第一二一号(昭一四・二・八)
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  官庁編纂図書だより・文部省推薦図書

 

万民補翼について         国民精神文化研究所

一 日本臣民本来の面目・・・二 輔翼・・・三 万民相互の関係・・・四 普段の輔翼・・・五 格段の輔翼・・・六 輔翼の洪範・・・七 その歴史的顕現・・・八 御一新・・・九 現行憲法 

一 日本臣民本来の面目

 我が君臣の関係は本来「頭首股肱」の関係として成立つて居る。この関係は、権力の強制とか、利害の打算とか、理屈の納得とかいふやうな人為のはからひによつて作られたるものではなく、歴史の記憶以前に於て、一切の人為に先立ち、一切の人為を超越して、天然自然にかくの如きものとして生成し来つたものであるといふより外には正確にはいひ表はし得べくもない。併しながら、「天然自然」といふは「人為の造作」に対する否定的消極的言ひ表はしに過ぎず、更に積極的に具体的に、日本族の体験に即して「神ながらに」といふ非ざれば事の真相を伝へ得ざることとなる。しかもかくの如くに「神ながら」「神のまにまに」肇められたる先天的関係は、明治三十六年の明治天皇御製「道」
     千早ぶる神のひらきし道をまたひらくは人のちからなりけり
の仰せの如くに、現身の人の力によりて、彌々あるが上にもあらしめられつゝ、人生の経験、歴史の開展を通じて、彌々自覚され、確保され、拡充せられつゝ彌栄えに栄え来つて居るのである。
 かくの如き我が国に於ける君臣関係本来の面目である。かくの如き本来の面目の基礎の上に初めて各自は千姿万態多種多様の相を現ずるのである。併しながら個人の主観に於ては、常に必ずしもこの本来の面目が充分明確なる自覚に高められて居るとは限らず、むしろ手近かの派生的現象に眩惑されて、この根柢的な本来の面目が閑却せられ、無視せらるゝ如き場合もあり得る。殊に外来内応の浅薄なる思想、学説に至つては、この本質的関係の存在を積極的に否定するやうな盲断に陥るものさへもある位である。しかも平生はこれを自覚せずとも、一旦緩急あつて人が真面目に立還る時には、何人もこの本来の面目に還帰せずには居れぬのであつて、この時各人の心には無上の歓喜が溢れ、不壊の信念が確立し、不退転の勇猛心が内発し、これに反してこの自覚より遠ざかる程、人は不安懊悩に囚へらるゝを免かれざるところにも、上述の事実が日本臣民本来の面目に外ならぬことが確められるのである。
 外国に於ては、古来君主ある国と雖も、君民の関係はかくの如き頭首股肱の本末不可分関係を固有しないのをその本来の面目とする。君主も独立の一個人、人民も独立の一個人、王侯将相寧ぞ種あらんや、彼も人なり、我も人なり、共に是れ一個天涯の孤客に外ならぬ。かくの如き本来無縁の衆生の間に何が故に君臣類似の関係が発生するかといへば、それは偶然なる権力の有無乃至は強弱の関係によつて拘束せられるか、又は利害の商量打算によつて迎合し来たるか迄のことであつて、権力服従の関係の限度に於ては、一見君臣上下の関係を生ずるかの如く、又使役奉仕の関係を生ずるかの如くなるも、両者は本来頭首股肱の関係を固有するものではないのである。
 仮令這般の関係に於て頭首といひ股肱といふ如き文字が用ひられて居るとしても、それは単なる修辞乃至は儀礼的用語に止まり、特定の君と特定の臣との間に於ては、頭首股肱に類似の不可分関係が成立することはあり得ても、それは敬愛とか報恩とかいふやうな個人的なる条件によつて結ばれる偶然的現象に外ならぬのであつて、当該国家に於ける君臣関係一般の本来の面目とするところではない。これは本質的なる國體の相違に淵源することであつて人為の如何ともすべからざるところである。

二 輔翼

 かくの如き先天的な存在の関係があるが故に、これに応じて君は民を「いつくしみ」、民は君に「いつき」「まつろふ」といふ如き、相互の主観的心理的関係も存するのである。民よりしては君に「いつき」「まつろふ」こゝろが所謂「忠」の最も内面的な心理である。而してこの「忠」のこゝろは、只単に心裡のうごきとして終始せしめられることなく、発動して忠の行為として自らを具体化せずには居れぬのである。かkの如き行為が「翼賛」「輔翼」又は「扶翼」に外ならぬ。(「翼賛」の語は、典範、憲法制定の御告文及び憲法上諭に、「輔翼」は憲法発布勅語及び軍人勅諭に、「扶翼」は教育勅語に出づ)

