第九五号(昭一三・八・一〇)
  軍事援護の一年        厚生省臨時軍事援護部
  沙草峰事件のその後       陸軍省新聞班
  漁業法の改正と漁村の振興     農 林 省
  上海戦闘一周年を迎へて     海軍省海軍軍事普及部
  戦 況
   湖北省に進出す       陸軍省新聞班
   揚子江上に敵艦艇を砕く    海軍省海軍軍事普及部
  写真週報 八月十日発行(第二十六号) 目次
  教化と映画製作         文 部 省
  ブルガリアの再軍備問題     外務省情報部
  長期戦と物 その三 鉄鉱の需給調整 臨時物資調整局
  最近公布の法令         内閣官房総務課
  銃後後援強化週間
  官庁刊行物だより
  「週報の友」発刊について

 

教化と映画政策
                     文  部  省

 近時、映画統制問題が社会の注目を惹き、映画政策
がしきりに論議されてゐる。これは従来たゞ娯楽物と
して寧ろ蔑視されてゐた映画の重要な社会性、教化性
が漸く認識されて来た結果といふべきであらう。
 本稿は、我が教育映画政策の現在を、文部省映画施
設を中心に示し、今や政治、経済、文化の一切の社
会、文化事象の上に現はれ来つた躍進日本の指導原
理、指導精神が、教育映画政策の上にその徹底を要求
していかなる転回をそこに孕みつゝあるか、それを併
せ語らうとするものである。

    一 映画問題の推移

 映画に関して社会的運動の起つたのは、我が国に於
ては青少年映画興行観覧問題がその最初である。この
問題は大正五、六年頃映画興行が普及発達するにつ
れ、その悪影響も漸く大きくなるに及んで起つて来た
もので、いはゞ興行映画の節度なき発達に対する輿論
の抗議ともいふべきものであつた。
 そしてこの問題は青少年教育と特に関係があるの
で、教育社会を中心として起り、大正六年二月、帝国
教育会の文部省に対する「活動写真取締建議」となつて
現はれ、同年八月警視庁によつて「活動写真取締規則」
が実施された。
 この取締規則は映画を甲乙二種に区別し、甲種映画
は十五歳以下の年少者にはその観覧を禁止する規定
で、各地都市がこれに傚つたのでその効果が殆んど全
国に及んだ。
 ところが、乙種映画即ち児童向き映画が少ないため
この規則は実施上困難を来すこととなり、大正九年即
ち実施後二年中にして廃止されるの已むなきに至つ
た。
 その後数年を経過して大正十五年頃再びこの問題が
起つたが、その間にあつて一方では非興行映画即ち所
謂教育映画が成長し、これが教育教化に漸次利用さ
れるやうになり、一般の映画に対する考へ方も寧ろ映
画を善用して青少年に観せるのがよいといふ方向に向
つてきたので、これをきつかけに児童、生徒を対象と
する教育映画会、児童向き映画興行等が各地で遽に
盛んになつた。即ちこれが青少年映画興行問題に対す
る一対策となつたのである。
 教育映画のかゝる利用は、後に映画教育へ発展した
ものであつて、それからの約十年は映画教育の指標の
下に教育映画普及をはかり、これに努力した時代であ
る。
 又、一方、興行映画について見ても、その十年間は
その最も充実発展した時期であつたから、かゝる映画
界の全般の発達向上がやがて一般の映画に対する認識
をも普るしく昂めたのである。       、
 たまく昭和∧年〓月映審国策樹立について衆議院

