第一六二号(昭一四・一一・二二)
  新嘗祭の御儀           宮 内 省
  戦時食糧充実運動         農 林 省
  時局と家庭教育          文 部 省
  煙草の値上について        大 蔵 省
  北海に奇襲敵前上陸        海軍省海軍軍事普及部
  台湾の精動            台湾総督府
  オランダ・ベルギーの危機     外務省情報部
  戦時統制物資講座(二)非鉄金属  商 工 省
  最近公布の法令          内閣官房総務課

時局と家庭教.育
              文  部  省


   「家 庭 と 教 育、
 人的資源の問題は時局↑に放ける最も重要な問題であ
るが、特に今後の日本を背負つて立つべき次代の国民を
健全に育て上げるといふこaは、今回の時局が長期堅且
る建設作業である以上、固民最大の関心事でなければな
らない・それ忙は、あらゆる教育捜閑がこの日的のため
に−盾その横能む敬称し得るやうに工夫され、薮備され
る必要のあることは音ふまでもないが、とりわけ家庭は
圃民の心身育成の耶卸でかるといふ深い意鏡転売分認
                 さ−ウi・
報してその教育横能の敬揚に渡瀬なきを期せねばならな
    ふところ    lいじ
い・母の快に抱かれた嬰兇の噴から小串攻入革までの
幼竿期む、良くも轟くも、又強くも封くもするところのも
のは、絶対的忙家庭である.温い父母の愛、健全なる家風
         とくt} 小ん●,    けいばい
の中には、白から尊かな徳扱が浦著され、知能の啓椿と
   ナこ†
共に健かな肉健の襲青が開始される.
 小拳校入拳後の児童といへども、その生活時間の大学
                           Mレ†l・■▼,
は家庭の中に過されるのであり、殊に兇登の道徳的情挽
                  かん●・フ
 は、家庭に放ける普践生活の中に瀦著され、習慣づけら
 れることが最も多い・日夜接するところの窄殊に母親
 から受け訂愛情とその感化力とは無限である.そこに白
 から蕃はれる蟄かな情操と、信棋と、感謝の念とは、後
 日廉い統合に巣立つに及んで、人類同胞灯封する温い心
 となり、叉君を息ひ固を愛する赤心となる.畢校で軟へら
 れた道徳行為や、時局に廃する態度の如きも、家庭に於
                  ●−
 ける生活‡竣を倹つて始めてその教典と顛はすのであ
 軒、それが日常生活裡払習恢づけられることによつて、
 よくその目的を達するのである.
  要するに、健全なる次代の国民の育成が先仝に行はれ
▼ るか香かといふことは、‡に家庭に放ける子女に封する
 健全な基礎づけ如何∬係はるところが音大きい.

     ニ、家庭教育の滑長

 租虫忙於て皐校歌青や杜合歓青の完備した組織軋もた
                       ′ヽん・たl
 なかつた時代には、寄ら家庭に放ける薫陶忙jつて子女
 の教育が行はれた.殊にわが国は尭家族本位の図柄で
                 小 けん
 あ少、衆の存続教展のために零家訓の定めがあり、又
 成文による定め偲なくども、代々侍承された家庭軋蔽
          ∫,し●l          ・l, ●
 が、白から家庭の風歯をl高め、家族敵兵の陶冶、図屋
                    ▲lた′■
 性の満養の上に至大の教典を新した.
  しかる忙明治以来教育壊閑として畢校組戯の轟備され
 るに徒つて、教育は専ら畢校に一任して他はこれ々離みる
 必要はないかのやうに考へ、従来行はれてきたわが囲風に
               ∬つ●●く
 罫づく立沢な家庭教育の窓轟とも汲却し去らんとする
 情勢を具するやう忙さへなつた.しかしながら事耳忙放
 ては家庭教育の重要性は依然として変らぬものがあり、
.畢校教官が鼻備すればする程、家庭教育も亦これに應じ
 て一席徹底されることむ宴求してゐる.
        ナぐ
 例へば、摩れた人物の背後には、すぐれた家庭の母の
 あることは、今も普と葬らな心.叉不良少年少女の背後∬
 は」温い現の愛情をもち山狩ぬ生活や、親はあつたとして
も、舶鮎の凌い暗い家庭である場合が甚だ少くないので
 ある.畢枚数官は如何にその組織や内容が完備しょうと
 も、どこまでも家庭と無関係のものではあり得ない.む
            ・¢、どこ
 ち息丁樫牲家庭といふ苗床で育てられたものを受取るば
 かりでなく、塵丁校に放ても教師と親とは常に子女教官の
 協力者でなければならない.
                  ひん▲はつ
  このことは特に先年思想問題の頻発した常時、最もそ
 の感を切‡忙した上ころである.昭和五年収覆せられた
                        かん●●く
 家庭教育振興に押する文部大臣訓令此、この閑却されよ
 うとする教育のl面を振興して、教官の繚A口的調和的頚良
            く▲抄こん
 によつて、露思想の術根を断たうとしたものでもある.