 「いつきまつろふ」といふのは内面的態度であり、「輔翼」といひ、「翼賛」といふのは外に顕はれた活動である。一は帰依であり、外は行善である。前者は後者の原動力、弾機となり、後者は前者の派生であり、結実である。行為は帰依あるによつて行善たるの意義を獲得し、真実の帰依は当然に発露して活動とならざるを得ぬ。(対等者間に於ても緊密なる友情は単に内面的なる敬愛の情感として終始するものではない。「君は川流を汲め我は薪を拾はむ」といふ如き互助的活動に立ち到らしめられるを免れぬ。発してかくの如くなるにあらざれば真の友情ではない。これと共に行為上の協同は敬愛の情感より流露し来るものでなければ真の互助ではない)

 日本臣民が臣民として、股肱として、その分を尽くす一切の活動は即ち輔翼に外ならぬ。それは対等者間の協同又は援助ではなくして、君臣主従の関係を前提しての臣民の活動をいふ。しかも君臣の関係を前提して特に臣民の君に対する臣民行為のみをいふのではなく、頭首股肱の不可分関係に立ちながら、臣民がその股肱としての、御楯としての、臣子として分をつくす一切の行為をいふのである。

三 万民相互の関係

 君民頭首股肱の存在関係は、当然に上は「いつくしみ」、下は「いつきまつろふ」の心理的関係を内用し、又当然に君は「統治」し、民は「翼賛」する活動関係を内容する。而して君は上御一人にましまし、万民は均しくその股肱に外ならぬ。万民は老若男女賢愚不肖、柳緑花紅、千差万別多種多様、各々他と代ふべからぜる独自の特色を以て相対立しながら、皆一様に一君の股肱たる存在に於て隔てなく、又君を頭首と仰ぎ大御親と慕ひ現御神とをろがみまつり、いつきまつるこゝろに於て隔てなく、又上につかへまつり、輔翼し奉る仕業に於ても隔てはない。而して古今を通じては只一系にして変らせ給ふことなく、時を同じうしては御一柱にして竝び立たせ給ふことなき万世一系の天皇を均しく頭首と仰ぎまつる股肱たるが故に、万民は本来相互に同胞として存在し、共に大君のみいつくしびを蒙ぶり、共に大君にいつきまつろふが故に真の同胞愛を有し、又共に大御業を輔翼しまつることによつて相互に回向して真の互助の作用を営み得ることとなるのである。それ故に万民が天皇の股肱として天皇にいつきまつろうてなすところの輔翼は、本来万民間に「隔てなく一様」なるべきものであり、又ひとり一様になさるべきのみではなく、万民が相互に「和衷協同」して為すを要するのである。

四 普段の輔翼

 天皇の股肱たる一切の臣民の、股肱としての一切の生活活動は、そのまゝに天業翼賛の公事ならざるはない。文武の官吏に召し出され、または其の他の公務に就き、公務として定められたことに身を捧げて従事することが輔翼たるのみにはあらず、名もなき民の日常生活の着衣、喫飯、育児、料理、耕耘、売買等、一般には私生活の私的活動で公事とは没交渉のものと解せられるやうな一切凡常不断の生活活動は、そのまゝにこと/"\く天業翼賛の公事たるの本質を有する。かくの如きが輔翼の範囲に属することは我が國體、また我が臣民本来の面目の然らしめるところであつて、人間の作為によつて然らしめられるのではない。個人の取捨選択を超越するは勿論のこと、時宜によつて変化する制度の認定をも俟つことなくして本来然かあるのである。従つてこの種の普段の翼賛は、貴賤都鄙、老若男女、賢愚不肖を問はず、時の古今を問はず、恆常倶存の形態であり、従つて万人の一人もこれよりじょがいせられることもなく、それと共に各人がこれを自覚してなすことを強要せられることもないのである。
 各人の平常の行為がそのまゝに天業翼賛たる本質を有するの事実も亦万人が常に自覚せる次第ではない。むしろその自覚を有せざるものが大多数を占めるのが通例であり、更に、かくの如き本来の面目を積極的に否認する学説もある位であつて、不断にかくの如き自覚によつて翼賛の実を挙げつゝあるものはむしろ少数の先覚者に限られるのである。しかもこの天業翼賛の本来の面目が如実に自覚せられるときは、人は初めてその心に無限の歓喜が溢れ不壊の信念が確立し、不退転の勇猛心が湧き起り、いかなる生活にも真の生き甲斐が、いかなる仕事にも真の働き甲斐が感ぜられて、その身そのまゝの解脱境がたゞ今たゞちに現前し来るのである。
 かくの如くにして本人のこゝともたのしく、個々の仕事としても真の翼賛の名に値する能率と業績とを挙げることが出来、殊にまた綜合せられたる結果に於ても、真に有效なる輔翼の実が挙がることとなり、かくの如くにして始めて大御心を安めまつり、大御業を奨順し奉るべき任務の一端を果すことを得ることとなる。この本来の面目を自覚せざるときには個人の心に於ても、仕事の上に於ても、全局の結果に於ても、この反対のことが起るのである。この普段の輔翼は万人の一人と雖も除外せられることなく、しかも何人と雖も、その自覚が強要せられることもなきものでありながら、その自覚が個人にとつても全体にとつても喜悲、吉凶、成敗、忠不忠殺活の契機となるのである。この自覚を促すことが「國民拐~ノ昂揚ト國家總力ノ發揮」の為めの根本的要諦で、しかも当面の急務に外ならぬ。

