第一二五号(昭一四・三・八)
  日露戦争より支那事変へ −支那事変下に再び陸軍記念日を迎へて−  陸軍省情報部
  米国海軍と太平洋(上)       海軍省海軍軍事普及部
  国民健康保険組合の実績      保 険 院
  上海租界について         外務省情報部
  官庁編纂図書だより・文部省推薦図書紹介

 

日露戦争より支那事変へ
         
支那事変下に再び陸軍記念日を迎へて

                      陸軍省情報部

 

 はしがき

 我が国が東洋平和と独立擁護とのため奮然として国際
紛争の解決を干戈に訴へ、帝国の地歩を東洋の天地から
世界の舞台に押し進めたあの日露戦争の時から、月日は
流れてこゝに第三十四回の陸軍記念日を迎へるに至つ
た。
 けれどもこの間、三昔の歳月の経過はいつとはなしに
当時の国難に対する感想を薄らがせ、日露戦役のことが
次第々々に国民の頭から遠ざかつて行く実状むながめて
は、悲痛の憾みさへも感じさせられるのである。今茲に
支那事変下に再び陸軍記念日を迎へるにあたり日露の大
戦より今日迄の父祖先輩努力の蹟を偲び時局に処する覚
悟を固めたいと思ふ。


日露戦役より支那事変へ

 世界列強の極東に於ける侵略は、我が徳川時代の中期
からいよ/\露骨となり、ロシアは西北から、英・仏は
西南から、共に支那に迫つた。そして日清戦役の結果、
支那の弱体が全世界に暴露するや、爾来支那は列強の極
東侵略の魔手の交錯する処となつた。かの三国干渉など
も、東亜に於ける日本の発展を阻止して、欧州列強が侵
略を専らにしようとした手段に他ならない。そして北清
事変は正に列強の侵略に対する支那民族の反撥であつた
が、支那一箇の国力を以てしては到底成功する筈がな
く、事変の結果はかへつて列強の侵略を助成することに
なつた。中にもロシアは最も積極的にその魔手を延ばし、
日清戦役後三国干渉に関連して遼東半島を租借し、旅順
の要塞を堅め、これを根拠として東洋併呑の事業を進め
た。そして北清事変後はこれに参加した兵力を満洲に駐(とゞ)
め、更に鉄道守備を口実として同地に大兵を進め、続い
て朝鮮の侵略を企図し、遂に日本の存立さへも脅威する
に至つた。こゝに於て我が国は東洋平和の見地から、半年
の永い間、ロシアと折衝を重ねること十八回、ひたす
ら彼の反省を求めたが、彼は何等の誠意を示さず、遂に
明治三十七年二月、我が国をして聖戦の火蓋を切るの已
むなきに至らしめたのであつた。
 三国干渉後の日本は既にロシアのこの事あるべきを予
知し、朝野を挙げて臥薪嘗胆、国防の充実に邁進した。
畏くも皇室に於かせられてはこれがために御内帑を割か
れ、文武百官亦聖旨を奉じて俸給の一部を献じ、全国民挙
つて経済的努力を尽し、これによつて軍備の充実に資し、
前途の国難に備へたのであつた。これと呼応して、北清
事変後の支那は些か自覚する所があつて、密かに我が
国へ依存協力する空気があつたが、他方英国はロシアの
極東侵略政策によつて、既に東亜に獲得した権益に対し
脅威を感じて我が日本に接近し、両者の間に日英同盟が
成立するに至つた。
 こんな国際情勢の中に日露戦役の幕は切つて落された
のであつたが、奉天会戦後、日本の勝利が確実となるに
及んで、支那の態度も英国の態度も共に日本に対し次第
に冷淡になり、この頃から支那は再び遠交近攻の伝統的
政策を準備し、利に聡い英国は東亜に於けるロシアの脅
威の去つた今日、寧ろ日本の発展が英国の極東侵略の障
碍となることを察知し、日英同盟の廃棄は既にこの時に
兆したのであつた。日露の講和を斡旋した米国にも亦、
日本の過度の発展を喜ばない態度が窺はれた。
 然し、強敵ロシアを撃攘し、その東亜侵略政策を一時
挫折させた日本は、自国の独立を安泰にしたばかりでな
く、朝鮮を救ひ、支那を助けて、世界の強国に伍し、事
実上東亜の安定勢力となり、列強と雖も、東亜に関して
は日本を除外しては何事も為し得ない状態となつた。
