独仏国境の築城について 陸軍省情報部



西部戦線緊張!の報に、独仏国境の要塞戦が俄然興味ある話題になつて来た。ドイツのジークフリート線に
対するフランスのマヂノ線はどうか。 この機会に、その道の権威をわづらはして永久築城即ち要塞につい
て正確な知識を贈ることにした。

アイツ羊が敢儀ポーヲyド忙侯入してょ抄、英併は
      ●●lん
ポーヲyr救我のため封殉教季状態を宜官し、今や欺洲
の天地は帯び見事息を骨でるに室つたのである.而して
       こl」ばl一ん
挿木猫俳韓境の攻防戦が展開せらるることあるを態想す
             ●い亡ん
るとき、礪俳南国が五に精板を姦して構築したと稀
      lさ.‡い lく“レ†l   一’てん
せらる滝里芸憂の築城が興味の焦鮎となるであら
スノ●
 俳のマヂノ、ティy、濁のジークフサー十・ライy共に
●小一                                   ‡,r,
喧しく世間忙停へられ、いろ〈とその正也に就き想像
がめぐらされて、各種の勅町、雑誌等で費表せられてゐ
るのであるすしかしながち「いづれの固でも築城工事忙
は革封的に聯密が保持せらるべをものであ怠らト李
  けん†ん                 ・d▲と▼
的に噴催せられたこれ等の記事は「果し1農相を瀧撃レ
たものであらケか.
 昭和五年十月フラyスの新沖マザか杜(.集兢坤め琴
     小い●●,
国境宰塞の概況を報道し、次いで同年十二舟†イツ新
                ▲†小 しっして●
弼ベルy−ナ・ターゲプラットにへ 牛ば嫉鋭的に同記事
                 しt●l ●▲一ん
が樽載せらるるや、世界築域家の現埠が金銀として之
l●
に注がれ瀧ので滝る.爾後、新開雑能にこれ等記事が載
せられ「興味七老いたのであるが.、これ農城エ事掛売
成して守備兵む配壇し、昭和入年九月には、山常時の陸軍
                           ’’ン
大層ゲラデイエは、数年[.亙り五十億添以上の互焚を
                一l,▲▼い け■む・lつ
投じて構成tたと竹ふ此の固頻嬰塞の橡陶を‡施したこ
とが鞍伽岨せられたのである..
 またイイッ准澱ては、昭和十三年九月十こ日の熊食間
†のヰ耽に愚て」七トラー搬統は、無敵のドイツ軍備を
●l小         かん●い
牧歌心象焦点濫多大の感銘七輿へ.た.との演汝でこの春
   ■■く ひ ●−                 一ん▲ばl
し以耗、極秘裡に行はれて木た西部固墳弊基エ‡の全貌が
明々か忙せられたと稗せヰれてゐるのであるが、.特に日
く、写や虜葡申は漂古今勅郎都の大墓地帝が構築せら
れつゝあ軒.ミサ六東の優と十満の券勘革廿葛:d
                     H肘ん小▲・
丼の他エ兵、砲兵≡ケ師園と驚し輩夜粂行之がエ‡む
急いでゐる.毎日の砂利滑費丑十甫噸、使用貨車八千轟、
かくて銅線とベトyのト」チカ】帯七千筒は、十五粁
の拝みをなし巧1皇室‥個男匹ドイツ国領を竪め、これ・
 し●l、●
等障壁の後には武装やるrイツ民族の賓があるのだ.b
と●
今やジークフサート・ライツは完成してサイツの立つ
                         ▲てウベ●
べ甘時横は到衆したのであるが、」方lフラy丸も餞壁と
棚型大たしは女を軸に紬
縛るマヂノ」ティyに依り守りを藍ぺしてゐ宅.草哀
    とつばり             こl’●く
欺卿大戦の爽教に依り、いづれのティyが先に攻略せ
らを1かは、興味ある間額であるが、攻防戦に伐つて、
}l

