第一〇〇号(昭一三・九・一四)
試練の嵐に耐へよ(巻頭言)
ソ連民衆の消費生活 企 画 院
戦場の実相と戦場心理 陸軍省新聞班
遂に蘆山の敵を破る 陸軍省新聞班
武漢をめざす我が海軍 海軍省海軍軍事普及部
チェッコ問題の発展 外務省情報部
海軍志願兵とは 海軍省海軍軍事普及部
「週報の友」第一号主要目次
週報第百号を迎へて
官庁刊行物だより
ソ聯民衆の消費生活 企画院
「生活は楽しくなつた。」
これは昨十二年粛清工作の真只中に行はれた十月革命二十周年記念祭とソ聯最高会議第一回総選挙に際して、共産党政権の功績を自讃するために盛んに用ひられた標語の一つのである。
かの世界大戦と、これに引つゞくこれより深刻な内乱時代(一九一八−一九二一)とを経験したロシヤ国民の消費生活は、内乱の終熄と新経済政策による繁栄とにより、一時的に向上を見たが、第一次国民経済五ヶ年計画が昭和三年(一九二八年)度から開始されるに及んで、その重工業に対する極度の重点主義のため軽工業及び食料品工業等の消費用品生産の方面は組織的に軽視され、この間、当局の発表の数字こそ年々向上を示してゐたが、実際の消費生活は殆んど生存の最低限にまで到達した。これに加へて農業方面では、昭和六、七年の天候不良と党政府の農業集団化政策強行による農村の社会的動揺とを原因とする大凶作と家畜数の激減により全国的な飢饉状態を現出した。
物資の欠乏と切符制度
この危機に直面した党政府は、つひに切符制度の拡張強化を余儀なくされた。ソ聯の切符制度は昭和三年(一九二八年)末に始まり昭和十年(一九三五年)末に終つたが、その本格的に行はれたのは一九三一年初頃であり、最も強化されたのは昭和七年(一九三二年)以降であつた。この切符制度は、共産党の最強地盤であり五ヶ年計画における絶対的必要人員である工業労働者に対し配給手帳を交付し、この所持者には特別の「閉鎖商店」で一定量の消費物資を比較的安価な「規制価格」で購買する特権を与へたものである。これによつて生存を保証された人民は、昭和七年(一九三二年)において全人口の約四分の一であつた。これに対してその他の非特権階級は国営の「公開商店」で規制価格の数倍に及ぶ「商売価格」により量質共に極めて貧しい消費物資を購入するほかはなかつた。
昭和七年(一九三二年)「モスクワ地区定価表」抜粋 (単位ルウブリ) | |||
商品名 | 単位 | 規制価格 | 商売価格 |
牛肉 | 一キロ | 〇・二二〜二・一二 | 四・二〇〜六・〇〇 |
鶏肉 | 〃 | 二・八〇〜五・一五 | 四・〇〇〜六・〇〇 |
鶏卵 | 十箇 | 一・〇〇 | 三・〇〇〜三・五〇 |
短靴 | 一足 | 一八・一五 | 三・八〇〇 |
「註一」 ソ聯の貨幣は百カペイカが一ルウブリで、一ルウブリは金平価で我国の約一円四銭、ソ聯国家銀行発表の外貨換算率で現在約六十五銭と成つてゐる。
「註二」 本分に掲げる数字は皆ソ聯の発表に係るものを基礎としてゐる。
閉鎖、公開量商業の商品量の比率 | ||||
年次 | 重要工業製品 | 重要食糧品 | ||
閉鎖商業 | 公開商業 | 閉鎖商業 | 公開商業 | |
一九三〇 | 九六四 | 三六 | 九四五 | 五五 |
一九三一 | ||||
一九三二 | ||||
一九三三 | ||||
一九三四 |