第一一一号(昭一三・一一・三〇)
戦争と食糧 農 林 省
躍進する台湾蕃地 台湾総督府
戦 況
各地掃匪戦 陸軍情報部
残敵剿滅戦続く 海軍省海軍軍事普及部
新東亜建設と海軍力 海軍省海軍軍事普及部
英米通商協定について 外務省情報部
最近公布の法令 内閣官房総務課
愛馬歌詞の当選発表
官庁刊行物だより
躍進する台湾蕃地 台湾総督府
内容
高砂族としての誇り
討伐より教化へ
理蕃は特殊行政
進む理蕃の実績
頼もしい高砂族
時局下の高砂族
資源の宝庫
理蕃大綱
高砂族としての誇り
台湾といへば、いまでも到ところに
生蕃が出没し、雨にぬれると、すぐマラ
リア熱にかゝるといふやうに考へてゐる
人々も少くないやうに聞くが、一度台湾
の土を踏んだ人々は、いづれも予想以上
の進歩に一驚を喫しない者はない。
刺青と首狩で、世人猟奇の的となつた
台湾の蕃人も、皇化に浴すること四十余
年、遂に仁政を謳歌し、いまや原始的民
族から一躍文化国民として、わが国民文
化線上に登場するにいたつた。討伐時代
を早くも過ぎた彼らは、蒙昧、獰猛を表
徴する生蕃の呼称を甚だしく嫌ひ、いま
や高砂族としてひとしく文化の恵沢に浴
するのを誇りとしてゐる。
現在高砂族の人口は十五万四千二百八
十五人で、台湾の総人口五百六十万九千
四十二人の三パーセント弱に過ぎない。
これに対し内地人は二十九万九千二百八
十人、本島人は五百十万七千二百十九人、
朝鮮人は千九百八十五人、ほかに中華民
国人四万六千百九十六人、その他の外国
人は百七十七人である。
討伐より教化へ
清国全権李鴻章は、台湾割譲に際し「獰
猛慓悍を好む化外難治の生蕃ある
をもつて、台湾の領有はさしたる効果もな
かるべししといつた。これは思ふに、清国
人が彼らの無智に乗じ、長い間彼らをだ
ましたり苦しめたりした結果にほかなら
ない。この多年に亘る清国人の暴虐が、つ
ひに彼らの反抗を招き、頑迷残忍度し難き
民に陥れたものといへよう。されはわが
初代樺山総督は、聖旨を奉じ、明察早くも
皇道宣布の撫育政策を採つた。しかし習
ひ性となつた彼らの兇暴性は、にはかに
改まるべくもなく、わが誠意ある各種の
施設も、つひに彼らを理解せしめるにい
たらなかつたのである。そこで、みだり
にわが開拓事業を妨害し、あるひはあく
まで官命を奉じない者に対しては、やむ
なく討伐の矛を向けざるを得なくなつ
た。これが生蕃討伐の起つてきた所以で
ある。
台湾領有の当初は、もつぱら支那人系の
残敵及び土匪の討伐で終始し、蕃人に対
しては綏撫警備の併行政策を採つてゐた
ので、蕃人の討伐を本格的に開始したの
は、明治三十九年佐久間総督の着任以後
のことである。この点、世人往々土匪討
伐と蕃人討伐とを混同するものがある。
北白川宮殿下をはじめ奉り、幾多の将
兵、警察官の奮闘されたのはすべてこの
残敵と土匪の討伐であつた。
佐久間総督は、明治四十三年から五ケ
年計画の討伐事業をはじめ、自ら蕃地に
入つて指揮督励し、能くその目的を達成
し、大正四年、つひに撫育政策に転化せ
しめた。その後、蕃地一帯も平穏とな
り、霧社事件等二三の不祥事件は起つた
が、つひに今日の明朗理蕃の時代を来し
た。割譲をうけて以来重畳たる山岳地帯
に、雨の日も風の日も暑い日も寒い日も
悪戦苦闘した討伐隊長をはじめ、理蕃職
員の労苦は実に惨憺たるものであつた。
この間、討伐と蕃害に殪れた者は、総計
七千八十人の多きに達した。その中、巡
査以上の警察職員七百八十一人、警手又
は隘勇(あいゆう)と称する警察の補助雇員千四百二
十五人、公務員と一般民たる内地人四百
四十九人、その他は本島人及び平地居住
の高砂族である。
理蕃は特殊行政
