欧州戦争と帝国の態度
遂に勃発を見た欧州戦争に就き、政府は九月四日之に対処する帝国の毅然たる態度を阿部首相談を以て左の如く中外に閘明した。
『今次欧州戦争勃発に際しては、帝国は之に介入せず、専ら支那事変の解決に邁進せんとす』
帝国は現に国家の総力を挙げて東亜新秩序に当つて居り、帝国当面の最大使命は支那事変の解決にある。この国策は欧州の情勢如何によつて毫も動揺するものではない。帝国は、欧州戦争の勃発に際しても、之に介入せず、自主邁往、支那事変の急速な解決に専念せんとするものである。
介入せずといふ言葉は帝国外交の自主性を表現するものである。介入せずとの態度は、国際法上のいはゆる中立とは思想と異にし、その内容は自主的であり、積極的であり、弾力性を有する。従つて帝国は新東亜建設を使命とする独自の立場に立つて欧州戦争を見んとするものであり、この際は之に介入せずといふも、右の立場より、将来、情勢に応じて、必要なる如何なる方策の断行をも躊躇するものではない。
故に、介入せずとは、消極的な傍観の謂ではない。世界情勢の推移は、帝国の死活の地たる東亜の事態に、直接間接に影響を与へずには置かない。帝国は欧州戦争の成り行きに伴ふ列国の東亜政策動向を厳重に監視し、苟くも東亜新秩序建設を妨ぐるが如き影響の生ずることなきを期して万全の策を講じ、万一かゝる事態の生ずることあらば、断乎之を排除しなければならない。
欧州情勢の推移が、東亜に如何なる影響を及ぼすであらうかは、軽々に予断し難いが、差し当り我等の関心を惹くものは、今次欧州戦争に於ける交戦諸国が、支那に於て有してゐる権益は甚だ輻輳して居り、我が方の治安維持の責任及び東亜新秩序建設の大方針と相容れざるものを生ずる惧れあることである。されば帝国政府は九月五日、右に関して適切なる措置を講じ、左の如く外務省情報部より発表した。
『沢田次官は本五日午後五時より、順次に英国大使、仏国大使、米国代理大使、独国大使、伊国大使及び波国大使を招致し、右各国代表者中欧州戦争参加の交戦国たる英、仏、独、波の各国代表者にそれ/"\欧州戦争勃発に際し帝国のとるべき方針についての昨四日の帝国政府声明の内容を通告すると共に、右方針に鑑み帝国政府は列国の支那事変に対する態度乃至動向につき重大なる関心を有する次第を申入れ、且支那に於て交戦国との間に不慮の事瑞と誘発するの虞ある原因を除去する事につき交戦国の深甚なる考慮を促し、又中立国たる米、伊両国の代表者に対しては右交戦国代表者に対する申入の次第を通報する所があつた。』
欧州戦争勃発に当つては、帝国はその圏外に立つてゐるが、国民の間に或ひは之によつて、理由なき安易感を抱くが如きことありとせば、事態の認識を欠くも甚だしいと言はねばならない。戦争を繞る列国の複雑なる進退の間に処し、且つ列国の戦時態勢強化により必然的に生ずる経済上その他の影響を克服して、東亜新秩序建設の大業を完遂するには、真に覚悟を新たにして、国家総力戦体制の完備に進まなければならない。そのためには軍備の充実、生産力の拡充、経済統制の強化、国内改新(かいしん)等に、尚ほ一層の努力を傾けることが必要である。言ふまでもないが緊張の弛緩は断じて許されない。