 次いで大正三年乃至七年に亙る世界大戦は欧州列強を
極度に疲弊させたのであるが、これに反し、日本は商工
業の飛躍的発展を遂げて世界の市場に進出し、その国力
を増進し、世界に於ける地位をいよ/\高めることもな
つた。これと相呼応して世界大戦に於ける弱小民族の功
績は遂にその解放運動の空気を醸し、日本に対する信頼
を増加して、日本を盟主とする新東亜建設の胎動は既に
この頃から始められるに至つた。
 右のやうな国際情勢を見た欧米列強は大きな恐怖を感
じた。蓋し欧州列強は大戦の疲労を恢復するために、ま
た米国はその高度の生活水準を維持するために、共に世界
市場、中でも極東に於て経済的侵略を必要とし、これを
遂行するに当つて大きな障碍となるものは実に日本の
発展であり、有色人和解放の運動であつたからである。
 こゝに於て英・米・仏等の国際的施策は、正義人道の
仮面に隠れながら、裏面に於ては主として東亜に於ける
日本の発展を阻止し、西欧に於ける独・伊の復興を防止す
るやうに行はれた。ヴェルサイユ平和会議を始めとして、
国際聯盟、支那に於ける米国の門戸開放運動、ワシント
ン会議、九ケ国条約、ロンドン会議等、いづれも我が日
本の発展阻止を意味しないものはなかつた。
 世界大戦なかばに共産主義革命の巷と化した帝政ロ
シアはソヴィエト聯邦を組織し、暫く国際政局を離れて
内政の処理に没頭してゐたが、その国内の統−が出来る
と、一切を犠牲にして軍備の強化に努め、その充実につれ
て再び伝統の極東侵略主義を復活し、赤化思想戦を前衛
とし、強大な軍備を本隊として、侵略の歩を進めるに至
つたのである。
 右のやうな国際情勢に便乗した支那は日本依存の紐
帯を断ち切つて、遠交近攻の盲(めくら)政策を採り、漁夫の利を
求める第三国を誘つて東亜の禍根をます/\成長させる
愚策に陥つた。
 支那侵略に立ち遅れた米国は支那の門戸開放を要求
し、支那は自由主義思想に基づく我が国民の無気力と
軟弱外交とに乗じ、外力を借りて我が国に迫り、二十一
箇条の廃棄を宣言し、青島還附、九箇国条約の締結等に成
功した。また英国は日英同盟を廃棄して連米政策を採
り、フランスも亦英米に追随し、各国いづれも支那と接
近して、日本を抑圧しながら支那に於ける経済的侵略に
邁進した。これに加へて孫文の聯ソ政策はソ聯邦の支那
赤化に拍車をかけ、これらの諸関係が寄り合つて我が日
本を国際的孤立に陥れたのである。
 孫文の没後、これに代つた蒋介石は、英国資本の援助と英
国資本を背景とする浙江財閥の支持を得、また聯ソ容共
の政策を用ひて、支那北方軍閥の討伐に成功し、国民党の
勢力を強化した。然るにその後間もなく容共政策を放棄
して武漢政府を倒し、ボロジン等のソ聯要人を追放し、
上海に於ける共産党の大弾圧を行つた為めに、共産主義
運動は中原に於ては地下に潜行し、ソ聯に隣接する地方
で政治的、軍事的に公然と発展するに至つたのであるが、
これと対蹠的に国民政府の英国依存の国策はいよ/\強
化され、従来しばく行はれた排英運動は全く終熄し、
これらの排外運動を一括して排日政策の一途に向けら
れるに至つた。
 然るに世界大戦後から昭和の初期にかけて、我が日本
の政界・学界・思想界等の病的な欧米崇拝論者は以上の
やうな国際政局裏面の認識を欠き、英・米・仏等の自利
的現状維持論、自己保存的平和論、仮装正義人道論等に
心酔して全く彼等の思想戦の術中に陥り、帝国本来の
姿と道義に基づく国是、国策を忘れて、自ら帝国を侮蔑し
て、軍国主義、侵略主義、帝国主義等と卑下しながら国
策の進路を誤らせ、好んで欧米迎合の対内外消極政策を
採り、内にあつては数次の軍備縮小を断行して外交の推
進力を弱化したのを始めとし、一切の方面に緊縮退嬰政
策を施し、遂には産児制限を高唱するものさへ現はれ、
外に対しては屈従外交によつて数多の理不尽な条約を
甘受し、欧米に媚び支那に媚びて自ら二十一箇条の廃
案、青島還附を提唱するものもあり、遂には日清・日
露の戦役に於ける苦心と犠牲とを忘れて在満権益放棄