蕃地は、その面積一万六千百五十六千
方粁で、本島の総面積三万五千九百六十
一平方粁の約四割五分に当る山岳地帯で
ある。
高砂族十五万四千二百五十五人中、理
蕃所管の高砂族は九万四千六百八十五人
で、残る五万九千五百七十人は、主に東
部平地に住むアミ族である。彼らはすで
に相当の文化水準に達したので、早く一
般行政下に入つてゐる。
理蕃は現
在警務局の
主管で、蕃
地では警察
は勿論、教
育も、産業
も、衛生も、
交易もこと
ごとく警察
官がそれに当つてゐる。これら理蕃職員
は官職こそ警察官であるが、同時に学校
の先生であり、医者であり、役場吏員で
あり、また農林、土木の技術員である。
これらの職員は、それ/"\多少その道に
経験ある者から採用してゐるので、中に
は玄人も及ばない成績をあげてゐる者も
少くない。
このやうに高砂族は、まだ一般法令を
そのまゝ適用するまでに進んでゐない
が、当初から一視同仁の聖徳に浴せしめ
るのを目的
とし、終始
一貫今日に
いたつてゐ
る。
進む理蕃
の実績
蕃地には
警察官吏駐
在所五百余ケ所、これに警部以下巡査警
手等を配置してゐる。各駐在所は、職員
の手に成る理蕃道路によつて結ばれ、そ
れに電話が架設されてをり、ときに峻嶺
を越え、渓谷を渉る不便はあるが、交通
通信にこと欠くことはない。高砂族は近
年特に警察官を信頼すること厚く、いま
や彼らが命と恃む私蔵銃器も殆んど提出
した。そしてこの非常時に直面しても、
一人も不逞の徒を出さず、忠順業に励
み、進んで公事に奉じようとするなど、
全く隔世の感がある。
高砂族は、従来衛生に極めて無智であ
つたのと、他種族との闘争もあり、概し
て人口の増殖を見なかつた。ところが蕃
地各地方に診療所、療養所等を設け、施
療防疫に努めた結果、近年自費で治療を
するものが続出し、一般に衛生状態も極
めて良好となつて、人口は累年千人につ
き約七人の増加を示してゐる。
高砂族は、狩猟時代から漸く農耕時代
に入つたとはいへ、大抵焼畑式の輪耕作
だから山地を荒廃すること夥しいもの
があつた。そこで彼らを山脚地方に移住
させて、定地農耕の法を授け生活安定の
基礎を築かせた。明治≡十大年以来移住
月批五千二首十四−尺人口〓革九千七冨
二十四人に毒してゐる。
彼らは博任に上々全く生活状態を一牽
し、生消が安定するとともに、欝て枚ら
によつて良かれた藷たろ山々も、いま
は漸くもとの糠に盤す、山林事繋に、水
漁の南畢に、山葦に、多大の蛮架か季
げつ▲ある。また各地方に靂、産
業籍鍾席等姦り、大いに安産蓋し
た持果、蕃地における水田二千≡首飴甲
(甲ほ〓九三四呼)、柵】貫甲に善した。
これから生ずる米、冥、甘粛、筆
葛類、難鞍等の収益はことごとく彼らの
生箔故事向上の安となり、妃年生汚様式
の故事は極めて急激であり、いまや全く
昔日の同日を一新するにいたつた。
伸げ帝くやlの字句九ち
高砂族が生錆品を振出し、生汚物資を
塀入する交易も、隻時の向上とともに、
年々その挿を椅加し、最近では年#出荷
四十五萬囲、購入高三十七粛何に費し、
彼らの生汚用品にいろく内地叔品が用
ひられるやうになつた。また貨幣の僧庇
を知つた彼らは、近年貯金に興味を感
じ、すでに線額田十放言園に蓮すろなど
各方面に富つて躍進的に向上の捗を元し
てゐろ。
替地で鬼童を教育すろところを、教育
所といひ、四ケ年程度である。教科日そ
の他ほほ†小畢横に同じで、たヤその亀
虎が位く特に日東人的触h基り教育に
王きをおいてゐる。現在教育析は育入十
五あむ、見丑の輩率は七入%に毒して
一ゐる●
葦に放てほ、国民持紳の滴彗
同寓叩の普及、習俗の改善等につとめ、近年
その成増は特に瀬著なものがある。歯舞