かくも嘲俄せられた針弼の正鰻が判然たるむ得ば仕合
せである.
瀧町述べ舟漁り築城工事は、.海風に秘密とすべきもの
でJaの内容を公表するやうな事払無いやであるが、.最
         ナ,一い
凝に食けj築城の海勢より之を想像するととは難くはな
              ▲▼・′ヽ‥レ
いのであるから、以下逐次史的事‡を基礎とし.て原則的
に之む橡倒しでみよう.
        一一ヽ●’▲■l
 「卒蛮は早老す」といふ青葉は良く耳忙した朗である.
            ■ヽ▲フ川レ●l
整し料畢の進歩と共に改城兵静は非常鹿教展むなし、
                     ・■ヽl叶い
特灯砲兵威力の増加、跡ち破壊力溌なを大月筏砲の出
現、庫砲の舶儀と弾丸威力との増大、舵虞横町依る室中
                  rんL▼ん
仙琴射雀観測法の教達」戦車その他潮潮なる身許の採
用等町依サ「攻域韓は−大樺進む途げでゐる忙もか1は
らず、永久築城の全部をして絶えず之に憶倖心てその施
蔵敷改零すをでとは、財政その他の隠係で甚だ飼難な同
席であづで、卜奴に多数の智式婆蛮む有す名園に放ては
 し・丸ん・、                             しんか●く
衰秋であ計ヽ従つて築域の理解不十分で・水く侵略の苦
境を怠れた一部の論者は、粛−次欧洲大戦前忙於ける多
教の智式穿塞む見て、途に奔塞不要論を唱ふるに五つた
のである.・
 殊に戦役常初に放てドイツ軍の砲畢及び強現に依つ
て、aエージユ要塞は−日、ナミ千丁ル要塞は十二時間、
モープージュ要塞は入日、アyベ・ルス要塞は十二日で攻
略せられ、その他多救の国境山跡郭おはその存轟q償俵
を現はさずして、下イツ軍は大挙してマルヌに進出し「
     九■          ll▲■ん
首都.ハザを狙ひ、フラソースの運命も累卵の危きにあつた
                   こと■ウ一r
のである.食めに「要塞の破産」なる彦を流行せしめ、
要塞の攻防を虜面目に研究するととなく、之と危険なる
    lIく_叩■}
ものと速断したのであa.頻れども静かにフ.ラシス菓万
   もくいレ●I
固境の築城について考察する忙、ざイツがイギyスき
                      しん▲灯ん
戦の心配あをにもか1はらずベル∵ギIの中立を優犯し七
      一・’ろ
進軍し、最捷路たるべきフラyス東涛国境を鵜えなかつ
たのは、この地方にあるこ箇の.築城地域の威力であつ
て、併軍は此期間に壌定の動員集中を労了した.′
 特にベルダソ要塞の存魂は、・国境よれ侵入してアルゴ
                           けふ ▲
y兵に進出したドイツのクrγブザyツ.軍の側面を各鹿
1さ
   l一_一r
.塞の掩磋粧依つて、フラyスは野戦軍の大部を自国方面
して、その力む頚確せしめなかつたのみならすとれ等要
に移動することが出来た.叉マルヌ.合戦忙放でもベルダ
            ナ,‘く
y要塞は全軍行動の枢軸となつて、大なる便俺を牽押し
た.然る忙ドイツ軍政孝の普初忙発ては「要塞の破産Jの
▲,▲てl・
風潮を受け、要塞自ら以て頼むに足らすとなし、・ペルダ
            は▲′ ●
y要塞の如きも之た軸莱すべく決心せられ・てゐたのであ
る.そして各盤虫は草忙膚昔の場所と考へられ」守兵
                        」灯一1●′ヽ
と革帯品は瀬卓せ滝れ、宰塞ユ兵は金島破破用の痩襲
                     −▼l▲てん
む受領t、ふ−ズ右岸の・各螢革忙は糞壌命令が下され
た.
                    1■’tい一ん・
 この状態にて−九・〓ハ年二凡二十、ll−打に垂睾戦は開始
せられ、ドイツ軍は同二十五日時下1モ.y螢卓む占領し−
た.との時螢虫には盈弘也び.に破壊準備む命せられた若
干の井兵が居たのみであつて、この凋弊忙放てベルダyり
     ▲ナノん とlし“r
要塞の運命も風前の虎の叔があつた.恰も同日同要塞の・
守備はベタy沖革の指揮する草二軍に俵む交代せられた
のである.
 ベタy浄写はベルダy要塞の席億を認致し、且つ−九−
     ”Vい−てく・・
四年秋以来繊壊せられ花陣地我の結果に鐘み、『野戦築域
1$