論を主張する者さへ現はれ、外交国難、経済国難、人
口国難、思想国難の渦中に国民を投じて、全く民族的理
想を喪失せしめるに至つた。今日これを顧みれば実に満
洲事変、支
那事変を未
然に防止し
得なかつた
責任の大半
は、これら
外来思想中
毒者の負ふ
べきもので
あると信ず
る。
 かやうな
我が国民の
無気力、帝
国の軟弱外交、その他帝国内部の諸事情に乗じ、蒋介石
は公然と対日交戦を豪語し、欧米等の援助助に依つて対日
軍備の強化に勉(つと)めると共に、巧みに政治、教育その他の
組織を利用して排日教育に努めた。その結果、排日、侮
日、抗日の思想は決河の勢ひを以て軍民に浸潤し、幾多
の排日不法事件を続出しめるに至つた。地方軍閥また
これを利用してその勢力の拡充を図り、中にも満洲及び
北支に割拠してゐた張作霖父子などは、日清・日露の両
戦役に於ける歴史的関係を無視して、我が在満権益を侵
し、居留民を圧迫し、皇軍を侮辱し、遂に我が大陸国策
の礎石をも覆さうとしたのである。かの満洲事変はこん
な雰囲気の中に惹起されたのであつた。
 満洲事変は昭和六年九月十八日柳條溝事件に端を発し
たのであるが、皇軍の迅速果敢な作戦によつて、僅か半
年の間に偉大な戦果を収め、翌七年三月一日には満洲国
の建国を見るに至つた。この事変は、従来消極政策の
ために光明を喪失して萎靡沈滞を続けて来た我が国民の
気力に活気を与へ、日本精神を作興させ、八紘一宇の聖
訓を奉じて積極的国策を樹立せしめるに至つた。即ち政
治・経済・文化その他各般に亙る日満支の提携共助を枢
軸とする東亜諸民族の共同体結成といふ、我が大陸経営
の国策はこの時に確立されたものと見ることが出来る。
 従つて事変の処理はこの国策によつてなされた。その
結果は東亜に於て世界史的な新事態を生んで、東亜の大
勢を一変せしめると共に、世界の視聴を此処に集めるこ
とになつた。その主要な事項を列挙すれば
 第一 我が八紘一宇の大精神を以て皇道を宣布し、皇
   徳を施し、満蒙諸民族を塗炭の苦しみから救済して
   王道楽土満洲国を建設し、日本文化の普及、東洋文
   化復興の基確工作を完成した。
 第二 日満の攻守同盟によつて満洲国の国防を保障す
   ると共に、我が対ソ国防の防波壁を前進した。
 第三 日満一体の経済結合により有無相通じ、国防竝
   びに生活資源の自給自足圏を概成(がいせい)し満洲国人の生活
   を安定せしめると共に、事変前に逼迫してゐた我が
   国の人口問題及び国民生活問題を或る経度まで緩和
   し、以て共存共栄の実を挙げるに至つた。
 第四 アジア諸民族更生の第一階梯を確保し、更にそ
   の推進に積極的迫力を加へた。
 第五 我が国は信念ある自主積極外交に転じ、国際聯
   盟、海軍条約など理不尽な条約を脱退するに至つた。
 以上の事実は日満両国の提携共助による東亜諸民族自
力更生の出発であつて、支那にとつては欧米に依存しな
い更生の活模範(くわつもはん)であつた。何故ならば蒙疆地方がこれに
倣(なら)ひ、北支がこれを採り、続いて中支・南支に及ぶならば、
日満支の提携共助、従つて三国の自力更生は平和の裡(うち)
に、しかも順調に成立するからである。またかうするこ
とが日満支三国のいづれにとつても最善で、更に真の東 
洋平和または世界平和の為めにも、人類の文化向上、福
祉増進の為めにも、極めて合理的、道徳的であつて甚だ
望ましいことであつた。然るにこの事実とその将来に及
ぼす影響の予想とは、蒋政権を始め、東亜の赤化侵略を企
図するソ聯邦及び東亜の経済的侵略を強化しようとする
国々をいたく恐怖させ、その結果我が大陸経営の推進に
対する彼等の妨害はいよ/\積極的となつたのである。
 即ち満洲国の隆々たる発展とその民族の幸福な姿とを
眼前に提示された支那国民政府は、ことさらに耳目を蔽
つて これを認めないだけではなく、かへつて失地恢復
といふやうな誤つた標語を以て国民を愚弄し、自利的権
勢の拡充のために排日教育を強化し、民を駆(か)つて抗日戦