五 格段の輔翼

 かくの如き日常普段の私的生活活動がそのまゝに天業翼賛である外に、特に例へば文武の官吏その他の公務にたずさはつて為すべきものとして認定せらるゝところの輔翼が存する。それは所謂「統治権の行使」について輔翼しまつるのである。敍述の便宜上仮に前者を「普段の輔翼」、後者を「格段の輔翼」と呼ぶこととする。前者は各自の私の生活を営むことがそのまゝに公の性質を有するのであるけれども、後者は「私に背きて公に向ふ」へきことをその本来の性質として認定せられるものである。前者は人の認定に先立ちて一切の日本臣民が本来然かあるのであるけれども、後者は格段なる認定によつて輔翼者の範囲も決まり輔翼の方法、輔翼の效果等も決定せらるゝのである。従つてそれらに就いても一様ではなく、時により変化あり消長あるを免れぬ。

六 輔翼の洪範

 天皇の統治権行使は御親政を以て古今一貫の根本法と遊ばされるものの如くに拝せらるゝのであるが、御親政については、その御目的が外国の専制政治の目的等と異るは勿論のこと、客観的なる法、即ち「祖宗の御制」に依らせ給ふことに於ても、客観的な法に依らざるを本質とする専制政治とは全く面目を異にするものであるが、殊に専制政治の特質たる独断擅行といふことについても、彼我全くその面目を異にするのである。彼に於ては独断擅行ということがその本来の面目である。何となれば君主は本来、その人民との間に頭首股肱の一心同体的不可分関係を有するものではなくて、本来は一個天涯の孤客が、偶然人為の原因によつて仮にその地位を獲得したものに外ならぬのであるからして、そこには仰ぐべき祖宗とのつながりもなく、いつくしむべき子来(しらい)の民もないからである。
 我に於ては天皇の御親政は上は祖宗の神霊をまつり、そのみいつくしびをかゝぶりて政を行はせ給ふこといふに及ばず、下は皇族臣民をまつろはしめ、その輔翼を許容し、歓迎し、ことよさし給ふことが祖宗統治の洪範中の重要なる一則と拝せらるゝのである。
 それは既に高天原(たかまのはら)の統治者たらせ給ふ天照大御神が、排他的一神にましますことなく、輔翼神としての八百万の神々と共に主従、本末、親子、師弟、頭首の股肱関係を確保し給ひながら、皇大御神として照臨ましますといふ御神位の事実に於て、また御神霊、御神業の事実に於て、先天的に一決せられつゝあるものであり、而して天孫降臨と共に皇孫尊(すめみまのみこと)たらせ給ふ万世一系の天皇と、輔翼神の子孫たる皇族臣民との間に於て、そのまゝに奉体継承紹述せられ来りしところである。
 而してこの場合に於ても臣民輔翼は万人の間に一様にして隔てなきものたるを要し、又親和協力的に排他抗争的ならざるものたるを勿論である。

