第一四二号(昭一四・七・五)
  事変二周年第二特集
  事変二周年と精動の新段階      内閣情報部
  抗日勢力の現況          陸軍省情報部
  戦局の進展と海軍の行動      海軍省海軍軍事普及部
  事変と興亜外交          外務省情報部
  興亜青年勤労報国隊について     文 部 省
  事変二周年誌
  外蒙ソ連機の撃墜          陸軍省情報部
  魯南地区の掃蕩戦         陸軍省情報部
  仙頭攻略戦経過と温州・福州南港封鎖作戦     海軍省海軍軍事普及部
  昭和十四年上半期総目録

魯南地区の掃蕩戦   陸軍省情報部

 去る五月三十一日より山東省南部(魯南地区)に蠢動し
つゝあつた于学忠、沈鴻烈、共産軍、合計十二、三万の敵に
対する掃蕩作戦は一ケ月以上の日子を費して遂行せられつ
つあり、参加将兵の奮闘によつて多大の戦果を収めた。

一 敵の情況

 さきに海州附近のわが掃蕩戦より逃れたる于学忠の第五
十一軍(第百十三師、第百十四師)繆徴流の第五十七軍(第
百十一師、第百十二師)、沈鴻烈の第四十軍(新編四師、山東
保安隊)及び海州財務部税警団を主力とする李守維指揮の
第八十九軍を合して党軍の総兵力六、七万、更に共産第八路
軍の一部隊が之に加はつてゐる。于学忠はこれ等国共合流
軍の総司令として高胡に魯蘇(山東、江蘇)戦区司令部を設
置しつゝあつた。尚ほ情報によれば援軍として河南方面よ
り約四ケ師北上したものの如く、敵の総兵力は実に十二、三
万に達するものである。
 敵は泰山山脈の連峯重畳たる山地帯、県・沂水・蒙陰・
諸城・日照を拠点とし魯南一帯の山地を利用して数線に亙
る堅固な陣地を構築しつゝあつた。又その補給路を日照
東方海岸にある石血所より海上に取りつゝある模様であ
る。

二 経過の概要

 この敵に対しわが軍は膠済・津浦・隴海の三鉄道方面より
包囲作戦を開始した。即ち五月三十一日膠済鉄道方面より
南下せる牟田・山県・渡辺・石原等の諸部隊、五月二十九日
隴海線方向より北上せる北川・東・柳川等の諸部隊、五月三
日津浦鉄道泰安方面より東進せる山本・遠山等の諸部隊は
百十度に上る炎暑を冒し、旱魃による濛々たる沙塵の中に
山岳重畳と水不足による困苦欠乏に耐へ且つ敵の逐次の抵
抗を排除しつゝ前進を続け、七日頃には概ね諸城、大関、
安東衛、沂州附近の線に進出し県、沂水附近の敵根拠地
に対し約十里の線に達した。

 本作戦に協力せるわが飛行隊は七日大編隊を以つて敵の
根拠地東里店、高胡(沂水西方三十六キロ、坦埠(上高胡東方十

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キロ)等の司令部、軍事施設及び地上部隊を完膚なき迄に爆
撃して敵の心胆を寒からしめた。
 敵は各方面共に天険を利用して頑強に抵抗し、わが進撃
を阻止せんと努めつゝあつた。わが軍は攻撃大いに力め八
日まづ敵の西方拠点蒙陰を占領、九日には敵魯蘇戦区の本
拠沂水を攻略、同夜牟田部隊快速部隊は県に突入之を占
領した。拠点を失つた敵大軍は沂水県西南及東南地区に
潮の如く退却を始めた。
 わが軍はなはも追撃の手をゆるめず飛行隊も亦之に協力
し敗退せる敵に多大の打撃を与へた。各部隊は引続き残敵
掃蕩中である。

三 綜合戦果

 魯南作戦開始以来六月一日より二十六日迄の戦果の判明
せるものは次の通りである(空軍の爆撃による敵の死傷を
除き地上部隊の主なる戦果)。
  交戦回数一〇九、交戦敵兵力五万二千、遺棄死体五千
 七百八十三、捕虜三百二、小銃二千三十七、機関銃六
 十六、馬三百九十九、機関砲六、その他鹵獲品多数、敵
 の戦傷は一万七千を突破する見込。

四 本作戦の慣値

 本作戦地区は昨年徐州作戦に於いて一部隊が行動した
外多くの地区日本人の足跡未踏の土地である。本地区は
農産物、鉱物など重要資源を蔵し経済的意義に於いて価値
を有すると云はれる外、北支治安上の一障碍であつた魯蘇
戦区の敵に大打撃を与へた意味に於いて多大の価値を有す
るものである。


潮州を占領す

 六月二十二日汕頭を攻略せるわが軍は更に潮州(汕頭北方
約十里)攻略のため、二十五日夜、水陸両方面より前進
を開始した。途中敵の抵抗を排除しつゝ前進、二十六日楓
渓(潮州南側)附近に拠る敵大部隊を撃破し同夜潮州城外に
迫り翌二十七日払暁之を攻略レた。更に一部隊は二十九日
澄海を占領した。
  潮州は韓退之の流謫地として有名な所、人口二十五万と称せら
  れ産業、文化の一中心地である。澄海は韓江デルタ地帯の中心
  にあり人口一万、南洋華僑の出身地である。