戦 争 と 食 糧
         戦争目的の達成と食糧生産の重要性

                      農   林   省

     戦時に於ける食糧問題の特殊牲


 近代戦争は国家と国家との綜合戦闘であり、又大掛りの国力消耗戦である。敵国の軍備を破壊し、戦闘能力を
喪失せしめることが戦争目的達成に最も効果的であることは言を俟たないが、これとともに人間生活の第一要件
と成す食糧の欠乏を惹起せしめ、社会不安を起さしめることが如何に甚大なる打撃を敵国に与へるかは、彼のド
イツ
のモルトケが「ドイツを亡ぼすものは敗戦に非ずして食糧に在り」と歎じた事を見ても明らかである。
 元来われ/\は衣、食、住の三者の中、衣服と住居の欠乏に耐へる力はかなり強靱であるが、食糧に対する耐
久力は極めて微弱なものである。食糧不安の念が如何にわれ/\を絶望に陥らしめその心理的圧迫が如何に強烈
なものであるかは、紀くはわが囲に放ける大正七年の米騒動の産史を顧みても極めて明政である.徒つて戟時忙放
て食後の勝利を得んがためには、平時以上に食墟の農官な供給と囲民の購買力の線忙副ふ食樺倍格の紡持とが、
至上命令として要辞されるのであるが、近代戦争は戦争それ自身の中忙か上る要求を香認し、食也の故乏、如ち
爾給の不均衡と慣格の塾蜂とを招来せんとする数多の原因を包赦してゐるのである.
 即ち、生産方面に放ては袋民の膝召、軍常エ柔への移動、馬召の徴蟄に依る畜カの減少、農業労働貸鋲の騰費等に
基づく農薬労働力の低下があ妙、肥料、農具等の偶格の時☆又は供給不足等のせ苗が加は少、作付面積の減少、
      一ヽ”】l
良美経営の粗放化む柏木する.
 さらに持物便の隙食に依る農産物生産費の轡大忙もか1はらす、食塩品の慣格は滑費者の購買力に埴應せしめ
                                  ▲Vじ■ん
るために出発得る映りこれを人名的に抑制するといふ、明らか忙矛盾する政乗を辞ずる必畢があるのである.
 かくの如く、生産部門に放て食橡品の生産を阻脅し、程いて食墳供給の減少を惹起せしめる幾多の原因が伏衣
するにもか1はらず、軍需の増大、軍帝産紫の朽況忙基づく労働者その他の購買力の轡加等によゲて滑費はかへ
つて坤大する傾向忙あち.
 モしてこのやうな生産の減少、渦費の増大の傾向は戦争が虎朔化すればするほど、又その規模む撰大すればす
            ▲へ・ヽ士−
るほど、その威力を達しくし、途には食糧の帝給を根粒より破壊し、就曾を崩壊せしめ敗戦の最も京大な原因と
叱るのである.欺洲大戦に放ける経験が明らか忙この事を訓へてゐる.

     欺洲大戦の転職

枚の炊洲大戦に放て、捗放の最後の決を輿へたものは、兵力武器の倭劣にあらずして、‡に食塩が挽くか香かの

03

 

                              亡I・ヽ■ウい
憫恩であつたといはれてゐる.大戦の末期忙放てロyヤ帝国む崩赦せしめた革命は、ベテロ〆’−r忙放ける食
掛暴動忙拍む壊したのである.rイツが西部戦線忙放て英、併、米、伊の聯合革む、東部戦線に放てロyヤの大軍と
迎へ撃つて、克く四ケ年に亘り故乏銀背を忍びつ1その国土た敵忙侵犯せしめなかつた紅か▲はらず、塗に軍門忙
                             ‘I‡I      オウばり
和を乞はぎるを得ぎる忙室つたのは、食墟不足忙よる閥民の不安焦扱が遼忙内乱む勃蜃せしめたからであつた.
                      ・♪く●つ
大戦の常初、ドイツ梅群は英図の梅宰を覆滅して食粗の翰人臣不可能ならしめんとしたが、汐蔓−ヲツー沖の
粍勒はドイツの不利に経つたため結果は反封となつた.
 そしてこ1忙最も汚窓を嬰することは、除洲大戟忙参加した個人は救争の長期に亙るに徒つて、いづれも例外な
く食墟不足に悩はされたといふ事驚である.平時忙放てすでに団円需要の八剖道と外国よ妙の海入に仰ぐ英国は
                                                              ▲●
取外として、自給自足の出来て虐つたフヲyス、イクワIの如きですら、一雨年後には甚だしく困難監督めたので
                             −−1′▲‘ヽ
ある.最も奇異の感忙うたれるのは米国であつて、豊沃なる国土廉く、昔時欧洲に野する穀倉と日され、大戦初
潮忙あつては年額七、入曹萌噸の小葬を稔出したのであるが、三年後の−九〓ハ年忙は研作画墳の減温、患者等
による牧種減少は同国に放ける「食橙管理法」の公布とな♪、フーバー氏の渦費節約に閑する大治勅となつたので
あつた.
戦時に放ける食糧生産の汝少、わけても兵産物の生産の洩少は如何なる同と牲も免れることができない.彼の
世界大我忙放て塀合囲側の主宰姦晶たる小葬の生産満と戦前及び放時忙ついて見ると、次表の如き状況と示し
てゐる.ハ単位は官萬キックル)

