第一三一号(昭一四・四・一九)
  護国神社制度の確立        内務省神社局
  海軍作戦近況           海軍省海軍軍事普及部
  日ソ漁業条約の妥結        外務省情報部
  増税法案の修正          大 蔵 省
  国民精神総動員の新展開に際して
   銃後の聖戦            有馬中央連盟会長
   興亜大業の翼賛           平沼内閣総理大臣
   実効を挙ぐるの道         荒木委員会委員長
   今後の総動員運動          筑紫中央連盟理事長
   国民精神総動員強化方策
   国民精神総動員新展開の基本方策
  新東亜読本(三)  法幣の話          支那経済研究所・土星計左右

 

護国神社制度の確立      内務省神社局

(一)

 今回招魂社制度の改善整備が企図せられ、いよいよこの四月一日を以つて、招魂社の社名を護国神社と改称し、右に関する制度の確立を見るに至つた。 
 そもそも招魂社制度の濫觴は遠く明治初年に在るのであるが、爾来年を閲(けみ)すること七十有余年、今や全国に百三十一社を数ふるに至つたけれども、その間殆んど自然の発展に委ねられ、神社の制度としてすこぶる不備なものがあり、いはゆる国家の宗祀として遺憾の点が尠(すくな)くなかつた。従つて一般識者の間は於いては、夙(つと)にその改善整備が要望せられ、殊に今次事変勃発以来、招魂社崇敬の念が澎湃として昂まるに伴ひ、之が制度確立の必要が痛威せらるゝに至つた。当局に於いてはこの問題の重大性に鑑み、事の慎重を期して、昨年頭初以来各方面の意見を徴するとともに神社制度調査会の議に附し、鋭意制度改正に関する諸準備を進めつゝあつたが、去る三月十五日右に関する諸法令が公布せられ、四月一日より施行せらるゝに至つたのである。今回の改正は、神社制度上極めて重要な問題であり、この時局下特に意義深きことと考へるので、招魂社の沿革をかへりみ改正の概要を述べでみたいと思ふ。

(二)

 謹んで按ずるに、招魂社は畏くも、嘉永六年以来、唱義精忠天下に魁(さきがけ)して国事に斃れた者及び明治元年、伏見戦争以来東征各地の討伐に於いて従軍戦死した者等の忠節を嘉し給ひ、その忠魂を慰めらるべき特別の御思召(おんおぼしめし)を以つて、明治元年五月十日、京都朝廷の地に新たに祠宇(しう)を設け、永くその英霊を祭祀し、尚ほ向後(かうご)王事(わうじ)に身を殲(つく)した者をも合祀(がふし)あらせらるべき旨、太政官布告を以つて仰出(おほせいだ)されたのをその起源とする。この五月十日に、明治天皇の下し給うた御沙汰書を拝するとき、如何にこれ等殉国志士の忠節に対して御嘉賞と御哀悼の至情を垂(た)れさせ給うたかが拝察せらるゝのであつて、洵に恐懼感激に堪へない次第であるが、当時各地の藩主等も亦この聖旨を奉体(ほうたい)して、その所属藩士戦没の地その他各所に於いて招魂場を営み祭祀を行ふものが相次いで生ずるに至つたのである。明けて明治二年には東京九段坂上に新たに東京招魂社が創建せらるゝこととなつた。
 次いで明治七年に至るや旧藩主又は人民の私設に係る各地招魂場は爾今官費を以つて維持せらるべき旨仰出され、翌八年、その支給定額を定めて茲にいはゆる官祭招魂社の制度の誕生を見るに至つた。更に同八年には従来京都東山に合祀せられた英霊のみならず、当年まで各地に於いて皇事(わうじ)に斃れた英霊を併せて東京招魂社に合祀せらるゝこととなり、且つ各地に於ける招魂場は従前の通り存置せしめるとともに、その社名を初めて招魂社と統一せられたのである。越えて明治十二年には東京招魂社を靖国神社と別格官幣社に列せらるゝ旨仰出され、爾後数次の戦役事変に際ん殉難忠節の士を合祀せられ今日に至つた。
 尚ほ前述の如く各地の招魂場は明治八年招魂社と称することとなり官祭の制がとられたけれども、その後漸次私費を以つて之が創立を出願するものを生ずるに至り、明治十年下野国大田原宿に創立が許可せられたのを期として、爾今私費を以つて建設のものに限り内務省に於いて之を許すこととなり、いはゆる私祭招魂社の制を成すに至つたのである。その後明治十二年には招魂社明細帳を調製(てうせい)し、同二十三年には受持神官を置く等、漸次制度が整備せられて今日に及んだのであるが現在何ぶんにも明治初葉以降に於ける三十に足らざる雑多な規則が存するのみであつて首尾一貫せざるの憾(うら)みあるのみならず、社名に於いも、祭祀に於いても、神職の制に於いても、財産会計に於いても、すこぶる曖昧不備の点が多く、国民奉賽の至誠を達成せしめる上に十分でないものがあつたことは遺憾に堪へないところであつた。今回の改正は、即ちこれ等の不備を正し疑義を明らかにし、神社としての制度を明確ならしめ、以つて国民崇敬の至誠に対へ、いよいよ御神威の発揚を期し、国民精神作興(さくこう)の基幹たらしめんとするに在るのである。