線に投じたのである。また蒙疆も、北支も共に右の実物
教訓を認めながら、満洲国に倣ふ勇気と実行力とを発動
することが出来なかつた。尤もこの事は支那民族の単純
な無反省、無自覚に基因するだけではなく、日満支の提
携共助、即ち東亜諸民族の自力更生を妨げようとする非
人道的な重圧が支那に加へられてをつたからである。ソ
聯邦の東亜赤化政策、欧米なかんづく英国の資本主義的
侵略及び蒋政権の売民族奴的政策がこれである。果せる
かなソ聯は、満洲事変後、急速に極東軍備の充実を図る
と共に、この軍備を背景として、外蒙及び西部支那から
の赤化の魔手を一層強化し、支那と相互援助の密約を締
結して日満に対杭した。
 また英国は北支が満洲国の模範に倣ふことを恐れて、
蒋政権の排日抗日を支援すると共に、日本に先手を打つ
て、奸策を弄し、かのリース・ロスの指導による全支那幣
制の改革を断行させて支那の金融経済を自己の掌中に
収め、これによつて蒋政権の排日抗日を操縦し、且つ北
支等の更生を経済的に至難ならしめたのである。
 かくて蒋政権は一方に於て容共の政策を採つてソ聯邦
と結び、他方に於て英国依存の政策を採つてこれと経済
的に握手し、その必然の結果として、日本に対しては容
共抗日、聯英排日の方針で臨んだ。その容共によつて国
共合作に成功し、聯英によつて経済的中央集権を確立し、
これに関連して地方軍閥の経済力を殺ぎ、排日抗日によ
つて軍民の関心を国内抗争から対日抗戦に転じ、内戦停
止、挙国抗日の旗印の下に政治、軍事、教育等の中央集
権にも成功し、武力、思想、経済等の各般に亙つて公然
と対日開戦準備を進めたのである。これと呼応してソ聯
邦は極東軍備を強化して満蒙の国境を脅威すると共に、
この軍備を背景として極東赤化の政策を強行し、中でも
外蒙、新疆、陝西、山西等の地方には容易に抜くことの
出来ない赤色勢力を扶植するに至つた。かの日独伊防
共協定は世界に於ける真の人道、真の文化を共産主義の
赤化破壊から擁護しようとする共通の目的から、こんな
雰囲気の中に生れたのである。
 [ ][ ]な情勢に於て[ ][ ]我が帝国はなほ隠忍に隠忍を重
ね寛大な態度を以て支那に臨み、敢へてこれに武力膺懲
を加へるの挙に出でなかつた。蓋し我が国策たる大陸
経営の第二階梯は日満支の提携共助の実現にあり、これ
がためには支那と戦ふべきではなく、寧ろ親和し握手す
べきであつたからである。そしてその親善を阻害する根
本原因は支那自体の無反省よりも、かへつて支那を操縦
する第三国の奸策にあるのであるから、我が国策の推進
のためにはこの種の奸策を封鎖するに足る綜合国力の充
実を期せねばならなかつた。
 即ち満洲事変後に於ける右の事態に即應する帝国の国
力充実計画は、日満支の提携共助、東亜諸民族の更生を阻
害する第三国の魔手を切断し、その奸策を封ずる方針に
基づくものであつて日満を一体とする軍備充実、産業拡
充、これに伴ふ社会政策の遂行がこれであつた。然るに
我が帝国の右の如き苦心にも拘はらず蒋政権は容共抗
日、聯英排日の強化、対日開戦準備の進捗、排日教育の
徹底に伴つて帝国に対する挑戦はいよ/\積極化し、支
那各地に於ける帝国権益の侵犯、居留民の虐殺、日貨の
排斥抑留、皇軍侮辱等の具体的行動となつて現はれ、勢ひ
の赴くところ遂に拾収(しふしう)すべからざる情勢となり、昭和十
二年七月七日、北京郊外蘆溝橋に於ける支那軍不法射撃
事件に端を発して今次の支那事変の幕は切つて落される
に至つたのである。
 論じて茲に来ると、支那事変は決して偶然の出来事で
はなく、そこに歴史的必然性が観取される。以上に述べ
た歴史的な事実がいづれも複雑な因果の関聯を以て今次
の事変に及んだのであつて、この事変は、宇内無比の國體
を擁護し、これに因む固有の文化を創造し、八紘一宇の神
訓を奉じて皇道を宣布し、世界人類の真の平和と文化と
福祉とに貢献しようとする皇国日本が、日清・日露の戦
役及び満洲事変の連鎖として、当然突破せねばならぬ一
難関と観るべきである。