普及率も全人口の二八%に重し、いまや
蕃地到るところ開放を預り、君が代を敢
08
ひ、同語の澤を閃かないところほないや
〜になつた。また特に蘭年朽特に力を入
れ、男女の囲艮枇も〓鶴田千人に注し、
これらの青年は、老群の野力に代り帝、
曇要望芸宅芸
署宗カミ 言
の定山課を山開かない。
現に彼らの中にほ、日東人と組先を同
じくするとの侍設をもつ著さへあろ。元
来組図を持たない彼らであろ。わが仁政
に悦服した今日では、その古狸
向上は虎に日党しく、いまや新
日東人として、凄めて信拙桝でき
ろ民となりつムある。
一向秒族は、人栢蟄達の愕程に
於て、われ〈と著しいかけへ
だてはあるが、元来が兼朴純情
せに掬すべきところがある。枚
。‘一汀く
等の批禽にほ詐欺、聴噂花柳病
などほないが、早く文化人に壊した地方
にのみ、仙快かに花柳病を見ろだけである。
絞らの多くは覆魂の不滅を鮎招じ、人は
死すともその魂塊は永くこの世に潟つ
て、組頭とともに、子孫の行璃をM界防見し
てゐろものと信じてゐろ。タイサル族は
これをrオツーフ」といつてゐる。もし非
道悸穂の行焉あらば、オyトフは必ずこ
れにわぎほひを下すものと捕れをなして
ゐる●一掲をむかへ、州駒を池けろは、こと
ごとくオ’トフの加琵によろものと信
じ、rデサンネクしと盛叩すろ贋たろ戎符が
ある。これによつて彼らの社台はよく秩
序が保たれてゐろ。これは他の蒙も、大
河小異である。われくほ彼らの生汚を
斗に舐奇の択富つて見るばかりでな
く、山深く彼らの精神生井伯を究め、その他
甘ハ的生活を考薮ナるとき、たしかに現代
”し ▲■
文化に何ものかの京政義へろものでは
ないかと恩ふ。
彼らにほ、かやうに山深いヰ扶とまた多
くの迷信習習があるから、早急にこれを
われに同化させろことほ、一朝一夕で出
来る…発でほない●よ〈彼らの】持続、一撃
小んが
性情に措へ、おもむろに教化蛮をしよ「
とつと漸進主義をとつてゐる。しかLなが
ら近年自ら弛んで苛」習を臥肌し、ひたすら
1
日永化しようとナる。伺向の著しいのは虐
に和もしいことである。
坤馬下の高砂壌
、テソノウヘイカ・ハソザイ・
私ハ日太ノ男デス。大和〆マシヒガア
y†ス。ドンナクルシイコトデモ、テ
ソノウヘイカノタメ、クニノタメナラ
クルシイトハオモヒマセソ●
ダンプエシテ下サイ。
これはパイヮソ凝の一脊牢留長が、木
鳥人軍央の瀬闘を開き、褒拘の至情を抑
へきれず、高砂族も慧ハとして採用され
たいと、血管竜厨の原文である。なほこ
れと同時に血染の日の丸を措いて穂督あ
てに幾つてきた。
今次支那醇攣が起ろや、多年の相思に
報いようと感謝の念やみ難く、全島各替
杜に亘む、良民轟の夏は、極めて覿
曹なものがある。鹿野所願、国防献金、
慰問金品の竣出、愛国貯金、殿品の軽却、
戯金、感召及び川征兵の見速り、職侍病
者及び‖征軍人の家族あるひは職妓軍人
氾族の樹岡、軍夫及び肴確婦懇願等に、
その熱誠は虞に常訳に値するものがあ
ろ。雫大志何者は、常初七首領召あつた
が、まだその時糊ではな
いと放したので、日夜銃
血統の斬めにいそしんでゐ
【ろ●
時局に封ナる彼らの感
想は、種族により、また
数等の程度によつて、宮
置であろが左にその一端
を軒介しよ‘ノ。
ヽ一r
タイヤル族は、支那兵とは仇邑俸
にあり、まだ和仙控してゐない。支那は
持つ見込みがないから、曲かに仙囲罪し
た・苛がよい。
本島人が一軍夫として山川征したさ・りだ
が、われくも四十蒙以下の元気な薯
を是非やつていたゞきたい。
われく高砂族が今日のやうな生活
のできるのは、みな 天皇陛下のお‖蔭で
あるから、同■防献金はいつでもする。立
郡には 天皇陛下がゐないから、統制