(三) 

 今回の制度確立の根本の要点は、社名を護国神社と改称するとともに、招魂社の沿革と祭祀の実情とを考慮して現行の府県社以下神社に関する制度を適用したことである。
 第一は社名に関する事項であるが、元来招魂社なる字義は、在天の神霊を臨時に招斎するが如くに聞え、万世に亙り神霊の鎮座坐します神社名としては妥当を欠くおそれがあるので護国神社と改称せられた。「護国」の称は、畏くも明治十五年一月四日海軍軍人に賜はりたる勅語に「国家の保護に尽さば」、明治十八年十月二十七日軍旗授与式の勅語に「国家を保護せよ」、又明治五年十一月二十八日徴兵令制定の勅語に「国家保護の基(もとゐ)を立てんと欲す」との御言葉を拝するを思ひ合すれば、護国神社御祭神の勲功を称ふるに最も適(ふさは)しく、また既に護国の英霊等の用語が用ひられて親しみも深く社名として誠に熟した称呼と存ぜられる次第である。
 社名に関しては世上或ひは靖国神社分社若しくは靖国神社分霊社と称することを唱へられた向(むき)もあるが、別格官幣社靖国神社と護国神社とは、上述の如く全く別個のものであつて、護国神社は靖国神社の分社又は分霊社ではなく、護国神社の御祭神は靖国神社の御祭神の一部を別に奉祀することになつてゐるのである。また従前官祭招魂社の社名には官祭なる称呼を冠せしめてゐたが、護国神社と改称せらるゝに際し之を廃止することとなつた。社名に官祭の称呼を冠するのは明治三十四年以来のことであり、反面自然に私祭の称呼を生ずるに至つたが、之は元来事務上の便宜に出でたものであり、制度の整備せられる今日、護国神社に官私祭の区別があり、同一護国神社の祭神に官私祭神の別を附することは極めて理由のないことと思はれるので、近き将来に於いて国費の支給について改正方を考慮する意味の下に、先づ以つてその称呼を廃することとなつたものである。
 今回の制度改正の第二の主点は、護国神社の制度は大体に於いて府県社、郷社、村社等、いはゆる府県社以下神社の制度を適用するものなることを明確ならしめたことである。
 招魂社は前述の如く神社の制度として之を見ればすこぶる不備ではあつたが、素より神社であり、行政的に永年府県社以下神社の制にならつて取扱はれ来たつたものであつて、従つて今回の改正に当つても、この沿革を尊重し、之を現行神社制度の軌道に乗せる方針によつて取扱ふを適当とせられたのである。その結果、社格に於いても従前の通り之を附せざるものとし、祭祀、神職、神饌幣帛料の供進、財産会計等に関しても、ずべて府県社以下神社に関する諸法令が適用せらるゝに至つた次第である。尤も護国神社は、一般御社と多少異つた沿革と意義とを有するために、その特性を発揮し、いよいよその御神威を発揚するに努められたことは勿論であつて、以下少しくこの点に触れてみたいと思ふ。