    支那事変の本質

 蘆溝橋事件の当初、帝国は不拡大方針を堅持してこれ
に臨んだ。それは我が大陸経営の精神は日満支の提携共
助を希求し、日支の抗争を欲しないからである。然るに
この方針に基づく現地協定は暴戻な支那軍のために立ど
ころに蹂躙されただけではなく、不法挑戦の具体的事件
は支那各地に飛火し、これらの事件の頻発拡大の結果は
遂に帝国をして不拡大方針による和平解決の期待を喪
はせ、こゝに涙の鉄拳を支那の頭上に加へるの余儀な
きに立ち至らしめたのである。
 帝国が右のやうに不拡大方針を放棄し、全面戦争を
決意したのは昭和十二年八月中旬であつた。即ち同月十
五日、帝国政府は、廟議(べうぎ)に基づき「支那軍の暴戻を膺懲
し南京政府の反省を促す」ことを声明してこゝに全面戦
争に移行したのである。かくて一方に於て膺懲の皇軍を
進めて北支・蒙疆の大部を平定し、中支にあつては上海
攻略後更に首都南京を撃つと共に、他方に於て友邦ドイ
ツ大使の和平斡旋を容れて帝国の大乗的態度を示し、国
民政府の反省を促すことになつた。然るに蒋介石を首班
とする国民政府は、頑迷にも遂に反省の誠意を示さず、
かへつて長期抗日による必勝を豪語して譲らず、その止
まる所を知らぬ状態であつた。こゝに於て帝国は国民政
府即ち蒋政権の反省の見込みがないのを見透し、昭和十
三年一月十六日更に廟議に基づく政府声明を発して長期
戦の決意を中外に宣言し、事変処理の大方針を明示する
に至つたのである。その要旨を述べれば次の通りであ
る。

 第一 帝国は爾後国民政府を対手とせず。
 第二 帝国と真に提携するに足る新興支那政権の成立
   発展を期待し、是と両国国交を調整して更生新支那
   の建設に協力せんとす。

 かくて事変の処理は今日に於ては勿論、今後に於ても
この大方針に準拠してなさるべきものとなつた。この
大方針を検討すると、その最も根本的なものは「更生新
支那の建設」といふことにある。では更生新支那とはど
んな支那か。それは
 第一に遠交近攻、容共抗日の思想を清算して親日満防
共に転向した支那
で、しかも
 第二に日満支提携により我が大陸経営の聖業に欣然参
加する支那
、即ち日満支の提携共助を枢軸とするアジア
民族協同体の結成に参加協力する支那である。従つて我
が帝国についてこれを観れば、更生新支那の建設は、いふ
までもなく、八紘一宇の精神に基づく我が大陸経営の第
二階梯たるべきものである。こゝに至つて今次事変の本
質は全く明瞭となつた。即ち我が大陸経営の遂行といふ
ことに事変の本質があり、聖戦の本義がある。
 かくて、皇軍は右の方針に従つて更に行動を起し、先づ
蒙疆、北支及び中支に生れた新政権の連絡、協力、発展を
助成するため、徐州の大会戦を敢行した。その結果津浦(しんぽ)
線による北中支の連絡を完成したが、黄河堤防の決潰氾
濫等によつて我が軍の急追を逃れた敵軍は更に武漢を中
心として抗戦を継続し、国民政府も亦漢口に都して第
三国の援助を繋(つな)ぎながら中央政権の実を失はず、両者相
俟つて新政権の発達、更生新支那の建設を阻等しつゝあ
つたので、皇軍は更に武漢地方竝びに広東の攻略を決行
した。而して十月下旬までに両地共に相次いで陥落する
に及び、遂に国民政府をして中央政権たるの実を失は
せ、一地方政権に下落せしめることが出来た。即ちこゝ
に事変の一転機を劃すべき時期に当面し、帝国政府は
十一月三日、明治節の佳節を期して支那の建設に関する
重大声明を発し、その方針を内外に宣言したのである。
これに依れば
 第一に「帝国の冀求する所は、東亜永遠の安定を確保
  すべき新秩序の建設にあり、今次征戦究極の目的ま
  たこゝに存す」とその目的を明らかにし、
 第二に「この新秩序の建設は日満支三国相携へ、政治、経
  済、文化等各般に亙り互助連環の関係を樹立する
  を以て根幹とし、東亜に於ける国際正義の確立、共
  同防共の達成、新文化の創造、経済結合の実硯を期
  するに在り」と建設内容を示し、
 第三に「帝国が支那に望む所はこの東亜新秩序建設の
  任務を分担せんことにあり、帝国は支那国民がよく
  我が真意を理解し、以て帝国の協力に応へむことを
  期待す」と述べて、支那国民の自覚を促し、この建設
  の大業は他所事ではなくて、日満を始めとし支那国
  民自体の更生の道であり、従つてその任務を分担す
  ベきことを諭し、
 第四に「国民政府と雖も従来の指導政策を一擲しその人
  的構成を改替して更生の賓を挙げ、新秩序の建設に
  来り参ずるに於ては敢てこれを拒否するものにあら
  ず」更に「然れども、尚ほ同政府にして抗日容共政策
  を固執する限り、これが潰滅を見るまで、帝国は断
  じて矛を収むることなし」と−地方政権化したる国民
  政府に武士道的大度(たいど)を示すと共に、長期膺懲の方針
  を示し、
 第五に「東亜に於ける新秩序の建設は、我が肇國の精
  神に淵源し、これを完成するは、現代日本国民に課
  せられたる光栄ある責務なり。帝国は必要なる国内
  諸般の改新を断行していよ/\国家総力の拡充を図
  り、万難を排して斯業(しげふ)の達成に邁進せざるべからず」
 と聖戦の意義とその遂行に関する鞏固不動の決意
 とを宣言してゐる。