 毘ノ隆替風教ノ拐杏ハ固ヨり畢枚数育政敵合歓育二負フ
 所大ナりト維之ガ根帯ヲナスモノハせエ家庭教育クリ萱シ家
 庭ハ心身育成人格洒鶉ノ帯地エシテ其ノ風何ハ直チll子女ノ
 性行ヲ支配ス維新以来教育益々興り文浅慮々隆ナルヲ致セッ
 ト排今日動モスレバ放縦二流レ範激エ傾カソトスル風アルハ
 家庭教育ノ不振之ガ震賓脱凶ヲナスモノエぎア国民ノ深ク省
 庶スペキ所ナり噂ルニ往時我ガ閲民ハ概ネ家風ノ崩揚ヲ旨ト
 シテ庭訓サ敷キ家庭ハ斑エ修養ノ道場クルノ叔ヲ皇セけ然ル
 ll野接教育ノ勃興卜共二北上l舵教育ヲ以テ畢校叫一任シ家
 庭ハ其ノ賛エ輿ラザルガ如キ情勢ヲ馴致セリ規時エ於テ廃々
 意ムべキ事相ヲ見ル拘エ故ナキエアラザルナ少此ノ時●−方y
 我ガ邦間者ノ菜風ヲ疾患シテ家庭教育ノ木義ヲ襲揚a王エ文
 化ノ猥逢三瀬應シテ家庭生活ノ故事ヲ師ルハ菅エ教化ヲ醇厚
 ■−スル所以ナルノ・lナラズ又‡三園演ヲ伸張スルノ葵訣タル
 ▼妖ハズ
  家庭教育ハ固コザ父母共Il其ノ賓−→任ズベキモノナサー牲
 特エ婦人ノ背任王且大ナルモノアワ従ツチ斯教育ノ振興ハ先
 す婦人国稚ノ雀搬ヲ促シ之ヲ漁シテ一般婦人ノ自覚ヲ喚起ス
  ルヲ主眼−ス之ガ墳簡約施設エ悶シテハ別エ示ス朗アルベキ
  モ地方長官ハ右ノ極旨ヲ墟シ今後一層新教背ノ振興ヲ潮り各
 租教育施設卜相侠チ我ガ国民響ヲ大成スル叫於テ蓋憾ナ
  キヲ血糊スベシ
 かくして家庭教育への一般関心が喚起され、特に婦人
 画鰻を中心とする家庭教育の釆勘が行はれたのである
 が、今や時局下に放ける家庭生活の急側琴、或ひは人的物
 的資源増強の要求等は、必然的に家庭教育の必要性を一
 席切賓ならしめると共に、その方途に放ても種々検討む
 零することとなつたのである.