 に建議され、累年三月「映衣紋制委員曾」が域立すり
 等、映憲統制の横道が起り、こ1に映賽間髄が図宋仙
 見地から取扱はれる日が到来した。

    ニ、映立教青の発達

 前述のやうに、映寂敢霊H及の横道は超つて釆」
 が、常時はこれに利川すべき映塞が少く、また映覆止
 輿椀帥が未だ設けられてゐなかつたので、教官映憲▲
    ▲んくわつ
 配給を凰滑にすべきであるとの要求が超つて来た。
 そこで、これに対して、文部省は昭和二年、既に・
 正十二年以来教育映妥の製作に著手してゐたその設仙
 を充苦して一屠教育映寮の供給に努力すると兆に、山
       たい ▲
 和三年映需貸輿制度をも開設した。
  又、一方では、映黎利用者の負塘をなるべく醗減・
                 し●I・一,
 る目的甘、邁府僻、市常局に焦激して映宴利川考
 囲倦む組織し映書紀費の合理化を図らうとした。
  この囲健は「教育映寄聯盟」と柄するもので、それ・
                      川】ん ろ
 組絨することに依つて教育映賽の販路を開拓し、教⊥
 映卦に対する需要を確定して、それによつて軟骨映血
1亙尭の敬験に黎せんとする目的をも持つてゐる●
 ところが、この邸憾は一方に中央横山閑がなければ特
別の場合の他は結局経済上又は映喜入手の上で行き詰
らぎるを待なくなる傾きがあるので、遽に昭和十二年
三方これに対するその要望が具健化して「映賽教育中
                         ぢん山化て
央曾」が創立され、こ1に教育映宴普及の陣立が一鹿
成り立つたのである。
 以上は☆部ル¶を中心とする教育映車普及への一般的
努力であるが、文部祈では昭和四年以降殆んど毎年敬
                       一い
化映賽を道府僻、六大都市に交附し全図l斉にこれを
 ■LIJlい
公映する∴確設を粥ずることになつた。
                       ‥レl■レ たく
。この施設は地方に放ける教化映書を潤澤にする一
方法であるばかりでなく、これによつて映書利用即ち
映寮軟化を普及させ、それむ中央と地方との関係に放
て系統化する束要な底鞍をも持つものである。
 要するに、映来秋有力至映婁教化については後越の
軟化映賽交附施設を中心としてこれを充資し、「映輩
軟骨中央合」わ活動を通じて教育映婁配給網を普及す
ることによつて、映婁に依る軟化網即ち映隻軟化綱を

・完成せんとするのである。

     三、文部省の映轟施設

  文部省映喜施設は映妥の認定、椎渾、教官映蜜の製
   はん一小
 作、頗布、貸輿、軟化映婁の交附、講習曾、調禿等であつ
 て、これらが我が閥の映怒、むち教育映宴のみならず
 興行映宴をも含めて映‡仝鰭の健全な竣達普及をはか
 り、文教に資せんとする方針に立つてゐる。そして現
 鹿の施設は、前述のやうに、最紀十年に放ける努力が
 映賓教養及に注がれた関係から教育映書製作、頒布、
 教化映審の交付等殆んどその方向の鵜設が多くを占め
 てゐるのである。
 ハニ映婁の認定推磁
   ● ● ● ● ●
  映婁の認定は明治四十四年「逸俗教育調査委員曾幻
 松映室及活動馬虞フィルム解義規程」を定めたことに
 始まり、最も古い膝史を持つてゐる。
 その後」規程は働次改められ、現在は「活動東夷フィ
 ルム幻燈映婁及背育横レコード認定規程Jハ大正十二年
 文部省合方二十二故)に操り、出願した映壬む藤査の

          少 ●h▲■
上、批曾教育に稗益するものである時はこれむ認定す
る制度で、これはいふ進もなく、教育映室の保護奨勘
む目的とする京要なものである。
    ● ●
 次に推礪とは一般映婁中から教育上乃至民衆娯鶉上
場常なものを選定し、これむ統合に推礪紹介する制
度である。大正九年この制度が設定されたのは、欧洲
大恥時代から映老興行が勃興しその統合的影響が甚大
となつたために、映試料兜者、利用者、教育帥係者等
に指針を供すると共に製作者に対して指導む輿へる必
黎が超つたからである。
 さうした褐Wから、この制度は主に興行映室む対象
としてその故事向上む図るのむ目的とするものである
が、教育映審は推髄の対叙としないのでは決してな
い。たゞ推憫は認定のやうに出願を待つべきものでは
ないので、通常と認めた時は文部省に於てこれを絶滅
するのである。
 椎溜映輩は偶値別に依り、教育的、娯楽的、観賞的
 の三位に分ち、これに成人向き、青年向き、兇童向き
 の指定た附し、認定映立と同じくこれを官報で黎衣

する。
 認定、推滞の審査のためには十五名の民衆娯楽調査
    上さし一く
委員が委嘱されてゐる。そしてその中の三人の常任
委員が常時文部省又は映宴館に赴いて審査してゐるの
である。
 なほ、認定、推滞映憲中優良なものに対し毎年「康
良映一軍賞牌」を授輿する。

    最妃の認定、椎礪映室

屯立
 翼の使者、南支む舵す者嘉滑、坑底の爆音、土、♯
 図大日本
推†
 ・風の中の子供、は南十字星は招く、‥オーケスト’
 の少女、×南極捕鯨日新丸、・ボビーの凱歌、は五人
 の斥候兵、叫わん公日記、咄上海、南進峯渦、×南
 京、“組囲の名将、咄頓光、川東洋平和の造、…忠臣
 蔵、潮赤の脅威、・野戦郵便・海の護り、×瀬ち上
 る家盲、飢太陽の子、川村園交響染、・出せ太閤記、
「 り泊叩胡瓜埠咄碗行蹄喝・みんな泳げ、・ボルネ
  オ、・北京
  =仙川考=
  「椚慣例」分柑T・・は娯契的、×は教育的印なきものは教育
  的、娯契約のもの
  「指簸別」分対T◎ほ成人向き、・は成人及び脊年向き、
  ▲は兇童向き、印なきものは和党指定なきもの