彿



」国

】団
戦前五ケ年平均
   −七こ
   入〇・六
   」四九・七
−九−四年
−七・〇
 七九・九
 四六・〓
一九一五年
 ニ○▲こ
 六〇・六
 」四六・】四
l九一六年
 〓ハ・五
 五入・拐
 四入・0
 叉米国忙放ては一九一五年二千七雪一十五萬噸を生産した小変は、翌年は千七首四十高唱に激減し、Xイツで
も戦争粛一年日に小変収穫は】剖七分の減収む示したが、取替五年目忙於ては普に四割三分の激減の渉統監具し
たのであつた.
 以上は各概魚屋物中卒に小葬について見たのであるが、他の各鍾教科或ひは家畜の生産数量に放ても同様の傾
向む探ることは察する忙斯くない.徒つて交戦国に放ては食粗生産横充のため、ありとあらゆる努力む傾けたの
である.生産増加のためには漁地、荒薄地の開墾、公向校庭等α峯地利用等に依る耕地の改良接預を廊少、更忙
統制管理の国家繊細む特配した.労働力補給のため忙は婦人、皐生の労力動員、鼻薬労働賃銀の制定、昇働の就
制配分横紬の琵想、典横具の弗同利用を奨励し、果ては戦線より兵士を辟体せしめ、兵坪に徒事せしめる等の手
投さへ構じた固が多かつたのである.又肥料に放ては最高慣格の設定、収費肥料の増産諺等の手段が博ぜられ
                                                      】】▲〜ん
たのであつた.それ忙もか1はらず食租生産力の維持は、前述の如く、戦争が長期に及ぶに徒つて歩−歩破綻を替
大したことは戦時態制下忙あろわが岡として戒心すべき歯何である.
か▲る食壌晶の生産不足に対して、嘉拘は先づ粛−にとれと外固よりの捻入によつて補給せんとし、捻入魂

04

の乗除、食糧輸入特殊繊細の詑墟、政府の管現専の溌施を試みたのであるが、これは茶園の如Jl制海権を撞つた側
に放て初めて可能であつて、礪嗅倒では固より不可能であつた.しかしながら、聯合図佃と雑もドイツ潜航艇の
                                し●l山い
ために必“Tしも安全を期し難く、或ひは財政上の開係からも蛾多の陣碍があつたのである.
 食粗品の不足を切り抜ける故後の方法としては洞欝約である.或ひはまた代用食の採用である.とれがため
には食杓配給の国家戟制が行はれなければならない.国民椅嘩食墟の制定も珠用された.穀類の掃椅歩合の制
限、浦和▲問池榊眼及び光子製造抑制、食h糊‖…分配のため切符制度の梓川等にまで進まぎるむ得ない.政争第凶年
日に放て英−岡の食灼川綱領が念迫む▲骨げるや、英拘皇帝は食槻品節約勧焚の詔勅む竣布せられて、すべての家庭の.ハ
                         くわんし†,
yの滑焚む平時の二十五%減少させることを勤嘆せられたが、御自らは既に二ケ月以前よりこれを驚行されて
ゐたとのことである.又、ドイツ忙於ては.ハy製法に箇つて小変粉にヲイ奔粉、馬鈴薯粉の混和丑を規簸せるの
みならず、一九〓ハ年五月忙至つては頻粉の混和むも許容したと侍へられてゐる.そればかりでなく、大政末期
にはパソの油粕ハ剖常は一人遽に曹六十瓦まで切下げたとのことである.

      恵まれたるわが国

                                                 ▲tヽ
 今次事奨敬生以来、わが閥に来訪する緒外粥人は輿口同音忙わが国民の平静なことむ稲へてゐるのである.果
してさうならば、その原凶は何によるのであらうか、国民すべてが今次の盤凱の塞を認識し、膠利む確信して
ゐることに基づくものであることはいふ進もないが、その原因の→はわが」国民の主宰食糧が充足してゐることに
鹿ると息はれろ.
                     一てん‖い●・l
 わが国に放けろ食糧晶の生産供給は天窓裕かであつて、今次事攣に常り未だかつて無い大軍を大陸に造つて
                                                さI ‡い
ゐるにかゝはらず、何等の不安も感じてゐないのである.主宰食穏たる米変をはじめ兵蟹、試薬等みな領土内で
自給自足してゐる。たとひ蠍偽に放て不足しても、その代り勉めて低蟹富に海産魚類む以てこれを柿つてなほ
飴りがある.
                                ■tく山r.●
 東郷卒研東二年度たる本年は、和風、水車等のため米の作柄は蛮慮されてゐたにか1はらず、その収穫理想高は
内地は約六千四官入筒石で、叔紀五ケ年の平均に比して親分増収竪ボし、朝鮮は二千三石五十甫石で平年作であ
る.わが国に放ける米穀の一ケ年渦苦は約七千六甘賄石と榊せられてゐるが、朝地の内地生産高の外忙、朝鮮か
                                 ほ.r小ひ
ら約一千苅石、茶滑から五官苅石見懲を移入してゐるので毎年沌墳刺に五、六官箱石を翌年度に挿絵しが出来
る泣伏である.
                         つゝ小
 以上のやうな天瀬に加ふるに「農如国事」の思想忙輔はれ、あらゆる辛苦を思び欽乏を物ともせず斬々として
菜扮に摘拗する農民がある限り、わが国の主宰食抱の供給は先づ安黍といふべきであらう.

