第一四〇号(昭一四・六・二一)
  時局下の労働力持久策
  時局下に於ける労働力持久策     厚 生 省
  金の集中運動と金の国勢調査     大 蔵 省
  商工省の機構改正について      商 工 省
  時局と読書界の傾向         帝国図書館
  公衆衛生院とは           厚 生 省
  蒋政権の対外策           外務省情報部
  最近公布の法令          内閣官房総務課

 

時局と読書界の傾向
                帝国図書館
   一 陣中の読書

 攻城野戦に寧日なき皇軍将兵が、戦闘の余暇故国の
古新聞を奪ひ合ひ読みふけつてゐるなごやかな風景はし
ばしば報道されてゐる。又銃後国民の心尽しの慰問袋
に収められた雑誌や図書が、如何に前線将兵に感謝を以
つて迎へられ荒涼涯なき山野を馳駆する勇士の心のオ
アシスとなつてゐるかは思ひ半ばに過ぐるものがあら
う。
 かの欧州戦争の際、各国は競つてその前線将兵に極
めて組織的な陣中文庫を配給した。これによつて彼等が
無限の慰藉を与へられたことは言ふまでもないが、前後
五年に瓦る長期の戦ひによく心の平静を失はず終始ゆ
とりを持つて戦ひ得たといはれてゐる。殊に平時に於い
て読書の機会に恵まれなかつた若人が戦陣にあつて各
自の職業に関する知識を補充し、戦後の経営に頗る良
い結果を齎したといふことの如きは、長期戦にする前
線の将兵は勿論銃後国民が他山の石とすべき点であら
うと考へる。

    二 銃後の読書

 以上は戦闘地区に於ける読書の問題であるが、時局下
に於ける銃後国民の読書の態様竝びにその動向が果し
て如何であるかは心ある人々の重大関心事でなければ
ならぬ。
 凡そ一般大衆の読書は社会環境の変遷と密接不離
の関係にある。かのマルキジズム華やかなりし時代に、
その知識の獲得に汲々としてゐた読書界は、満洲事変を
契機とし澎湃として擡頭し来たつた日本精神に還れの叫
ぴに覚醒せしめられ、更に宗教復興の声に刺戟されて、
国際主義より国家主義へ、物質主義より精神主義へと
急転回を示すに至つた。出版界はこの風潮と表裏一
体をなし、非常時態勢への読書界は準備されたのであ
る。
 今次事変の勃発するや国民精神総動員の旗幟の下に国
民思想は完全に統一せられ、貯蓄の実行、消費の節約、
生産力の拡充等戦時態勢への具体的方策は相次いで
樹立せちれ、戦争目的の遂行、東亜新秩序の建設に向つ
て活発な進軍譜は奏でられてゐる。
 かゝる情勢下に於ける読者の様相が何であり且つ如
何なる方向を辿るべきであるかは問はずして明らかであ
るが、こゝに帝国図書館の実際を通じ具体的にその動
向を探り銃後国民の反省の資に供したいと思ふ。
 帝国図書館は現在の蔵書約九十余萬冊、我が国唯一の国
立図書館で、東京上野公園内にある。明治五年の創立にか
かり明治三十九年現在の地に移転されたが、その後一部
の増築を見たのみで今なほ未完成のまゝ放置されてゐ
る。このことは新東亜文化建設途上にある文化国日本
にとつては不問に附すべからざる一大問題でなければな
らぬ。