七 その歴史的顕現

 この万民輔翼についての統治の洪範は、歴史の道程に於て如何に実現せられたのであるか。この洪範は万世一系一貫不変の大御心の内部に於ては、勿論如何なる時代と雖も常に生きたる法として一貫不変の存在を確実にし来つたものと拝せられ、又臣民の側に於ても、忠義の先覚者が常にこれを奉体し、遵奉するに懈怠なかつたのは勿論のこと、一般臣民に於ても、その深き心の奥底に於ては如何なる時代にあつても漠然たる規範意識としては勿論潜在して居つたのであつて、それ故に国家生活の根柢、即ち第一段の処に於ては、この法は常に規範力を確実にして居つたものと見らるべきであるけれども、国の政治法律の生活の表面に於て、即ち第二段第三段の処に於ては、常に必ずしもそれが充分に制度として紹述せられ、実際政治の上に遺憾なく運用せられて来たといふ訳にはいかぬ。殊に高次の輔翼者の間に於て、この祖法が充分に明徴に観念せられることなく、従つて厳格に循守、循行せられぬやうになると、政治軍事の翼賛奉行の表面に於ては、甚だしき紛更が醸成せられることとなるのである。
 軍人勅諭に「中世以降の如き失体」と仰せられたることの中には、天皇御親政と万民輔翼とが双つながら充分に発揮せられることなく、有名無実のものとなつたやうな状態を含蓄せしめ給うたものと拝察される。
 世襲の征夷大将軍が政治、軍事の大方を切り盛りした時代に於ても、天皇が統治権の主体たらせ給ふことには勿論変りはなく、又統治の作用も昼夜捨てざる連綿不断の「見えざる統治」は万世一系の天皇の躬(みづか)らし給ふところであるけれども、所謂「統治権行使」の「目に見ゆる一面」に限つては、征夷大将軍が包括的にこれを代行する慣はしとなつたのである。勿論将軍は機関説の所謂「直接最高の機関として君主と相対立するの地位を有し、その任命を俟つことなくして世襲し、その命令を受くることなくして施政する」如きものではなく、統治権の御主体たらせ給ふ上御一人に従属し、奉仕する翼賛機関中に於ける最高のものたるに外ならぬ。天皇の宣下によりてその地位に就き、天皇の命を奉じて兵馬政治の権を代行するものたるに過ぎぬのである。
 併しながら、たとへそれが翼賛奉行機関たるにせよ、一つにはその権限の範囲があまりに一般包括的で、その效果も亦あまりに専決、確定的であること、二つにはその機関としての存在が他に比肩し得べきものなき唯一最高の位置を独占せること、三つにはその地位が一系を追うて世襲せられることは、将軍自身の翼賛意識の漸減逓下と相俟つて天皇御親政の原則を有名無実ならしめることとなり、それと共に万民の隔てなき協力的なる輔翼をも不可能ならしめることとなつたのである。最高輔翼機関の権限が包括的又専決的になること、殊にその任免の大権が形式化することが、直接に御親政の原則を形式的にも危からしめるは勿論のことであるが、最高輔翼機関が単一化し、殊にその地位が固定硬著して来ることは、大権下移の実質的なる禍因となるのである。
 而してそれは御親政の為めの禍因たるのみならず、同時に万民輔翼に対しても同様である。最高輔翼機関が単一化し、しかもその地位が終身となり、更には世襲となつて、一家一門の壟断に任ぜられることになると、その地位にあるものは、いつしか自ら輔翼者たることの自覚を曖昧にし、恰も自らが統治者統率者なるかに幻想し来り、この心理はその側近の幕僚によりても迎合せられ、輔翼者たるの実が失はれることとなるのみでなく、それと共に均しく上御一人の股肱たる万民中に於て恣に人為の身分上の世襲的な段階を劃するに至り、中央に於ける翼賛機関の構成が排他的に一家一門に壟断せられるのは勿論のこと、広く文武の官吏となり、その他の公務に就くやうなことに就ても、特殊の身分門地の出たるを要することとなり、万民輔翼の実は失はれることとなるのである。「平家に非ざれば人に非ず」といふ言葉も、格段なる輔翼をなし得る機会が平氏の出に非ざれば拒否せられるの意と解すべきであらう。事態かくの如くなるに至れば天皇御親政と万民輔翼の洪範は双つながら、目に見ゆる日常卑近の生活の領域からは影をひそめ、却つてこれに代つて、一種の独裁専制類似の現象が出頭し来り、一君万民の中間に介在して跳梁することとなるのである。