 この声明と一月十六日の声明とは決して矛盾衝突は
ない。「更生新支那の建設」はいふまでもなく「東亜の新
秩序建設」に包含せらるべきものであり、「東亜の新秩
序建設」の内容は先に述べた「更生新支那」の内容を包容
し、日満支三国の提携共助の枢軸を構成する点に於て、
明らかに大陸経営の第二階梯である。
 茲に於て帝国は日満支の提携共助、東亜の新秩序建設
の階梯に向つて其の国策を推進する方針の下に、禍を転
じて福となすの挙に出で、挙国一致、不屈不撓、事変処
理に邁進することになつた。


   支那事変を繞ぐる国際情勢と
   事変処理に対する国民の覚悟

 支那事変の将来に関する認識を一層具体的に把握する
には、事変処理の方針を日支の現況と国際情勢とに即応
して具体的に検討する必要がある。
 その第一は国民政府即ち蒋政権の後始末を如何にする
かの問題
である。武漢に敗北して中原を去り広東の海外
連絡線を遮断された国民政府は、今や地方の一政権に過
ぎないことは疑ひを容(い)れないが、彼にして果して親日満防
共に転じ、更生の実を示して和を求めて来るかどうか、そ
してまた東亜の新秩序建設の聖業に欣然協力するかどう
かは甚だ疑問である。何となれば、彼が二十年来培養し
て来た排日抗日の国民思想はあまりに深刻に徹底して今
や自縄自縛に陥り、遽(にはか)に親日満防共に転向し得ない境
遇にあるばかりでなく、他方親日満防共への転向は彼を
今日まで支援し操縦して来たソ聯邦を始め英・仏等の野望
遂行を挫折せしめる結果となり、従つて東亜の安定を阻
害するこれら第三国の奸策は尚ほも継続され、ソ聯を背
景とする共産党の圧力と利権を繞る英・仏等の魔手とに依
つて蒋政権は操作されるからである。
 であるから蒋政権内に一部の先覚者があつても、彼等
の希望は容易に実現されさうもない。では蒋政権が更に
国共合作を継続し、長期抗戦を敢てする場合にはどうな
るか
。蒋政権麾下の軍隊は尚ほ百万を数へ、広東を封鎖
したとはいへ、軍需品は一方ソ聯邦から陸路を通じて
供給され、他方仏領印度支那及び英領ビルマ方面から同
じく陸路を通じて供給されてをり、武漢敗退後彼の蟠踞
せる地帯は地の利を有すると共に食糧資源もかなり豊富
であるから、相当長期に亙る抗戦能力を有するものと見
ねばならない。即ち帝国は彼が抗戦を継続する限り、既
定方針に基づく膺懲戦を遂行すべく、今後尚ほ長期膺懲
の唱道される所以はこゝにある。そして仮りに国共合
作の継続に成功しない場合にでも、支那共産軍がソ聯邦
の支援の下に抗戦を継続し、東亜の新秩序建設を妨害す
るならば、これに対しても膺懲を考慮せねばならない。
 第二は更生新支那の建設に関する問題であるが、支那
新中央政府の育成、これと帝国との間に於ける国交調整
その他の政治工作、治安恢復の為めの武力工作、日満支
共存共栄のための経済工作、防共工作、文化工作等いづ
れも帝国の全力を挙げて協力指導せねばならぬ事業であ
る。こゝに満洲事変の治安工作を例としても満洲国の建
国当初、三十万と称された匪賊及び敗残兵の討伐のため
に、数箇師団の兵力と約七箇年の年月と年々二億乃至三
億円の経費とを用ひ、今も尚ほこれに依つて治安を維持し
てゐることを思へば、蒋政権に対する長期膺懲のほかに、
建設のための武力工作だけに就いて考へても、如何に重
大な事業であるかが想像される。また経済工作に於ては、
応急の処置として先づ支那民衆に食を与へ、有無相通じ
て利用し得べきものは速かに之を利用することも必要で
あるが、その本格的建設に当つては、日満支三国の国防
確立に資すると同時に、三国経済の発展及び民衆の厚生