と堆も大鹿る抵抗力む有す、沈んや永久築域に放てむや】
      いだ
との馨七懐せハd悲漑瀬る決心七以て国費裟を死守する
忙漁払た→そして弟猛なる浄膿む遊牧もて螢塵長とな
               ..▲‘▼●
し≠蟹虫の防備懲戦術の状態に後挿せもめた.をして爾
後Xイa軍の猛攻忙頑強瀬る斌杭たなし、港町臥年十ニ
          ・さl−1:
旦舵蚤サー且失つた生島とl鼻漫tたのである.
ぺサ・ル浄音はべ≠サγ卒蛮の足健を指拝する瀾、賂兵
  . けl_−1い l
か長寸教導してその庇材七宰象の債値とと正確忙理解せ
                −1ん→い‘【
しむるヱ七忙努めた.又正義の托等親測朗、酔碍物、・
嘗の定率な甘に簸み∵たとひ此専が包臥せらる
         小ん●●−
事亡雀があづて†演蟄々る防熱戦押を汝行すべきも
                   し†l、い
のイぁるせの見地かち、不卒と告た瀬兵忙封しても
                            川−い
之かや傭牡鹿≠し役々れ憲兵も雇汲よりは寧ろ鹿
●▲・  ・一山】−■、                 斗
或の下紅顔を也甘ん】との鮨驚決心むなk之を生
●●・          (‘d
卓の入口正面粧甘きつけ士気と鼓舞して昇敢なる活動と
した々でむるJ
                          付ん小′ヽ
 ベル.グy守現数の成功は、前述の如く指柵官の堅確
      し▼へい
なる決心と守兵の勇敢なる行動と忙よることは勿給なろ
    .■んく」−
も、こ1忙看渦すべから首巻ととは戦役間各食卓に加へ
た改良工事であを.・
.rトモy、、ボー、タ.ハyヌ等の各螢旦に加へられた故
         かんらく
良エ事は、緒率蛮偽者の原臥払蹄究し戦弼似鴇故に基づ
いたものであつて、・これが今かに放け軋永久亀或工手に
14
対する指針之なつてゐることは明らかである.

紀’附
故事の主要なる鮎は攻の漁りである.
                         ▲■い
1 地下編成を普的忙やつた.−1地中に輝く埋設せ
                     ,ヽ手打い
 ちれなかつたコyクリ−ト構造物は、大口樫砲弾のため
                        −1ん−■一
 に生する強烈なる震動に対してr守兵む掩護すること
                                         一、l■ ’
 能はず、.殊に々の激震の反復に餅り守兵の志気む阻喪
                      ▲▼九つ
 した。地下賓租路は破壊せもれ」貯水池は亀裂が出来
て水道払駄目雀なつ.た.滋換気が不良であつ潅−そこ
でこれ等の軒に瀾鹿し′で地下深く交池路々乾けること
 忙し、え換気む良ぺするこサ忙努曳d−部に睾瓦斯防
穣法を儲七わ.・女性此の康弘賂に潤うて、転層兵
                         一いl′ヽ
貞用居住皇専と設け、∵深小勢戸上座絡せし心て藁
設を兎傭したのであ身
9 外部との連絡のため、砲汁.に資金せ儀方濁」出口セ持
                                  J→
つトyネルセ設け巧Tト外艶との漣格不十分であつ
                   一ヽ ●_
 たため」連珠せる砲平は連絡を阻止んて補給を不可能
 ならしめたの・で、・この鮎を改良した−
                         ●■一
$ 食卓の防架を確‡容易にナるため、3yクyトト考
 小声 .
 客又は装甲内に牧客した横紺銃と配せし、之と地下焚
               こりかん
 亀路に連絡せしめて、教師の骨幹とした.
lさ

