が潰滅しても支那内地の治安維持が保たれ、日本人の生命財産が保障されるやうにならなければ、急に日本の兵力を引く訳にも行くまいし、又防共が東亜和平の絶対要件たる以上、共産勢力に対する所要の国防兵力を日本が所要の地域に駐屯させることも必要である。
新中央政府樹立即ち平和克服と考へるのは大なる誤りで、新中央政府樹立後に於ける日本の新東亜達設の役割は実に大きい。世界の大変動は、既に第二次欧州大戦として、その一端が現はれ、その激流は全世界に波及し、東洋の危機を将来する虞れのあることを考へれば、速かに日支提携して外敵に当り、東亜の独立安全を期することが絶対に必要である。
日支はもと/\仇敵の間柄ではない。氷炭相容れぬ独仏の民族戦争とは問題が違ふ。
吾々は今次聖戦の意義に徹底し、将来に於ける日支両国の関係は、我が国万代不易の國體精神にその根本理念を置き、これが具現は、近衛声明によつてその一端を表現せられた恩威兼ね備ふる我が不動の国策に基づくものであることを銘心し、大乗的見地から支那を抱擁して行くだけの度量が必要と思ふ。
馬上に天下を取ることは易いが、馬上で天下を治めることは出来ない。皇軍の武力は天下独歩で、武威は遠く重慶を圧してゐるが、これに追随する政治・経済の建設は武力ほど巧く行かぬ。果実を収穫するに急で栽培することを忘れては困る。目前の小利に拘泥して支那の民心を握ることを忘れて困る。日本が支那と小乗的な対立的な立場で、軍事的にも、政治的にも、経済的にも、思想的にも対立抗争することは、日支、否、東洋の為めに不利益この上もない。日本は、さもしい覇道的征服感を一擲し、近視眼的功利主義から脱却して、皇道の実践により民衆を把握し、偉大なる寛容心と抱擁力とにより、支那民衆、就中、中堅指導層から、自発的に我に提携の手を差し延べ、遂には全民我に帰依し、日支合体して東亜の安定を期するやうにしなければならない。
これだけの大軍を進め、これだけの大犠牲を払つた以上、事変解決の大責任を日本が担持し、日支再戦の禍根を一掃するといふことは当然であり、我々戦線に立つものは、この覚悟で奮闘してゐる。然し、上述したやうに、蒋介石の眼も、汪精衛の眼も、第三国の眼も、日本国内に向けられてある現実の実体に鑑み、我々は国内問題を最も重視してゐる。日本国民は、苟も他力に依存することなく、重慶の潰滅、東亜の建設、世界の変局に対処する為め、全国民更に一致団結し、今こそ臥薪嘗胆して、国家の総力、就中、国防力の充実と国策の徹底的遂行とに邁進すべきものなることを切言して止まない。
最後に、事変以来、軍籍にあらせらるゝ皇族各宮殿下には、悉く金枝玉葉の御身を以て、或ひは作戦に従事せられ、或ひは御老躯を提げて親しく戦線を視察せられ、百万の将兵悉く感奮興起せざるはない。この将兵の感激は、直ちに銃後国民の感激でなくてはならないことを申添へておく。