八 御一新

 それは上に対しては天皇御親政を阻み奉り、下に対しては万民輔翼を不可能ならしめるものであつて、その限度に於ては、支那の覇道政治、欧米の君主専制乃至は民主独裁類似の現象を随伴し来ることとなるのである。
 軍人勅諭の「且は我國體に戻り且は我祖宗の御制に背き奉り浅間しき次第なりき」との宸断は、かくの如き事態に対して下させ給ひしものと拝せられる。
 維新の御宸翰に「億兆の父母として絶て赤子の情を知ること能はざるやう」と仰せられ、また「上下相離るゝこと霄壤の如し」とも仰せられるのはかくの如き状態よりする必至の現象に外ならぬ。ひとり上と下と、頭首と股肱とが不自然に不合理に不法に相離れるばかりではなく、否、その故にこそ股肱相互間、赤子相互間に於ても相親和し相提携し、相協戮するが如きは思ひもよらぬやうな相剋排擠の不法不当不自然なる状態をも招来することとなつたのである。かくの如くにして「君臣相親しみて上下相愛し徳沢天下に洽く国威海外に輝」く如きは昔日の夢と化したのである。
 明治天皇はかくては「遂に各国の凌侮を受け上は列聖を辱しめ奉り下は億兆を苦しめん事を恐る」とて「列祖の御偉業を継述し一身の艱難辛苦を問ず親ら四方を経営し汝億兆を安撫し遂には万里の波濤を拓開し国威を四方に宣布し天下を富岳の安きに置んことを欲す」と宣らせ給ひ、「旧来の陋習」を一新して皇政を復古せしめ給うたのである。一般には尊重すべき伝統、殊には久しきに亙る伝統をも、特に「陋習」と断ぜさせ給ひたるは、偏にそれが「祖宗の御制」に背くが故に外ならぬ。この陋習を一新し給ふ点に重きを置いては御一新といひ、祖宗の御制を復古せしめ給ふ点に重きを置いては皇政復古といふのであらう。
 皇政復古は政治の領域に就いていへば、天皇御親政の恢弘、及びこれと不可分なる万民輔翼制の復興をその中軸とするものの如くである。
 「朕自身骨を労し心志を苦め艱難の先に立古列祖の尽させ給ひし蹤を履み治績を勤めてこそ」と仰せられ、又「一身の艱難辛苦を問ず親ら四方を経営し(下略)」と仰せられたるにも、御親政恢弘の叡慮は仰がれるのであつて、「汝億兆能々朕が志を体認し相率て私見を去り公義を採り朕が業を助て神州を保全し列聖の神霊を慰し奉らしめば生前の幸甚ならん」との仰せ言の中、「朕が志を体認し」「朕が業を助て」との仰せには、輔翼を命ぜさせ給ふ聖旨が拝せられ、「汝億兆」との仰せには、特殊の門地身分のものに局限せられることなき「万民の隔てなき輔翼」を、更に「相率て私見を去り公義を採り」との仰せには、排他独善的ならざる「協力輔翼」を求めさせ給ふ深き大御心が拝せられるのである。