4−
 地下の防架む有数忙し、且つ歩々抵流し得るため地
下変洩路内に防架の設備をした.1地上忙出てゐ々
                だりし■
構築物が占領せられても堂島が奪取せられたわけでは
                 Mレん▲†ん
な(、伶ほ地下時路内で歩上敷軟なる抵坑が行はれ、
 食卓む死守する必要があるので、之に封する襲を革
、〕じた.
 以上はベルダソ要塞改良工事の概念であつて、これが
新式築域‡確上の原則とも見なされてゐる.
                      1んし■り
なほこゝに注意すべきは、前回の大戦間に演出せeれ
た陣地取である●陣地戦の初期に放ては礪併両軍共に陣
地の縞成払極めて簡単なりしも、時日の経過と共に益J複
雑強尚なる形式に襲じ、線状配備は救線の縦長配備とな
                        し●だん
つた・むち陣地払出来るだけ廣い範取舵設断て、射弾む
■▼ん‘
散布させるやうにしたのである.
・前同の大戦が終了するや、ベルダy要塞戦の億験や、
醸地敢の結果等む考慮して、各国の喪城の権威者が穐き
t●▲■1,
討究を重ねで栗忙封する築城の方式を定むることに努
めたのである.わけてもフラ.ソスのレべ・rク大佐、−yゴ
ー大儀、′ルマy大佐、、ツ.−ビノ大佐、ベレー大尉、
Pツアのyュワルツ浄写、米固のミ,チェル中佐等は各モ
                  】q lん
礪自の捷案を食費して築埠界忙波漑を投じたのでぁる.
 これ専各案につき研究してみる■ぺ∴二つの共洩鮎と見
mHすのである.■即ち
 ュ 防架陣地は縦深ある昇現地帝とすn.
                         1んべい一∫
 2 築城地帯内に放ける責、∵弾薬及びせ珠用掩蔽都
 政びに交漁路は十分恕首領庇せ有し、でせるだけ深く
 地下檻濃密する.
 以上の共通鮎は、.新戴築磯め具備すべき根本原則と思
惟するのである.へ
                      ・、ん一ん
 陣地に凝深を附輿す渇ことはハ背からα築域の牢遽を
                      ナ,一い
回顧するとき、兵辞威力‥の増進忙伴ふ必然的租勢であつ
    ry●,‡い   さくbく たい・拝
て、曹の城砦は逐次国都、帝螢要塞とな少−鮎防架は
線式防架に襲じ、次いで数鴇配備となつてきたものであ
る.
 前同の大戦前、ドイツは要塞の形式として強大なる一
                                                ■ヽ
線配備を主張し、全力をとの−線に集中する方式を執つ
l●
たのであつて、有名なメッツ要塞も−線配備として本防
                    と,小ん
架線に主力を傾注して、前進陣地は等閑に附せられてあ
・つたが、大戦勃蟄と共把−線配備の非を悟り、強大な前
進特地を構築したのである.之れは開戦直後より休戦忙
至るづでエ事を稚頼した.       仁
 政に注目すべきは、この前進陣地約二十粁の正面に、
五線忙五つてコyクy−ト焚トーチカを設けたことであ
                L▼●山●ん●†く
る●このトーチカは高地の‥前方斜面脚より頂線む過ぎ
等斜面に互サ、搬々配せせられ、その梼温も各租各様
                        ●い一、くMレ■●
で、.軽砲用、諾銃用、叔渕朗として勤妙音の富む
条取るもの、或ひは倉庫又は鷹朗のみに充つるもの等
                         ”レ●lがん
雑多であつて、前面壁は勿論後方及び倒方にも銃眼と
設けてある.敵が之を爽破するには、津山の砲弾を必要
        はく、い
とするし、もし白兵之町突弊しても、あちらからもLち
らからも射宰を蒙るのであを.
 地下縞成についても前同の大戦前すでにその必罫が認
められてゐたのであるが、大戦に放ては破壊威力が急速
に増大したので、コyクy−トや蠍等の材料を用ひて補
             ’●l ●
強し且つ工事を地上忙隆起することむ減じて、敢の射
                       し▲−く‥レー▼
辛目榛たることを困難ならしめ、な性格樹等のカー▲
岳 斗一 見
フラ」ジむやつても到厚満足すすことができず、弊ひ防
        ▲■い一つ.−
架工事を地中に埋設する必要を生じたのであむヽ
l▼