もとれず、兵除も無茶呈ばかりすろ
のでせう。われくメイヤル青年も、讃
放して是北汁出征させていた甘きたい●
(以上タイヤル族)
09
×
われく高砂漢音年も、あのや〜な
盛大な見逮りを受けて川征し、同家の
ために奉公したい。出征ナれば死ぬか
も知れないのに、何の
心配の様子もなく出て
行かれ」号あれだから
日太人ほ強い等だ。敬
一甲でさぞ班宜が沖山い
ろことでせう。霜なら
いくらでも貯へてあろ
から、いつでもいぇノて
釆て廿月ひたいパ以上デ
ヌソ淡)
X
東郷兵ほ、曹われくの地方に駐屯
の析も、立洗な疲砲や火難をもちなが
ら、い?もわれくに負けてゐた。彼
ら丁にほ強い持紳がないからだ●飛一行複
や大砲の払昭雫を一度見たいものだ。わ
れわれも兵隊さんの摂砲を貸してくれ
たら、いつでも層に行く。(以上パイ
ワソ族)
資聴の‡庫
林窪年額千五胃薗の山地事菜、更上
年符約九青茶園に近い帯革樟脳、十七苫
キロワットの既設費官等の資源は、いづ
れも理帝都羊が培を踏んで起業されたも
のといつてよい●
なほ林産に、錬藍に、ъケに、また注
熱各帝の作物に、その資源ほ極め[璧富
であろ。殊に新高山をはじめ、−茶尺以
上の高山四十八座を有する帯地は汎勲雨
帝に跨る気候風土に点まれ、こ1に育て
られろ資源は大きい。究に東南部草地で
ほ、粗野、蒐麻、学府、ア’サム茶、血
研、カカオ、鞄桐等の串繋が、すでに金
川栗化され、アリス、カボブク、アカツヤ、
モワシマ等は拭作の攻を放し、。ハルサ、
■ヽこ■山 だい▲一・し
昏甫漆、吐叔、大風子、レモyグラス等
は充婁の見込みがあるといはれてゐ
】る●
なほ昨年来新たに図立公園に指定され
つrた小
た攻高、クワコ、新高、阿旦山−帝の景
勝地はすべて帯地にあり、南口大の異色
に官む蛮地として内外人の東通を持つ
てゐる。
理事大戦
小宴
黎ナるに、蛮弊統治の病放として多年
官揖を憫ました啓族も、今やことごとく
員化に浴し、新日本人たろを誇り、教化本
位に入つた理蕃は、いよく明朗の一添
を剋り、帯地における資締は段々関数さ
れ、全く鳶仰を改めた。かくて高砂族も輝
かしい時代の哺和む浴びつ▲、遮れば
せながらも刻下の国策線上に湛出し、わ
が断南並の壕郎である轟拷の重度に
等量臥しょうと努力整しっ▲あるの
である。
覆に、葦が日夕脂腐すべきも
のとして昭和六年制定された空蓉の指針
r埋葬の大群】を電介しよう。
一、埋葬ハ琴人ヲ教化a其ノ生汚ノ安史
▼囲−1掲阿仁ノ空海三野セy▲ル’
以チ目的トス
ニ、理審ハ蕃人ヱ封スル正確ナル理解卜
帝人ノ賓麒生晴ヲ養堵トシテ其ノ宗
ヲ樹立スベy
三、蕃人二封シテハ帰ヲ以チ懇切占之ヲ
啓クベシ
四、帝人ノ教化ハ役等ノ弊習ヲ矯正シ巷
良ナル習慣ヲ養ヒ駒民思想ノ牽こ意
ヲ致シ、甘科教養エ支キヲ昏キ且日常
生清一【釦ツタル簡単ナル知故ヲ捏クル
ヲ以テ義トスベy
五、帝人ノ経済生活ノ現状ハ農耕ヲ替ム
ヲ主トスト址モ概ネ幹耕作壬シテ其ノ
方法橿メテ幼推ナウ、洋楽一斉集約約定
地排ヲ策拍シ或ハ竜移住ヲ行ヒ彼等
ノ生活状態ノ改善ヲ計ルー共−【経済駒
曽主瑞立ヲ替マシムルエ多▲ベy、又
蓉人工粥スル土地同色ハ最モ快互ナル
考慮ヲ沸ヒ其ノ生活僻件ヲ麒池スルガ
如キュトナキヲ期スベa
六、理蕃媚儒者殊エ現地エ於ケル藁官
ヱハ沈着玉津ナル持紳的人物ヲ用ヒ野
メテ之ヲ擬遇シ、浸Yニl其ノ任地ヲ血雪見
セシムルガ如キコトナク人物中心主義
ヲ以テ理蕃ノ数果ヲ永遠一l確保スルエ
血野人ベa
七、草地エ於ケル迂路ヲ億築aテ交温ノ
利便ヲ囲り撫育教化ノ普及徹底ヲ期ス
ルーー努ムベシ
入、群集、汝療ノ方法ヲ溝ジ客人生活ノ
青息ヲ壊滅スルー共三伏テ以テ墾葬ノ
‡ヲ率〆ルノ一助ぞフシ▲イy