九 現行憲法

 御一新及びその後の制度の改革は、一言以てこれを蔽へば天皇御親政と万民輔翼の洪範の実現徹底拡充に外ならぬ。順を追ひ序に循つて実現せられたその結実の成分化が帝国憲法に外ならぬ。帝国憲法の欽定は偶然人為の一時的権力関係の規範化でもなく、外国の制度先蹤の模倣移植でもなく、人造の主義学説の制度化でもなく、祖宗統治の洪範を時宜に即応して紹述せさせ給うたものに外ならぬ。
 統治権の行使についても憲法は「君主は君臨すれども統治せず」といふ如き原則を採るものに非ず、天皇が躬ら統治権を行使し給ふことを根本原則とする。しかも統治権の行使は所謂「人民はその代表者たる議会と共同して行ふ」といふ如きも採るところに非ず、行はせられるのは、天皇にして天皇に限られる。しかも「他の参加を排除して独断擅行」といふ如き定めにもあらず、むしろ絶大なる皇恩に育まれつゝある民に輔翼の光栄を与へ給ふこと、しかも或る特定の身分門地のものに限つて翼賛せしめ給ふのではなくして「万民をして隔てなく協力」輔翼せしめ給ふことが祖訓を紹述して欽定せられたる現行憲法の精神且つ制度である。
 皇室典範及び帝国憲法制定の御告文に、欽定の理由の一つとして「臣民翼賛ノ道ヲ広メ」といふことを仰せ上げられてゐるのにもそのことは確められるのである。こゝに「臣民翼賛ノ道ヲ広メ」とは、先づ格段なる輔翼を為し得る人の範囲を拡め給ふの意を有することは確実である。平家に非ざればとか、武門武士に非ざればとか、官僚に非ざればとか、政党に非ざればとかいうやうな身分門地の故を以て特に輔翼が許されるといふのではなくて、一切の日本臣民は均しく法令の定める資格に応じて格段なる輔翼を営み得るやうにせられたのである。それは既に御一新以来不文法として実現せられてゐたものを、成文の法として彌々明徹にせさせ給うたものに外ならぬ。憲法第二章の規定の如きも全般的にかゝる意味を有するものであつて、就中第十九条、第二十条、第二十一条等は特にこの意味が顕著である。併しながら「臣民翼賛ノ道ヲ広メ」との仰せには、尚ほこの外に臣民が営む格段なる輔翼の方途を多様ならしめ豊饒ならしめるといふ意味も含蓄せられて居ることと思ふ。
 かくの如くにして創設せられた新機構の中に於て、最も顕著且つ重要なるものが帝国議会である。機関説に所謂「国務大臣其の他は天皇に従属する輔翼機関なれども、議会は然らず、共に国家の直接機関として君主と相対立し、共同して統治を行ふもの」とするが如きは、君民頭首股肱の本質的関係を有せず、君主と人民とが対立角逐せる外国の旧学説の盲目的模倣に外ならぬのであつて、帝国議会こそは「公議ヲ尽シテ大政ヲ翼賛セシメム」が為めに祖訓を紹述して創設せられた万民輔翼の重要なる一翼の外ならぬのである。しかも「万民輔翼は帝国議会を通じてのみ行はるゝものにして、政府、裁判所等は然らず」とするならば、それは再び他の誤謬に陥るものであつて、これは「輔翼」を西洋流の所謂「参政権」と同視し、而して参政権といふときは主として選挙権を意味し、民選の議院を以て参政権具体化の唯一の手段とする見解の無批判なる踏襲に外ならぬ。我に於ては、帝国議会も天皇統治のみこともちに外ならず、政府、裁判所、軍隊等も万民輔翼の手だてに外ならず、これら一切は天皇統治の司にして、同時に万民輔翼の方途に外ならぬ。而してこれら万般の司々が上下左右相互に相俟つところに、天皇御親政の原則も万民輔翼の原則も双つながら完きを得るのである。殊に最高の輔翼者が単一化することなくして相俟ち、而してこれらの間に輔翼の権限が偏倚することなく配分せらるゝを要することは、夙に祖訓の垂示仰ぎ奉るところであり、また、その後の歴史の苦き体験によつてその事の意義が彌々確証せられるとことであり、而してこれは恰も祖訓を時宜に即応して、紹述せさせ給へる現行憲法に実定せられつゝあるところである。
 最高側近の輔翼者が宮中と府中とに分れ、後者に在りては更に統帥と政事と、それ/"\輔翼者の系統を異にし、またその政事の領域に於ても政府、枢密顧問、議会、裁判所等最高輔翼者を分岐対立せしめ、輔翼の権限の集中壟断を防ぎ、相互に扶け合ひ戒め合ひつゝ、相俟つて一意翼賛の大義を完うせしめることによつて天皇御親政と万民輔翼との原則が双つながら「失墜の憂」なからしめて居るのである。それ故にこれら万般の司々は憲法、法令所定の組織、権限、行動の準則等を如法に循守循行し、その間懈怠んく、逸脱なく、侵犯することなきを要する。
 万民輔翼の拐~は祖宗統治の洪範にして、しかも現行憲法によつてかくの如くに制度的の保障が確立されてゐる。併しながら制度は、要するに最小限度の保障であつて、その尊き制度が充分に大御心に副ふやうに運用せられるかどうかは、これを循守循行するものの心掛け如何に依る。補弼の重臣の行蔵は勿論のこと、名もなき民の日常の行為にに至る迄、股肱たるの[ママ]の本来の面目に目ざめ、大君にまつろひ、大御心を奉体し、大御業を奨順するの拐~を以て思惟し行動することによつて始めて、万民輔翼の洪範は日常生活の末の末迄末通りて実現せられるのである。