    最近の傑良映凝筑牌柁質映歪
                             ノ
 昭和九年
 三月十日(P・0・L)、沌れ大峯(朝日新聞社)、梅の
 鶉命線(椛鵡シネマ)、替察官(新興キネマ)
昭和十年
 北進日本(拭演シネマ)
昭和十】年
 称何の母ハ日活)、黒い太陽(朝日新聞社)、寵紳余(打
*電報通信批)、不城乃木ハセカイ・フィルム批)
昭和十三年
−五人の斥候兵(日柄)、南十字星は招く(横演ツネ
▼)、風の中の子供(稔竹)、怒涛む蹴つて(東繁)
 (二) 教育映賽の製作、縛布、貸輿
         ● ●  ● ●
 教育映霧の製作、照布は大正十二年宮内省と協議の
 上同省桝耗にか1る豊栄に閑する映賽を複製頒布する
 ことに始まるもので、その目的は初期にあつては教育
 映発の一般的映乏に対し、民間では比較的に製作困難
 な辟術映審、料率映斉等を伏給するにあつた。
 これは眈に遊べた我が国映賽教育費達の過程に放て
起つて釆舞情勢畑野應したものであるが、埠在では軟
化映賽交付施設を通じて寧ろ自ら教化に利用せんがた
       ●くもVく
 めに製作、衆寡をなすことに重きを丸いてゐる・
                い▲フし●,
 飼布は文部省映賽を希望者に有償にて餅布する制
度であ少、貸輿は文部省映賽を有料で贋興する制度で
 ある。
    製作映丑の種類と載 (昭和十三年l二月末)
 L嘗、 別   木敷 巻赦
 基金に鯛するもの     四餌   七】
 国民教化に関するもの    四− 一〇六
 琵動鴇育に朗するもの    】七   ≡】
 仲健衛生上関するもの    六   〓】
 家庭教育に関するぺの    七   〓ニ

 粥常に崩すろもの       八   一六
 根菜に湘すろもの       三    入
 布殉に関するもの       こ   一二
 流俗科挙に関するもの    三〇   五三
 取舵市坪に糾するもの    〓五   四七
 陀幻に糾するもの      一五   〓三
  計          一九入   三九一
 柚詑朗布教  一、七三九組 (昭和十三年七月末)
(三) 教化快諾の交付
 教化咄詑の交付は、忍要な教化目的を映鞋化しその
訣ャむ金団的に公映して図民教化む徹底せしめんがた
めに道和解、六大都絹にこれ計エ父付する施設である。
 これは全図一斉公映といふことが眈に大きな怒味む
持つてゐるのみならず、映妾による軟化の方法を確立
し箔氷映束教化網の遊礎を作つて教化の新生耐を糊拓
する流姿な任抄むも魚ふものである。
 この施設は昭和四年教化組動員に際しそれに利川す
る映袈を製作交付したのに始まり、昭和五年には教育
  くむん。けり
梨州換黎四十周年、昭和∧年には皇太子殿下御降艇碓
際しそれJr・・記念快託を交付した。

 昭和十年には襲撃顛正映書む交付したが、この頃か
 ら映笹の軟化的利用は替るしく盛んとなり、珠に今回
 の時局に際しては固民精紳総動員に利用せんがために
 「国民精紳総動員大洗詮曾」「支那事奨」「銃後の長期戦」
 を辿輯交付したので、映塞が教化上ます〈定きをな
 すに至つてゐる。

    四、映尭教育中央曹の設立

  映詑教育中央合は昭和十二年三月多年の要望む賓現
 して創立された全国道府願、六大都市の映賽教官閑地
 を統制指導する中央機関であり、文部省の映書政策の
          ぐ▲りいくわ′ヽ
 l部訂賓行に移す外廓囲健である。
  合点は文部次官、副合長は祀合歓簡局長、常務理事
 は祀合教官局麻抄課凝がこれに懲り、理事、評議員等
 の役員には費衆粥院議貝、内紛省糊係官、その他拳識
               一エー●▲フ ′」−
 経験ある人々を網羅してゐる。
  映妥教育中央曾は道府願、六大都市映憲教官図髄む
 その加入国債とする。そしてそれらの困健は市、笹、
 町村に於ける拳校、、囲髄等が結成する映審教育鞠健に
                                                              」l「