    三、時局とま虚数青

                  ▲K●
 新東亜憩設の重責む次々に婚つてゆくところの子女」
 跡ち次代島民の育成といふことが、特に家庭に放て力む
・加へられねばならないことは上に述べた洩りであるが、
 しかも現下の驚愕は非常の努力なくしては容易忙これが
 徹底む期し得ないことを知らねばならぬ.
 例へば、今日は著るしく労力の不足む曾げてゐる時で
 ある..しかも時局の・進展はますく多くの労働力を家庭
 の外に引出すととむ嬰求してゐる.しかしそこ忙は不川
                            川じつ山ん
意の間に労働家庭の子女の教官と箸経と払多くの鉄路が
件ひつ1あることを認めねば領らない.或ひは一般家
庭舞人に放ても亦、時局的活動のために家庭を外にする
横合の多くなつてきたことは常然.のごとと見ねばならぬ
が、しかし若しそのために家庭に放ける子女の教義
が閑却されるといふやうな傾向があるとするならば、そ
     小いしん
れは最も戒心を要することである.
 甘から「家輔うて固治まる」と云はれてゐる・国家活
動の基礎は家庭の轟備にあるのである.又「忙がしき倖
 lい ∬叩
は怠惰なるチむつくる」との諌もある」若し世の母忙し
 てまむ忘れ、ひたすら外の活動にのみ心と奪はれるやう
なことがあつたならば、珂民の不孝これょり大な匂もの
はないであらう.猿人は家庭に麻れとの要望も、頼人の
家庭外灯放ける活動が、子女の教官善練に支持と来すと
考ヘムれる眠りに放ては、普黙過ぎる主張としてこれと
           l,・■′_
経めねばならね.「端整宅動かす手は世界と動かす」とも甘
 はれてゐる.新東破壊設の大共も究.樋す.るところ、柿
 藍を動かす者の手によつて築き上げられることを思ふな
               一▲▼ ▲V
.らば、家庭に於け訂樽の賀粉こそ、時局の冬綾の進展貯
 対して最も京大であることを知らねばならぬ.特に出征
 軍人の故も心意かれることは、数多くの音信を迅しても
        か■†ウ       いく一い
 親はれる漁り、家郷に現した子女の音域にあ渇こと.を思
                                                               ●
 ふ時、銃後の家庭姦る侍の祈めこそいさ1かの手ねかり
                 lTこ●
 もあつてはな渇ない.子女を健かに育て、図毅有用の材
 とすることは、男子の出征忙劣らぬ閑寂への最大の御率
 公といふべきである.
 人的資源の増強む要する時、内地出生人口はかなりの減
 少む来してゐるが、このことは事襲下に於ける必然的な現
象として、或る程度まではやむむ得な小.しかしながら
 に●●−1}−いレ               ナさじ■ん
 乳幼兇の死亡率は依然として世界の水準を扱いでと町、ノ
 更に近年固民−般の健位の低下が憂へられてゐる.この
 やうな事態に直面してへ徒らに生めよ殖やせ上と要求ナる
 ばかりでなく、寧ろ生れ出たものを低かに育て上げ、・内
 忙殺する日本人固有のすぐれた能力と導き出すといふこ

         しltl            付い●●l
とに対して、母性の周到な注意と、最大の努力とが傾注
されることこそ最も望ましいことである.

   申、家虚数青の粗♯
               ぴ▼く しん●     ∫▲′
 わが閲の醇風たる家族制度の美俗む振起して家庭の風
 ●レ●l
倫を布め、次代の島固の道命を措ふべき子女の健全な
る甘域といふことが現下のわが家庭軟骨の中心である以
             こん ▲▼ つ●山
上、家庭教育こそ国家の根基む培ふところのもので、
時局多端の折であるにもか1はちず、家庭軟骨の徹底が
強く婆求される所以である.
 しからばこれを徹底させるにはどのやうな方法む用ひ
たならばょいであらうか.
                     しん▲こ}
 すでに述べたやうに、家庭教育の振興は各種の国雄の
         ∫
活動に侠つべきものが少くなく、又丈啓を洩し、ラヂオ
を馳じ、或ひは講演、講習等忙よるべきことは云ふまで
もないのであるが、今や全面的にこれが菓むはか少、
モの敗北の徹底む期するには、】方に放て指導組総の確
立むはかる必要があると同時に」それは断えずその数兵
 を注現しっ1指導を続け得るやうな組繊やある七とが必
 要である.
                      一いぴ
 かう見て来ると、/小畢校は仝輯的に最も亜備せる教育
 組織であると同時に、家庭と最も密凍な連絡の下に指導
 するところの貸開であり、従つて最も庫く、最も深く各
             tく
 家庭の資際に印して指導することの出来る立場にあるJ
 徒つてこれまでにも、小拳銃と家庭との協力を中心とす
 る各種の囲健、なかんづく小串校の母の▲官母姉曾、婦
 人禽等と呼ばれるものの中忙、成掛の見るべきものが少
 くない.文部省に放ては今岡この鮎を一屠活用して、徒
 策小串校を中心とす絹昏鹿教養の国債、例へば、母の官
 母坤曾、婦人曾等の名稀の下に活動しっゝあつたものの
                  しだ▲フ●●・’
 長をとり、これを家庭教育の指導網として、全図的に振
 興をはからうといふのである.
 現金小拳校む中心とする母の食、若しくは母姉曾〔好
 人合尋は、その故に放て六千を超え、仝南小串校救の約
 四分の】む占めてゐるのであるが、これ等の名解む用ひ
 なくても、畢攻上家庭との聞には常に何等かの形祇放て蓮
 格の途は粥ぜられてゐるのである.たゞし現状に放て
 は、それ符の中には単なる畢校の後孜瀾健に留まつてゐ
 るもの、或ひは年に〓】岡経度の連絡の横閑に過ぎない
               い と
ものも少くない.今岡の意図は、これに畢校自壊の積極
的なる指導性を加へ、拳校と家庭上を瀾時速絡させなが
ら、家庭教育の振興むはかり、称時忙叉畢校教育の教典む
促進させようとするのである.尤も、小拳兇立とその母と
           し1・小く
いふことであれば、就辟児童のない家庭に封しては指導
が及ばないやづにも考へられるが、家庭教育が教育の前
捷であり、その基礎となつてゐることを思へば、小畢校
中心の搬の合、母柿今姉人骨等の満潮は、ひとり就畢
兄立の付郷に限定されるものでなく、靡く一般家庭の健
乃至は主姉にも及ぶべきものと考へられる.
 すでにこれ造にも、俊秀な成轍を収めて濁るこれ各の
曾の中には、畢真の侍のみに制限することを撒厳して、
条席数官に押し−般家庭頼人に造指導の手を碗げてゐる
ととろ・もあ】る.
                         付lし▲一く▲ん
・女に寅肥軟骨の指導は串校長む中心として、軟敢為の
 協力一致の活動に侯たねばならないりもとより特殊な閏
 膚や、その時々の必要に應じては、それJrIその造の専
 門家、若しくは経験者む煩はす必要のあることは音ふま
 でもないが、摘草の大網は、.常に共の畢校の教職員によ
          ”Uん ‘−
 つて研究され、堅持されてゐなければならない.
  しかしこ1に考へられることは、今日往々忙して訴へ
                   くわ′▼●・’
 られるところの初等教育者の負措過重の問題でをる.
 特に時局下に於て小畢校の教育者に輩求されるところの
 ものは極めて多方南であり、教育者はこれに封して常に
 赦身的な努力健闘を積けてゐる.小畢校中心の母の曾、
 母姉曾、婦人合尋の活動は、このやうな過重の負塘の上
 に史に負蜂を盟ねるものとして一座考へ.られないでもな
 いが、しかし拳校教育と家庭教育とが元来不可分の閲係
                             l■l
 にあり、常に戟−的なる開聯の下に‡施さるペきもので
 ある以上、家庭教育の指導こそ、あらゆる活動忙先だつ
           ナ一†▲▼ひ
 て取上げらるべき筋合のものであ少、・且つすべての檜導
 的前動をこの押切の中に統合することに上って、−鹿多
 種多様に見受けられる時局的活動粧ヰ1▼瀬」と徹底止が