に遺憾なからしめることを主眼とすべきで、埋蔵資源の開
発を始めとし、重工業資源の増殖、交通施設等いづれも五
年計画、十年計画をもつて進まねばならない。しかもこれ
がためには、日本は莫大な資本と優秀な技術とを提供し
て協力指導すべきである。更に排日容共の支那を親日満
防共の支那に転向させ衷心から大陸経営の聖業に協力さ
せる文化工作に至つては、少くとも三十年乃至五十年を要
する事業であつて、日満支提携の応急対策だけを考へて
も、速効的な思想工作を積極的、持続的に遂行せねばな
らない。而して政治工作はこれ等の諸工作と併行して全
面的に推進すべきものであつて、新興政権の堅実な発展
は一に右の諸工作の堅実な進展如何に繋(つな)がることは勿論
である。変するにこれ等の諸工作即ち建設の事業は、主
として日本民族の双肩に懸る重大責務であつて、長期建
設の唱道される所以はこゝにあるのである。
 第三は今後の国際情勢に対処しつゝ事変処理に当る為
めの国家総戦力拡充に関する問題である。
 惟(おも)ふに前述のやうな蒋政権の長期膺懲と、更生新支那
乃至東亜新秩序の長期建設とは、東亜の赤化を進行して
ゐるソ聯邦及び東亜特に支那に於て、専ら資本主義的
搾取を継続しようとする第三国にとつては、甚だしく苦
痛である。従つて乗ずべき機会があれば相提携して日本
を圧迫し、日本の大陸経営を破砕しようと企図しつゝあ
ることは察知するに難くない。
 かの蒋政権に対する軍需品供給は固より、張鼓峰事
件、天津・上海梅等の租界問題の如き、或ひは我が海外報道
が常に歪曲されて帝国の真意と事変の真相とが伝達され
ないやうなのは、いづれも日本に対封する妨害であり牽制
である。故に長期膺懲、長期建設の間に於て、帝国が万
一国力の消耗または疲弊の色を現はすやうなことがあれ
ば、必ずや日清戦争の場合のやうな第二の三国干渉を誘発
する危険がある。
 尚ほソ聯邦は満洲事変後極東に於ける軍備をいよ/\
強化し、これを背景として不法行為を反復してゐるばか
りでなく、近き将来を目標として、東西両正面同時作戦を
可能ならしめる大軍備の充実中であり、英米等の大軍備充
実も亦しば/\報道されてゐるやうに、近き将来に完成
する見込みであつて、その頃に世界平和の危機が予想さ
れ、且つこれ等の軍備を背景とする我が大陸経営への強
力な干渉が予想される。従つて帝国は今からこの種の危機
に応ずる準備に着手せねば遅くなる。中にも軍備の拡充
の如きは、永年計画に基づいて実施すべき性質のもの
で、一朝一夕に飛躍し得ないものであるから、直ちにこれ
に取りかゝる必要がある。(昭和十四年度版「帝国及び列国の
陸軍」及び附図参照)
 更に支那民衆特にその知識階級に眼を転ずれば、彼等
の容共抗日思想及び遠交近攻の思想は甚だしく根強く、
単なる政治、経済、文化等の工作だけではこれを近い将来
に芟除(さんぢよ)することは至難である。蓋し支那をしてこんな
誤謬に陥らした根本原因は、支那の背後に存する黒幕で
あつて、この黒幕の策動を封止しない限り、容共抗日、
遠交近攻の思想は遽かに親日満防共に転向し得ないもの
と観なければならない。
 右の理由に基づき帝国は長期膺懲、長期建設の二大事
業を遂行するに当り、第三国の妨害を封じ、且つ日満支
の提携共助を推進して事変処理を有効迅速ならしめるた
め、国力の飛躍的増進といふ第三の大事業をその二大事
業と同時に遂行せねばならない。戦ひつゝ養ひ、建設し
つゝ固めて、事変処理のために消耗する国力よりも、増
進する国力を大ならしめる必要がある。国力の飛躍的増
進とは軍備の充実、これに応ずる産業中にも重工業の劃