′‥
 ●
 一
棚…

一■■−
■I■●ヽ
転、.〆出甲出他出脊蒜芸
    ヽ
之確恕ゝ、_、璧鳩品ご−抗諒碑或笹
.蜘
\、
品抑盟_励転

 ヽ



・?∈
▲威
川〓‥い
回光i甘斤ヽ
 ■■−●▼一●−●−●
脚スル批ノ方向
触怒声ル札ノ方向
1′ 卜寸 ヽ
▼・■去琴苧寺
 以上の最新式築城の厚別
に基づいて構築せられた代
表的のもの潮、件のマヂノ・・
ヲイソ、濁の沈」クフy−
t・ティソである」地下軍
艦せか、地下六階に亙る要
              一ん
塞とか大丸的に報ぜられ宜
 一でん
・侍せられるのも尤もなこと
セぁゑ⊥囲の築城は之を
絶封的に畝密にすべきもの
せあ計かむ、..新開や雑誌や
飯事辱で見る≠のは、賓際
止は大小に異る≠のと点ず
 る.しかし今まで論じた史
的考察に依つエ判断すれ
ばト大雄次ぎの如く首へよ
・スノ●
 件のマヂノ土フイソはル
・lさ
クザyブルグより、
            lん
バールに亙る団塊に軽々構築せられ










  lくbん         か,しつ
・して蛾銀は防額の最小単位たる察曳から成立する.この
 小▲7しつ
察領はいはゆるトーチカであつて、aの大さは幅十米、長
                        ▲て▲7
 さ十二米位で、十名内外の兵員とこ挺位の磯瀾鋭とを牧
                  か与−しつ
 容し柑る稗度のものである.この沓彙の最上部には横帥
 川レ■,▲叩ム
 鉄塔があつて地表に姿を衣はし、その下に戦闘準備金、
     一いtくしり
最下部に棲息金がある.戦闘準備金以下は地下に設けら
     ▲ん●シ     rモ}
れ、入口は樹丘瀧覆はれて偽装せられ、地下池路で袋内に
到達する.各トーチカは相互地下泡路で結ばれてゐる.
                    1Iくわん
.このトーチカの線の後方には大型の銑竣がある.その
                     l、くわん
 】例は普の園の如くで、との大型銑銀も相互支壊し
大なる防無力む鼻するやう忙編成せられてゐる.勿論
地下池路町依つて結ばれてゐる。陣粗帝の後方には、兵
舎、弼襲俳、倉庫、教電朗、司令彙等を有し、これ等は
     fい打つ
地下溌く也簸せトれてゐる・とれ尊大規模の地下綿成に
         ,ん一凡ん
は、洩風袋世、逆輝教壇、エレべ−ター、エスカレーター
等の必要なることは論を保たぬ.
                は・’たふ         l■
 十一頁下段の拓虞は、地表に砲塔を衣はした大型鎖
ろこ とた見らか.上
くわん
餌.同十三買上段は地下交換童.十四頁下段は地下洩
路.十五頁上段は背面入口附近.十七真下投は地下泡風
J少

慨演である.
粥のジークフ町−ト・ティソは件のマヂノ・ライソ忙
対抗して、ヲイy河を隔て1礪梢周塊より、.yユクセy
ブル〆忙亙るもので、その詳細は観より不明だが、科畢
                            ’しl】,lYく
的のドイツが最新築城の原則に基づき構築したことは勿
始である.マヂノ・ライソと同じぺ地帯とし、この地帯
忙は粗鋼な写支樺鮮群に依り構成し十立坪鮎相互は地
      した,てん        した}
下延を有する野戦鋳潰忙依り連絡せらるゝ多数の砲息忙
椅ばれてゐて、各交接鮎は側防及び妃戦の兵路を備へ相
  lレ ▲ん
五文竣し得るやうになつてゐる.勿論地下綱成で、後方
には兵替、倉庫、甜附泉設備が一切完備して、地下に設
けられてゐ溝要領は大根、マヂノ・ティyと同様であ
                 ▲丁▲l,つ
らうが、たゞドイツ国民性より推察して、一盾理論的忙
                      一て▲▼小く
綱成せられてゐるものと息はれる.責は埴確なものが
ないから省略する..
                        一丁▲ ▲つ
 之を凄する忙、礪俳開項築城とも、料率の誉兎め、
                 も たい
地下舶成整壷とし、しかも地帯式忙相常堅固忙構築せ
 られてゐるものと息はれる.従つて、猫俳いづれに放て
           けふ ゐ
も、攻むるものの一大脅威允るむ失は嶽.−今次の大戦勃
褒で果して何れょり如何にして攻撃†るであらうか、
めて興味ある問題である.