靖国神社と日本臣民        陸軍省情報部 海軍省海軍軍事普及部
  戦時下の労務需給対策        厚 生 省
  列国の陸軍軍備(上)        陸軍省情報部
  敵の所謂「四月攻勢」        陸軍省情報部
  緊迫する中欧とバルカン       外務省情報部
  最近公布の法令           内閣官房総務課
  「戦車と軍の機械化」に関する補足的説明
  新東亜読本(四) 新支那人物素描      同盟通信社東亜部長   横 田 実

 

靖国神社と日本臣民

           陸 軍 省 情 報 部
           海軍省海軍軍事普及部


 昭和十四年四月二十三日より同二十八日まで六日間に亙り、靖国神社臨時大祭施行の儀を勅許あらせられ、昭和六年乃至九年事変及び今次支那事変に於ける殉難烈士の英霊が新たに祭神として合祀されることになつた。
 別格官幣社靖国神社は、大内山の西北の方(かた)ほど近き九段坂上に巍々(ぎぎ)として鎮座ましまし、合祀祭は明治二年の第一回以来、昭和十三年十月までに回を重ぬること五十三回、その霊十四萬五千八百三十三柱に及んでゐる。これらの祭神は、嘉永六年以後、皇国の華(はな)と散つた人々であつて、その内には、生前陸海軍人軍属であつた人々もあれば、維新前後の殉難死節の士もあり、地方官、警察官もあり、従つて公卿、藩主、士、卒、神職、僧侶、婦人、農工商等、生前の官職身分はさまざまであるが、皆これ帝国臣民として家を忘れ身を擲(なげう)つて、皇国の為めに忠節を抽(ぬき)んでた人々である。
 今回更に合祀仰せ出されたものは、一万三百八十九柱で、内陸軍側は、満洲事変及び支那事変に関し概ね昭和十二年暮までに死歿し、未だ合祀になつてゐない勇士の中、その所属部隊又は関係官庁から合祀方を上申せられた勇士の英霊で、故陸軍歩兵大佐佐野憲三以下一万二百六十四柱である。海軍側は、昭和六年乃至九年事変及び今次支那事変に関し、昭和十二年十二月三十一日迄に、戦死戦傷病死の軍人軍属百十六柱であつて、うち支那事変関係者は、故海軍少佐小池龍介外百十四柱であり、この外に拓務省側に朝鮮総督府警察官九柱がある。
 而して四月二十五日には、畏くも 天皇陛下の御親拝を辱(かたじけな)うする趣洩れ承つてゐる次第で、まことに聖恩枯骨に及ぶとはこの事であり、必ずや戦歿勇士の英霊も地下に感泣し、いよいよ護国の神として永遠に生きて皇國を護り、天恩に報い奉らんことを期するであらう。
 われ等皇國の臣民亦恐懼感激に堪へず、いよいよ滅私奉公、尽忠報國を誓ふ次第である。
 そもそも靖国神社創祀の由来及び合祀祭その他の事どもに関しては、既に週報第七十九号に於いて詳説されてゐる通りであり、また全日本国民の夙に拝承してゐるところでもあつて、改めてこゝに再説するまでもないことと思ふ。
 熟々(つらつら)惟ふに、尊厳なる皇國の國體が万邦無比であり、崇高なる我が国民性が世界に比類なきものであるが故に、我が靖国神社も亦世界無比の存在であることはいふまでもない。絢爛たる文化を誇る欧米列強を見渡して見ても、固(もと)より我が靖国神社に相当するやうなもののあるべき道理がない。それは國體を異にし、国人の思想に根本的の相違があるからである。
 古来我が国では、大小の神社が殆んど無数に存在して、八百萬の神々を奉祀し、上は皇室より下万民に至るまで、常に敬神の誠意を表して怠らなかつたのである。
 そもそも我が国で神といふのは、上は我が皇祖天照大神の御神徳昭々(せうせう)たるを崇めまつり、その他御聖徳高き歴代天皇の御神霊、下は人臣にして猶ほ且つ忠孝の模範となれるものを敬ひ、神としてこれを御祀りしてあるのである。彼の外国の宗教で仮定的に設けた神仏とは全然その性質を異にするものである。