期的増進竝びにこれに伴ふ社会政策、思想戦力の強化等が
その主要なものであつて、長期確認の事業と相表裏して
進行すべきものである。
 この三大事業を遂行するためには国民精神総動員を強
化すべきことは勿論、諸統制を強化し事変に件ふ跛行景
気を是正して国民負担の公正を計り、三大事業遂行に要
する莫大な人的物的の資源を総動員することが絶対に必
要であつて、これに依つて発揮された物心綜合の威力を事
変処理の重点に集中指向せねばならない。従つて近く統
制は解かれて自由経済に復帰するといふが如き見解は誤
りである。
 元来、今次の事変に於ける武力戦は、日満支の提携共
助を阻害する支那国内の武力を膺懲潰滅し、更生新支那
建設のための治安工作に協力することを主要任務とする
ものであるが、これのみを以て事変の全局を処理し得べ
きものではない。事変の本質が大陸経営の遂行にあり、
その目標が更生新支那の建設乃至東亜の新秩序建設にあ
ることに思ひを致せば、思想戦、経済戦が重要な役割を演
ずべきことが明白である。従つて戦場にあると否とを論
ぜず、国民の各自は皆等しく今次事変の戦士である。而
かもこの戦ひの成否は日本民族の死活問題であると同時
に日満支は固より東亜民族の死活問題である。我が国民
にこの自覚と、この自覚に基づく個人主義、自由主義の
放棄と、国策を奉ずる不言実行とが徹底するならば、
戦は先づ勝ちと見て差支へがない。これなくして、武力戦
のみの現在の戦果を以て事変全局の勝利と速断するのは
早計である。戦ひは尚ほ持久を要する。熱し易く冷め
易い我が国民性の弱点を圧へ、武力戦、経済戦、思想戦
の各部門を挙げ、国家の物心綜合力を集中して聖戦を遂
行する国防国家態勢を完備したとき、始めて今次の事変
は峠を越して帝国の期待は確実となり、従つて我が大陸
経営は第三国の如何なる妨害も排除して第二階梯に到達
し得るものと信ぜられる。
 かくて日満支提携共助の実績を挙げるに至れば、帝国
は茲に皇基を恢弘し、国威を宣揚すると共に、東洋の
平和を維持し、隣邦民族を救済し、東洋文化を再興して
国是を実現することが出来るばかりでなく、帝国の逼迫
した国防、人口、資源、市場等の諸問題も同時に解決し
て国民生活の安定を得ることが出来る。そしてこれに関連
して支那も亦日満両国とその恵みを倶(とも)にし、三国の提携
共助によつて更生し、以て民生を厚うし、文化を復興し
てその民族的使命を遂行することがれ来る。かやうに三
国相協力し、大陸経営は実に日本だけの聖業ではなくし
て日満支各国の分担すべき聖業であるとの自覚に到達す
れば、茲に日満支の枢軸は完成し、逐次アジ
アの諸民族に及ぼすことが出来る。換言すれ
ば帝国の国是は実現され、八紘一宇の皇沢(こうたく)
は東亜の近きより逐次全アジアに及び、更に
世界全人類に及ぶことになる。思へばかゝる
理想の光に輝く日本民族は無上の幸福であ
る。而してこの光輝ある民族的理想実現の成
否の岐路に立ち国民将来の死活の岐路に立つ
て、我が忠勇なる第一線将士は尊き生命を大
君に捧げ、国家に捧げ、国民に捧げ、子々
孫々の為めに捧げて 陛下の萬歳を唱へつゝ
護国の英霊と化したもの既に数万に及んでゐ
る。銃後を守る日本臣民たるものが如何して
個人主義、自由主義の迷夢を去るのに躊躇す
べきであらうか。そしてまた如何して喜んで
困苦欠乏を迎へ不屈不撓時艱克服に邁進しな
いことがあらうか。皇国の興廃のためには国
民個々人の利害得失の如きは進んで犠牲に
供し、一切を大君に捧げ、宜しく国家の一
大生命に活きることを以て安立(あんりふ)すべきであ
る。