期せられるものである.
小串校中心の母の官位柿曾、♯人合尋の開催は、苺
                      ▲l ●
月史料的に行はれるのが理想であるが、都櫛の相速、地
                    げ▲■一_●
方の沓何等によつて一律には決め難い.菜閑期と澄んで・
靴剰に、その他の時期を成るべく疏にすろこと忙よつて、
頼めて悩調な黎達を途げてゐるところもある.葬するに、
単なる形式に捉はれず、どこまでも軟有数果の徹底を期
         ▲■ヽく_−▲・−
し、班生爪に如厳した指導方法をとることが肝葬である.

   五、家島教育の内牢
 今日優良と削される小串校中心の母の合や母働句婦
人禽等の活動の資掛を見るに、それは畢忙串校と家庭の
磯路及び教育事弟の後叔といふにとどまらす、鋳潰、繊
弱、懇談各尋の開催粒より、或ひは圃沓の岡革映妾の
利川、見悪行等の姦によつてト母としての健筆婦
                                                                 ▲−



                ふlし††
徳の瀦凝に努めると非に、霊風偶の向上、女鹿生活
 ‡lヽ
の改普、物資の節均貯笥の勘行等もこれによつて替る
しい放水む収めて計る.
 今家庭軟青町内客として容ぐべきものは、
 一、健全なろ蛮を樹立し、商家興隆の横拳たらしむきしと
 〓、時局に消すろ通正なろ諷響得させ、やとtてのL呈首
   」深めるもの
               しっけ
 三、畠の子としての子女の叔とその教育及び毒に粥する
  ものその他衣食住の改事に関するもの、保健衛生に拍すろ
   もの、家庭科拳に禍すろもの
   l●−●く
 等に要約されるのぞのるが、具健的には、地方の官房に
                         /
        一


 もののみの教育では到底完璧を期し得拳ものでなLこ
                           く心んべ●



                           小l「
 れを執く母の自覚向上と、子女を取りまく壕虜環境の更
 一レん
 新とむ海封必要とするものである眠り、母に封する教養
 指導は家庭教育の前提條件であ々子女の教育はかくし・
                     ′ヽ一▼ぴ ▲
 て始めて生きを得ると共に、子女を楔とし、或ひは子女
                    小,†,
 た洩じての母へ▲の敢各、同民挿紳の鼻揚ハ周月生活α
 刷新の上に期待されるところ菅大れるものがあるであ
・.らう●.