 従つて外国でも、国家に勲功のあつた国民を尊敬するの道は、これを心得てはゐるが、その英霊を神として祀るが如きは到底考へられないことであつて、我が国に於いて、靖国神社の祭神を「護国の神」と崇めるやうな思想は全くあり得ないのである。彼等の國を護つてくれると信ずるのは、国民とは関係の無い宗教上の神様(ゴッド)なのである。
 彼の有名な英京ロンドンのウェストミンスターにしても、祖国に殉じた武将達の墓もあれば、またシェークスピアのやうな英国民の誇りとする文豪や藝術家達の碑もあり、さうかといつて國家に勲功のあつた人々ばかりでもなく、同寺院所属の一般市民の墓所もあり、尚ほ寺院内に世界大戦に於ける無名戦士の記念碑もあつて、同寺院が、英国民とつて崇敬すべき聖地であり、皇帝も親しく礼拝される点だけは、我が靖国神社とやゝ相似たるところもなしとしないが、その精神に於いて根本的にその性質を異にしてゐることはいふまでもない。またフランスにも、彼のパンテオンの如く、國家の勲功者を葬つた所もあるが、これも国難に殉じた人々ばかりと限つてゐないことは英国の場合と同じである。(現在は葬らず。)
 また世界大戦に於ける無名戦士の記念碑は、彼の有名なエトアールのナボレオン凱旋門の下にあり、「永遠に消えない火」が燃やし続けられて居り、その前を通行するフランスの国民は何人も皆脱帽して敬意を表してゐるのである。
 因みに同記念碑の地下には、過ぐる大戦に於いて、仏軍が最も多くの戦死者転を出したといふヴェルダンの要塞から、名も知れない一人の兵士の遺骨を拾つて来て葬つたといふことである。
 猶ほ無名戦士の墓なるものは、単に英、仏のみならず米国でもアーリントン・セメトリーにあり、その他各国にもそれぞれあつて、常に全国民から尊敬され、その敬虔なる礼拝を受けてゐるのである。
 しかし前述したやうに外国では決して、我が国に於けるが如く死者の霊魂を永久に神として祀り、即ち「護国の神」として斎き祀るが如き観念は断じてあり得ないのであつて、たゞ逝ける偉人の在りし日の偉大なる業績を追慕敬仰し、また無名戦士の祖国に捧げた貴き犠牲に対して感謝感激、脱帽して心からなる敬意を表するに止まる。
 若しそれ我が戦線の将兵達が、砲煙弾雨の下に在つて、お互ひに「また靖国神社で会はうぜ」との言葉を朗(ほがら)かに交はし、明日は完爾として 天皇陛下の萬歳を唱へつゝ従容として鬼神も泣く壮烈なる戦死を遂ぐる心情、さては最愛の我が子、我が夫、我が父の戦死を悲しみの中にも無上の名誉なりと観じ、家門の誉れこれに過ぐるものなしとする我が日本臣民の伝統的精神に至つては、外国人の到底解し得べからざる神秘の境地であるといへよう。
 同様にわれ等日本国民にとつては外国に於ける無名戦士の墓なるものは、妙なものであると謂はなければならぬ。何となれば、我が大日本帝国に在つては、匹夫と雖も、苟くも国難に殉ずる上からは、無名の戦士たる能はず、応召の一兵士何某として、而して日本臣民の忠義義烈なる一人として、ひとしく靖国神社の祭神として斎き祀られ、畏くも至尊の御親拝を辱うするの無上の光栄に浴し得るからである。
 思うてこゝに至れば、生を皇國に享けたるもの、誰か天恩の広大無辺なるに感泣せざるものがあらうか。

 明治天皇御製
   靖国のやしろにいつくかゞみこそやまと心のひかりなりけれ
   もみぢばの赤き心を靖国の神のみたまもめでゝみるらむ
 昭憲皇太后御歌
   みいくさの道につくしゝまこともて猶国まもれちよろづの神
   神垣に涙たむけてをがむらしかへるをまちし親も妻子も

 

第一三二号(昭一四・四・二六)