(四)

 護国神社に社格が附せられなかつたのは、上に述べたことが一の大きな理由であるが、なほ従前の招魂社に於ける祭祀の実情に照すとき、府県社等に於ける祭祀と同一視し得ざる点があり、官祭の制度の存することも考へ合されて遂に社格を附せられず、今後列格を予想せられざる制度となつた次第であつて、将来列格を予想せらるゝいはゆる一般無格杜とは異ることに注意を要する。
 併しながら現在全国に於ける護国神社は、その規模に於いて、崇敬の状態に於いて大小区々であつて、之を全部同様に御待遇申上げることはかへつて神社の実情に適さないおそれがあるために、護国神社に二様の取扱をずることとなり、大体に於いて内務大臣の指定する護国神社は府県社に準ずる御取扱とし、然らざるものは村社に準ずる御取扱とせられた。而して内務大臣の指定する護国神社と然らざるものとの制度上又は行政上の差異は第一に社名に、第二に神職の制に、第三に神饌幣帛料の供進について最も多く現はされてゐる。
 社名については内務大臣の指定するもの以外に在つては、道府県名を冠することが出来ない。神職については明治二十三年に定められた受持神官の制が廃せられ、府県社以下神社同様社司(しやし)社掌(しやしやう)が置かれることとなつたが、内務大臣の指定する御社には社司及び社掌を、然らざるものには社掌のみを置くのである。次に護国神社には新たに他の神社と同様、地方公共団体より神饌幣帛料を供進して奉斎の誠を致すべき途(みち)が拓かれたが、これ亦内務大臣の指定する護国神社には道府県より、然らざるものには市町村より供進せらるべきものとなつた。
 次に護国神社の特色が強く現はされたのは、祭祀に関する事項である。即ち一般神社の祭祀は国家の法規によつて統一せられてゐるが、今回の改正に当つて、護国神社については特別の規定が設けられて特色が発揮された。護国神社の祭祀は素より上述の一般原則により府県社以下神社に関する祭祀法令が適用せられるのであるが、これ以外に鎮座祭及び合祀祭が新たに大祭に加へられ且つその祭式祝詞が定められてゐる。
 なほ例祭についても、一般には従来の規定があるにかゝはらず、その特性に基づき別に祭式祝詞が定められた。これ等の祭式の中、特に注意を要するのは、陸海軍の関係部隊代表者が祭典に列して祭文を奏上することを得、また祭神の縁故者即ち遺族が祭典に列することが山来るやうに考へられた点等である。更に祝詞に於いても祭神御生前の動功にふさはしい文辞を用ひ立案せられてゐるのである。なほ一言申添へたいのは、一般神社に於いては、神饌幣帛料は新年祭、新嘗祭及び例祭に際して供進せられるのであるが、護国神社に於いては特にその例祭、鎮座祭及び合祀祭に際して供進せられることとなつてゐる。

(五)

 以上極めて概略ではあるが、今回の護国神社制度の確立について申述べた次第である。
 惟ふに現下の時局は極めて重大であつて、帝国は今や国策の遂行を期し、その総力を挙げて東亜新秩序の建設に邁進しつゝある。この時に方(あた)り護国神社制度の確立を見たことは誠に意義深きものあるを覚ゆるのであるが、われ等国民は上下を挙げて畏くも招魂社が明治初年、皇室の特別の御思召によつて創始せられたことを想起するとともに、いよいよ護国神社奉斎の赤誠を效(いた)し、一死以つて至誠報国の範を垂れさせ給うた御祭神の神功(しんこう)を偲んで、これを亀鑑として臣民たるの道を顕揚し、大いに神国日本の前途に栄光あらしめねばならぬ。

 

週報第131号(1939.4.19)