 に鞭合されるのであつて、映審教育がこ1に系統化さ
 れ、映袈教育網が純綿的に張りめぐらされることとな
 】る●
 咄範教育中央合の事兼は加入飼他の指導助成、映室
の配給、映琴咄馬椴等に関する紹介、相談、印刷物
の刊行、映宗教青に紬する調奄、幻燈映賽に紬する事
項等に五つてゐるが、その中最も主黎なものが映室の
配給にあるのはいふまでもない。
 昭畢の配給は定期配給と随時的貸出との二種に分
れ、前者は加入囲健に限り、後者は非加入者も利用す
ることが出来る。
 定期配給は毎年二岡、−同約十巻一組の番組を配給
するもので、その使用日数は曾費一口(五十凧)につい
て七日の割合と定められてゐる。この配給はその番組
が利用者の選定によらず中央曾で編成せられてゐる鮎
及玖配給が定期的であるといふ軒に於て重要である・
 それは前者はそれに依つて打導的意囲が全うされるか
 らであり、後者はそれによつてやがて地方に於ける映
 寮教育施設(教育映馬曾等)の恒久化が促されるからで
 ある。
 配給映賽は文部省映葺を中心とし、その他通常の映
婁を購入してこれに配するのであつて、文部省映歪む
配給するといふ事柄がこの園健と文部省との具健的な
関係であり、それを通じて文部省映室が普及され、そ
    い と
 の製作意園が黎挿されるといふことになる。
 屡するに映賽教育中央曾は本来の使命は教育映葺配
給の合理化と囲滑化とを因り、映葺教育の連絡統制に
努めることにあるが、−面に於ては国債として自由な
立場に放て官鹿たる文部省のなし難い鮎及ばぎる軒等
を補ひ、官民協力に依つて映婁教育伸展に箕せんとす
 る鮎にあるのである。

    五、教育映壬政策の新局面

 教育映書政策は、教育映葺配給組織の−鹿の準備に
依つて今や粛二次の教展を学んでゐる。点らばこれに

一Ilフ■l
照鮫する政策上の新伺巾は如何といふに、要するにそ
れ瀬咄黙に対する岡の梢や拡郡、指導純朴の縄底を周
らんがための和服の施州純及び耗雑施設の綿充である。
 即ち教化映黎はその*氷の使命を預印すべきことが
いょ〈要求せられてゐるのであるから、これに臆じ
て教化映箭そのものの門の向上を刷ると兆に岡代大衆
との接開而の槻張に折めねばならない。即ち悸秀な教
化映詑を肘果川に供給し、そのことに伐つて映謂教化の
内容を充許するやう、教化咄耶叫成節の蛸充を必頚と
する。従つて文部解に於ける映詑の認妃、椎滞の制度
は碓氷に比し格投の苅鮨性を持つこと1なるのであ
る●
 軟化映在の公映については、その配給を一厚帆滑
に、その利川を傾利にし、映諜教化網の竹及弗僻を進
めねばならない。又、一方に於ては教化映諜公映の新
らしい途を求め、映那仰をもこれに利川することが必
要である。
                                                      ●
 映荘館の利用は文部祈に於ては昭和九年二月皇太子
 醗†御降誕記念映#を水流市及び附近の主要仙諜餅に


上映して以氷数個これむ試みてゐるが、この方法はこ
れを金団化し、牌氷はこれを定時化して何故を増加す
ると共に、更に桝皮化しなければならない。
 教化映賽の目的とするところは、同席の知的俸竣と
          ん叫・,●
共に情意を通ずる陶冶であるが、その内治は意識的に
符ふもののみでなく、それが四民生活の裡に無意識的
   しん■ヽ▲1・
にも琵透するやう図らねばならない。申ちこ1に国民
の趣味、娯焚の教化上に放ける重要性があり、それは今
後時局の動向に鷹じて各種問題を含むものであるが、
それに対してはたゞ碓氷の民衆娯楽改替の見地からの
            ‥し†・フlヽ,
みでなく進んで圃民情挽陶冶の見地から、国民の磯
繁生活の鴻正を期する意飼を以て娯楽映丑及びその興
行に対し指導を加へねばならない。
 要するに新らしい事態は教化映賓及び興行映憲の全
面に対して指中性を嬰求してゐるのであつて、その指
導性帥ち教化偶値の剣法こそ将来口本映丑の指槙とな
るものである。