    三 読書人の消長

 戦争は物心両面に亙るあらゆる関係を破壊若しくは
変質することを余儀なくする。これを人的資源について
見ると、国民の中堅層を形づくる青壮年は応召して次々
に戦線に送られ、軍需産業の殷賑は朱業軍を動員し、
銃後国民の活動部面は急激その活発の度を加へる。
図書館の利用大衆に異変を生ずることは蓋し当然であ
る。
 また、戦争が読書人員の消長に如何に影響するかは
興味ある問題である。今これを帝国図書館について観
察すると、全く明治以後に於ける国運の進展とその軌
を一にしてゐる。即ち明治二十七年一日平均二一七人を
示した閲覧人は二十八年は九人を減じて二〇八人となつ
た。
日露
の戦
ひは
国を
賭し
ての
戦ひ
であ
つた。明治三十五年四一七人、三十六年四三二人と漸増
の傾向にあつたものが三十七年には一挙十九人を減じて
四一三人となつてゐる。日露戦争の規模は前二役に比し
て殆んど問題とするに足らなかつたが、大正三年はその
前年に此して二十三人の減少を示してゐる。
 その後閲覧人員は逐年増加の一途を辿り、大正十三年
には一日平均一、一六〇人を突破するに至つた。昭和三年
の減少は増築に伴ふ閲覧室の一部閉鎖の結果に外ならな
い。その後漸増を示し、昭和十年は一日平均一、四五八
人といふ空前の躍進を示すに至つた。昭和十一年が前年
に比し一三一人の激減を見たことは書庫狭隘のため閲覧
室の一部閉鎖を敢行したことに原因するが、漸減の兆は
すでにこの年にあらはれてゐることは見逃がすことの出
来ない現象である。
 昭和十二年は前年に比して一一六人、十三年は更に
九三人と加速度的の減少を示してゐる。最近に於ける
閲覧人は他の公共図書館に於いては夙に昭和八年を境
として漸減の傾向にあるが、帝国図書館のそれが昭和十
一年以後に現はれ来たつたことは一つの特徴と見做し
得るであらう。その原因がどこにあるかを適確に論証す
ることは困難だが、非常時態勢の強化、今次事変に伴ふ
社会環境の激変に基づくものと推定するの外はない。
この趨勢がいつまで継続し、又いつ回復するかは真に注
目に値することでなければならぬ。(第一表参照)
 なほ閲覧者群が蜿蜒長蛇の列をなし上野公園寛永寺
門前に及ぶことは、読書月たる二、三月の国書館風景と
してしば/\紙上に喧伝されたところであるが、この間
の消息息を物語る満員日数は昭和十年の一〇一日を最高と
して、十一年は八二日、十二年は六九日、十三年は五〇
日、十四年の新一四半期は従来の五八日乃至三一日に此
して僅かに二○日に過ぎず、前記激減の傾向と相俟つて
最近に於ける閲覧者数の動向を察するに足るであらう。

    四 読者層の分析

 読者層の最上位を占めるものが学生であることの可
否については公共図書館に於いては常に重要な論点と
なつてゐる。帝国図書館は前述のやうに我が国唯一の
国立図書館であるだけに、この問題に対する識者の関心
は一層深刻であるが、こゝでは、深くこの問題に立入る
ことを避け専ら本館に於ける読者層の構成の分析を試み
よう。
 本館に於いても学生大衆は常に閲覧人総数の過半即
ち五五%以上を占めてゐる。これに次ぐものは無業及び
職業無記入の二八%、第三位は実業家の約七%、残りの
一○%は著述家・教員・官公吏・軍人等である。この比
率は一般公共図書館に於いてもほゞ恒常的のものであ
るが、仔細に検討する時、そこにいくらかの変化が看取
される。それは極めて微弱ではあるが学生層の退潮に
代る実業家・官公吏等の増加である。これは偏へに事
変の進展に伴ふ各種の調査研究の齎した結果と推測さ
れる。なほ本統
計に於いて女子
は全体的には減
少の傾向にある
にも拘はらず職
業別に見ると有
職婦人の進出
を見つゝあるこ
とは頗る興味
ある現象と言
はざるを得な
い。(第二表参冊)