     政府の施設

 この天窓と良艮の努力と相倹つて、政府忙放ても種A施投む講じ、戦時下頗民食塩の充足に悲憤な尊を耕して
               ●▼▲・_ん
ゐる.鮎ち、第七十三帝国譲合の協賛を得て「農地粥亜法」、「兵巣保険法」む制定し、鼻薬生産力の基本の確立に努
                                                     ¢つ■I
めるとともに、特に時局下に放ける鼻先労働力網島のため、先づ取りあへず應召集衆忙封して隣保共助の楕紳に則
り動雰報囲の至誠む基調とした勤穿率仕班の編成放びに活動の促進忙努めたのむはじめとし、或ひは部落を基礎
とする共同作集配計む樹立‡行せしめ、或ひは改良農具、竜力井同利用横具、簡易な小水力利用鼓備及び移動式
小型揚水横専の共同施設と共勘するなど、昇力の不足忙封して苫般の封柴を持じつ▲ある.

05

 女忙肥料忙ついては、労力不足に基囚する自給肥料の生産減温、硫安製造菜の軍帝資材生産への樽換忙拘る生
        ▼ん・くわl一●
座敷丑の減少、購破石、加旦艶等肥料原料の捻入の困難等む克服して、銃後農家むして安んじて兵群臣行ひ、食
蒋生産の緋持特進女囚らしめるため、或ひは硫安偉人の拇失神償の制度む樹立し、又は「臨時肥料配給蛾制法Jと
潮宜して肥料配給の凹滑、倍格の調亜に遭憾如きむ期してゐる.
 女忙飼料については、サイレー汐の利糊奨励等粗飼料の増産を回るととも忙、未だ相常丑の故人を必要とする
漁厚飼料については「飼料配給統制法」む制定してその配給の茶盆む期しっ1あるのである.
 特に主輩食料たる米穀忙ついては、従来より「米穀統制法J、「米穀自治管理汝」む施行し配給の阿滑、何格の調
亜忙努めてきたが、現時局下に放ては労力不足、天候その他の絢係忙よる生産減温む防ぎその生産を確保すろた
                                             t ▲_
め、冷床、租界苗代の設瞳、病払啓の防除の徹底む因る等の稽饉を鋳じたのである.何ほ軍用に供する米穀を確
保するため、米敷の臆急槽故忙紬する汝律む制定し、軍用米穀の供給の凰滑を囲妙つゝある.

     結 び

 しかしながら、良、林、漁菜の如き原始的生産は如何忙科皐が進歩した現代と錐も自然の思想に保つこ上が甚
だ大きく、一たぴ風水事の暴威にあふことがあれば如何なる人1の努力も渡波忙師する.故に周戊は窮らく秋の
■lじ●l       小いけん
辛穣なる牧種忙封し、敬虔なる気持を以て天紳地武忙感謝すべきである.このことは凋り直凄生産忙徒事する兵
漁者のみに眠らるべきではな叶のである.
 わが固忙放ては台木より、秋の彗破なる牧硬忙封し敬虔なる束持と以て天紳地武忙感謝することと固ま的行‡
として執り行ひ非つたのである.跡ち毎年十】月〓十主首、基金に放て行はせられる審桑がそれである.モ
して 天島陛下が御む他の大砲を壌げさせられる年の場合は特忙大官祭と辞せらる1のである.新官費は
天皇陛下紳嘉敗忙放て幾夜忙抑親祭あらせられ、その年の新穀む天照大紳む始めル夢赫々に放ぜられて抑止
みを感謝し、年々の野稜む斬厳し奉少、紳親らもこれむ開食されるのである.この紳俵は紳武天皇以埜二千年
                                ・_■    けウtい
紀く停へられた囲寂の支線であるのである.盲釆天下の茶席之に倣ひ昔日は磯粛して紳祀む挿したのであつ
た.
 今、表郷事奨下に粛この秋を迎へる忙常つて、われ′1は三千年来の侍舵の由つて来る所以をお甘ひ、食額生
                  l「▼                さの
産者の労苦む衆し天の慈みと典村民の塊まぎる労力の結晶として輝かしき稔りを以て、わが圃食塩の生産充足が
行はれたことを全国代とともに抑忙感謝すべきである.
 そして又、馳時下に放ける食横間増の特玖性を一席深く認放して苫】の食額故乏忙封する充分なる用意と兜憶
と常に怠つてはならないのである..