    五 部門別閲覧図書

 これは如何なる種類の図書が如何なる割合で読まれつ
つあるかといふ問題である。部門構成の当否はしばらく
おいて事変勃発の前年即ち昭和十一年と、事変第二年た
る十三年のそれを左に表示する。(第三表参照)
 即ち事変の前年に於いて一・七の開きを見せてゐた文
学語学部門と工科兵事・美術産業部門とは事変第二年に
於いては全く同率を示すに至つてゐる。この現象が果
して時局下に於ける一般図書館の共通現象と見なし得
るや否や、又これを以つて直ちに且つ単純に本館利用
者の特殊性若しくは堅実性の証左と言ひ得るかどう
か。
 何となれば文学語学部門の減少は本館に於ける特異の
現象であつて他の図書館はこれとは反対に寧ろいづれ
も漸増を示してゐる。世上一般には文学語学部門の増加
を目して読書傾向の不健全と解し、実利的主題たる産業
及び社会諸科学部門若しくは思索的な宗教哲学部門の増
加を目して堅実な読書の傾向と解し勝ちである。
 今日の如く逼迫る情勢の下に於いては堅実なる思
想の培養竝びに実利的主題の研鑽は図書館としては固よ
り希望するところであるが、他面長期建設下の国民は
徒らに神経衰弱的であつてはならない。我々は俗悪な
趣味の横溢、不健全な享楽気分を排撃する一方、洗錬さ
れた文学によつて高雅なる国民的教養の涵養されること
をも希望せざるを得ない。
 この意味に於いて、我々は絶えず堅実なる読書の傾向
に重大なる関心を払はなければならない。
 次に具体的な一例を掲げて参考に供しよう。
 戦局の推移は国民の重大関心事であるが、わけても空
中戦は今次事変の華として最もよく注意されてゐる。従
つて大場彌平の「空中戦」、読売新聞杜の「海の荒鷲実戦
録」等が歓迎され、火野葦平「麦と兵隊」「土と兵隊」、
上田廣の「黄塵」は戦争文学に新らしい地歩を踏み出し
たものといへよう。
 時局経済対策のものとしては岩井良太郎の「長期戦時
経済体制」、元大蔵大臣賀屋置き乗り興宣の「戦時下の経済生活」、
高橋亀吉の「戦時経済の現段階」、金原賢之助の「日本戦
時経済政策」等が注意される。
 産業方面では勝田貞次の「伸びる工業」、大河内正敏の
「資本主義工業と科学主義工業」、小島精一の「戦時日本
重工業」等の諸論を始めとして機械の設計工作、自動車
航空機に関する抜術書、繊維、化学、代用品工業等の書
が活発に利用されてゐる。
 支那関係書は汗牛充棟も啻ならないが、中野正剛の
「日本は支那を如何する」、杉山平助の「支那と支那人
と日本」を始めとし、内藤湖南の「支那論」、尾崎秀実
の「現代支那批判」、池崎忠孝の「新支那論」等の書が
愛読されてゐる。又岡倉天心の「東洋の理想」が新た
に国民の関心の対象となつたことも特筆すべきであ
らう。
 国際関係は国民の一時も忘れ得ざるところ。鹿島守之
助の「最近日本の国際的地位」、武藤貞一の「日ソ戦に備
ふる書」、堀江邑一の「英国の観た日支関係」が歓迎され
るのは偶然ではない。
 国民体位の問題も亦刻下重要の案件である。これに対
応して本村儀作の「体力絶倫(ぜつりん)への道」、高木逸雄(はやを)の「健康
読本」、櫻澤如一(ゆきかず)の「自然医学」、山辺習学の「心身鍛錬の
書」が要求せられ、精神修養書として島影(しまかげ)盟(あきら)の「死の心
境」、加藤咄堂の「炉辺禅話」、「死生禅」が読まれるのは
時局下にふさはしい。
 英雄出でよの声は時局下に於いて特に著るしい。三宅
雪嶺の「英雄論」、「人物論」が読まれるのはこの間の消
息を物語るものである。個人伝記としては吉田松陰、乃
木希典、西郷隆盛のものが要求される。川口篤等訳の
「キュり−夫人伝」が歓迎されるのは科学日本を象徴
するものである。
 以上は直接若しくは間接に時局関係書であるが、純文
学に於いては依然として漱石物が王座を占め、藤村の「春
待つ宿」、伊藤整の「青春」、久保栄の「火山灰地」、石坂
洋次郎の「自活の道」、和田伝の「沃土」、女流では吉屋信
子の「母の曲」、林芙美子の「氷河」、大衆物では吉川英
治の「宮本武蔵」等が最も多くの読者を有してゐる。
 理論的のものとしては桑木厳翼の「基礎哲学」、田辺元
の「哲学と科学との間」、田村徳治の「学問と世界の真実」、
吹田順助等訳の「ローゼンベルグの二十世紀の神話」、
高木貞治の「解析概論」、千谷利三の「一般物理化学」等
が読まれることは本館読者の堅実性を物語るものといへ
よう。
 以上の外、小川正子の「小島の春」、豊田正子の「続綴
方教室」などは、今年第一四半期に於ける最も多く読ま
れたる書として掲ぐべきであらう。

    六 む す び

 以上は帝国図書館を通じて見た最近の読書傾向である
が、これは多少の例外を除いてはほゞ全国的に共通な
現象といひ得るであらう。
 今や皇国は偉大なる転換期に遭遇し、国を挙げて聖
戦に邁進してゐる。そして文化に、産業に、交通に、東
亜の盟主としての貫禄を示さなければならない。かゝる
未曾有の躍進期に於いて国民はその総力を動員すると共
にその素地の啓培をゆるがせにしてはならない。このこ
とは長期建設の段階に於いて一層痛切に感ぜられる。こ
の時にあたつて国民の読書能力の減退若しくは貧困を
来すが如きことがあつてはならない。
 我々は一億同胞の伝統的国民精神の優秀性を疑ふもの
ではない。しかしながら勇敢なる祖国愛と相俟つて、あら
ゆる部面に於ける徹底的な調査研究と思索と教養とを怠
つてはならない。東亜新文化の建設こそ我等に与へられ
た光栄あるしかも永遠の課題である。目前の消耗の補
填にのみ汲々たる現状は断じて国家永遠の策ではないと
信ずる。国民は各々その持場に於いて広く読み、深く考へ、
いはゆる模倣を戒め創造を盛んにし、以つて聖明に対(こた)
へ奉らなければならない。